36-15
『カークス』の射程圏外までなんとか退避したザイアンは、未だ意識の戻らないバルドラスを側に寝かせて流れ弾防止の結晶障壁を展開し、その端から『鷹の目』スキルで戦場の様子をつぶさに観察していた。
「ヘインリッヒのやつ、完全に頭に血を上らせているな……」
砲撃専門だけあって彼には戦場の様子がよく見えていた。
『カークス』の一斉砲撃で壊滅するかに見えたソーンマルス達だったが、弓使いの男は刀スキルの大虚空刹破で弾丸を受け流し、女は飛行魔法と煙幕魔法で難を逃れ、ソーンマルスは絶妙なタイミングで結晶を展開して爆発の衝撃を凌ぎつつ一瞬の隙を見て動き回っていた。
騎士学校時代から将来化けると噂されていた『アイオライトの騎士』。
姉が姉なので弟が化物でも驚愕には値しない。
驚くことがあるとすれば、別のことに対してだ。
「ソーマのやつはまだ分かるが、あの助っ人たちは何だ? 転生者の類か? それにしても冷静すぎるというか、ゴーレムだけでなく私の側から砲撃が来る可能性を明らかに考慮して動いている。バケモノか?」
即席で用意したであろう数合わせの冒険者にしては余りにも場慣れしているし、純粋に実力が高い。シャイナ王国の上位冒険者は世界的に見ても層が厚いとは耳にしていたが、戦術級ゴーレムにあっさり対応してくるとはザイアンにも予想できなかった。
――彼は知る由もないが、実際にはシャイナ王国最強冒険者と歴代最強魔王が同じパーティ内にいるのでバケモノも泣いて命乞いをするレベルである。
どう考えても任務中にばったり出くわす野良冒険者に混ざっていていい存在ではないし、そもそもいると予想出来る訳もない。
もし真相を知ったら彼は「やってられっかよこんな世界ッ!!」と自分の鎧を脱いで地面に叩き付けるだろうが、幸か不幸か彼らは自分から正体を明かさないので当分事実を知ることはないだろう。
一体どこで間違えたのだろうか、と、ザイアンは自問する。
『アメジストの騎士団』内では上位の実力者であるバルドラスが瞬殺された時点で撤退すべきだったのか。しかし、バルドラスが敗北してすぐ現れたソーンマルスがこれでもかとおちょくり散らかしたことでヘインリッヒの理性は吹き飛んだ。
あの辺りで既に術中に嵌まっていたのかもしれない。
「あいつめ、最初からそのつもりでヘインリッヒの逃げ道を塞いだのか! おかげでこちらはガタガタだ。『カークス』まで出しておいてまるで勝負になっていないし、援護しようにもあの乱射では……くっ、後でなんと報告すればいいんだ!」
ザイアンは頭が痛くなってきて額を抑えながら結晶を殴って八つ当たりする。
カルセドニー分隊は確かに精鋭部隊ではあるが、肩書き目当ての現場を見下したボンボンを隊長に饐えることを考慮して、隊長が前線に立たずとも勝手に任務を片付けられる面子が揃えられている。
ザイアンもバルドラスも実は彼より5、6年は騎士団の在籍歴が長く、『アメジストの騎士団』の中では精鋭の部類だ。若くして抜擢されたクーは例外だが、彼女も同じ事は頼まれている。
つまり、ザイアン達はこうした事態を未然に防がなければならない。
しかし、他ならぬヘインリッヒがわざわざ前線に出るタイプな上に、今は挑発に乗せられて仲間の存在もお構いなしに砲撃してくるおかげで援護どころではない。クーが即座に敗北したと思われるのも予想外だった。彼女の驚異的な機動力を以てすれば勝てはせずとも時間は稼げる筈だったのだが――。
ザイアンが危機を感じて体を結晶の裏に引っ込めると、流れ弾が近くを抉り飛ばした。
自分は一体何をやらされているのだろう、と、憂鬱になる。
「今まで何人か文官志願の鼻持ちならないエリートのお膳立てをしてきたが、なまじ実力のあるエリート殿が権力を持つとこうなるというのか?」
文官ルートの騎士は学力だけあればいいし実技の成績はほとんど考慮されないので、ヘインリッヒのように本当に第二等級騎士相当の実力がある者は珍しい。彼が戦闘面でへなちょこか怠け者であれば現場に出てくることもなく、最初からこんなことにはならなかった。
「……ソーマへの執着に取り憑かれさえしなければな」
ザイアンには少しだけヘインリッヒの気持ちが分かる気がする。
口にしたところでヘインリッヒはそんな訳はないと否定するだろうが、それは熟慮の末の答えではなく、単にそんな発想もしないような家に生まれてしまったからに過ぎないだろう。
彼を突き動かす衝動は、知る者ならばたった一言で言い表せる。
多くの人は聞けば幼稚と笑うか呆れるだろう。
しかし、そんな単純に片付けきれない話であるとザイアンは知っている。
シルベル王国に於いて名家と呼ばれる家に生まれた者にとっては、それは一度気づいてしまえば考えずにはいられない、連綿と受け継がれてきた高貴な血に纏わり付く大いなる呪縛なのだ。
◇ ◆
ソーンマルスは折れた大砲の残骸を背後に放り投げながら、呆れたように指を差してきた。
「三対一の戦いに自ら挑めば、自ずとこうなることは分かっていた筈だ。バルドラスを見捨ててザイアンに見限られるとは……自慢の人望をもう少し活かせよ」
最初、彼に何を言われているのか分からなかった。
やがて、そういえばザイアンやバルドラス、クーは一体どこにいるのだろうかと思う。不意を突かれて呆けた顔に、ソーンマルスはため息をつく。
「部下を巻き添えにして殺すつもりだったのか?」
「う、うるさい……うるさぁぁぁいッ!! 責任も家の名誉も何も背負わないくせに、文句だけは絶えず垂れ流す愚民の分際でぇぇぇぇぇッ!! クリスタライズ・オーグメントォォォォォッッ!!!」
ヘインリッヒは理性の蒸発した頭で自らの鎧を結晶で強化する。
オーグメント、エクステンション、ドミネートの三つの強化形態は適正の高い一つを選択して履修する。しかし、ドミネートを最短で修了したヘインリッヒは特別にエクステンションも履修し、そして卒業後に遂にオーグメントをものにしていた。
それこそが選ばれし人間だからこそ出来る天賦の才覚の証だと信じた。
「秩序の為、誅罰を受けよぉぉぉぉぉぉッッ!!!」
ヘインリッヒは高速換装で手にした槍に結晶を纏わせて強化し、腰だめに構えて吶喊した。
偉大な家族を持つ者は往々にして家族と能力を比較されることが多い。
ヘインリッヒは学生時代の父と比較して遜色ないと褒められるのが誇らしかった。
逆に、父に及ばない所を指摘されると同じくらい自戒した。
それでも概ね称賛の方が多かったし、そうなるよう研鑽を積んだ。
だが、ソーンマルスと自分を比較したとき、彼はいつも筆舌に尽くしがたい苦みを味わった。
彼は姉譲りの部分と姉にはない特化した才能を併せ持っており、教官からも「総合点に於いてはヘインリッヒに劣るが、尖った部分は学校の評価基準を凌駕した特筆すべきものを感じる」とまで称されていた。
特に、現場を知る人間からの評価は明らかにヘインリッヒ以上だった。
父にはそんな下級の地位に満足する人間達の戯れ言は気にするなと言われたが、内心ではいつもその言葉を額面通りに受け取り咀嚼できなかった。
同期の中で第二等級騎士内定を最短で得られたのはヘインリッヒだったが、ソーンマルスの噂を聞きつけて騎士団に引き入れようといくつかの騎士団が動いたのはヘインリッヒのスカウトよりも早かった。
すぐ決まらなかったのは本人の姉への強すぎる愛故と、『アクアマリンの騎士団』が彼のスカウト合戦に参加しなかったことで奪い合いが起きたからに過ぎない。世間では姉の騎士団の一員と思われがちな彼だが、実際には『サファイアの騎士団』に席を置いている。
スカウトの競合は実力の証。
ヘインリッヒは彼と比較された。
「主席殿は実戦を知らないからソーマに勝てない」と揶揄される度、いつかそれを口にした者に立場を弁えさせてやろうと誓った。
ソーンマルスへのやっかみも多くあったが、それらは殆どが姉をダシにしたものであり、そうなると彼は「姉上の偉大さがまるで分かっていないッ!! 姉上が如何に素晴らしい人間であるのかを一から説明してやるからそこに直れッ!!」と姉への偏愛を爆発させて圧倒し、やっかみは次第に彼の熱量を恐れて近づかなくなっていった。
姉と比較されて自分が貶されている場合でも「比較することすら烏滸がましいッ!! 姉上を不当に低く見積もるなぁッ!!」と自分より姉の話に即座に直結させる様は周囲には面白がられ、或いはまた始まったと呆れられ、いつしか学校の名物と化していた。
ヘインリッヒはその光景を蔑んだ目で見ていたが、何故蔑むのか自分でも分かっていなかった。ただ、そうして周囲に無秩序さや人格の問題を込みで受け入れる人間が少しずつ増えていくと、心の奥に自分でもなんと呼べば良いのか分からない鬱屈とした感情が降り積もっていった。
その感情が揺るがぬものとなったのは、卒業式だった。
首席卒業のエリートであったヘインリッヒは当然、周囲から称賛された。
総合成績の全てで最上位を修め、何も問題を起こさず、まさに順風満帆だった。
式が終わって一通り祝いの言葉を受け、漸く俗世を離れて高尚な世界へ旅立てることに安堵した。門の外へ向う足取りは軽かった。そんなとき、ふと後ろの騒がしさが気になって振り向いた。
そこには、学校の教官や級友、先達の騎士や後輩に囲まれたソーンマルスの姿があった。
実際には「あの問題児がよく卒業出来た」とか「本当に卒業させて大丈夫だったのか」とか「実力は心配してないけど社会への適合性が心配すぎる」など冗談交じりに散々なことを言われ、その度にソーンマルスは余計なお世話だとムキになり、周囲に笑われていた。
真っ当に彼を慕ったり尊敬していた者たちからは記念に私物をくれと求められ、クーには離ればなれになるのが寂しいと泣かれ、少し離れた場所で微笑ましげに弟を見つめる姉に近づけずもみくちゃにされたりと姦しかった。
誰も彼もが、ヘインリッヒに向けられた祝いの言葉より何倍も長く、強く、ソーンマルスを祝福していた。
心の奥底に土嚢でも叩き付けられたような気分になった。
理由は自分でも未だに分からない。
ただ、ソーンマルスという個人への明確な嫌悪を自覚したのはこのときであったように思う。
以降、ヘインリッヒはソーンマルスに強く、辛辣に、嫌味を隠さず当たるようになった。無知故の憐憫や住む世界が違うという理由を超越し、ただただ嫌うようになった。
騎士団に入ってからも細かな問題行動を起こす彼はしかし、国王からも一目置かれている節があった。
ヘインリッヒは地位やコネ、騎士団同士の軋轢を利用して彼の騎士適正を問う査問会に漕ぎ着けて彼の問題点を糾弾したことがあったが、国王が「騎士を続けさせることに陰りを感じさせるものはない」と発言したことで有耶無耶にされたのだ。
ヘインリッヒは国王をも糾弾したい気持ちになった。
王ともあろうものが感情に絆されて一人の人間を特別扱いすることなどあってはならない。特別扱いは平等性を揺るがし、不平不満を蓄積させ、やがて国家の安寧を維持するのに必要不可欠な秩序をも不安定化させる端緒となる。
なのに、いつもソーンマルスの側に人は集まる。
「後悔するぞッ!!」
「前にも言われた気がするな、その台詞」
槍の切っ先が煌めき、次々に刺突を放つが、ソーンマルスは武器も出さずに全て躱す。武器の一つも出すことはない――否、出さない。
徒手による近接格闘こそがソーンマルスの真骨頂なのだ。
クリスタライズ・オーグメントの特徴である武器の増強効果を全て拳に回す騎士団内の異端中の異端の戦法は当時、「最も貧弱なオーグメント」と揶揄された。
だが、その後ソーンマルスを模擬戦で倒せた者は一人としておらず、やがてその蔑称は最初から存在しなかったかの如く消え失せ、代わりに「最も無駄のないオーグメント」という称賛が生まれた。
そう、彼がまだ訓練を始めたてだった頃に素手で戦うと言い出した時に、ヘインリッヒは知恵ある者としての親切心から「後悔するぞ」と告げた。素手で驚異的な実力を持つ人間もいるとは聞いているが、戦いはやはりリーチが長い方が有利だからだ。
ソーンマルスはそれを聞いた上で拳を選び、ヘインリッヒは槍を選んだ。
その切っ先は、嘗ての模擬戦と同じく俊敏な彼を捉えられない。
「彗星拳!」
一瞬で槍を掴まれ、オーラで強化された拳を土手っ腹にまともに受ける。
クリスタライズ・オーグメントで強化された筈の鎧の結晶が衝撃で弾け飛んだ。
「うご……ッ!!」
余りに鋭く重い拳に、意識が飛びそうになる。
――第一等級を目指すのは愚かだ、現実的ではないとヘインリッヒは騎士学校以前からずっと思っていた。今もその考えは間違っていないと思う。一生現場に縛られる第二等級騎士など、と。
しかし、並外れた実力と才能のある人間の場合はそうではない。
地力と並外れたオーグメントの練度があれば武器のリーチ差など問題にもならない。
ソーンマルスは、いずれ第二等級に収まらなくなる天賦の才能があるのかもしれない――そう認めれば楽になれる筈なのに、ヘインリッヒはどうしてもそうする気になれず、歯を食いしばって意識を留めた。
衝撃を受けて激しく咳き込んだヘインリッヒは、精神力だけで崩れ落ちそうな膝を押し留めて吠える。
「貴様はっ、今……はぁ……騎士として完全に誤った選択を選び続けているッ!! これは事実であるッ!! 誰にも庇い立ての出来ない大罪だッ!!」
「ほう、それは大変だな」
「だが、私ならば庇い立てが出来る!!」
「お前がか?」
ソーンマルスの声には嘲笑のニュアンスが含まれていた。
本当にそんな力があるのかという意味か、或いはそんな器量がそもそもないだろうということか。
ヘインリッヒはソーンマルスが土下座することを望んでいないし、する訳もないと思っているが、もし土下座すれば口添えくらいはするつもりだ。そうすればソーンマルスとシーゼマルスに纏めて貸しを作ることが出来るからだ。
「それが貴様には理解の及ばぬ、知恵に優れた文官の考え方なのだ!! もはや王宮入りも時間の問題である私は、貴様に為し得ないことが出来るッ!! そう、そうだ……クーのような家柄も成績も足りぬ女が我がカルセドニー分隊に若くして入隊出来たのも、この私の力なのだよぉッ!?」
「……? クーを? 何故?」
突然出てきた級友の名前に首を傾げながらも、ソーンマルスは嫌味なまでの正確性でヘインリッヒの繰り出した槍を弾く。凄まじい反動に思わず槍を取り落として衝撃にびりびりと痺れる腕を押さえながら、ヘインリッヒは最早何故自分がそんな顔をしているのかも分からず嗤う。
「貴様のような輩と昵懇の間柄でいる愚か者だったからさぁッ!!」
はっきり言って、ヘインリッヒがクーを自らの部下としたのはクーのソーンマルスへの恋慕を知っていたからだ。ヘインリッヒにとってクーもまた本来は路傍の石に過ぎない。彼女が特別であるとすれば、それはソーンマルスを認める愚者の代表格という理由に他ならない。
部隊編制の打診を受けたとき、ヘインリッヒは彼女の名前をリストの片隅に見つけ、愚かな嫉妬心を無理矢理理屈で覆い隠して「見込みのある騎士だから」と素知らぬ顔で彼女を推薦した。
「良い実験だったよ!! 愚か者は一生愚か者のままだということがよく分かった!! 折角の出世のチャンスをくれてやったのに気付きもせず、貴様から受け取ったプレゼントを抱えて鼻歌などはしたなく歌って! 私が与えた地位はそんな安っぽい贈り物と比べものにならないほど希有で巨大だったのになぁ!!」
「……一つ聞く」
ソーンマルスの視線が鋭くなり、ヘインリッヒはたったそれだけで気圧されて手を止める。
「貴様が誰に懸想しようが知ったことではないが、よもや権威を盾にクーに対して騎士道とかけ離れた要求や行動をしていまいな?」
「はっ、は、ははははははッ!! 思考が下劣で低俗だなぁ!? あんなバカ女はこちらから願い下げだねッ!!」
クーに懸想や欲情などしないし、権威を盾に自分に媚びさせようなどと支配欲を抱いた訳でもない。彼女自身、自分の任命の裏には気づいていないだろう。そもそも能力や適正のない人間を任命するほどヘインリッヒも愚かではなく、騎士としての実力は充分だと認めている。
ただ、ソーンマルスと引き剥がせば彼女は愚かではなくなるのではないか――政治に近い世界を知れば彼女はより秩序に近い道に気づき、自分の正しさが証明されるのではないかという下心がなかったとは言えない。
だからプレゼントの送り主がソーンマルスだと嬉しそうに彼女がはにかんだとき、プレゼントを奪い取って踏み躙りたい衝動に駆られた。
目の前に正しさの規範がいるのに、君は結局そっち側を選ぶのだな、と。
――目も覚めるような鋭い拳が、ヘインリッヒの顔面を貫いた。
「グバッ!?」
今度こそ意識が消し飛びそうになる。
意識が永らえたのはヘインリッヒの精神力というよりは、拳に込められたソーンマルスの純粋な義憤に気圧されて無意識に身構えた為だ。
表情を変えないソーンマルスの視線の奥に青く静かな怒りを感じる。
彼は姉を原因とする怒りは激しく、悪に対する怒りは逆に静かになる。
「これは仮にも級友を不当に貶める発言をした騎士への強諫の拳だ。ただ少しだけ安心したよ。見下げ果てた下衆にまで堕ちていたら、百発叩き込んでも止まれなかったかもしれん」
ぶっ、と、ヘインリッヒの鼻から血が噴出して砕けた足場を赤黒く染める。
ああ、模擬戦でも何度かこんなことがあったな、と、不意に思い出す。
ドミネートの操作は集中力が必要で、自分自身の動きを疎かにした結果、目の前まで近づいていたソーンマルスへの対応が遅れて顔面で受けてしまったのだ。あの時の彼は、まさか無防備に受けるとは思っていなかったのか鼻血を零すヘインリッヒに謝罪してきた。
強者から弱者への哀れみのようで、ヘインリッヒは謝罪を不要と突っぱねた。
ただの強がりでしかないことには気づいていたのに。




