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気づけば、戦術級ゴーレム『カークス』は矢に加えて魔法の攻撃を次々に受け、殆どの砲塔が破損していた。まだ攻撃方法は存在するが、使ってしまおうかという悪魔の囁きを辛うじて残った理性が押さえつける。これ以上は本当にキャリアが閉ざされてしまう。
らしいといえばらしい結果だ、と、ヘンリッヒは自嘲する。
縛りを縛りとも思わず好き勝手に振る舞うソーンマルスが勝ち、秩序に忠実たらんと堅忍するヘンリッヒが負ける。
それでも、本音ではソーンマルスも騎士としての使命感が強いことは認めている。だから、最後の最後に残された嫌がらせで自分の正しさに縋り付く。
よくいる文官狙いのエリートの一人で、アーゲント家の後継という以上の意味も評価も見出されることのなかった部品の、これは出すべからざる自我だ。ソーンマルスがおくびもなく常に解放し、人を惹きつけるそれとは比べものにならないほど薄汚く矮小な。
「後悔させてやるよ……自分が正しいと信じて疑わぬ傲慢な貴様の過ちを白日の下に晒し、正しさの根拠たる秩序のあるべき姿を知らしめてやる!! 聞けば貴様の覚悟は根底から覆される!! 数多の軽挙妄動が齎した報いに慚悔し、絶望の沼に鎧を取り落とすこととなるだろう!! そのとき貴様は、この私の正しさを心底認めることに――!!」
「勅命なんだろ」
「え?」
知っていたかのように平然と口に出された言葉に、唖然とする。
騎士における勅命とは、国王からの絶対遵守の命令である。
つまり、『アメジストの騎士』の独断専行等では決してあり得ない。
そして、ソーンマルスの言う通りカルセドニー分隊は勅命で動いていた。
彼は王の命令に逆らう真似をしていたのである。
まさに騎士の正義の根底を覆し、ソーンマルスの行動の全てを否定する切り札となる情報だと今の今まで信じていた。
なのに、なんで。
「え、は……? 知って、な……何故、そんなに澄まし顔をしてられる!?」
ソーンマルスは厳密には少し疲れた顔をしていた。しかし、王に絶対の忠誠を誓う筈の騎士が行動の正当性の全てを否定された瞬間としてはあり得ないくらいには、冷静であった。
短いため息をついたソーンマルスはどこか遠い目をする。
「生憎と、クーの様子で薄々勘付いていたよ。姉上も勅命で動いているのだろう? カルセドニー分隊が命ぜられたのは姉上の任務の支援か、或いは実質的な予備戦力か、そんなところだろう」
全てを見透かされたような感覚に膝から崩れ落ちるヘインリッヒに、もはや戦意なしと判断したソーンマルス構えを解いて腕を組む。
この男は昔からそういう所があった。テストではそうでもないのに肝心な所で異常に察しがよく、それはヘインリッヒが想定外の事態にまごついている時ほど顕著に顕われた。
「『アクアマリンの騎士団』がどれほど直訴しても王宮が動かない訳だ。第一等級騎士を表向き行方不明扱いにし、カルセドニー分隊を他国領土に出撃させてまで成し遂げなければならない緊急事態とあらば、仮に同じ騎士団員相手でもおいそれと任務の内容を漏らす訳にはいくまい。貴様がやたら秩序とか正当性を主張してきたり戦術級ゴーレムを持ち出した辺りでほぼ確信していた――だからそれ以上は口にしないでいい」
最後の一言が、ヘインリッヒのプライドを傷つけた。
言えばヘインリッヒが自ら情報を漏洩したことが確定してしまうことをソーンマルスは気遣ったのだ。処分を覚悟で道連れに捨身の暴露をしようとしたのに、先に見抜かれた上に情けまでかけられた。
ソーンマルスにとってヘインリッヒはどこまでいっても元級友であり、それ以上でもそれ以下でもない。
敵としての認識すらされていない。
この男はどこまでも、どこまでも――。
「―――ッッッ!!」
ヘインリッヒは声にならない絶叫を長々と響かせたのち、全てを諦めたように『カークス』を停止させた。
――『カークス』の猛攻で射程範囲一体が焦土と化した地に降り立ったソーンマルスは、堂々とヘインリッヒに背を向けてハジメの元に歩み寄る。
「待たせてすまん。だがある程度の確認は出来たよ」
「「そうか。それで、彼らはどうする?」」
「待て。うん、待て」
ソーンマルスは目尻に手を当てて手で制す。
「砲撃の近くにいすぎたせいかな。ハジメの姿が二重になって声も二つ聞こえるんだが」
そこには全く同じ背丈と顔の男が全く同じ出で立ちで立っていた。
ハジメとハジメコピーである。
二人は全く同じポーズで互いを指さす。
「俺が本物、こいつがアンジュだ。ついさっき拠点に戻って諸々の問題を片付けたところで戦闘を感知したので駆けつけた」
「これでバトンタッチが出来るが、どうする。俺を残すか、それとも俺を残すか」
「どっちも残るという手もある」
「言ってはなんだが俺は便利な冒険者だからな」
「……どっちかどっちか既に分からなくなりそうだから交互に喋るなッ!! 頭おかしくなるわッ!!」
「「む、そうか?」」
「同時に喋るのもやめろッ!!」
後方で「あのソーマがツッコミを……!?」「いや、天然だけどツッコミ自体はちょくちょくしてたような」等と緊張感の欠片もない同僚の声が聞こえる。ヘインリッヒとの戦いよりこの男といる方が断然疲れるのではないかと疑うソーンマルスであった。
こうして、カルセドニー小隊との戦いは主にハジメのせいで何とも締まらない幕引きを迎えた。
◇ ◆
カルセドニー小隊の四人は一度ハジメ達の拠点にまで連行され、暫くは沈黙を保ったが、何一つ喋らなず俯いたきりで呼びかけに応じないヘインリッヒの代理としてザイアンが暫定的な指揮官となって説明を行なった。
説明と言っても部外者には聞かせられないので、説明を受けるのはソーンマルスのみだ。
尤も、彼は話し合いを前にハジメを手招きして「俺の荷物に端末を忍ばせれば盗み聞きし放題かもしれないし俺もうっかり気づかないかもしれないが、するなよ。絶対にするなよ」と囁いたのちにわざとらしく隙を見せつけてきたので、ハジメは遠慮無く端末を通して内部を生中継で視聴している。
どうせ聞かせるのだったら直接聞かせてくれれば良いのにと思うハジメだが、こういうのは形式が大事とのこと。
あくまで彼らは機密の為に注意を払ったが、情報がどこから漏れたかは不明――そう言い張れる状況を最低限整えるのが不良騎士が処分を避ける秘訣なのだそうだ。
開口一番、ザイアンは確認を取った。
「先に聞くが、あのバケモン冒険者達は何者だ?」
「シャイナ王国の王都で即座に雇える最高練度の冒険者を所望したら出てきた。ハジメ・ナナジマと彼が召集した面々だ。すこぶる強いぞ。周囲に死神だとか言われてた」
「ハジメ……死神……お前、よくそんな助っ人を捕まえられたな。道理でおかしいくらい強い訳だよ」
「巨人スレイヤーの正体だったのは後で知ったがな」
「無理もない。海外の戦力分析は騎士団より軍の領分だ」
ザイアンは特殊部隊という性質上海外戦力についても詳しいのか、すぐにハジメが何者なのかに気づいたようだ。実際にはザイアンと違ってソーンマルスは『死神』について殆ど知らず、自分で確かめた実力とギルドによる仕事能力のお墨付きという情報を以てして評価しているため、地味に二人の認識は食い違っている。
ソーンマルスは仕事の際にハジメと交わした契約書の写しをザイアンに見せる。
依頼主の課した守秘義務なども目を通したザイアンは「口封じの必要が無いようで安心したよ」とハジメ達に手を出さないことを了承した。
「アデプトクラス冒険者の口の堅さはギルドの担保だ。とはいえ万一情報が漏れればソーマが責任に問われるが、承知の上で信用することにしたのだろう?」
「はっきり言って、姉上が一週間を費やしても片付けられない仕事であるならむしろ彼らの戦力が最適だと考えた」
(ここで騎士のプライドとかを持ち出さないのがソーンマルスの長所なんだろうな)
シーゼマルスが戻らない時点で状況の困難さを察していたが、カルセドニー分隊まで派遣されていて尚も埒があかない状況が続いていると確信を持ったのだろう。ザイアンも自覚があるのか深いため息をついた。
「ふー……言ってくれるが否定も出来ないね。実は外交筋で協力を要請しようかという話もあったけど、総合的に鑑みて見送られたばかりだ。しかし既に事はシャイナ王国領土内に及び、これ以上の騎士の投入は流石に外交筋での交渉を避けられない。それは王のお望みになるところではない。事情を知らないシャイナ側の実力者の投入は、リスクはあるが現実的な手段ではあるな」
「それで、いい加減に本題を聞こうか」
「分かっている。順を追って話すぞ」
シルベル王国が最も固く国交を結ぶ隣国に隠し事をしてまで騎士を派遣した理由、それは偶然か、或いは必然であったのか――。
「事の始まりは、『ダイヤモンドの騎士』リュウヤ・ブレズベルグ卿の引退に遡る」
「第一等級騎士の頂点にして最強の座、『ダイヤモンドの騎士』を40年も務めたあの方の引退は、健康問題ゆえ致し方なしとはいえ大きく話題になったな……」
この世界の人間は、年を重ねてもレベルや熟練度が低下する訳ではない。
しかし、どうしても老いによる基礎ステータスの低下や免疫の低下という生物の宿命から逃れることは出来ない。若かりし頃にどれほどの傑物であったとしても、年老いてなお実力を保持し続けられるかは健康問題に大きく左右される。
(それにしてもリュウヤ・ブレズベルグ……NINJA旅団の転生者リストで見た名前だ。『ルビーの騎士』から昇格して『ダイヤモンドの騎士』に就任したんだったか)
種族は純白のリカントで炎にまつわる転生特典を所持しているが、人格や社会性に問題が見られないため放置しても問題なしとして扱われていた、言わば『まともな転生者』の部類だ。
……若かりし頃は言動がややイタめであったものの歳を取ってから落ち着きを持ったという微妙にがっかりな所感も添えてあったが。
リュウヤという転生者は健康問題を前にして、剣を置くことを決意したのだろう。
40年の騎士経験ということはそろそろ60才近い頃だし、定年というワードが脳裏を過っていたのかも知れない。
ザイアンがどこまで事情を知っているのかは不明だが、少なくともソーンマルスよりは精通しているのか、経緯についても口にする。
「ブレズベルグ卿の引退は半年前には既に王との間であったようだ。しかし魔王軍襲来の折では時勢が悪く、やむなく暫く続投し、魔王討伐――実際には逃げたようだが、ともかく騒ぎが収まったことで漸く騎士の地位返納が許可された」
「しかしその後、すぐに次期『ダイヤモンドの騎士』の座の争奪戦が始まったが……」
「その通りだ。通常ならば他の第一等級騎士から最強の者が選ばれるのが筋だが、困ったことに現在の第一等級騎士たちは実力が拮抗していたから王がお悩みになられるのも無理らしからぬことだ」
「騎士の筆頭だからな。空位のままにするのも問題があるが、決め手がなければ騎士団内でも納得しない者が出る。御前試合にて決するという話が有力視されたが、結局は今も空位のままだ」
「我々騎士団は浮き足立っていたのかも知れない。それが取り返しのつかない事態を招いてしまった」
陰鬱な表情で、ザイアンは絞り出すように問題の核心を口にした。
「クリスタル神殿が急襲を受け、『ダイヤモンドの鎧』が正体不明の何者かに奪取された」
「そんな馬鹿な……王宮に並ぶ最重要施設に易々とか?」
流石のソーンマルスもそこまでの事態は想定していなかったのか、呻くようにそう呟くのが精一杯だった。
ダイヤモンドの鎧と言われてハジメが真っ先に思い浮かべるのが、ダイヤモンドを全体に遇った高級悪趣味装備のダイヤモンドの鎧である。ハジメもたまたまドロップ品の類で所持しており、会ったばかりの頃のサンドラの戦闘の矯正に用いたのをは今では懐かしく感じる。
しかし、結晶騎士の騎士たる所以は王家より託されし鎧にある以上、この鎧はそんなイロモノとは別格の聖遺物級装備だ。或いは、聖遺物級でも上位かもしれない。
(多分、シャイナ王国で見かけるダイヤモンド装備はシルベル王国の『ダイヤモンドの鎧』がルーツなんだろうな。他にも宝石鎧のシリーズはいくつかあるし、遠い地からの伝聞に伝聞を重ねてあやふやになった情報を元に作られた劣化模造品といった所か?)
思わぬ装備の来歴に気づいたものの、今は過去に想いを馳せている場合ではない。
シャイナ王国に置き換えれば神器の盗難みたいなもので、最強騎士の跡目争いどころか国家の信頼を覆しかねない大醜聞だ。ソーンマルスも知らなかったと言うことは、余りにも深刻な失態故に徹底的な情報封鎖と隠蔽があったのだろう。
ザイアンは静かに首を横に振る。
「もう想像はついているだろうが敢えて言う。シーゼマルス・グラディス卿は、事態を重く見た陛下より『ダイヤモンドの鎧』の奪還という勅命を仰せつかったのだ」
「何故、姉上が?」
「……そのあたりは少々ややこしい。急かさず聞いてくれよ」
曰く、最初は『アメジストの騎士』が追跡を仰せつかって意気揚々と追跡していたが、敵は回避しながら尋常ならざる魔法の威力と手数で反撃してきた。丸一日の追跡と戦闘が並行して行なわれたが、戦闘スタイルの相性が悪かったのか苦戦を強いられた『アメジストの騎士』は遂に深手を負い、目標を見失うのも時間の問題となった。
そこで『アメジストの騎士』は一計を案じる。
偶然にも近くで森の異常を調査していた『アクアマリンの騎士』シーゼマルスのいる方向へと死力を振り絞って敵を誘導したのだ。
結果、シーゼマルスは事情を知らないものの謎の敵を危険視し、交戦を開始。
しかし彼女をして謎の敵は手強く、図らず二者は国境を越えてしまった。
更に、戦闘の最中に元々森で発生した異常の原因と思われる未確認の魔物が乱入し、状況は混乱の一途を辿った。
しかし、シーゼマルスはここに活路を見出す。
戦闘しているうちに、未確認の魔物は鎧を盗んだ謎の敵に異常な執着を見せていることに気づき、これを利用して三日前に足止めに成功したという。彼女はこの後にカルセドニー分隊から王よりの勅命を知らされ、現在も『ダイヤモンドの鎧』の奪還の機を伺っているという。
「……鎧を盗んだ存在も、それを追う存在も、我々の理解の範疇を超えている。王は重傷を負った我が方の騎士団長の姿に事態を重く見て、これ以上第一等級騎士に不慮の欠員を出せないと援軍を送ることを打ち切った。シャイナ王国に事態を知らせて協力を仰ぐという案も考慮されたが、何故か王も文官たちも及び腰だった。代わりにグラディス卿にはオーバーライドの無制限許可権限が与えられた」
「オーバーライドだと……!!」
ソーンマルスが息を呑んだ。
専門用語故にハジメには意味が分からないが、無制限許可ということは普段は制限があるということなのでリミッター解除に類するものと推測する。盗み見している今は説明を求めることは出来ない。
ザイアンは「そういうわけだから」と締めにかかる。
「カルセドニー分隊は三者の均衡を崩さないために周辺を警戒していたのだ。その警戒網にかかった第一号が、よりにもよってソーマたちだ。正直に言って、もはや事態についてゆけんよ。あの透明な敵も、透明に崩れていく森も、その消滅の中にあって無限とも思える再生を繰り返す盗人も……グラディス卿の鋼の精神力には心底敬服する。だから、これ以上あの方の不安を増やすのはやめてくれ」
「俺がいては、姉上は心を乱されるとでも? 姉上は公私混同など決してしない」
「抑え込むことは出来ても消すことなど出来ないさ」
「……」
公私を切り分けたところで、分かれた心は心のまま。
ザイアンの言葉にソーンマルスは反論出来ず押し黙った。
かに、見えた。
「――つまり、俺たちが意義ある援軍であれば姉上の負担を増やすことはない訳だな?」
「ソーマ、きみのシスコン気質は知っているつもりだが、本当にもう勘弁してくれ」
「森が透明化していく現象や敵の存在について、我々は情報を掴んでいる」
「……何だと?」
「シャイナ王国の冒険者が国内の問題を解決しようとすることは当たり前で、王の命令に反する部分は何もない。情報を開示しろ、ザイアン。手に余るのなら他の手も借りれば良いのだ」
自信満々なソーンマルスの態度にザイアンの心が揺れる。
が、敵の存在という言葉はよくよく聞くと何を指しているのか曖昧で、透明化についても現象を究明しただけで発生原因そのものは掴んでいない。ものは言いようであるが、余りにも迷いのない言葉にザイアンは流されてしまい懐の情報資料に手を伸ばしてしまった。
この後どう言いくるめるのかと思っていると、ソーンマルスは端末を指で二回こつこつと叩いた。万一の時に取り決めた部屋に入ってこいの合図である。
(こいつ、ハッタリで情報を引き出しすついでに俺を部屋に入れる口実まで……後で話が違うと追及されても嘘は言っていないとはぐらかせるし、なんて小狡いゴリラなんだ……)
ともあれ、先に森に入っていた騎士の報告書は貴重な情報だ。
行方不明者の手がかりも含め、存分にご相伴に預かることにしよう。




