10-3 fin
ハジメが約束通りご馳走の準備を始めてリビングで待機を始めた三人と一匹は雑談を交わす。
「それにしてもハジメは凄まじい闘気の持ち主だな。里の長老を凌駕する力を感じたぞ」
「わたくしもそう思いますわ、お兄様。この村には他にも人間がいるようですが、ハジメ様の闘気は突出しています」
「……? ……よく分かんないけど、今日はいないだけでライカゲおじさんって人もいるんだ。ママと何度もたたかいごっこしてるけど、いっつも時間が足りなくて引き分けなんだって」
「なんと……斯様な人物が!?」
「人とはわたくしたちの想像以上に強いのですね……」
世界の人間の戦闘基準にフェオの村を適用するという暴挙に出た二人は、まだこの村の総合戦闘力がおかしいのだということに気付いていない。なにせこの村、完全な非戦闘員である医師クリストフ以外全員がそこらの雑魚魔物なら鼻歌交じりに瞬殺できる自衛能力を持っている。村民の平均レベルが40以上の村など世界のどこを探してもここだけである。
敢えて例外を挙げるなら、かつて魔王軍の城の近くに平均レベルがブッチギリの村があったという噂がある。が、地の利が不便で大地が痩せすぎているので即廃れて今は跡形もないそうだ。跡形くらいあったとしてもクオンのくおーんブレスで粉々だろうが。
閑話休題。
かなりの勘違いがあるとはいえ、外の世界が知れて楽しかったフレイとフレイヤは、二人でグリンの毛を手で撫でる。
「今日は良き日だ。初めてエルフ以外の人里に入り、初めて友の家に御呼ばれした」
「この上ない思い出になりますわね、お兄様!」
「それに、グリンがあんな風に他者に反応するのも初めて見た」
「グリンちゃんが?」
リビングに座りつつ、いつでも立ち上がれる姿勢をキープしたグリンの姿に、クオンはそういえばグリンのこんな姿は初めて見る、と思う。普段はもっとゆったりと寝そべっていることが多いのだ。
フレイは、これは秘密だぞ、と冗談めかす。
「グリンはな、里の守り神なのだそうだ」
「……マモリガミ?」
「ああ。太古の昔からこの里に危機あらばそれを退けてきた神獣というやつらしい。グランマグナという断層もグリンが外と里を隔絶させるために作ったそうだ」
「わたくしたちはそんな勇ましいグリンの姿は見たことがないのですけれどね?」
くすりとフレイヤが可笑しそうに笑う。
グランマグナは非常に巨大な断層だ。クオンも端から端まで確認するにはかなりの高さに行く必要があったし、非常に綺麗な断面の断層だった。クオンはブレスで同じ断崖を作ることは出来るかもしれないが、あんな綺麗な断面にはならないだろうと思った。
「グリンは魔王軍さえ蹴散らしてきた凄まじき獣だ。霧の森に魔王軍がめったに来ない本当の理由はグリンがいるからだと長老も言っていた。そんなグリンがあるときどこからか拾ってきた双子の赤ん坊、それがこのフレイとフレイヤらしい。以来、グリンはずっと我々双子にとっての友達であり親のような存在だ」
「そんなグリンですから魔物が来れば一睨みで追い払い、里の者たちには大切にされて当然といった態度でした。警戒、と取れる行動をしたのは初めてです。というより、対抗心なのかしら?」
「ブヒッ!」
小首を傾げるフレイヤの言葉を肯定するように、グリンは鼻から息を吐いた。
自分の方が親として強い、とでも主張したいのか、それともうちの子供の方が可愛い、と主張したいのかは定かではない。グリンもその気になればそれを伝える術を持つにも拘わらず、使う気はないようだ。
「……それはそれとしてフレイヤよ。なにやら台所からシュワシュワという音と共に実に食欲をそそる油の香りがするのだが」
「あらお兄様、フレイヤも先ほどから気付いてましてよ。お腹の虫が空腹を訴え駄々をこねておりますわ……!」
「からあげ、えびブライ、コロッケ……!!」
「フゴッ、フゴッ」
(リビングの子供たちから凄まじいプレッシャーを感じる)
転生者ハジメ、実は揚げ物を誰かに振舞うのは前世も含めて人生初である。
一応料理の成功がスキルで保証されているショージと共にやり方は練習して一定の味が出せるようにはなったが、それ以前には揚げ物料理経験がないので、ミスしないよう細心の注意を払って食材を揚げてゆく。
――子供たちの期待を一身に背負い、ハジメは己の持ちうるすべての技術を注ぎ込んで揚げ物たちを完成させた。
「さぁ、召し上がれ」
クオンはコロッケを、フレイは物珍しさからタルタルソースのかかったエビフライを、そしてフレイヤはハジメがエルフ向けに念のため用意した野菜天ぷらの一つであるカボチャ天。ちなみにグリンは鶏の唐揚げを、同時に口に含んだ。
しゃおっ、と衣が口の中で潰れる小気味のよい音に遅れ、子供たちが目を見開いて叫ぶ。
「「「おいしぃぃぃぃぃーーーーーーーっ!!」」」
その後、クオンが余りの美味しさに凄まじい速度で揚げ物を消費し、フレイとフレイヤはもはや言葉もなく黙々と揚げ物に夢中になり、こっそり楽しみにしていたらしいグリンには暗におかわりを要求され、ハジメは目が回る気持ちで配膳を続けた。
「さくさく、じゅわじゅわ! これが……これがアゲモノ!! これがママのごちそう!! 食べる手が止まらないよう!!」
「はむっ、はふっ……これはたまらぬ! 何という贅沢、油にこんな使い方があったとは想像したこともなかった!」
「全くですわお兄様……ああっ!? コロッケがもうないではないですか!? クオン、一人で取り過ぎでは!?」
「あっ……ごめん! 美味しすぎてつい……ま、ママがこんな美味しいものを作るからいけないんだよ!」
(しまった、クオンの胃袋の上限を計算していなかった……!!)
その気になれば食事なしでも生きていけるクオンだが、それ故にもしかしたら彼女には満腹というものがないのかもしれない、とハジメは今更ながら戦慄する。
更に、その後揚げ物の香りにつられて他の住民が次々にやってきたことでハジメは料理店のごとくフル回転で揚げ物をする羽目に陥った。
「ええい、こうなれば村の全員を連れてこい! 歓迎パーティの名目で俺がもてなす!!」
「これは我が故郷のご馳走、アゲに似ているな……」
「現代の食い物キタコレ!!」
「キタコレ!! 転生で肉体ピチピチだから胃もたれしねぇぜ!!」
「また病気が出てるな、ショージとブンゴは」
「ヤーニー、クミラ。せっかくのご馳走ですから私たちも頂きましょう」
「はーい!」
「……うん」
なお、フェオが「ハジメさんに料理の腕で負けてる……!?」と深刻そうにつぶやいていたのが少し気になった。
そして、このまま家に泊まると言い出したエルフの双子の世話をクオン共々焼いて寝かしつけた頃には、夜の9時になっていた。
一応は娘の友達の正体を知れたものの、その代償は大きかったとハジメは項垂れる。
「これが母親の生活なのか……? 子供の世話は……疲れる……な……」
想定を遥かに超える食材の消費で備蓄が完全に尽きてしまったのは言うまでもない。翌日の朝のことも計算してやむなくヒヒとショージから食材を買うことで枯渇は免れた。お金で物は買えるが、お金自体は食べられないのだ。
「ヒッヒッヒッ、この年で揚げ物は胃薬なしには楽しめませんねぇ。はい、深夜なので特別に割増料金を取ってあげましょう」
「助かる……」
その光景を、普段変な目で見られているショージに変な目で見られた。
「何で大目にボられて感謝してんだろうこの人……新入居者の引っ越し費用も全部受け持ってるしさぁ。またフェオちゃんに『頭のネジを落としすぎて足場がなくなりそうなのでちゃんと拾ってください』とか叱られますよ……?」
なお、翌日に弟子たちから揚げ物パーティがあったことを聞いたライカゲは「Oh,テンプラ……」と非常に悔しがっていたという。
ハジメにとって唯一の救いは、翌日の朝食をフレイとフレイヤが作ってくれたことだろうか。エルフの料理は素朴ながら様々な山菜、香草の香りが組み合わさり、非常に味わい深いものだった。
それからというもの、フレイ、フレイヤ、グリンはちょこちょこ村に遊びに来るようになるのだが……それはまだ先のお話。
◇ ◆
数日後、日が沈んだ夜の森。
虫や魔物すらいない奇妙な空間で、ヤーニーとクミラは思考する。
「あの揚げ物ってやつ、また食べてみたいね」
「……うん」
「いい村だね」
「……うん」
「空気もいいし、薬草を育てる環境もいいし。あの腐らない野菜畑はすごく不思議だけど」
「こんど、調べよう」
「だね」
「……先生が、ここを気に入ったなら」
「私たちも気に入る。そうしてきたもんね」
ヤーニーとクミラは分析する。
「この村の人間、ちょっと強いね」
「二人、絶対勝てない」
「ハジメとライカゲ、だっけ。あれは触れない方がいいね」
「……ぼくらのこと、見てた」
「勘付いてるのかな。それなりに賢いね」
「……忍者たちも、そうかも」
「そうかな。そうかも。気をつけよっか」
「……村長のエルフも、だめ」
「なんで? あの程度の能力しかないのに村のトップだなんて不思議だとは思ったけど。でも、先生を歓迎してたし、大目に見るのはいいかな」
「……」
「クミラ?」
「村長に手を出すと、ハジメは絶対動く……と思う」
「そっかぁ。なんか色々納得。そんな人間みたいな考え方出来るんだね、あれ」
ヤーニーとクミラは回顧する。
「前の町の連中、ちゃんと滅んだかな?」
「……興味ない」
「確かに。もうどうでもいいかも。全員魔物に殺されてたらそれはそれで面白いけど」
「……いい気味」
「先生の優しさを無碍にして、先生から金をむしり取ろうとして、先生の研究の邪魔をして、先生を見下して、私たちと先生を引き剥がそうとしたんだもん。当然の報いよね」
「……」
「大丈夫、先生は優しいから気付かないって。そんな先生だから大好きだし、そんな先生にはそのままでい欲しいし、先生が先生であるかぎり、私たちは良い子だもん」
「……表向きは」
「あはは」
「……ふふ」
ヤーニーとクミラは疑問を呈す。
「あのエルフの兄妹、なんか気に入らない」
「わかる」
「不思議。誰かに対して特に理由もないのに気に入らないって思うの、凄く新鮮じゃない?」
「……初めて、かも」
「面白いね。それに、中に何か眠ってる気がする。同じ生物だと認めてあげても良いかな」
「……そこ、かも」
「え?」
「対等」
「ああ! 冴えてるじゃない、クミラ!」
「……えへ」
ヤーニーとクミラは嘆息する。
「エルフ兄妹が跨がってたあの獣、綺麗だったね」
「……うん」
「ハジメの娘だとかいう、あのクオンって子。あれも綺麗」
「……うん」
「この世界って綺麗だって思うようなものあったんだ。先生以外で」
「先生が、一番」
「もちろん。でも先生は私たちが友達を作ることを望んでるよね。渡りに船かな?」
「……かも」
「愚かなフリをあんまりしなくていいって楽だもんね」
「……うん」
ヤーニーとクミラは、結論を出す。
「そう考えると、やっぱりここっていい村だよね。色々と都合が良いじゃない?」
「……うん」
「ここなら存分に先生を愛し続けられるね」
「……うふ」
「あぁ、あぁ、先生。愛しい愛しい先生。考えるほどに我慢が出来なくなってしまいそう……興奮してるわ、私。クミラもでしょ?」
「……する?」
「残念だけど、今はまだ。方法も考えないといけないし、暫くはこのまま。でもいつかは――邪魔する全てを押しのけて」
「楽しそうだな」
「……」
「……」
ヤーニーとクミラは、音もなく側にいたハジメに一瞬閉口した。
「……どうやって?」
「カンだ。それに、こう見えて魔術の心得は人並み以上にある。複雑怪奇な警戒網を潜り抜ける程度にはな」
「……どうする気?」
「どうもしない。話も聞こえたのは後半だけだ。ただ……子供であろうと罪には罰が必要だ」
「……」
「……」
「お前達が誰をどう愛そうがお前達の勝手だが、フェオの村は無法地帯ではないことを覚えておけ。クリストフ医師を本当に愛しているなら、悲しませるような真似はしないことだ」
ハジメはそれだけ告げて去って行く。
彼が去った直後、木陰からずるりと這い出るようにライカゲが出てきて、二人を一瞥すると何も言わずに去って行った。
二人とも、ライカゲの存在に全く気付けなかった。
ヤーニーとクミラは、人生で初めて明確に「触れてはいけないもの」を知覚し、冷や汗を浮かべた。
「……大人って本気になるとあんなに怖いんだ。初めて知った」
「……」
クミラは何も言わず、震える手でヤーニーに抱きついた。
翌日、ハジメもライカゲも何事もなかったように生活し、ヤーニーとクミラも何事もなかったかのように微笑み、村の大人達は「あの子達は良い子だな」と笑った。
こわ。




