11-3
ツナデとジライヤは、方向性の違う二人の人類の戦闘に戦慄していた。
「アッハハハハハハ!! 貴方本当に真っ当な人間!? 私を殺すことに抵抗とか躊躇とかそういうのない!? 冷静にちまちまと重箱の隅をつつくように、モルモットに実験するみたいに丁寧に丁寧に殺してくれちゃって!! 最っっっ高にゾクゾクするぅ!! メインディッシュの前の食前酒のつもりだったのに、ヤダ胃もたれしちゃうッ!!」
狂笑と共に鉤爪を振り回して踊るようにハジメに襲いかかるガルダは、腕が千切れようが眼球が輪切りにされようが全く意に介さないどころか恍惚の表情さえ浮かべている。
彼女は自分へのダメージを完全に無視しているし、事実、どんな傷も超高速再生を繰り返しているので傷を受けることがデメリットになっていない。膂力も規格外で、空振った拳が大地に衝突して十数メートルのクレーターを作り出している。
しかも、力任せかと思いきや時折獣のように予測もつかないしなやかな動きで攻めたり、かと思えば急に型にはまった模範的な徒手空拳の技を繰り出したりと行動が不規則すぎる。その切り替えの度に隙を晒すが、ダメージを無視できるため内臓が損傷しようが意に介していない。
更に、彼女の不死性を更に助長しているのが彼女の全身に巻き付いたベルトだ。つぶさに彼女を分析するツナデは生唾を飲み込む。
「戦い方もデララメ過ぎるけど、マジどーなってんのにゃあのベルト……そりゃ確かに切れてもくっつくってのはスライムと一緒かもしんにゃーけど、不凍だし発火しても燃え尽きないし電気食らったらむしろツヤが良くなってるし、四肢が千切れ飛んだ時にストッパーみたいに四肢を繋ぎ止めたりまでしてるにゃ……存在そのものが反則すぎにゃい?」
というか、ハジメとまともにやりあっても全く損傷しない彼女の鉤爪も訳が分からない。『聖遺物』か、もしくは通常あり得ないほどのデメリットを持ったカースドアイテムなのだろうか、とツナデはしたくもない予想をした。
尤も、彼女が化け物であれば、それと戦いながら未だ傷一つないハジメも言わずもがな化け物である。
パーソナルスキル『攻性魂殻』の力で複数の武具を操り、魔法も交えて情け容赦なくガルダの肉体を破壊している。淡々と、機械的に、効率的に。
「部位による再生速度の変化なし。脳を破壊しても思考の停滞は見受けられない。急所の同時破壊も目立った効果なし……」
この短期間に、ハジメはガルダを倒しうる策を湧水の如く思いついては次々に実行し、その策が失敗して何度ガルダに肉薄されようが悉く返り討ちにしてを繰り返している。
彼女たちの師匠ならまだしも、弟子たちがもしあれを相手にしたらいつか絶対に駆け引きに失敗するだろう。なお、たった今ハジメはガルダに爆発魔法でとても直視できない損壊を与えた上でワイヤーで縛ろうとしたが、ベルト型スライムがワイヤーを腐食させて失敗に終わっている。
「これも駄目か。『聖遺物』の紐は持ち合わせがないから、検証は断念。武器殺しに加えて白兵戦対策もしているならば、次の手は……」
幾ら相手が不死だからといって、普通の人間なら自分の行いを直視できなくなるところだ。或いはそれを愉しむ真性の精神異常者か、或いは拷問や尋問の訓練を受けた人間もなら苦もないかもしれない。
しかし彼の経歴からして、彼自身はそのどれにも当てはまることはない。
彼の行動原理くらいツナデもジライヤも聞いたことがある。
世界にとって善いことであるかどうか――彼の基本的行動理念にそれ以外はない。自分の心を守る気もなければ、守る部分もないから、どこまでも目的に対して淡々としていられる。
彼の心には、あるべきものがない。
ぞくり、と二人の背中に悪寒が奔る。
今まで彼らはハジメが普通に仕事をする所と、フェオなどと一緒にいる場面くらいしか見てこなかった。彼は娘の世話を焼き、モノアイマンの少女を慰め、てんぷらなる料理をご馳走してくれたこともあった。だから彼を人間だと思えた。
では、もしそれがなければ?
その答えは単純明快。
『死神』の二つ名、それが答えだ。
何故ならば、いったい何の拍子にその感情のない暴力装置の矛先が味方に向かうのか分からないのだから。
「……フェオ。アンタ、自分の想像以上に大変なヤツと競争してんのかもしれにゃいわよ」
「そう、でゴザルね……む? ……!!」
不意に、ジライヤの眉間に皺が寄る。
「これは……ラメトクに動きあり!!」
「マジかにゃ!?」
ジライヤは戦いを注視しつつ、人斬りラメトクの動向を自らが契約、召喚したカエルによって探っていた。そのカエルから連絡があったのだ。
「ラメトクが急に踵を返してこちらに戻ってきてるでゴザル!! しかもとんでもない殺気を放ってると!!」
「どういうことにゃ……まさかガルダとラメトクは協力関係にゃ!? ちぃ、ジライヤはそのまま偵察を続行! とりまこっちで影分身出して様子見するにゃ!!」
ツナデは手で印を結んで二人の分身を作り出し、一人をハジメへの連絡用に、もう一人をラメトクの動向を探るために駆け出させた。
ところが、影分身の片割れがラメトクを索敵範囲に捉えた瞬間、ラメトクのいる方角から光のような速さで飛来した刃がツナデの分身の頭蓋を一撃で破壊した。
「はぁ!?」
本体であるツナデに害はないが、情報をきっかり受け取っていたツナデの全身の毛穴から嫌な汗が噴き出る。分身は自分より弱いとはいえ、もし本当に己がラメトクの側に向かっていれば死んでいたかもしれない。
彼は、修行中とはいえ忍者たるツナデの索敵範囲外数百メートルの外から『何か』をしてツナデの分身を破壊した。その『何か』さえ読み取れなかった。
しかし、ツナデとて忍者。唯では終われない。
ラメトクとハジメたちの直線進行ルートの地面から、もう一人分身のツナデがぼこりと土を押しのけて姿を現す。
「他の分身を予め用意してなかったとは言ってにゃいにゃ! デキる女は備えてるッ!!」
分身は万一の時の為にラメトクの足を止める、ないしそれが無理なら妨害のためにたっぷりと魔力を練り、今のツナデが使える最大級の遁術を用意していた。その身一つで全てをこなせるライカゲと違って補充忍具もふんだんに使った特製の妨害だ。
「火遁・化生怨炎業灰陣ッ!!」
分身ツナデの前に出現したのは、焔で形作られた恐ろしい形相の怪物の上半身。上半身は正に鬼と呼ぶに相応しく、下半身はなく、代わりに鬼の背後には空気すら焼き尽くす超高熱の炎の壁が行く手を阻む。
挑む者には無慈悲な死を。
突破せんとする者にはどこまでも炎の壁が阻む。
防御にして攻撃、一つの術に内包された二重構造。
挑む者を灰燼に帰す、無慈悲な火遁術だ。
「あーんど、土遁・迷ヒ霊山ッ!!」
術の発動と同時に、今度は分身ツナデの背後に突如として薄ぼんやりとした靄に覆われる入り組んだ山が出現した。
これは攻撃の為の術ではなく、幻術の亜種だ。ひとたび入り込めばそこは『複雑に入り組み、方角さえまともに分からない山』と化し、入った者は高度な幻術破りの術がない限り術の発動中延々とそこに囚われ続ける。
山や森といった場所は、元々人を惑わせる性質がある。これは、その性質を遁術によって極限まで誇張するものだ。だから分身ツナデはラメトクとハジメたちを結ぶ直線ライン、かつ森の最も木が鬱蒼とした場所を選んで待機していた。
この術を使う為に、ツナデは自らの持ち合わせの魔力の実に半分を分身に注ぎ込み、地形を利用し、道具を利用し、この極限の妨害を用意した。本来ならレベルに合わない程に強力な術の乱発だが、それを知恵と工夫と実力を組み合わせて発動させてこその忍者というジョブである。
「今できる全力、最大の遁術にゃ!! 魔王軍の幹部だろーが、これで止まらない足はにゃぁーーいッ!!」
そして先ほどと同じようにツナデの索敵範囲にラメトクが入る。
ラメトクは、火遁・化生怨炎業灰陣を真正面から貫き、そして土遁・迷ヒ霊山の発する幻術そのものを切り裂き、そのまま通り過ぎた。
ツナデの全力の妨害は、彼の足を一秒たりとも止めることはなかった。
「……ありえんにゃ」
それは、ツナデの全力の二重妨害を一瞬で突破されたことに対してではない。分身ツナデの上半身と下半身が音もなく分断されていることにでさえない。彼女が信じられなかったのは、ラメトクがやった『何か』の正体だ。
本体のツナデの顔色の悪さに、ジライヤが慌てる。
「ツナデさん!?」
「マズイにゃ……ハジメの後方まで一度撤退!! 急ぐにゃ!!」
「は、はいでゴザル!!」
ジライヤはツナデの弟弟子故、うだうだと理由を聞くことなく彼はツナデに着いて撤退する。物わかりの良さにほっとしつつ、ツナデは額の汗をぬぐう。
最初、ツナデはラメトクが刃を投擲して分身を倒したのではと予想していた。ツナデの探知範囲は数百メートルに及ぶが、それ以上の距離から狙撃のような投擲を受けたのならば、悔しいが納得は出来る。
しかし、二つの遁術を囮に全神経を集中して得られた視覚情報は、予想の斜め上を行っていた。
「ラメトクは剣を投げてにゃい。スキルで斬撃を飛ばしてもにゃい。あいつ……『突き』で全部貫いていったにゃ……!!」
彼は、修行中とはいえ忍者たるツナデの索敵範囲外数百メートルの外から正確に彼女の位置を把握し、意味が分からないまでの射程範囲を誇る『突き』で致命の一撃を与えたのである。
走りながら剣を突き出したのではなく、踏み込み、蹴り出した加速によって、たった一歩で全てを貫いたとしか考えられない。余りにも出鱈目で、しかしそれ以外にツナデの見た光景は説明のしようがなかった。
「3人目の、化物……」
ツナデの本能が、これは完全に自分の手に負えないと告げていた。
◆ ◇
ガルダとの戦いに集中していたハジメは、ツナデが急に姿を見せたことに怪訝な表情をするが、すぐに彼女が分身だと気付く。本物と間違えないよう、分身であると伝えるハンドサインを送ってきたからだ。
更にツナデはハンドサインでラメトクがこちらに接近していること、そして自分の手に負えない強さであることも伝え――。
「邪魔」
ガルダの放ったソニックブレードにバラバラに引き裂かれた。
ただ、ガルダは分身というスキルを知らなかったのか、自分が切り裂いた女が煙となって消えたのには少し驚いていた。
「あらま。猫ちゃんに化かされちゃった」
(ツナデ、敢えて無抵抗で負けたな。自分の手の内をそれ以上相手に見せないためか)
ライカゲなら分身が本物だと思わせるほど動いて見せろなどと言うだろうが、ツナデは出来ないことはしない――身の丈をよく知っている女だった。
無論、ハジメはその一瞬の隙を逃さず彼女を風の結界に閉じ込める。
「ウィンド・バインダー」
強烈な風によって相手を宙に浮かせて拘束する変則的な上位フィールド魔法がガルダを一時的に捕らえる。彼女は自らの肉体を拘束、破壊、阻害するものには対策を施しているが、風魔法は対抗策が少なめというハジメの分析によるものだ。
ただし、矢張りこれも決定打にはならず、ガルダはまた自らの体に巻き付いたベルトから灼熱の炎を放ち、気流を乱すことで魔法を強制的に減退させていく。
ハジメはそれに構わず、彼女に一つ確認する。
「さっきお前の話で気になることがあった」
「あら、なぁに? 本名? 出身? 本当に人間かどうか? スリーサイズなんて真面目な顔で聞いてきた男もいたわねぇ。その男は最後には腹から全部腸を引き摺り出されてショックで勝手に死んじゃったけど」
「お前、俺のことを食前酒と言っていたな。ということは……メインディッシュとはラメトクのことか?」
彼女はずっとラメトクを追跡していた。
ここ最近彼に接近していたという情報もある。
では、殺人鬼が個人に接近する理由とは何か。
答えは単純、殺害する相手を見定めた時だ。
しかし、ハジメの予想に反してガルダはまるで女心を解さない男を諭すように首を振る。
「目の付け所は悪くないけど、分かってないわねぇ。或いはあの子のことをまだ知らないのかしら?」
「あの子……」
普通に考えれば彼女の言う『あの子』はラメトクを指す筈だが、ハジメはその言い方に少し違和感を覚えた。今の口ぶりは、まるでラメトクに関わる何者かがもう一人いるかのようだ。
ラメトクが特定の誰かと行動を共にしたという情報は現状ないが、口ぶりからして近しい存在なのか――そう考えた刹那、まるで空間そのものを切り裂くような神速の斬撃がガルダの周囲を駆け抜け、彼女を拘束していた風が彼女ごとズタズタに引き裂かれた。
「あァんっ!!」
「……ッ!!」
常人ならかまいたち現象にしか見えない出来事だが、ハジメの人並外れた動体視力はその正体をしかと確認していた。
剣だ。間違いなく、剣が切り裂いた。
問題は、その速度がハジメを以てして不意打ちならば手傷を負ったかもしれないものであったことと、その剣の持ち主だ。
「……」
男は、北方の民族風の衣――日本で言えばアイヌのそれに似ている――に身を包み、フードを深くかぶったまま剣を握り、こちらに背中を向けている。ハジメの全速力に匹敵する速度に加え、背中を向けているにも関わらず喉元に刃を突き付けられたような強烈な殺気を振り撒いていた。




