37-2
突然の飛行機落下。
全身を襲う浮遊感にブンゴだけが「うおおおおおお!?」と悲鳴をあげる。
「おおおお……ってびびってるの俺だけですかぁ!?」
エクスマギカリッターは勿論、他の面々も動揺どころか初ワープホールに好奇の視線を向けている。ハジメはというと、二回目だし飛べるから特に驚きはしない。
ヤーニーがブンゴを指さして笑う。
「アハハッ、ビビリブンゴだー。略してビンゴ」
「俺に穴空けても景品は貰えませんのことよ!? リベル将軍、アンタは飛べないのになんで平気な顔してんですかねぇ!!」
「まぁ外見なよ。エンジンがちゃんと動いてんだろ? パニクって鑑定能力使うの忘れてねえか? 転生者って結構そういうのやりがちだぜ」
「あ、そっか」
ブンゴは漸く状況を冷静に理解して落ち着きを取り戻す。
飛行機械が落下するのはワープホールを通るのに必要な過程だし、機体のバランス自体はしっかり取れている。
機体は元々一つだった世界を分け隔てる壁を越えてもう一つの世界へと突き抜けた。
そこに広がっていたのは、果てしない青空と雲。
燦々と地上を照らす太陽も、白い雲も、地上と何も変わらない。
地上は流石に少しばかり様相が異なるものの、そこには一般に想像されるおどろおどろしく邪悪な気の蔓延る魔界のイメージとかけ離れた光景――生命の息吹が溢れる大地が広がっていた。
テスラがどこから取り出したのかマジックアイテムのマイク片手に案内する。
「あちら右手の側に見えますの町は魔界第十三都市『ダンディリオン』でございまぁす」
示された場所にあった都市は、地上で一般的な都市である城下町とは違い平地に広がっている。ざっと見るに行政機関や貴族街らしい区切りはあるが、魔物対策の城壁なども見当たらずやや雑然と広がっている印象がある。
ただし、目算するにこの都市はかなり大きい。
テスラの注釈がそれを裏付ける。
「上空からでは小さく見えますがぁ、地上で言えばコモレビ村の100倍程度の面積を誇るおっきい都市なんですよぉ~?」
コモレビ村は人口密度が低いだけで村としては面積が結構大きいので、その100倍ともなると地上でも指折りの大都市クラスだ。バランギア竜皇国の首都バランシュネイルには及ばないもののが建築技術の水準も高そうで、町の中央には結構な高層建築が見受けられる。道路は石畳ではなくコンクリートに似たものを使用しているようだ。
ソーンマルスはバランシュネイルにも行ったことがないため実感が湧きにくいのか、テスラに方向性の違う質問をぶつける。
「第十三都市というのは、地上で言えばどういう単位で考えればいいのかご教授願えないか?」
「そうですねぇ……魔界は統一貴族連盟が統治していて、第○○都市って呼ばれる土地は一人の貴族が治められる最大単位になります。つまり、地上で言えば国の首都に近いのかしら?」
統一貴族連盟というのは魔界を統一しているようなので、つまり、魔界には国家という概念が無いことになる。そうなると必然的に土地を治める代表貴族が管理し統治する範囲は地上でいう国家に匹敵する規模になる。
そのことを察したソーンマルスは静かに魔界の規模に戦慄していた。
「……第十三ということは、第一から第十二の都市も存在するということか」
「はい! ちなみに第十三都市は結構新しい都市なのでぇ、まだ発展途上ですよ? これからも~っと大きくなると思いまーす!」
「なんということだ。魔界が本気を出せば三国連合でもどうしようもないのではないか? ぬう……」
ソーンマルスは目頭を押さえて苦悩の呻きを漏らす。
彼には既に十三円卓議会と魔界の関係を軽く説明してあるため、余計に衝撃が大きかったようだ。
いざ人間の単位に置き換えてみると、漠然とした「悪の世界」のようなイメージだった魔界が秩序だった統治と技術力、戦闘力を持つ空前絶後の巨大国家ということが分かりやすくなる。
軍事力、経済力を鑑みて魔界は途方もない脅威だ。
本人達に侵略者になる気があるかは別としてだが。
ついでに言うと、やはり魔界は魔王軍システムで弱ったりしてなさそうである。
とはいえ、人は強大な存在が身近にいれば不安を感じることもある。この規模感を肌で感じればシャイナ王国でなくても各国の統治者は危機意識を持ち、魔王軍システムを認める方向に流れてもおかしくはない。
逆に魔界が魔王軍に関係なく地上侵攻を行なう可能性もゼロではないが、そうそう簡単にいくかは魔界の政治システムや民意にも寄る。ハジメはその点について少し気になることを聞いてみた。
「都市を管理する代表貴族同士で方針が食い違った場合はどうなる?」
「統一貴族連盟は大切な事を多数決で決めますけどぉ……それは大まかな方針決定が殆どで、他の細かい統治方法とかは各都市の領主貴族たちの独立した自治権に委ねられてるらしいです」
「その辺は地上の貴族と同じだな。足並みが揃うかどうかはケースバイケースという訳だ」
「はい! 自分の土地のことばっかりの領主もいれば、無責任に変なルールを敷いてる領主もいます。ただし……」
「ただし?」
「基本的に、どこの都市でも魔力の強さは地位の基準です」
「そうなんだな」
確かにウルやぽちが「魔界貴族は魔力頼みの脳筋が多い」とか「地上とはタイプが違うけど貧富の差は結構ある」みたいなことを言っていた気がする。地上が弱いとみればマウントをとってくることはあり得る、と、ハジメは解釈した。
テスラは貧の側の出身なのか少しうんざりとした口調が混ざっていた気がした。
「それはさておき左手をご覧下さ~い!」
彼女の憂いはすぐに霧散し、バスガイドのような観光がそれから数分ほど続いた。
短いながら見応えのある光景に、特にクオンは大興奮だった。
(……魔界の生物、鳥から植物まで何もかもでかいな)
よく見えるように低空飛行をしてくれたために余計に実感したが、魔界の生物は大きい。いつだか魔界出身者が「魔界は大雑把」と言っていた気がするが、まさにそれが当て嵌まる。高濃度の魔力を生き延びたり変異して適合した生物たちは全体的に大型化しており、まるで恐竜世界に逆戻りしたような気分になる。
植物についても、全部マンドラゴラみたいに知性を持っている訳ではなく見た目と大きさ以外は普通の植物が大多数のようだ。
魔力に適応した個体という意味では、これらは全て魔物だと言える。
(これが魔力に適応した生物だけが生き延びた世界か……そうでない世界を知っているからこそ差異を大きく感じるが、最初からここで産まれていればそうは思わないんだろうな)
ちょっとした丘に通りかかったところで、魔族の子供達が何人も集まってキャンプをしているのが見えた。どの子供達も魔族らしい角や翼を持っているが、飛行機を見て無邪気に手を振っている。
ノーヴァがそれに返答するように宙返り飛行を披露する。
重力が上手く制御されているのか揺れやGは殆ど感じなかったが、子供達は見応えのある動きに喜んでいた。テスラも窓越しに彼らに笑顔で手を振り、見えなくなるとため息をつく。
「あの子達は魔界の貧困層です。親が金欠だと昼の時間をああして野山で過ごし、サバイバルを遊びにしてます。魔界は地上と比べると食べられるものが多く危険が少ないらしいですけど……私たちはコモレビ村とキャバリィ王国しか知らないようなものなので、違いはよく分からないです」
つまり、貨幣経済はあるが金そのものは実質的に貴族の独占状態で、力の無い平民は貧乏暮らしをするしかない。しかし、その気になればお金がなくても充分生きていけるのでひもじい思いをすることまではそうそうない、ということらしい。そういえばシノノメも以前「魔界の食事は多様性に乏しい」と言っていた気がする。
魔力に適応した動植物と、魔力に適応した魔族という種族ならではの環境だ。
(……本来は人間も程度の差はあれそういう生き方が出来る筈なんだけどな)
果たしてそれは人が魔族になることで得られた心の余裕なのか、或いは環境が変われば結局魔族も人間と同じ道を辿るのか――その答えは、分断された世界が完全に融合する日に答えが出るだろう。
観覧飛行を終わりを告げ、空の旅は目的地へと近づいていった。
「ご覧下さい! あちらが目的地のユーギア研究所になりまぁす!」
ハジメは正直、研究所というからにはそれらしく近未来的な感じの建物なのではないかと勝手に想像していた。
なので、目の前の光景を見て、何か違うなってなった。
「なんだこの……え、観光地?」
そこには、本当に研究所なのかと聞きたくなる雑多な要素の集合体があった。
研究所の外壁はしっかりしているものの、中には研究所っぽい部分もあれば遊園地みたいな部分、ゼノギアの頭を象ったオブジェのある公園、プールみたいな部分にユーギアをユーモラスに象った巨大な石像、フェンスに覆われた廃墟っぽいエリアにゼノギアの廃材置き場など、とにかく視覚的にインパクトのある色んな物が鏤められている。
余りに広いためか外周を回る線路を新幹線のようなものが走っていたり、小さいが商業区っぽいエリアまで確認できるため、一体これで何の研究してるんだと疑問を抱かざるを得ない。
普通に滑走路や飛行機でも出てきそうな穴、研究所然とした部分もあるのだが、余りにも統一感のない形にハジメは困惑した。
クオンやヤーニーも少なからず雑多な印象を抱いたのか、「なんか変な感じー」「効率悪そう~」と無邪気に言葉に出していた。
そんな中、唯一一人だけ興奮しているのが寝てなさ過ぎてテンションのおかしくなったブンゴである。
「アミューズメントパークに来たみたいだぜ!! テンション上がるゥゥゥアアアアアアッ!!!」
血走った目で窓に張り付くブンゴは目をぎょろぎょろさせながら叫ぶ。
「どれだ!? プールの中か、公園の真ん中か、それとも岩が割れて中から出てくるのか!? どこから出撃させるって言うんだ!! まさか全部か!? 全部に仕込みがあるっていうのか!? 教えて、教えてくれよテスラちゃぁん!!」
「うふふ~……それは見てのお楽しみぃ!」
「うわぁぁぁあぁぁッ!! 楽しみに待ちますッ!!」
(余りにも様子がおかしすぎて何言ってるか分からん。いや、普段も唐突におかしくはなるが)
いつか彼の言うことが理解出来るようになるのだろうかと思ったが、ベニザクラが普段と違うブンゴの様子に「寝不足だというのにあんなに騒いで大丈夫なのか……?」と純粋に心配しているのを見て「分からなくても良いか」と自分を納得させた。
――ユーギア研究所に到着してから数時間後、ハジメたちは立食形式の昼食でおもてなしされていた。魔界の料理ということでソーンマルスが過剰に警戒していたものの、恐る恐る食べた途端に「美味い……」と呟き、ベニザクラにくすくすと笑われて恥ずかしがっていた。
「姉が気に掛ける気持ちが分かるな」
「か、揶揄わないて頂きたいな」
「すまない、揶揄うつもりはなかった。ただ相当腕利きだと聞いていたので……姉君共々是非一度手合わせを願いたいものだ。シルベル王国では鬼人の剣技を見る機会はあまりないだろうし、悪い話ではないと思うのだが」
相変わらずなベニザクラだが、女性が苦手なソーンマルスはたじたじ気味で、更に笑われていた。ぐいぐい来るタイプも駄目ならお淑やかで優しいタイプも意識してしまって駄目らしい。
……単に恥ずかしがってるだけならいいが、もしかして本人に自覚がないだけで幼少期のトラウマが影響してないだろうかとハジメはふと思った。絶対無いとは言い切れない境遇だったのが恐ろしい。
村に戻ったらクリストフに話だけでもしておこうと一旦思考を打ち切り、料理に意識を戻す。
肉は赤いし魚も赤身と白身で分かれているなど源流の生物が同じなことが覗える。魔界特有の野菜らしいものも見受けられるが、食感や風味は別として味つけの系統は地上と同じだ。味についてはシェフの腕だろうが、一般的なレストランで出てきても違和感のない程度には質がよい。
「食文化は地上とそんなに変わりないんだな」
ハジメの独り言に、近くにいたユーギアが真っ白な付け髭を揺らして反応した。
「魔界の感覚で言えば貴族並みの食事だよーん。ま、キャバリィ王国やコモレビ村と取引出来るようになって大分料理のレパートリーが広がったけどね」
やや肉に偏った食事を取る研究所所長のユーギアは、行儀悪く肉を食べた後のフォークをハジメに向ける。
「なんちゅーかね。転生者の感覚で言わせて貰うとね、えげれすなのよ魔界って」
「えげれ……?」
「美味しいものを食べようっていう気概がないっていうか、食事が味を楽しむ物っていう感覚が薄いっていうか。そういう感じ? 貴族階級は流石にそういう意識があるみたいだし、野山のものも何もかもマズイ訳じゃないけどねぇ」
「ああ……イギリスか。確かに飯が不味いとかいう話は聞いた事がある」
正確にはあそこはグレートブリテン及び北アイルランド連合王国であってイギリスというのは日本が勝手に呼んでるだけみたいなところがあるが、そこまでツッコみはしない。
たまに食事は栄養とエネルギーさえ補給出来れば何でもいいと主張して実際に同じものを延々と食べる人間がいるらしいが、魔界ではその考えがスタンダード寄りのようだ。
ユーギアは口元を紙ナプキンで拭いながらため息をつく。
「俺は耐えられなかった。だから所長としてなるべく職員にも貧相なご飯食べさせたくなくて頑張ってんだけど、子供って残酷よね。地上で食べたアイスクリームにはド嵌りして喜ぶのに、研究所のご飯の美味しさに言及してくれるのはごく一部だけ。トホホのホだよ……」
「まぁ、大人になったらありがたみを分かってくれるさ」
「私は美味しいと思うよママ!」
「クオンちゃんは良い子だねぇ……え? ママ?」
「……? ママはママだよ?」
ユーギアがハジメとクオンを交互に見て困惑しているので一応「男だがママをしている」と言っておくと、宇宙の真理を垣間見たけど脳が理解しきれず呆然としてしまったような顔をされた。長らくこのやりとりがなかったのでなんだか懐かしい。




