37-6
ソーンマルスは宛がわれた部屋で紙にペンを走らせる。
既に騎士の地位は剥奪されたが、姉のサポートの為にも魔界についての情報を可能な限り持ち帰りたかった。
達筆な文字が白紙のページを走る。
――魔界の勢力図について。
地上に於いては悪魔と魔族は混同されることがあるが、魔界に於いては魔族が最も人口の多い種族であり、悪魔は通常魔族と比べて身体的に特異な部分や一部の能力に秀でた者が多い傾向にある模様。
魔族と悪魔は魔界の二大種族であり、前述の統一貴族連盟も殆どがそのどちらかであるとのこと。角と寒色系の肌という特徴は双方の種族で共通しているが、悪魔族は尾が必ず黒いのに対して魔族の尾は人によって微妙に形状や色が異なるというのが魔界の認識である模様。
また、地上と同じく魔界にも少数民族や特定の力が強い種族が存在する。
その代表的な例が吸血鬼と妖狐である。
吸血鬼は伝統的に統一貴族連盟の代表貴族に常に最低一名はおり、魔界の一角は彼ら吸血鬼の巣窟となっている。
地上では吸血鬼と言えば血を吸うイメージが根強いが、実際には血を嗜好品として嗜む文化はあれど必ずしも必要ではない。元々はテイムや罪人を罰する役割を担っていた悪魔たちが突然変異して生まれた一派であり、魔界全体を見ても異質な存在と見做されているようである。
また、吸血鬼は魔王軍に選定されることが極端に少なく、そのことを気にして地上進出を画策する者が時折出るが、吸血鬼全体としてはそもそも魔王軍の栄誉に魅力を感じていない者が多いとのこと。
これは魔王軍システムの実在を過程する上で、その構造を紐解く手がかりになるかもしれない。
続いて、妖狐について。
妖狐は少数民族で吸血鬼のように魔界の勢力図を占める一派にまではなっていないが、容姿や文化の独自性の高さと外界との関わりの薄さから神秘の種族として有名なようだ。そもそも獣に近い種族自体が魔界では珍しいそうである。
研究所に一人だけ妖狐がいたため話を聞くことが出来たが、妖狐には二種類の外見が存在するという。
妖狐は幼少期はリカントやキャットマンと同じく耳と尻尾に特徴がある人の姿をしているものの、十五歳の成人の儀にてジョブチェンジをすることで姿が変わるとのこと。
ジョブは術士と遊士と呼ばれるものの二種類で、地上に時折姿を現す者や研究所にいた妖狐は遊士であるという。遊士は術の適正が足りなかったり身体能力に優れた者がなる姿で、リザードマンのように獣の特徴が全体的に顕われる。
逆に術士は身体能力が術の適正より低いか、術の技量に優れた者がなる姿で、尾が増える以外は特に変化しない。また、術士の方が要職に就きやすいことも術士が地上に姿を見せない理由の一つとなっていると思われるが、これはあくまで現時点での推察である。
ジョブチェンジによる容姿の変化は完全に不可逆ではなく、よほど才能に偏りがない限りは努力次第でジョブを切り替えることも出来るが、そこまでして適正を変えようとする者は稀とのこと。妖狐にとって人に近いか獣に近いかは然程重要ではないことが覗える。
魔族や悪魔は肌の色が全体的に寒色に偏っているのに対し、妖狐の肌色は地上の人間に近く、逆に妖狐の側が地上の人間と肌色が近いことに驚いていた。
この類似性が魔界と地上の関係によって生み出されているかどうか、考察の余地がある。
続いて――。
「……この辺にしておくか」
ソーンマルスはペンを置いて大きく伸びをする。
他にも細かなメモにしてはいるが、整備士達にはまだ聞いていない話が山ほどある。どうせ伝聞ベースで何も裏が取れていないのだから、それらを耳にしてからの方がもう少しマシな文章になるだろう。
元々行動派の彼としては、やはり書類仕事は不得手な部類だった。
よく騎士団の上司や先輩に手伝って貰った日々を思い出し、そして、今更ながら自分が『サファイアの騎士団』を追放された事実を思い知らされる。
(……あまり恩は返せなかったな)
時に叱られ、時に褒められながら肩を並べて戦った仲間達との日々が脳裏に蘇る。ランディの性格故か、『サファイアの騎士団』は使命に実直ながら現場での柔軟な対応に富んだ騎士団で、学ぶことが多かった。
姉やハジメ、団長のランディは騎士団復帰を比較的楽観視しているようだが、ソーンマルスは既に騎士団との離別が永遠になる覚悟でいる。否、それで済めばまだいいが、恐れているケースはそれ以上のものだ。
(国王は優しすぎる。しかし、優しい王は王に向いていない……早く事態を収束させられればいいが、長期化すれば国内の政治バランスが崩れるやもしれぬ)
ドメルニ帝国の元宰相ブベスは、魔王軍と結託して王を売ることで自らが王座に就こうとした。そうでなくとも彼は【六将戦貴族】という国内最強クラスの貴族たちと対立していたという。
ソーンマルスはそれが他人事に聞こえなかった。
(あれは対岸の火事ではない。我が国にも火種はある)
安定しすぎたシルベル王国内では緩やかに権力の腐敗が進んでいる。
大きな魔王軍被害がスラム壊滅だけに留まったことで、文官たちは何も被害がなかったかのように振る舞い始めている。更に、王が手厳しい処罰を厭う為に「王は罰さない」という言葉が流行し始めているという。
王の判断の甘さを咎める者。
王の優しさに胡坐を掻く者。
次王の選定と要職の確保に奔走する者。
彼らに共通しているのは王を侮っていることで、事実侮られる行動を王はしている。
グラディス姉弟への贔屓もそうだ。
王に高く評価されること自体は光栄なことだが、オーバーライズのシーマへの権限譲渡や己への鎧の継続使用の黙認はやや行きすぎている。姉はまだ言い訳も効くが、アイオライトの鎧の放置は余りにも露骨だった。
ヘインリッヒが甘い対応に猛抗議するのも無理はない。むしろ王を諫める方を向いているヘインリッヒはやや不敬ではあるが状況を俯瞰できている。
(……いけないな。一人でいると余計なことを考える)
ソーンマルスはかぶりを振ってインクの乾いたページを閉じた。
と、個室のドアが鐘の音を鳴らす。
実際になっている訳ではなく、来訪を知らせる為に勝手に鳴るそうだ。
ドアを開けてみると、足下に小さな子供――ダークエルフのヤーニーがいた。何が楽しいのか常にニコニコしている少女の本性は、見た目ほど無邪気ではないことくらいソーンマルスは知っている。
それでも子供相手に高圧的な態度に出るほどソーンマルスは余裕のない人間ではない。しゃがんで彼女に視線を合わせる。
「何か用かな?」
「とおっ!」
ヤーニーはいきなり両手を広げてソーンマルスの胸板に抱きついた。
敵意はないようだが突発的な行動に困惑していると、ヤーニーがソーンマルスの顔を見上げる。
「……照れない」
「え? ああ……まぁ、子供にいちいち照れないよ」
何の話かと思ったら、ソーンマルスの女性への苦手意識を確かめたくなったらしい。子供とは無邪気だが恐ろしいものだと思っていると、ヤーニーはそのまま勝手に部屋に上がり込む。彼女の意味ありげな視線に意図を感じたソーンマルスは出入り口を閉じた。
「俺をからかいにきただけではないみたいだが……」
「うん、本当は別のこと聞きたかった」
「なんだ?」
「前回の魔王軍襲来の頃にさ、シルベル王国のスラムが魔物の群れに包囲されて沢山の人が死んだよね」
「……ああ」
世間では碌に話題に挙がらなかったが、グラディス姉妹にとってはショックな事件だった。
騎士によって守られている筈の民に数多の死者が出たこと、なのに世間が無関心であったこと、そしてあの場所がソーンマルスの生まれ育った土地であること――まるでいい思い出がない退廃した場所だったために愛着はないが、あそこには一人だけ恩人がいた。
その人物が行方不明になったのは死んだからか、逃げおおせたからか――確かめようのない真実は今も二人の心にずっと引っかかっている。
「あたしたち、あそこに住んでたの。魔物だらけの道を必死で走ってなんとか逃げられたけど……騎士さんは誰も助けてくれなかった」
「ッ!!」
――ヤーニーは、息を呑むソーンマルスの顔に、内心で上手く感情的な方向に持ち込めたことを確信する。
スラムが壊滅したのはヤーニーとクミラの手引きだ。
あそこに住まう人間達が余りにも愚かすぎたため滅ぼすことにした。
ただし、ヤーニーとクミラにとってはゴミ掃除でも、真面目で真っ当な騎士にとってはありうべからざりき騎士団の失態だ。
あのスラムはシルベル王国内でも内地側だった。
本来、魔王軍の魔物が攻めてきたとしてもシルベル王国ほどの国家が布く国境警備や警戒網をすり抜けるのは不可能に近い。つまり、騎士の視点からすると《《国内の権力者に内通者がいないとあり得ない》》出来事だ。
しかも、被害を受けたのはスラムのみ。
自分たちの手を下さず厄介者を一掃できれば気分もよくなる。
悲惨な事件の翌日であるにも拘らず鷹揚に宮殿へ向う権力者たちをみれば、騎士は誰しも思う筈だ。
この中に、或いはこの者たち全体が嗾けたのではないか――と。
だとしても、真っ先に恨まれるのは騎士だ。
彼にはヤーニーの瞳が責めているように見えているかもしれない。
案の定、ソーンマルスは動揺と苦悩を滲ませていた。
それが確認したかった。
愚か者達が予想通りの勘違いをしているのかどうかを。
(もう確認したいことは終わった。後はこの騎士が勝手に己を責めるのを適当に慰めて違和感なく終了させる)
心の壊れてしまった子供を演じるようにいつも通りの笑みで、ヤーニーは仕上げに入る。
「クミラも、クリストフ先生も、いつ死んでもおかしくなか――」
「クリストフ先生!? 医者のクリストフ先生か!! あの方は無事なのか!?」
「――え?」
ここで、全く予想していなかった反応にヤーニーは一瞬だけ硬直する。
ソーンマルスの表情はまるで地獄に救いを見出したかのように晴れやかで、怒濤の勢いでヤーニーに質問する。
「壮健であらせられるか!? いや、一緒に逃げたということはまさかコモレビ村に流れ着いていたということか!? なんという奇蹟だ……! いや、もしかしたら君たちが助けてくれたのか!? ならば人徳! お変わりないようで安心した……!!」
「……先生のこと、知ってるの?」
「俺と姉上の恩師だ。俺たちもあのスラムの出身でな。正直、あの土地で恩師と呼べる人間はクリストフ先生ただ一人だった。スラム壊滅の知らせを聞いたとき、真っ先にあの人を探したよ!」
その曇りない言葉が、ヤーニーの琴線に触れた。
あの土地で唯一の恩師。
スラム壊滅時に唯一気に掛けた。
そして患者としてクリストフに今も感謝している。
この瞬間、ヤーニーの中でソーンマルスという個体が「扱いやすい方の有象無象」から「先生の価値を理解出来る人間」にランクアップした。
これはヤーニーとクミラの人間分類のなかでは非常に位が高く、一般村民どころか村長フェオより優先される上位序列である。
「聞きたい、先生の話!! ねえねえ、どんな風に救われたの!?」
「ああ、あれは俺が子供の頃の話――」
ヤーニーは即座に既定路線を放り捨てて興味のままにクリストフの話を聞く方向へシフトし、ソーンマルスもクリストフ生存を知ったことで少し前の空気をすっかり忘却していた。しかもソーンマルスは自分の尊敬する人について案外語りたがりで、その内容はヤーニーの耳に心地よいものだった。
そして翌日、そこにはすっかり仲良しになった二人の姿があったという。
「戻って先生に挨拶するのが楽しみだ! あ、いや、もしや姉上は先に挨拶しているのでは!?」
「じゃあお姉さん以上の手土産を持って行かないとね~?」
「くっ、不覚! ところで先生は何を持っていったら喜ぶだろうか?」
「先生はああ見えて、極辛なものに目がないんだよ?」
「激辛を通り過ぎている!?」
……なお、ハジメはソーンマルスが洗脳されたのではないかと真面目に心配したが特にそんなことはなかったので、「もしかしてダークエルフとゴリラは思考が近いのだろうか」と大失礼なことを真面目に考察した。
ハジメの頭のネジ・デリカシー部署担当は先日「電車で寝過ごしたらきさらぎ駅という知らない駅に着いてしまった」という連絡があったのを最後に音信が途絶えている。
◇ ◆
子供とは好奇心旺盛なものだ。
それが時として良くない結果を引き起こすこともあるが、世界を知らない子供が何事にも興味を抱くのは当然のことである。もしかすれば、そのときに抱いた衝動が未来の職業や成し遂げる偉業を決定づけることもあるかもしれない。
つまるところ、クオンが魔界に於いても好奇心を発揮することは必然であり、ハジメもそのときを覚悟していた。
「魔界の町に行きたい!!」
「うん、そろそろじゃないかと思っていたよ」
義理とは言え伊達にクオンの親をやっていないので、正直読めていた。
というか初日の間に言い出さなかったのが意外なくらいだ。
クオンがそれを言いだした瞬間に通路の隠し扉が突然開放され、両目の充血したユーギアが「こんなこともあろうかとぉぉぉぉぉッ!!!」と叫び、そのまま何もせずに扉が閉まっていなくなった。代わりに魔導騎士のフェートが面倒臭そうにやってくる。
「魔界の都市を見回るための変装道具一式を博士から預かってるから。でも先に言っとくけど、観光するほど面白いものはないわよ」
「なんで?」
「アイス売ってないような町だから」
「……確かにちょっとつまんなそうカモ」
すっかりアイスクリームに魅了された魔界少女のシンプルな一言にクオンの食欲が一段下降したようだが、住んでいる人間が特別だと思わなくともその土地を知らない人間にとっては話が別な場合はある。
グルメに関しては期待できずとも、何かしら地上との違いはあるだろう。
折角魔界に来たからには少しくらいは魔族の暮らしぶりを知りたい。
と、いうわけで。
「いい、アンタたち! このフェート・ユーギアデクタデバイスがいるからには変なちょっかいをかけてくるバカはあんまりいないとは思うけど、自分たちで騒ぎを起こさないでよね!!」
「ツンデレ乙」
「黙らっしゃい博士とテンションの近いダメ男!!」
未だにややテンションのおかしいブンゴの一言に、フェートは怒りの鞭を振う。ピシャアッ!! と強かな一撃を受けたブンゴは普通に悶絶していた。どんなに強力な超鑑定能力でも痛みを前には無力である。
なかなか鋭い鞭捌きだが、一応手加減はしているようだ。
あの鞭はきっとユーギア製なのでえげつない機能が隠れていることだろう。
「い、いくら小さな女の子にされてもこの痛さで『ありがとうございます』とは言えねェ……あいつら本当に猛者だったんだな……」
「実在しない人間を捏造してないか?」
涙目になるブンゴは現在、角に尻尾に寒色系の肌と魔族そっくりの姿になっている。鞭の一撃を受けて赤く腫れている箇所に至るまで、見た目に違和感のない高度な偽装だ。ハジメたちも同じく見た目は立派な魔族だ。
いつの間にかクマみたいなサイズに変身したぽちがしげしげと皆を見回す。
『気配も魔族にそっくりだ。ユーギアという男、なかなかどうして大したマジックアイテムを作るものよ。ま、ウル様ほどではないがな』
「なんででかくなってるんだお前」
ハジメの尤もな疑問にぽちは開放的だとばかりに伸びをして答える。
『そりゃ生き物がデカイ魔界じゃ子犬姿の方が目立つからな。これくらいのサイズの魔獣なら、あとはこのとおり主が誰かを示す首輪があれば町中でうろついてても問題ないって訳だ』
首を傾げてぽちが見せつける首輪には、恐らくウルの実家であるリヴィエレイア家のものと思しき紋章が刻まれている。この辺のルールはテイマージョブが自分の魔物を連れ歩くときとルールが似ているようだ。
他、ベニザクラとクオンは元々角が生えているため、角のディティールがより魔族っぽく変化している。
「ところでフェート。服装はこのままでいいのか?」
「博士の変人ぶりは有名だから。研究所の人間だって言えばみんな苦笑いして納得するし、なんなら言わなくても後ろ指指されて『また変な格好させられてる』って失笑されるわよ」
「俺たちこれから笑いものになるのか???」
「博士は腐っても貴族だしそこまで露骨に態度に出す奴は少ないと思うけど、とにかく変な挑発に乗らないよーに!!」
腰に手を当てて目を吊り上げながら忠告するフェートだが、特別怒っている訳ではなくツンケンした性格だから今のような言い方になってしまうだけのようだ。
なお、ヤーニーのみ自力で魔族に変身しているのだが、何故かちょっとだけ成長した姿になってソーンマルスの周りを歩きながら彼の顔を見上げてニコニコしている。
「ね、どうソーマ? 近寄られてドキドキする?」
「むぅ……いや、中身がヤーニーと思えば平気な気もする」
「ふぅん。人によるけど年齢にラインがあるんだ。複合的な要因がありそうだけど、実は結構改善されて今の状態なのかもね」
「俺の中で折り合いがついてたりしなければならないと割り切っていると割と平気な気がする」
「成程成程。今後の女苦手改善カウンセリングの参考になるなぁ」
(……あの二人、本当になんであんなに仲良しになってるんだ)
なんとなくだが、ヤーニーが演技ではなく能動的に動いている感じがして何故そんなにソーンマルスに構うのかが気になって仕方が無いハジメであった。




