36-25
ハジメがシーゼマルスとの戦いで勝機を見いだせずにいる頃、狼騎士アロと戦うソーンマルス達もまた勝機を見いだせずに疲労を蓄積させていた。
「ふーっ、ふーっ……あと一歩、あと一押し……!」
肩で息をしながら拳を掲げるソーンマルスはここまでの間に様々な連携を交えてアロに何発も攻撃を当てていた。しかし、アロはダメージを蓄積させるどころか、段々慣れてきたとばかりにけろりとした顔で容赦なく攻撃を仕掛けてくる。
闘志を燃やすソーンマルスも疲労は無視出来ず、クーとヘインリッヒは次第に動きに精細さを欠くようになっていた。
では、何故ソーンマルス達は持ちこたえているのか?
それは、ソーンマルスの集中力が更に研ぎ澄まされているからだ。
「ガオオオオッ!!」
「シィィッ!!」
四足歩行の狼が魔法を交えて次々に攻撃を繰り出すのを、ソーンマルスは両手両足に結晶を集中させて捌く。腕を捻って掴まれないよう弾き、回避の勢いを利用して反撃し、スキルを用いてスキルを逸らし、不意打ち的に降り注ぐ結晶の飛び道具を最低限の動きで躱す。強い意志を宿したソーンマルスの相貌は、アロの一挙手一投足全てを見逃してはいない。
クーとヘインリッヒも戦いに参加してはいるが、今やアロの鼻先の微かな動きで動作を予測したソーンマルスが二人の援護とメインアタッカーを兼任する有様だった。
(ソーマ、凄い……)
クーは最強の第二等級騎士相手に鬼気迫る奮戦を見せる親友を純粋に尊敬した。彼の才能を疑っていた訳ではないが、今、クーはひとつ彼と大きな差を開けられようとしている。
しかも、自分だけで手一杯の筈なのに仲間を援護までしている。普通なら目の前の危機を突破するために仲間を切り捨てる選択が頭を過る筈なのに、ソーンマルスの動きは欠片も躊躇がなかった。
(こういう男だから私と友達になってくれたんだもんね、ソーマは。こういう男だから、みんなソーマに期待したんだ。家柄も血筋も政治も関係ない、勇者とか英雄とか呼ばれる類の――かっこよさにさ)
クーとソーマは友達だ。
女性が苦手な彼がクーにそういう関係を求めていないのは知っているし、自分だってそれが心地よくてソーマの隣に居座った。
でも、彼と一緒にいると度々心臓が大きく跳ねる。
今もクーの心臓は疲労とは関係なくどきどきしていた。
もしかしたら彼は今日、またひとつ壁を越えるのかもしれない。
クーとは逆に、ヘインリッヒはこの戦いの結末を察して諦めにも似た静けさが心を満たしていた。
(ウォーミングアップはもう十分だろうに、鈍い奴だ)
ヘインリッヒはいつもこの男が気に入らなかったが、ソーンマルスに才能がないと思ったことはない。嫉妬とはそもそも理想と現実のギャップから生まれるものであって、嫉妬した時点で相手が優れていることを認めている。
(お前が羨ましかった。いや、違うな。選ばれし家の血筋として生きる事は滑稽でもあることを気付かされた私は、それを認めたくなかったんだ)
選ばれし人間として特別な出世街道を歩みエリート層の仲間入りをするということは、肩書きと地位に人格を捧げるということだ。一見して個性のある人間らしくは見えるが、ソーンマルスを見ているとそれが如何に希薄な自我であるかを思い知らされる。
ソーンマルスは選ばれし人間の社交的行動を一切しなくとも周囲から人望を得る。その人望は本人が思っている以上に広く、固い。逆にエリートの友情は相手の地位を見て、相手の立場を見て、将来の打算や金銭と加味した上で結ばれ、そして同じ理由で呆気なく解ける。
エリートに求められるのは全体主義的な権力の維持者であることだけだ。
能力、地位、共通認識、傷のない経歴――そこに人格は含まれない。
むしろ人を慮ることなく欲深い人間ほどその道を生き残る。
ソーンマルスは人格を評価されるのに、己はエリートであればあるほど人格などどうでもよい存在として装置化し、歯車になっていく。
ソーンマルスさえいなければ、それが虚しいことだと気付かずに済んだのに。
(ああ、忌々しい。忌々しいが、こいつには出来るんだろうな……いいだろう。目先のことに夢中で簡単な事実に思い至らない貴様に教えてやる。精々期待通りに働いて見せろ)
ヘンリッヒは声を張り上げた。
「オーバーアクトを使えッ!! 貴様は……出来る筈だ。それで疾く埒を明けろ!!」
「そんなもの、出来た試しはないぞ!!」
「貴様が気付いていないだけだッ!!」
オーバーアクト――それは鎧の使用者の技量や力量、才能が鎧の限界性能を凌駕したときのみ可能となる秘儀。結晶の質を上げる為に騎士が突き当たる最後の壁。鎧からエネルギーを受け取るのではなく、鎧からエネルギーを引き出すのがオーバーアクトだ。
鎧の限界を超えて初めて聖結晶騎士は第一等級への階に足をかけることを許される。
ヘインリッヒは、甚だ業腹ではあるが、ソーンマルスが既にその資質を開花させていると確信していた。最初こそ三人で拮抗させていたが、ソーンマルスは途中から自らの動きによってクーとヘインリッヒを追従させるような戦場の掌握力を発揮していた。そして二人の疲労が限界に近づく中でソーンマルスは更なる潜在能力の片鱗を見せている。
「貴様がオーバーアクトに至ってないのは、至る為のリソースを我々の守護に回しているからだ!! フェンリルの眷属相手に貴様は我々を庇いながら戦っているのだぞ!! 愚鈍な頭でその意味を今一度考えろッ!!」
本当に忌々しい。
何故自分がこんなことを教えてやらなければならないのかと自問したくなる。
それでも、情報収集が不十分なままただ命令を実行して徒にシルベル王国の最高戦力を失う判断を座視する訳にもいかない。
既にヘインリッヒはソーンマルスの策に賭けたのだ。
「姉の実力に憧れる余り気付いていないようだが、程度が違うだけで貴様にも資質がある筈だッ!! 出来ないとは言わせんぞッ!!」
「俺にも……」
「クー、退くぞ!! これ以上付き合う意味はない!!」
ヘインリッヒは高速移動浮遊ゴーレムを召喚して離脱する。
クーは一瞬躊躇ったが、ヘンリッヒの意図に従い後ろ髪を引かれながら飛んだ。
アロは離脱する二人の背を追わなかった。
何故なら、目の前の家族の力が膨れ上がっていたからだ。
「姉上のことが俺の枷になっている、か……感謝するぞ、ヘインリッヒ。貴様は俺におべっかも嘘も言わない。だったらやれるさ!」
ソーンマルスは徒手空拳に特化した騎士だ。
他の武器も一通りは学んだが、結局は手足が出るのが早かった。
最も無駄のないクリスタライズ・オーグメントなど過大評価だ。
実際には武器の才能に乏しい己が勝つ為に限りある力の使い道を絞っただけで、防御力は他と比べて劣るものだった。
しかし、それが結果的に正解であったとしたら?
同じオーグメントでもソーンマルスの拳の結晶は他の同期騎士の結晶を全て砕いてきた。あれはもしかして、結晶の強化という点でソーンマルスはとっくにハードルを越えていたのだとすれば。
防御を高めることは出来るが、それでは勝ちきれないからソーンマルスは他の力を拳に割いた。それは逆説的に、エネルギーが足りていれば防御も攻撃も両立出来ていたということではないのか?
(思い出せ……力の引き出し方を!!)
直属の上司、『サファイアの騎士』が以前言っていたことを思い出す。
オーバーアクトに至るには、鎧の力の流れを掴んで弁をこじ開けるイメージが必要だと。
だからイメージする。
拳に宿る結晶の力、その源を。
奥へ、もっと奥へ。
第六感とでも言うべき感覚の誘うまま、深淵へ。
どこからか清流のように流れ出る力を手繰り、遂に感覚がぶつかる。
(……あった。これか)
これが第二等級と第一等級を別つ弁。
疾うの昔に姉もアロもこじ開けた、力の門。
――汝、力を得て何を求むるか?
知らない誰かにそう問われた気がしたソーンマルスは、躊躇いなく拳を振り翳す。
「力あることで守れる大切なものの為に!! 俺に力を寄越せぇぇぇーーーーッッ!!!」
拳が、弁を砕いた。
直後、鎧から湧き出る莫大な力の奔流がソーンマルスの全身を駆け巡る。
今までの力とはまるで異なり荒れ狂う濁流のような力をしかし、ソーンマルスは力尽くで掌握した。
「我が騎士道に相応しい形となりて、顕現せよ!! オーバーアクトォォッ!!」
クリスタライズ・オーグメントの結晶がより蒼く、深く、輝かしく煌めく。
無骨な両腕はより生身の肉体を強く拡大するようにマッシヴに、しかし指先はまるで人の手の形そのもののように繊細に。
両足はより重量を感じさせる堅牢さを持ちながら、足先だけは関節を阻害しないよう細く、柔軟に、そして強く輝く。
拳に限られた力を割いていた為に薄かった全身の結晶は、もう貧相とは呼べない厚みで肉体を保護し、第一等級に相応しい威容を曇天の下に晒す。
沸きあがる力が髪先から漏れてアイオライトの蒼と同じ色に染まる中、握りしめた拳をゆっくり開いたソーンマルスは、吠えた。
「推して参るッ!!」
「ワウッ!!」
瞬間、ソーンマルスとアロが同時に地面を蹴って姿を消し、そして空中で激突した。ソーンマルスは拳を、アロは結晶の武器を、それぞれぶつけ合い、衝撃波が周囲に荒れ狂う。
先ほどまでも同じ光景が繰り広げられていたが、今はひとつだけ違うことがある。
ソーンマルス、アロ、双方が互いの攻撃を受け流しきれずに真っ向から鎬を削っていることだ。
「まだまだッ!! 猛蹴連転牙ッ!!」
「アオーーーーッ!!」
接触の瞬間を逃さず、全身を回転させてアロに連撃を叩き込む。アロは前脚を使ってそれを捌くが、先ほどまでのような軽い捌きとは訳の違う本気の動きだ。ソーンマルスは一瞬の隙を突いて足捌きでアロの動きを惑わせ、土手っ腹にスキルを叩き込む。
「リジェクショントランプルッ!!」
「ワオッ!?」
蹴りが直撃したアロは、自らが無数に建てた氷柱を次々に突き破って奥へと吹き飛ばされる。ソーンマルスはそのまま追撃に入るが、アロも黙って飛ばされはしない。ひときわ巨大な氷塊を音魔法で出現させて側面から着地したアロは、着地の衝撃で罅割れた氷塊を更に砕く勢いで蹴り出し、ソーンマルスを一直線に迎撃する。
「グオオオオオオッ!!」
「先ほどまでと同じと思うなよッ!! 計都、瞬滅拳ッッ!!!」
既に一度放ったことのあるただ一直線に全てを破壊する正拳を、アロは頭突きで迎撃する。拳と額が空中ですれ違い、周辺の氷柱の全てが砕け散る衝撃波と轟音が響き渡った。
アロは再び氷塊を出現させて着地する。
その額の結晶鎧には微かに罅が入っていた。
一方のソーンマルスは結晶の足場を作って勢いを殺し、着地する。
繰り出した拳が纏う結晶は、破片の一欠片も零れていない。
アロの目がすぅっと細まった。
彼は、見極めようとしているのだ。
今まで愛すべき守護対象だった家族が、本当に自分と肩を並べるに値するのかを。
「とことんやろうや、アロ!!」
「……アオォォォォォーーーーーーンッ!!」
アロの遠吠えは己への鼓舞。
全身の気が逆立ち、銀色の魔力ともオーラとも知れない幻想的な光が迸る。
次の一撃がふたりの戦いの決着になることを確信したソーンマルスは、自らも極限まで結晶を強化して構えを取る。
腕は力みすぎず、脱力しすぎず、腰を落としてどっしりと。
アロもまた、遠吠えを終えた後は一瞬の隙を窺う狩人のそれとなって鋭く静かに上半身を低く屈める。
ふたりの闘志は驚くほど静かで、激しい戦いが周囲で繰り広げられるなかでその一体だけに異様な静けさが漂っていた。
誰の目から見ても、決着は目前だった。




