11-1 転生おじさん、最狂の賞金首と戦う
夜の漆黒が包む森の中に、飛び散る火花。
金属と金属の衝突しあう甲高い音が響き渡る。
一つのシルエットは、両手に鋭い鉤爪を装着した女性。
もう一つのシルエットは、長剣を握る男。
二人は重力を軽んじるかのように縦横無尽に跳躍し、木々を足場に虚空を駆け、幾度となく刃を衝突させる。二度、三度、四度、互いに一歩も譲らぬ攻防の度、音と衝撃に乗って濃密すぎる殺意が周囲に撒き散らされる。
「シャアァァァッ!!」
女性が獣のような雄叫びを上げて、鉤爪を振るう。
その刃がほんの僅かに掠めただけの大木が呆気なく寸断される。敵対者の肉を抉り取るまで止まらない死の円舞は、無数の風切り音を纏って男に迫る。
「……!」
対して、男は動じる様子もなく刃を振り――二人の間に数十にも及ぶけたたましい金属音が響く。神速の斬撃を女の鉤爪に恐ろしく正確なタイミングで叩き込み続けているのだ。
女の鉤爪と男の連斬が拮抗する。
一瞬でも先に気を抜いた方が骸を晒すことになるだろう。
音の一つ一つが鳴るたびに火花で二人の姿が照らされる様はどこか幻想的で、しかし余波という名の蹂躙を浴びせられる森は瞬く間に傷に塗れていく。
互いに人間業ではなく、まるで殺意という概念に刃が付随しているかのような常軌を逸した圧。割って入る何者かがここにいたとしたら、既に全身を切り刻まれて呆気なく絶命しているだろう。
やがて、互いに距離を取った二人はしばし睨み合う。
その直後――第三者の下卑た声が響いた。
「いたぞ、あそこだ!!」
「へへっ、これで賞金は俺たちのものだぜ!!」
彼らは、武装した賞金稼ぎだった。
となれば、この場にいる二人のうちどちらか、或いはどちらもが賞金首だということになる。
神速の斬撃を放っていた男は、気合いと共に今まで以上に鋭い攻撃を放つ。女はそれを当然のように鉤爪で防ぐが、男は斬撃の反動で一気に女から距離を取ると森の奥深くへ向けて駆け出した。
「なんだ、一人逃げたぞ?」
「放っとけ、同業者かなんかだろ! 女の方が手配犯だ!」
女はその男を、男が握る剣を、愛おしそうなまでに情念の籠った目で見送り、やがてその目は自らに迫る賞金首たちに向く。
その視線は、心底つまらなくて下らない存在を見る目。もっと言えば、誰かを見るという意識すら希薄なほど賞金稼ぎたちに興味を持っていない目だった。
「まったく、お楽しみの途中で逃げる男に、空気を読まず割り込んでくる男……どうしてこの世界は無粋な連中で溢れているのかしら? もっと悦楽というものの何たるかを弁えた人間はいないのかしらねぇ?」
「なに訳の分からんこと抜かしてやがる!」
「聞いたぜぇ、あんた回復魔法の名手なんだってなぁ! だが捕縛しちまえば傷なんざ関係ねぇ!! 俺たちの懐に5億Gを入れる為に貢ぎ物になりなぁッ!!」
「意外と色っぽい声してるなぁ。こりゃ突き出す前にちょいと悪戯してもいいんじゃねえか? ぎゃははははは!!」
賞金稼ぎたちは下品な笑い声を上げながら、捕縛用の道具を取り出した。彼らが如何に下劣な精神を持っていようが、その道で糧を得てきた職業には違いない。
彼らは手配書から読み取れる情報を元に用意した装備を抱え――そこで、何故か全員が道具を全て取り落とした。
「へ……」
「メインディッシュを前につまみ食いはしたくないし、貴方たち食いでがなさそうだし、つまんないわねぇ」
女は悩ましげなため息をつくと自分の鉤爪に赤い舌を這わせ、付着した血を官能的な艶めかしさで舐め取る。
血が、ついていたのだ。
先ほどの男との戦いでは相手に傷をつけていないのに。
賞金稼ぎ達はやがて、自分たちの両腕を見下ろして絶叫する。
「ぎゃあああああ!! う、腕!! 腕がぁぁぁぁぁッ!?」
「ひぃ、ひぃ、嘘だろ!!」
「ぽ、ポーション!! ああ、クソ、手がないから出せねぇ! あ゛ぁぁぁぁッ!?」
醜く藻掻き苦しむ男達を一瞥し、女は自らも森の奥に消えていく。全ての腕を切断されて泣き叫ぶ男達の生命に一切の興味を示さずに。
――それから一分後、一人だけ用を足していて遅れた賞金稼ぎ仲間が慌てて仲間達の切断された腕をポーションで接合するまで、賞金稼ぎ達はひたすらに自分が相手の強さを考慮していなかったことの愚かしさを嘆き続けた。
もし女の鉤爪の切れ味が足りなかったら、何人かは接合した腕が動かなかったかも知れない。彼らは不運ではなく不幸中の幸いだった。
何故なら、切断されたのが腕だけで済んだのだから。
――凶悪な犯罪者はギルドや国家により指名手配を受ける。
これは、人間の社会にとって当然のことだ。
冒険者とは名ばかりの何でも屋たちにとって、これを仕留めるのも仕事の一つである。基本は生け捕りが原則だが、その中でも凶悪犯はケースによっては殺害しても罪には問われない。はっきり言って汚れ仕事の類だが、報酬はいいので凶悪犯を探す冒険者も一定数は存在する。
だからこそ、彼らは決して忘れてはいけない。指名手配犯であるという事実とその懸賞金が、相手の危険度を意味していることを。
「畜生、畜生……億レベルなんて俺たちが手を出していい相手じゃなかったんだ!!」
「ば、化物だよ……反応どころか、いつ動いたかも分からなかった……」
「お、俺、もう賞金稼ぎ辞めるよ……」
男達は多量の出血でふらつきながら、震えてその場を去る。
彼らのうちの一人が、未練を断ち切るように紙を放り捨てた。
ひらひらと暫く宙を舞ってから地面にかさりと落ちたそれは、指名手配書。木々の合間から差し込む月明かりが照らしたそこには、『鳥葬のガルダ 懸賞金5億G』の文字と女の顔が印刷されていた。
確かに世には手を出してはいけない相手がいる。
しかし、それは何も社会の裏側にのみいる訳ではない。
この賞金首に対し、ギルドはある決定を下した。
「大丈夫なのか? 怪盗ダンの二の舞は御免だぞ」
「あれは特殊なケースだ。今回の相手は逃げるようなタイプじゃない」
「奇跡的に今回死者は出なかったが、もはや捨て置けまい。ではさっそく議決を取るが、この案に賛成する者は? ……全会一致だな」
「また彼に頼ることになるか……ハジメ・ナナジマ」
化物には、化物をぶつけてしまえばいい。
◇ ◆
ハジメは様々な危険クエストをこなすが、唯一、凶悪な指名手配犯の捕縛等はほとんどすることがない。その理由は、わざわざ依頼されることがほぼないからだ。
絶無という訳ではないし、世間が手に負えないと嘆く相手や緊急性の高い相手ならハジメが断る理由もない。故に、ギルドから指名手配犯関連の仕事を請けて欲しいと頼まれたとき、ハジメは迷いなくギルドへ向かった。
(しかし久しぶりだな。三年前の怪盗ダンを取り逃がして以来、この手の依頼はもう来ないと思っていたが……)
ハジメはギルドにて担当職員に差し出された手配書を読む。
描かれた似顔絵は、妖艶な美女といった雰囲気だが、随分絵のタッチが古臭く感じた。賞金は敢えて気にせず、他の特徴を頭に叩き込む。
手配書を手渡したギルド職員が過去の資料を広げた。
「詳しい説明をいたします。内容は確認していただけましたね?」
「ああ、俺も噂程度なら聞いたことのある名だ。鳥葬のガルダ……性別は女性、種族はヒューマン、懸賞金5億G。罪状は主に殺人と強盗殺人。殺した相手の腹を暴き内臓を撒き散らす様から鳥葬の異名がついた。本名、出身不明、推定年齢……600歳?」
ハジメが聞いた噂は、ずっと捕まっていない謎の女殺人鬼という程度のものだった。600歳などとは聞いていない。突拍子のない数字に困惑の声を漏らすと、職員はその反応を予想していたとばかりに頷く。
「鳥葬のガルダは600年前からその存在が確認されている猟奇殺人鬼です。犠牲者は判明しているだけで200人以上。過去から現在に至るまでの殺害手段と外見的特徴が完全に一致していることから、悪魔と何かしらの特殊な契約を交わして老化を遠ざけている人間だと考えられています」
悪魔との契約は時として不可能の扉をこじ開ける。
無論、契約には代償が付き物だが、その代償の大きさによっては確かに600年若さを保ち続けることも可能だろう。ただし、もっと直接的に人外であれば話は別だ。
「何故人間だと断定できる? 人外の者ではないのか?」
「過去に幾度となく討伐隊が編成されたり、勇者が捕縛に向かったことがあります。中には一時的に捕縛に至ったケースもありました。その中でどれほど彼女を調べても、彼女がヒューマン以外の存在である証拠が出てこなかったのです。そのためギルドでは彼女のことを、最高位悪魔等の強大な存在と特殊な契約を交わして若さを保っていると推測しています。なお、魔王軍からは敵視されており、人類から魔王軍への寝返りの可能性は極めて低いと思われます」
「捕縛した際に何故殺されなかった? ここまで凶悪な存在となれば戦いは熾烈になる。生け捕りの方が難しい筈だ。しかも捕縛されたとて、先に待つのはどう考えても死罪だろう」
「それが……彼女は、死なないのだそうです」
それを口にするギルド職員自体も半信半疑と言った風だった。
「過去の記録によると彼女は異常としか言いようのない回復能力の持ち主で、如何なる戦闘による傷も問答無用で回復し、火山の火口に落としても錘をつけて海に沈められても必ず復活してしまうそうなのです。事実、戦闘記録では頭部を欠損した状態で討伐隊を全滅させたというものまであります」
「……転生者」
「え? 今何か?」
「いや……」
この世界の住民は転生者という存在を知らないし、信じてもいない。
だが、世界の理にあからさまに反したこの不死性の正体は、もしかしたら転生特典なのかもしれないとハジメは疑っていた。
ハジメも色々と犯則的な特典を持った犯罪者を捕縛してきたが、ここまで露骨な不死の能力はそうそうお目にかかれない。
「ともかく、そのガルダの目撃情報がここ最近になって入ってきたんだな?」
「そうなのです」
曰く、鳥葬のガルダはここ数十年、わずかな目撃証言と犠牲者の存在を残して足取りが全くつかめなかったという。それがここ一週間ほどで突然同じ地域で何度も目撃されているというのだ。
既に無謀な賞金稼ぎが彼女を捕えようと追いかけ、返り討ちに遭う事態も発生しているという。
更にもう一つ、気になる情報が入る。
「人斬りラメトクが彼女と共にいるのを目撃したという情報もありまして……」
「ラメトク……聞いたことのない名前だが、人斬りとは穏やかじゃないな。それも指名手配犯か?」
「いえ、俗称のようなものでして……彼は男性であること以外詳細不明なのですが、自分に勝負を挑んだ者を真剣で切り裂くのです」
「……指名手配になっておかしくない内容だと思うが」
幾らここが剣と魔法の世界とは言え、生きるか死ぬかの決闘など基本はご法度だ。どんなに本格的な訓練だろうと寸止めが常識だし、互いに同意の上だろうが相手を殺害すれば罪に問われる。
しかし、ギルド職員は心底理解出来ない顔で首を振る。
「彼に挑んだ相手は全員が自ら勝負を吹っ掛けていますし、当のラメトクは斬ったあとに相手に対して薬や回復魔法で治療を行っているので、死者等は出ていません。しかも彼は個人的に剣士をやっているだけで冒険者じゃないんですよ」
「これまた奇天烈な奴が出てきたな」
本気で相手を斬るというのもそうだが、剣士でありながら回復魔法を得意としているというのが非常に珍しい。回復魔法は聖職者や魔法使い以外の系列では殆ど覚えることがない。魔法剣士スタイルだとしても余程魔法の熟練度を上げないと重傷を治すことはできない。
ゲームと違ってやり直し手段のないこの世界では、一生のうちにスキル習得に割ける時間は限られている。回復魔法に特化した剣士はビルドとしてかなりバランスが悪い。
ともあれ、やってること自体は立件されてもおかしくないものだ。
「ラメトクは今のところ、犯罪者予備軍の要注意人物といったところか」
「その認識で間違いありません」
死なない女と律儀な人斬り。
随分と訳の分からない組み合わせだ。
最後に、ギルド職員は神妙な顔になる。
「ラメトクとガルダが接近した理由は不明ですが、タダで済むとは上層部も考えていません。ギルドが望むのはあくまでガルダの身柄確保ですが、相手が相手です。貴方に限って不覚をとるとは思えませんが、くれぐれもご無理はなさらぬように」
「俺の心配などする価値はないよ」
「……価値? 変な言い回しをしますね」
「気にするな。仕事は全うする」
久しぶりに苦戦しそうな依頼だ、と、ハジメは僅かながら不謹慎な期待を心のどこかで抱いた。今回は、死ねるかもしれない。




