37-8
トラブルはあったが、研究所の買い出しは終了した。
その上でのクオンの感想は以下の通りである。
「次は行かなくていっかな……」
「でしょ。絶対地上のが楽しいよ」
フェートが肩をすくめてクオンを励ますように肩をぽんぽんと叩く。
子供は正直であるが、言わんとすることは大人達にも分かる。
貴族街の店は流石貴族という感じで質の良いものが多かったのだが、子供が見て楽しいようなものは全然なく、かといって平民側の店はというと生活必需品レベルのものを除いて偏りが凄かった。
本屋に行けば貴族や魔王を賛美するプロパガンダ本が山積みで実用書や娯楽本は少なく、クオンの期待していた絵本についてはそもそも絵本文化が魔界で活発ではないようで碌なものがなかった。
ちなみにプロパガンダ本は一定数置くのが法律で義務づけられているだけで別に誰も買ってないらしい。
本屋の時点でこんなだから他所もお察しで、土産、玩具、屋台などクオンの期待していたものは壊滅状態。事前にアイスもない町と聞かされていたためクオンも覚悟はしていたようだが、覚悟してもつまらないものはつまらない。
生活必需品も正直ちょっと酷かった。
服屋は上着だけ見てもバリエーションが十種類くらいしかなく、いわゆるブランド品がないので値段も均一。これでは平民がお洒落に拘るのは無理だろう。服屋以外でも状況は似たり寄ったりで、とにかく品を選ぶ楽しみというものが平民の店にはなかった。
これらは平民の為に格安で製品を作る国営企業が生産しているそうで、粗悪品という訳ではないが地上で育った人間にはどこまでも物足りない。
というか、これでもお金が足りなくなる平民の暮らしはどうなっているんだと思ったが、シンプルに貯金という考え方がないので入った収入を使い尽くしている人が多いらしい。使い尽くしても生きていく分には困らないからだ。
とはいえ、平民と貴族には絶対的な力の差がある。
魔族達はそれをどう考えているのかがハジメは気にかかった。
「普通こんな国家運営だと貴族は驕って余計なことをして平民が反発するようになると思うんだが、どっちも一線を越えないんだな」
ハジメの疑問に、ぽちが反応する。
『それは貴族連盟の間で『平民の下限と貴族の上限』が決められているからだな。平民が下限より下に落ちるなら貴族は助けなければならない。貴族が上限を超えるようなら平民は納税しなくて良い。例の魔王軍システムがどっかで残ってるからかもしれないが、それが上手く作用してる』
「……色々と地上の常識が通用しない」
ブンゴが「共産主義?」と呟いていたが、こちらの世界に共産主義という考え方はまだないし、厳密には別物である。
ただ、これがシステムによってのみ維持されているのだとしたら、いずれシステムが崩壊した時に魔界はフランス革命と同じ道を辿るかも知れない。
(十三円卓が保身の為に行なった魔王軍の利用が魔界の治安を安定させているとは、皮肉な話だ)
狙ってのことではないのかもしれないが、結果的に十三円卓議会は人柱によって双方の世界の治安を安定させた。だからといって今まで犠牲になった数多の人々の魂が報われるとは思えないが、いずれ円卓が崩壊したとき、世界は選択を迫られるのかもしれない。
――こんな物語がある。
誰もが幸せに暮らし、繁栄する地上の理想郷。
しかし、そこにはただ一点の闇があった。
この理想郷の幸せはたった一人の子供の不幸に依存しているのだ。
子供は生まれつき能力が劣り、何もない部屋で監禁され続ける。
助けは来ず、救いはなく、無慈悲に押し込められた狭い檻。
理想郷を維持する為に、喚き叫んで助けを求めても応じて貰えずに。
都市に住む者は一定の年齢になると全員がその子供の存在を知らされる。
可哀想に思う人もいるだろう。
余りにも不憫で解放してやりたいと思う人もいるだろう。
しかし、子供の救済は理想郷の崩壊を意味するため、結局誰も実行には移れない。
そのうちそれが当たり前になり、気にしなくなってゆく。
誰もが犠牲から目を逸らし、栄華に浸って生きてゆく。
しかし、目を逸らそうとも理想郷を維持する悍ましいシステムは消えない。
唯一つの闇にのみ依存した理想郷はどこまでも歪だ。
その歪さに耐えられなくなった人は、自らの意思で理想郷を捨てるしかない。
ここよりも素晴らしく平和で幸福になれる場所はどこにもないだろう。
それでも、人は理想郷と決別し、己のいるべき場所を目指す――。
――これが、ハジメの記憶する『オメラスから歩み去る人々』という物語のあらましだ。
冷静に考えればこんな都市はファンタジーすぎてありえないとも思うが、誰かの犠牲から目を逸らして道徳に蓋をすることで葛藤を消して生きる人間などこの世には幾らでもいる。むしろ、誰もが万事を直視することなどあり得ない。
つまるところこの物語は、マイノリティを見捨てることで恩恵を受けながらもその事実から目を逸らすことの醜さを物語っているのでは、と、ハジメは思う。
これは単にハジメが思うだけのことであり、人によっては違う感想が出るだろう。
魔界という世界の構造は、何となくこの話を思い出す。
実際には魔界の人間は犠牲者の事実を知らないなど違いは多くあるが、魔界という広大な世界が少数の何者かの不幸によって平和を保たれているという構造を考えると、ここは理想郷の亜種だ。
ユーギアはこの世界と地上がいずれ融合することを知っていた節がある。
彼は一体この世界の融合と魔界の未来をどう考えているのだろうか。
……それはそれとして、そもそも十三円卓の祖たちが余計なことをしなければこんな爆弾を抱えることもなく魔界はあるべき形に収まったかもしれない。たらればの話が不毛であるのは重々承知だが、生け贄というものはどうしても正当化出来る気のしない現代っ子のハジメであった。
◇ ◆
研究所に到着してから3日目の朝。
ユーギアは研究所に籠もったまま出てこないので待ちの時間だ。
村と連絡を取ったところによると、トリプルブイもまだ武器の仕上げが終わらないとのことなので滞在は続行する。
ブンゴは既に何度かグレゴリオンの定期訓練がてら合体や分離を堪能し、シミュレータにも没頭。
クオンとベニザクラは改良型ゼノギアの参考にとまた本格的な模擬戦の許可を貰って暴れ、ソーンマルスはすっかり技術者面でメンテに参加。ヤーニーはゼノギアの構造が大分理解できたのか、ジャンクから模型のように小さいながらきちんと動くゼノギアを作りだして周囲を驚かせたりしていた。
激動の1日目、敢行の2日目ときて3日目になるとハジメもやることも流石に減ってきたので、せっかくだからとゼノギアの操縦を学んでみることにした。
「これがコクピットか。もっと閉塞感があるかと思ったが、意外と快適だな」
ゼノギアのコクピットは斜めに傾いた楕円形のカプセル内にあるシートに背を委ねるような構造になっており、搭乗者の身長によって自動でペダルやレバーがスライドして適切な位置まで移動するよう出来ていた。
モニタ映像はカメラが捉えた周囲の状況を映す正面の半円状メインモニタと、ホログラムで表示された半透明な複数のサブモニタの複合だ。
技術的にはまるで自分が宙に浮いているかのように全方位をカメラで映すことも出来るそうだが、コストの問題に加えて実際にやってみると「わざわざ戦闘中にシートの裏なんて首回して確認してる余裕なくね?」ということに気付いたそうだ。そんな当然のことに何故作るまで気付かなかったのだろうか。
レバーの形状は好みによって選べるそうだが、ハジメは手の自由が利く方が快適に感じてレトロタイプと呼ばれるものを選んだ。ブンゴ曰く「昭和から平成初期にかけての古典的なタイプ」らしい。
いくつかのトリガーやとボタンが複合された操縦桿を両手で握る。
人型ロボットを動かすのにこのペダルと操縦桿だけで可能なのかと疑問に思ったが、操縦システムとパイロットの意識が感応することによって、ボタンを押し間違えたりしてもある程度やりたい動きをゼノギア側が理解してくれるようだ。そこからゼノギアがパイロットの癖を覚えて配置を自動で調整することで、ゼノギアは最適化されていくように出来ているとのことだ。
レクチャーをしてくれたノーヴァはオペレーターも兼任してくれており、シミュレーション室の外から通信で指示をくれる。
『では、モニタ右下にチュートリアルチェッカーを表示しました。表示された指示をこなせばチェッカーが埋まっていき、全部埋まったら基本動作を網羅したことになります』
「分かった。ではやってみる」
ハジメは順当に上からチェッカーを埋めていく。
歩く、走る、停止、跳躍、ホバリング、飛行……最初はややぎこちなく感じた動作も、二度、三度と繰り返すと段々とスムーズになっていく。これがゼノギアの最適化かと感心する。
実はバイクや車をこの世界で再現したものに乗った経験があるハジメだが、ゼノギアは明らかにそれと比べて技術水準が飛び抜けている。続けていると、ボタンの振り分けも自然と為され、数分程度でハジメは射撃や格闘にまで到達。チェッカーを全て埋め終えた。
『速いですね、ハジメさん。30代の方では今までのシミュレーション上一番のクリア速度です。大抵の方は視界や距離感の狂いに慣れるところから順々に慣すので10分以上かかることも珍しくないんですけど……博士の言うとおり、親和性が高いのかも』
「そのようだが、これでも結構疲れてる」
やはり慣れない作業は精神力を使う。
体感的には攻性魂殻を一時間使い続けたくらいの消耗だ。
いくら親和性が高くても、この消耗度は慣れないことに頭をフル活用したのが原因だろう。実際、普段はそれほどかかない手汗が滲んでいる。
「ちょっと休憩を挟みたいんだが」
『じゃあ休憩しましょう。多分、普段以上に視界を使ったことによる目疲れもあると思うのでモニターも休憩モードに、と」
……ここにブンゴかショージがいたら、「噂には聞いてたけど、やっぱりおっさんになると昔ほどゲームのプレイ時間持続しなくなるのかな……」などとひそひそ話をしていただろうが、ハジメのゲーム経験は転生後にホームレス賢者にやらされたのが初であった。
ゲームそのものより横から入るホームレス賢者のうんちくの方がよく記憶に残っているので、「ゲームの時間は嫌いな訳ではないけど、自分一人でやるほどでは……」という微妙な印象が残った。
モニタの色がフィルタで抑えられ、休憩モードに入る。
『操縦桿の下にあるボタンのうち水滴のマークのものを押してください。ドリンクがいくつか入ってます』
ノーヴァに言われるがままに押してみると、操縦桿の下のスペースがスライドして紙パックの飲み物が並ぶ。水、エナジードリンク、珈琲、紅茶、どれもほどほど程度に冷えている。とりあえず水を選んで飲み、一息つく。
「クオンもベニザクラもよくあんなに暴れられたものだ。今日は本物に乗るまで行き着かないかもしれない」
『クオンちゃんは別格に凄かったですけど、ベニザクラさんは興奮で疲労を一時的に忘れてたみたいで、降りた後に反動が来てましたよ。リラクゼーションルームで回復しましたけど』
「操縦者にも色々種類があると言うことか」
『そうですね。僕ら魔導騎士もそれぞれ長所と弱所があります。グレゴリオンは全員意図的にタイプの違うパイロットが選定されてるらしいです。僕は自分の長所がよくわかんないけど、博士曰く逆転タイプらしいです』
「冒険者にもそういうタイプがいるな」
いわゆるジャイアントキリングを起こしたりクラス詐欺と言われるタイプだ。
「初見殺しに特に弱いが、時間さえあれば難しい問題を自力で解決出来る。そんな感じか?」
『あ! それ、テスラに言われたことあります!』
「そのタイプの強みは観察力だ。初見に対応できないのは情報が足りないからだが、情報さえあれば人並み以上に動きを最適化してくる。成程、グレゴリオン向きなんじゃないか?」
『そーだったのかー……博士ってばその辺の具体的なこと何も言ってくれなくて。なんで言ってくれないのって言ったら『博士ってそういうものなの!』で誤魔化すし……』
「単に指導に向いていないのかもな」
ユーギアはあくまで技術屋だ。
聞いた感じ金勘定や商売、開発だけだなく操縦もある程度自力で出来るようだが、『名選手、名指導者にあらず』という言葉があるように彼はそっちに向いていなかったのかもしれない。
ノーヴァは納得すると同時に、感心の声を漏らす。
『はぁぁ~……話を聞いただけでそんなことが分かるだなんて、やっぱりハジメさんは凄いんだなぁ。観察力ですか』
「観察力と言ってもいきなり見ただけで全てを知ることが出来るのは一部の転生者くらいだ。相手に負けず、初見殺しの被害を抑えて乗り切る堅実さとセットで運用してこそだな」
『だったらシノが強いです。シノは僕らの中で一番の優等生で、持久訓練だと誰もシノに勝てないんですよ!』
そういえばシノノメは亀のゼノギア・ダルタドールに乗っていたなと思い出す。
ノーヴァはといえば獅子のゼノギア・レオスガルブだ。
それはまだ見ぬ彼の勇猛さか、或いは眠れる獅子ということか。
なんにせよ、雑談している間に少しは休憩ができた。
ドリンクホルダーを押し込んで所定の位置に戻す。
「さて、そろそろ続きをお願いする」
『はい! あの……後で他の魔導騎士にも今みたいな話を聞かせてくれませんか? 全員僕と似たような指導しかされてないので……』
「それくらいなら構わんが、当たっているかどうかは正直分からんぞ?」
『そうかもしれませんけど、実戦経験の多い人のアドバイスなら為になると思うんです! 宜しくお願いします、教官!!』
「教官ではない」
『え? でも教官って教える人のことですよね、教官!!』
なんかこのパターン前にもあったなと自称弟子たちのことを思い出す。
ノーヴァは今の所あの連中より可愛げのある子供なので、是非間違った道には進んで欲しくない。
「というかその理屈なら今はむしろ君が教官の側なのだが……?」
『えっ、言われて見れば……』
「指示を求む、教官」
『なんかそう呼ばれるとむずがゆいのでやめてください!』
「うん。俺もむずがゆいからやめてくれると嬉しい」
『はい!!』
なんと明瞭で素直な返答だろう。
勝手な事ばかりする自称弟子共とは比べるべくもない純真さだ。
と、ノーヴァが何かに気付く。
『あれ……これって……』
「どうした?」
『博士がリアルタイムでハジメさんの実働データを閲覧してます。声も聞こえてる筈だけど何も言ってこないなぁ』
「成程な。ならこのまま訓練を続けよう。たぶんこのデータは俺の依頼した武器の完成度にも影響を与える」
『あー、そういう……邪魔するまいという博士のせめてもの気遣いということでしょうか?』
「迷惑を掛けられないのであれば俺は構わない」
『そうですね!』
ノーヴァも博士が見ていることで逆に乗り気になったようだ。二人はその後、仮想敵との射撃訓練や特殊条件のミッション・特殊武器の運用などを次々にこなし、流石に疲労が溜まってきたハジメが一時間後に中断を要求するまで激しめのデータ収集が続いた。




