10-1 おいでよ、転生おじさんのいる村
転生者ショージは農業チート能力の持ち主である。
この『農業チート』なる能力は厳密にはビルダージョブという彼オリジナルのジョブだ。その内容は実にふわっとしており、「農作物作るから当然料理も能力に含まれるよな!」ならまだいい方で、「農業って育てるの植物だから木くらい自在に生やせるのは普通だよな!」みたいなことまでまかり通してしまう。
しかも、いざ力を使ってみると農業素人のショージでも分かるぐらいこの能力は不自然すぎた。野菜が早く育つのは百歩譲っていいとして、その野菜が食べ時になるとぴたりと熟成を止めて害虫も寄ってこず腐りもしないというのは流石におかしすぎる。
二毛作? なにそれ美味しいの? と言わんばかりに同じ畑の同じ株から次々に野菜は生えてくるし、土の栄養分という概念は欠如してるし、水やらないと成長しない代わりに水をやらなくても枯れないし、季節的な旬も天候も殆ど無視して「うるせぇ野菜は生えるんだ」と言わんばかりに周囲の雑草から栄養を吸い取って成長する様は、そりゃ皆気味悪がって食べないよなぁとショージも納得してしまうレベルである。
ショージは転生直前まで、「農業チートで異世界ライフ的な話マンガでよく見る気がするし、これ系のクラフト要素選べば完璧じゃね?」みたいなことを考えていた。実際便利だ。すこぶる便利だ。最初の頃は実に爽快だった。
が、飽きた。
呆気なく飽きた。
どんなに素早く作業が出来ても、どんなに美味しい野菜が出来ても、農業とは何をどう足掻いても単純作業の繰り返しなのだ。国民的孫悟空漫画を読んで修行パートが嫌で読破を諦めた平成生まれのショージにとって、それはあまりにも酷な現実だった。
また、彼は物作り系の力を手に入れたにもかかわらず生前クラフト要素のあるゲームを碌にしたことがなく、某ブロックで出来た世界的ゲームを有名だというだけの理由で購入し、思い通りに操作が出来なかったから一日と待たずに中古に売り払い有名通販サイトに見当違いなブチギレレビューと共に最低評価を入れてしまうような男だった。
そんな最低野郎ショージが自分のチートと真面目に向き合う切っ掛けの一つ。
それは、日の照る畑でもやしが育ったことと、ヒヒが「その力を知られれば周囲に嫉妬される」と言ったことだ。
まず、いくらショージが農業に対して無知とはいえ、もやしが暗所で育つことくらいは知っている。それが燦燦と日の光が降り注ぐ場所にそり立っている光景を見たとき、ショージは「これはひでぇ」と思った。低予算深夜アニメみたいな残念感を楽しめと言われても無理がある。
そしてもう一つ、嫉妬というワード。
ショージは現代日本社会に生き、ソーシャルネットワークにどっぷり浸かった人間だ。故に、人の嫉妬というものがどんな地獄を生み出すかよくよく知っている。なにせ、自分はその嫉妬から人に迷惑をかけて逆に叩きまわされるタイプの存在だったのだから。
ショージは嫉妬されるのが怖くて、初めて自分と向き合った。
チートについては様々な情報が得られたが、その中でショージは一つ大事なことに気付く。それは少々飛躍しているようで、しかし彼にとっては重要な気付きだった。
(ああ……俺って絶望してたんだな……)
自分という存在が社会にとってどうしようもなく矮小で、それを変える力がないという絶望。
よりシンプルに言えば、「特別な誰か」になれない絶望。
或いは、特別であることを認める気のない社会への絶望。
だからショージは異世界転生に憧れたのだと、彼は最近自覚した。
自分が輝けない世界から逃げ出して、自分が輝く世界に行きたい。
才能も何もない自分を捨て去って、栄光が約束された自分が欲しい。
それは逆を言えば、この世に生を受けた地球という星の日本という国が、社会が、どうしようもなく嫌いだったということでもある。
故にこそ、ショージはもう既に満足している。
フェオの村の住民は、たまに認識のずれから怪訝そうな顔はするがショージの話はきちんと聞いてくれる。様々な実験についても協力し、意見をくれるし、能力を時に頼りにしてくれる。ショージの持たないものを分けてくれる。そして、楽しいことがあると一緒に笑うこともできる。
生前日本にいた頃のショージが持たなかった、人の温かさがある。
それがこんなにも充足感を与えてくれるものだとは思わなかった。
今、ショージという存在は認められている。
奇抜なところも含めて、ショージという存在であると肯定されている。
(俺ぁ……満足だ。もう幸せで腹いっぱいだ……)
ああ、転生とは、チートとは。今なら何故1+1が2なのか、いや人類が2と思っているのかさえ理解できる気がする。ここにショージの物語は幕を閉じた。
「って待てやぁぁぁーーーッ!!」
自分で勝手に幕を閉じようとし、自分で勝手に幕を破る男、ショージ。
彼は異世界にやってきてからまだ重大な目標を達成していないことに気付く。
「ここで農業やってたら自然となんかいい感じに評判広がって可愛い女の子とかもふもふな獣とかと幸せ生活が出来ると信じてたのになんじゃ今の俺はぁぁぁぁぁ!! 彼女すら出来てねぇわゴルゥァァァァアアアアッ!!」
最初、あわよくばフェオといい感じになれればと思ったショージだったが、すぐに無理だと気付く。彼女はハジメが保証するショージを信じているのであり、つまり一番信じてるのはハジメだ。
わかりみはある。なんか知らんがあの人と一緒にいればとりあえず安全みたいな感じあるもの。女神様を通して仕事も与えてくれているし。
次に忍者のツナデとなんやかんやいい感じになれないか試みてみたのだが、こちらも完全に脈がなかった。何故かというとツナデは好きな異性の条件に「好きなにおいがする」が含まれるらしく、「おみゃーは普通にゃ」とバッサリ両断されてしまった。
そんなツナデが今のところ一番好きなにおいがするのはライカゲらしい。仕事が上手く行くとご褒美として存分に嗅がせてくれると笑顔で語っていた。ちょっと引いた。
ならば竜娘のクオンはどうか。無理だ。万一手を出したらハジメに殺される。当人はそんなことしないと言っていたが分かったものではない。あと流石に犯罪だ。
ベニザクラは自ら諦めた。めっちゃ好みだけど、諦めた。
なんか彼女の隣に自分がいると場違いな感じが凄いしたので、アイドルだと思うことにした。
最近村に来た若い女性たちも無理だ。
あの人たち全員なんかハジメが好きっぽいし。
「てか何であの人は女性関係無関心なツラしてあんなにモテるんだよチクショーめぇぇぇエエエエエエエッ!!」
誰もいない空に向かって一人虚しく叫ぶショージに、周囲は「また発作ですか」「そのうち収まるでしょう」と華麗にスルーした。
なお、ショージは前世で女性に一度も告白したことのない童貞である。
よって、こっちの世界でも実際には異性を口説く段階にすら到達していない。
彼が運命の相手を得るのは、だいぶ先のことになりそうである。
――そして、そんな不審者の雄叫びを聞いて怯える少女が一人。
「ひえぇぇぇぇ……なんか叫び声聞こえるんですけどぉ! 本当にここは安全な場所でしょうかそれとも私が異物として侵入したせいで猛り狂っていらっしゃるのでしょうか! もしそうなら私の胃が持たないのでおんぼろ格安賃貸に帰らせてぇぇぇぇ!!」
「大丈夫だって、サンドラちゃん。あの人はちょっと頭おかしいだけで無害だから」
「それってこの村はそういう精神を病んだ人の集まった場所で私もそれを治療するために閉じ込められるってことですかぁぁぁぁ!!」
メンタルのバック走で世界一を取れそうなほど後ろ向きな少女サンドラが、この日、フェオの案内で村人の一員となった。
モノアイマンの少女、サンドラはこれまでも心が砕けそうになるたびにひょこっとハジメの元に現れてはいたのだが、余りにも頻度が多いどころか下手すると毎日来る時もあったため、「それならもう引っ越しちゃえばいいんじゃない?」とフェオがぐいぐい引いて連れてきたのだ。
それから数日。
相変わらず猛烈な間の悪さやどうしようもないドジを発揮しているものの、村の平均レベルが色々と高いおかげでどうにかなっている。特に宿屋管理をしている五人組の女性――元娼婦――はサンドラに良くしてくれた。彼女たちは仕事柄モノアイマンの同僚を持つことも珍しくなかったようで、偏見はなかった。
「サンドラちゃんハジメさんに撫でて貰ったってホント?」
「う、うん……ハジメさんの手、ごつごつしてるけどあったかいの……あの手で撫でてもらえるなら明日も頑張れるなって……」
「いーなー。いーなー! 私もハジメさんに撫でたり撫でて貰ったりしたいなー!」
「頼めばやってくれるかな?」
「あーん、でも私たちがハジメさんに近づいたらあのエルフっ子が嫌な顔するのよねー。ハジメさんもなんかあの子には弱いしー」
「でもでも、ハジメさん的には娘のように思ってる感もある気がするけどね。あっちはあっちでパパを取られて面白くない娘の心境って感じ?」
「あー、なるほどー……じゃあ逆に私たちがハジメさんにグイグイ迫ることでフェオちゃんも負けじとハジメさんに甘えるようになるから、結論として甘えていいということでよろしいですね!?」
「「「「異議なし!」」」」
「い、いいんですかねそれ……? みんながいいって言うならいいのかな……?」
戸惑いつつも彼女たちのポジティブさに影響されるサンドラ。
彼女は段々と、ずっとこの村に居たいと考えるようになっていた。
――そんな彼女たちの話題がまさか自分とは知らず、ハジメは広場ではしゃぐ彼女たちの様子を自宅の窓から見ていた。
(なんとか馴染めたか……よかったな、サンドラ)
実のところ、ハジメは彼女がどうにも他人の気がしない。
以前に彼女に自分なりのアドバイスをしたのも、それが理由だ
それに、一つ懸念もあった。
(放っておけば闇堕ち、という可能性もあったからな……)
モノアイマンの中には謂れのない差別に耐えられずに魔王軍に寝返る者もおり、その寝返りがまたモノアイマンの種族としての信頼度を低下させるという悪循環が生まれている。魔導研究に没頭する余り倫理観を欠落させたダークエルフの一派と並び、彼女たちに対する世間の目は厳しい。
無論、世間がどこもかしこもそうである訳ではない。行き場のないモノアイマンが娼婦になることはあるし、モノアイマンを好き好む人もいる。前に故あって向かった『大魔の忍館』にもモノアイマンの女性はいたし、歴代勇者の中にもモノアイマンはいた。
それでも、世界はモノアイマン差別を止めることはない。
恐らくそれは、ここが繰り返す世界だからだろう。
勇者と魔王が和解した時代もあった。
勇者が魔王から逃げた時代もあった。
勇者と魔王が結ばれた時代もあったそうだ。
それでも、当人たちが死ねば時間と共に勇者と魔王の対立構造は勝手に再生された。
勇者と魔王と、二つの舞台装置が紡ぐ二重螺旋は終わることなく廻り続ける。
世界に絶望もしないし、世界の何かを変えたいとは思わない。
それでも――30年この世界で生きていたら、疑問の一つも抱く。
「なぁ、神よ……ここは本当に善い世界か?」
その問いに、アヴァターを使って遊びに来ていた女神の分身は、静かに目を閉じた。
「私にそれを決める権利はありません。答えはこの世界に生きる者にしか出せない。ただ、その疑問を貴方が抱いたことは、悪いことではないと思いますよ」
神のアヴァターは縦セーターと眼鏡のよく似合うふわっとした印象の美女で、メーガスを名乗っている。表向きはハジメの後見人だったことになっており、あながち今もそのままかもしれない。
メーガスはこの手の話になると婉曲な物言いをするな、とハジメは思う。
「貴方はこの世界の歪さをその気になれば矯正できる立場だろうに」
「それは世界を根本的に変えること。世界を生きる人に仇なす行為と言っても過言ではありません。他世界にそうした神もいますが、私はそれでは人の出すべき答えは出ないと思うのです」
「貴方は、あの少女が受ける謂れなき世界の皺寄せを飲み込んでいるのか?」
「神とは、究極的には世界で起きる全ての責任を負う存在です。私が神である以上、飲み込む以外の選択肢はありません。それを不自由や苦痛と捉えたことも、また」
「でも貴方は俺の世話焼きのように口を挟んでくる。他の転生者にはそうしないのに」
「それは貴方がスタートラインにすら立てていないからです」
「なんなんだ、そのスタートラインっていうのは」
「それも貴方が気付かなければ意味がない。それは考えれば考えるほど遠のき、しかし意外なほど近くにあるものです」
「……そうか」
神は嘘を口にしない。
彼女がそう言うなら、そのうちふと始まりとやらが見えるかもしれない。
「それはそれとして神よ。タルトのクリームが口元にこびりついているのだが」
「えっ、ヤダ。お、美味しくてついがっついちゃったかしら?」
超然的な雰囲気が即座に瓦解した。
神は嘘は口にしないが甘味に対しては大きく口を開くものらしい。
メーガスが口元を拭くより早く、一応相手が神だとは認識しているがそんなこと関係ねぇとばかりに距離を縮めたクオンが神の口元のクリームめがけて飛びつく。
「クリームいただきっ!」
「きゃっ、ちょ、人の顔を舐めるなんて子供にどういう教育してるんですかハジメ……あああっ!?」
我慢できなくなったワンコのようなクオンに、メーガスはとうとうバランスを崩して転倒。しかし、流石にそのまま落とすのを見過ごせなかったハジメに床すれすれでキャッチされて辛うじて事なきを得た。
「あっ、ありがとうハジメ……」
「無事なら自分で立ってください」
「えっ」
何故か妙にもじもじするメーガスだが、問題なさそうなのでそのまま立たせる。メーガスは途端に両手を振って抗議してくる。
「ちょ、私の扱いが軽くないですかハジメよ!? ちょっとドキっと来たのに天罰級の不敬ですよ!? 個人的には! 神としてではなく個人的にですけど!!」
「後で聞きます」
背後から何やら抗議が聞こえるが、ハジメは後に回してクオンの方を手で掴む。
「クオン。勝手に人にとびかかって舐めてはいけない。舐める前に確認を取って、断られたら諦めなさい」
「でもぉ……タルトはこんなに甘くておいしいのにすぐ無くなっちゃうんだもん……」
しょんぼりと食べつくしたタルトの皿を見るクオン。
エンシェントドラゴンを以てしても甘味の魅力は抗い難いようだ。
しかし、ハジメもここで引き下がるほど甘くない。
「でもじゃない。そんなに美味しいクリームを人から勝手に取るのもよくないぞ。クオンだって甘い物を目の前で取り上げられたら悲しいだろ?」
「……うん。分かった。これがガマンなんだね、ママ」
「そうだ。やりたいことをやって言いたいことを言うのは間違った事じゃないが、やりすぎれば周りのやりたいことを邪魔してしまう。特に食べ物の恨みは大きい」
「ちょっと待ってください!! 私が口元のクリームを奪われて悲しいみたいな話になってますけど違いますよ!? 問題はクオンが私の口を勝手に舐め回したところが非常識だってところですよ!?」
「そうか? 貴方もクオンに負けず劣らずのペースでタルトを平らげていたからてっきり……」
「う゛ッ!!」
以前にも触れたが、この世界の神は割と暇である。
しかし、忙しい神とは人に在り様を強いる神でもある。
それを良く思うか悪く思うかは人によりけり。
「……ところで神よ。ショージの奴が気の合う友達がいなくて孤独感の余り奇声をあげているようなのだが。誰か気の合う転生者仲間でも用意できませんか?」
「え? えぇと、そうですねぇ……彼と同じく転移してきた男の子がいるのですが、彼ならもしかしたら……同じ異世界デビュー失敗組ですし」
「神がそんな悲しい言葉を使うのはどうなのですか。ショージが浮かばれませんよ」
それほど意味は分かっていないが、二人ともなかなかにヒドイのではないかとクオンは子供心に思った。こういうとき、子供は意外と本質を捉えているものだ。




