36-22
シーゼマルスは今、弟の感覚を信じたい気持ちと転生者を信じたくない気持ちがせめぎ合っている。何が彼女をそこまで駆り立てるのかはハジメには分からないが、残念なことに転生者に関わったせいで人生を台無しにされた人は少なくない。
ソーンマルスは彼女がそういう感覚の持ち主であることを一言も言わなかった。
なんとなく、シーゼマルスはその本心をずっと隠していたのではないかと思う。
でなければ彼も転生者と聞いただけで拒否反応を示した筈だ。
何が逆鱗に触れたのか、或いは様々な条件が重なった結果か――シーゼマルスはたった今、家族にすら見せなかった苛烈で凶悪な感情を解き放っている。
「あの子は知らないでしょうが、真に醜悪な人間とは己が善良だと思い込んでいるものです。偽善という言葉すらその邪悪さを前にすれば霞むほどの、紛れもない人間悪がそこにある。貴殿の心の奥底にもそれがあるかどうか――『アクアマリンの騎士』の名の下に見極めさせていただくッ!!」
瞬間、彼女の鎧から放たれた力の奔流が突風を生み出す。
これまでも彼女は本気ではあったのだろう。その証拠に、レベル130にまで至ったハジメをして常に出し抜かれないよう気を張り、実際に一線を割らせない必要がある立ち回りを見せてきた。
しかし、これは違う。
相手を捌きつつ出し抜くのではなく、相手を圧倒することで押し通ろうとしている。
明らかにレベルを凌駕した戦闘力を肌で感じる。
ともすれば力に溺れて自滅しかねないような力だ。
シーゼマルスはそれほどの力を完全に掌握していた。
(どうやら見る事ができそうだな。オーバーライドの神髄を……!)
ハジメはいつでもインスタンツサモンを使える準備をしつつ、武器をタクティカルガジェットから別の武器に持ち替える。
すらん、と白日の下に刃を晒し熱を放つたそれは、名を『炎獅村正』。
身の丈ほどもあろうかという大剣は、世に無数存在する村正の名を冠した刀の中でも最上とされる逸品だ。ハジメがそれを抜いた理由は二つあるが、その最たるものは――相手を徹底的に打倒する覚悟を決めなければ敗北しかねないと判断したが故である。
◇ ◆
狼騎士アロを相手に、ソーンマルスは必死の応戦を余儀なくされていた。
アロからすればお遊び半分なのだろうが、神獣の直系眷属に姉が戦闘を仕込んだものだから、その実力は桁違いだ。四本足のしなやかな肢体を利用した高速連続攻撃を捌く為にソーンマルスは全身を酷使してなんとかダメージを免れていた。
「……ッ!! 全く、元気すぎるだろ……!!」
「ワオーーーン!!」
上機嫌そうな遠吠えと共にアロは口に咥えたクリスタルの大剣を振う。ソーンマルスはそれを膝と肘で挟み込むように強引にへし折って迎撃したが、常人なら胴体が真っ二つになる勢いだ。
アロは余りの強さ故に、第二等級騎士任命の際に「第一等級への昇格は例外として認めない」という文言が書き足された。その時点で第一等級相当の戦闘能力があったからだ。いくら神獣の眷属とはいえシーゼマルスの命令しか聞かない狼を第一等級になど出来る筈がなかった。
アロは戦いで全力を出さない。
何故なら、自分が全力を出せば相手を殺してしまうことを正確に理解しているからだ。
その上で、第一等級相当の力がある。
ソーンマルスはこれほど気を張っているというのに、アロは手加減しているのだ。
この狼はいつもそうだ。
人懐っこく甘えん坊でありながら、ソーンマルスを自分より下位の『守護対象』として見ている。
最初に出会った頃はまだ抱き抱えられる大きさだったが、あっという間に体躯は人間を超え、当人は恐らく今の戦いもソーンマルスに稽古をつけてあげているくらいの感覚なのだろう。
別にそのことが不愉快な訳ではない。
アロは幼少期に姉以外で気を許し、頼りにした唯一の存在だ。
毛並みを整えるのに疲れてアロにもたれかかりうたた寝したり、大きくなってからもアロに跨がって野山を駆けて狩りをしたりした。嫌いになれる筈がない。
故にこそ、幾らアロでもハジメほどの実力者を相手にすれば本気になることくらいは分かる。もし本気のシーゼマルスに本気のアロまで加われば、一体この世の何人がそれに勝てるのだろう?
アロは、自分が止めなければならないのだ。
「うおおおおッ!! 轟破槌連ッ!!」
「ガオオオオッ!!」
両腕に結晶の力を集中させ、同時に突き出す。
アロはそれにタックルで応じ、ソーンマルスの両腕とアロの両前脚が激突した。
結果は――。
「がッ……くっそ……!!」
両腕の結晶が砕け散り、押し負けたソーンマルスが宙を舞う。
ただ単純なタックルに見えたが、実際にはアロはきちんと前脚に力を集中させて吹き飛ばすつもりで突っ込んで来た。堪える為に全力で地に足を付けていたが、先に腕の結晶が耐えきれず弾かれてしまった。
腕は折れていないが、ソーンマルスからすれば渾身のクリスタライズ・オーグメントだ。スキルも本気で押し返すつもりで放った。それでも尚、アロには届かない。
薄暗い灰色の空に純白の塊が跳ねる。
アロだ。
全身を回転させて空中からソーンマルスを叩き落とそうとしている。
「……ッ!!」
ソーンマルスが耐えられるよう手加減はしているが、子供の頃より強くなったソーンマルスの為により容赦の無い攻撃をするようになってきたアロの一撃が回避不能な真上から降り注いだ。
荒れ果てた大地が更に砕け、凍土をクレーター状に穿つ。
しかし、そこにソーンマルスの姿はなかった。
丸めた身体のまま鞠のように跳ねて元の姿勢に戻ったアロは空を見上げる。
「あっぶな……! 普通にソーマ諸共叩き落とされるかと思った!」
「クー!? 何故ここに!!」
ソーンマルスは親友であるクーに抱えられて空を飛んでいた。
クーのクリスタライズ・エクステンションは脚部特化の増強であり、高速移動に加えて飛行も可能としている。風圧に黒髪をはためかせながらクーはむっとした顔をした。
「人望は個人の力に含まれるんでしょ? それにやるのは時間稼ぎだし、幾らソーマでもアレに単独で勝つのは無理だって」
「だが、お前が参加すると騎士同士の乱闘になってしまう!!」
クーはその言葉に更に機嫌を悪くすると、急降下してソーンマルスを地面に放り出した。慌てて着地すると、そこにはカルセドニー分隊の面々が揃っていた。ヘインリッヒはふん、と、鼻を鳴らしてゴーレムを召喚すると、アロを迎撃する姿勢に入る。
「アロは勅命を受けていない。いることを咎められないのは暗黙の了解というだけで、厳密には部外者だ。同じ騎士とて部外者を追い払うのに何ら問題はない。それに、貴様の家訓の4番だか5番だかに『負けられないときは手段を選ぶな』とかいうのがあっただろう。違うか?」
「お前まで……」
「気色の悪い思い違いをするなよ。全てはシルベル王国の利益のため。そしてお前に全ての手柄を総取りされないためだ」
「……なら勝手に連携しろ。それと、その家訓は5番目だ。勝利すると決めたら手段に貪欲になれ――クー、すまん。俺は意地を張っていたらしい」
「話は纏まったみたいね? 学校の訓練依頼のスリーマンセルだ!」
クーがソーンマルスの隣に音もなく着地し、場違いにも声を弾ませる。
ヘインリッヒも少し前までのわだかまりが嘘のようにやる気だ。
ソーンマルスは己の傲慢を内心で戒めた。
「そうだった――二人とも、ソーンマルスと同じシルベル王国の為に戦う騎士なのだ。問題が発生したら共に肩を並べて戦うのは当たり前のことだよな!!」
遠くから猛スピードで駆けてくるアロを前に、ソーンマルスは再度拳の結晶を固める。
この二人に負けないように、固く、強く。
「ヴルル……」
三対一という状況に置かれたアロは、少し機嫌を損ねたようだった。
多対一になったからではないし、ソーンマルスが自分以外の相手と組んでいるからでもない。アロは主人に意地悪する『アメジストの騎士』が嫌いなので、その臭いをクーとヘインリッヒから嗅ぎ取ったのだろう。
しかし、機嫌を損ねたからといって露骨に八つ当たりするほどアロは狭量ではない。すぐに三対一なりの戦い方に転じた。
「ガアアアッ!!!」
勇ましい一吠えと共に大気が雪を巻き上げて渦巻く。
渦は無数に分裂してアロの頭上に横並びになると、渦の中心から無数の氷柱が連続発射された。音魔法という神獣由来の古の魔法らしいが、教えてくれたシーゼマルスも詳しくは知らないそうだ。
クーは脚部から推進力や浮力を発生させて回避するが、渦は彼女を追尾しつつ他の面々にも容赦なく氷柱の砲撃を放つ。ソーンマルスが前進の構えを取ると、ヘインリッヒは防御特化のゴーレムと突撃ゴーレムを用意して片方を自分の盾に、もう片方をアロ目がけて突撃させた。
ヘインリッヒの運用するゴーレムは相応に高級品だが、アロと戦える性能は無い。突撃ゴーレムは相手の攻撃をある程度受け流せる設計となっているが、アロとの距離を半分詰めた頃には殆どの装甲が砕けていた。
しかし、突撃ゴーレムは突如として更なる急加速を見せる。
その力の源は、ゴーレムの裏にぴったり張り付いて前進していたソーンマルスがゴーレムの背中にかました蹴りだ。
ヘインリッヒは最初からこのためにゴーレムを動かしたが、そのことをソーンマルスには一言も伝えていない。ソーンマルスもまた、確認を取るまでもなくゴーレムの背後に回り込んでいた。
アロは迫るゴーレムを口に咥えた結晶の刃で斜めに切り裂くが、その間隙を縫ってソーンマルスが肉薄する。
「的殺連掌! 烈蹴牙顎!」
「ガウッ!!」
拳の連撃から即座に蹴りの連撃で畳みかける手数の攻めをアロは鮮やかな身のこなしと獣の四肢を以てして応戦する。
接近してもこの手強さ。
いや、むしろ近接こそ本領。
反撃される前に畳みかけなければならないと、ソーンマルスは腹の底に気を溜めるイメージで力を練る。この技はアロに見せたことがない。今できる最大をかますため、渾身の力を込めて渾身の拳を振り抜く。
「計都瞬滅拳ッ!!」
オーラと結晶の二重で固められた拳はソーンマルスの身体ごと目にも留まらぬ速度で加速し、アロではなくアロのいる空間そのものを殴り抜けた。
後れて、大気が自らが穿たれたことに気付き、ドウッ!! と、突風を撒き散らす。
「ワオッ!?」
「手応えあった!!」
ソーンマルスが即座に振り返ると、衝撃を逸らしきれず空中で身をよじるアロの姿があった。決定打にこそなっていないが、アロの予想を上回ったのは確かだ。そのまま流れるように追撃に入る。
それでも、アロの身体に拳や蹴りが当たったのはほんの数発。
しかも的確に鎧のある部分で受けられ、途中で尻尾の鋭い一撃を受けてしまって仰け反ったことで連撃のチャンスを失う。普段は大きくふわふわした尻尾だが、こと戦いでアロが振うそれは金属繊維で出来た鞭のような重さと鋭さがある。
「……ッ、まだまだぁ!!」
「意地にならない!! バスターキィィック!!」
踏ん張って更に攻めようとした矢先、クーがアロを横っ面から猛然と蹴りつけて吹き飛ばす。アロは地面を転がりながらあっさり衝撃を反らすと、着地の瞬間に周辺に巨大な氷柱を数十に亘って出現させる。これも音魔法だろう。
「ウオオオーーーーンッ!!」
アロの全身からオーラのような青白い光が放たれ、弾丸となって跳躍する。これまでとは違う速度を全面に出してきたアロは自らが出現させた数多の氷柱を蹴ってジグザグに軌道を変えながら襲い来る。
クーはその速度に戦慄しつつも、拳で軽くソーンマルスの方を叩くと自らも脚部のエネルギーを全開にして飛び立った。あれは自分がオフェンスに回ることを知らせる騎士のサインだ。
「高速戦闘だったら負けないよ!!」
「アオッ!!」
クーは『緑玉髄の騎士』であるため、結晶の色は緑。
アロの青白い閃光とクーの緑の残像が氷柱の間で幾度ともなく激突する。跳ね、曲がり、掻い潜り、時に氷柱の裏からの不意打ちをも織り込みながら戦う様は激しくも美しい。
脚部をゴーレムで強化して速度と飛行能力を手に入れたクーの高速戦闘は、騎士学校当時から注目されるほど有名だった。アロも最初は遊び半分だったが、目を見張る速度に段々とギアを上げている。
「相変わらず楽しそうに飛ぶもんだ……」
変わらぬ級友の飛びっぷりに場違いにも嬉しくなる。
クリスタライズ・エクステンションで飛行機能を手に入れることは不可能ではないが、自在に飛行する為には通常の場合、脚部だけでなく背部にも手を加えなければならない。
部分強化が主であるクリスタライズ・エクステンションは装備ゴーレムの割合が増えると力のリソースをそれぞれに割かれて総合的に弱体化するという欠点がある。
クーが導き出した解決法は、両足に全機能を集中させて暴れ馬を制御すること。
両足のみに機能を集中させれば力の分散は避けられるが、代わりに制御の難易度は跳ね上がる。それを選び、騎士学校時代の間にものにした空の申し子――それがクーだった。
「ブレードエクストリームッ!!」
「ヴワッ!!」
近年開発された飛行魔法の恩恵で更に飛行に磨きをかけたクーは、脚部に結晶の刃を纏わせてすれ違い様に振り抜く。アロも結晶の剣でそれを迎撃し、両者の斬撃がそれぞれ周囲の氷柱を幾つも余波で切り倒す。
しかし、やはりここに来てもアロは一枚上手だった。
器用にも結晶で鎖つきの錨を作り出したアロは無事な氷柱にそれを引っかけ、速度を殺さず180度回転してクーの背後を取ったのだ。
「くっ、そんな手が――!」
「グオオオオオオッ!!」
「させるか!! 怒髪天衝ォォォッ!!」
アロの動きをギリギリで見切ったソーンマルスは地面を蹴り飛ばし、真下からアロに世にも珍しい頭突きスキルをぶちかます。流石にクーヘの追撃に入った瞬間で反応が間に合わなかったのか、ソーンマルスの頭頂部に結晶で展開した兜がアロの土手っ腹に叩き付けられる。
鎧越しとはいえ確かな手応えがあった。
だが、直後にアロが先ほど使った錨が背後から背中に直撃する。
鎖で繋がっていたのをいいことに引き寄せて、不意打ちしてきたソーンマルスに逆に不意打ちをかましたのだ。
「ソーマ!!」
「気にするな……ッ!!」
アロは鎖を手繰り寄せてソーンマルスに組み付こうとする。
が、寸でのところで横っ面から砲撃が降り注ぎ、鎖が破壊されたことでソーンマルスは自由になる。砲撃はアロにも容赦なく浴びせられる。牽制以上の効果はないが、おかげソーンマルスとクーは姿勢を整えた。
砲撃の正体は、ヘインリッヒが召喚した砲撃ゴーレム。
アロはつまらなそうに結晶の剣を口で放り投げて一瞬でゴーレムを破壊するが、直後に氷柱の裏から複数の砲撃ドローンがアロに攻撃を加える。いつの間にかフィールドはそこら中にゴーレムが配置されていた。
ならば、手っ取り早くドミネーションの主であるヘインリッヒを、と、アロは匂いですぐさま居場所を察知にそちらに向う。
ヘインリッヒは堂々とその身を晒していた。
――その方が味方を活かせると知っているから。
「「双脚技・七夕ノ交ワリ!!」」
アロの動きを察知したソーンマルスとクーが完璧なタイミングで回り込み、アロを蹴撃で挟み撃ちした。
(そういえばこの三人はスリーマンセル訓練だと負けなしだったな……もしかしてヘインリッヒと俺は組んだ方が強いのかもしれん)
オーグメント、エクステンション、ドミネートの三位一体の連携だ。
さしものアロもこの不意打ちには面喰らい、咄嗟に全身の鎧から刃を生成して全力で回転する。
結果、回転の破壊力と二人の同時攻撃は拮抗し、互いに結晶を砕け散らせて弾かれる。
二人はそのままヘインリッヒの方へと着地し、アロは先ほど錨を打ち込んだことで中程から砕けた氷柱の上に着地する。
ソーンマルスはにぃ、と、笑う。
「今、アロは結構本気を出していたぞ」
「いやいや、こっちとしては本気を出されると困るんですけど?」
「流石は神獣の眷属。三人がかりでまともなダメージを与えられないとはな……」
空中戦でそれなりに体力を消耗したクーが苦言を呈し、ヘインリッヒは現実的な勝算の低さを察して苦渋の表情を見せる。
確かにアロは途轍もなく強い。
シーゼマルスが人間との戦い方や武器の振い方を教えたことや鎧を賜ったことで、純粋な戦闘力が更に増強されている。
しかし、神獣の眷属にはそれなりの制約というものがある。
「アロが無闇に人を傷つけられないのは知っているか?」
「それは、主人の躾けの問題か?」
「少し違う。アロは確かに姉上と契約した召喚獣の側面があるが、それ以前にフェンリルとの約束により活動にある程度の制約を課せられているらしい。アロが本気で相手を打倒しないのは、軽々しく眷属の力を振うことは制約が許さないからだ」
クーは「全然軽くないんですけど……」と底知れぬアロの力に嘆息するが、ヘインリッヒは顎に手を当てて考える。
「……逆を言えば、アロが私的に力を振う範囲には天井があるということか?」
「そうだ。俺も全ては把握していないが、これだけは知っている」
以前にシーゼマルスから一度だけ聞いた事がある、アロの制約を思い出す。
「相応しい覚悟と力を示して見せた人間に、自らと召喚契約を結ぶ権利を与えなければならない。アロに本気を引き出すに相応しいと認められれば、アロとの戦いは終わる!!」
ソーンマルスたちはアロの本気をもう少しで引き出すところにまで来ている。
後一押しの所まで来ているのだ。
「問題は、その一押しをどうやってひねり出すかだがな……!!」
「「このバカゴリラ」」
ぶっつけ本番はソーンマルスの専売特許である。




