36-13
敵は三人――二人からは殺意を感じて少々恐ろしいが、リーダーのヘインリッヒは魔界の調子に乗ったボンボン貴族と似た気配を感じるのでほどよく緊張が紛れてくれる。
(大火力砲撃、空間歪曲攻撃、空間転移攻撃は為にならないから自主封印として、まずはこれ!)
ウルは両手に魔力を込めて魔法を発動させる。
「エアダスター!!」
風属性初歩、纏わり付く風で敵の動きを短期間だけ鈍らせる魔法。
しかし、魔王が六回重ねて凝縮したものが『魔拳』スキルで二発同時に放たれれば、それは立派な風の障壁となる。本来は空間指定攻撃の類だが、無理矢理虚空で暴発させたことで上位互換魔法のウインドバインダーや風の障壁であるバキュリティシェードとも違う「前進する壁」へと変化した。
エレメントガドリングの弾丸があり得ないほどの空気抵抗に阻まれて威力を失い、ザイアンは目を見張る。しかし流石は特殊部隊、すぐに手元を操作すると、今度はエレメントガドリングの弾丸が大口径、大火力のものに変化した。
一発一発の威力が数倍にまで跳ね上がり、エアダスターの空気抵抗を易々と貫通する。ウルはその威力よりも判断速度に驚いた。
(切り替え早っ! でも威力と弾速は上がれど連射速度は下がったし、エイムも若干落ちた!)
ウルは氷魔法を応用してアイススケートのように足先で滑って加速しながら身を翻して弾丸を躱す。
大口径弾はそれだけ反動も大きいらしく、エアダスターの壁は貫通出来るものの先ほどまでより照準が僅かに遅くなっている。それでも充分距離を空けた状態であれば回避の難しいレベルではあるが、隙は出来た。
「セット……」
ウルは見えない長銃を両手で構えるような姿勢を取る。
左手で支え、右手で引金を絞るような姿勢だ。
そこにはウルにしか見えない銃がある。
添えた左手はスコープであり銃身、右手は弾丸と撃鉄。
魔力で生成されたレンズを通してザイアンに狙いを定めたウルは、右手を魔力レンズに押し込んだ。
「ケルビンフリーズ!!」
氷属性中位、拘束魔法――それが六倍に凝縮され、六倍の魔力レンズを通して加速する。氷属性の魔力が瞬いたと思ったその瞬間には、ザイアンは驚愕する暇も無く氷に閉じ込められていた。
この氷の本質はあくまで拘束で攻撃力はなく、格下相手でも長くてせいぜい十数秒で氷が強度を失うので窒息死することもない。
しかし、氷を破る抵抗力が無かったり相性的に不利な場合も含め、レジストされなければ絶対に十数秒は動けない。魔力レンズによる弾頭加速で六倍凝縮の魔法を無理矢理飛ばす荒技は、ウルが色々と自らのパーソナルスキル『魔拳』の応用を模索した末に編み出した裏技だ。
あれほど激しかった弾幕が大人しくなったことを機にウルは一気呵成に攻め立てようと次の魔法を用意するが、バルドラスが絶妙なタイミングを縫ってウルに肉薄してくる。手には恐らく高速換装で装備した両刃の斧が握られており、一瞬で斧に結晶を纏わせたバルドラスは狂気的なまでに頬を吊り上げて雄叫びを上げる。
「ランバースラァァァッシュッ!!」
「うわっとぉ!?」
予想以上の速度で迫ってきたので咄嗟に手っ取り早い魔法を使おうとしたウルだったが、ギリギリで思い留まって跳躍で回避する。力尽くでねじ伏せては意味が無い。
バルドラスは犬歯剥き出しの獰猛な笑みで追撃する。
「綺麗な顔して意外といい動きするじゃねえかッ!! だが、飛んだのは悪手じゃねえかいッ!? エッジスタンプ!!」
空中に逃れたウルを斧の刺突が襲うが、ウルは飛行魔法を応用してのらりくらりと回避する。あくまで空は飛ばないのは、飛べば必然的に砲撃主体になって経験が積めないからだ。
とはいえ、これ以上時間をかけるとザイアンが復活してしまうし、今もヘインリッヒのゴーレム達がウルに照準を合わせている。
このような状況になった経験の薄いウルはどうするのが適切なのか判断に迷ったが、すぐに問題は氷解する。
「四罪狂奔」
ハジメコピーが弓で援護射撃を放ち、生物のようにうねる四つの鏃がヘインリッヒのゴーレム四機を打ち砕いた。更に砕けた四機の大きな破片が別のゴーレムにも衝突し、援護射撃が一瞬止まる。
ウルが判断に迷っていることに気づいたのではなく、迷うであろうと予期していなければ出来ない絶妙なタイミングと角度の狙撃。コピーといえどハジメの恐るべき経験の蓄積の成せる業なのだろうと頼もしく感じると同時に、僅かに戦慄する。
(四罪狂奔って確かヘタクソが撃つと味方を追尾することもある超絶クソスキルって聞いてたんだけど、なんで使いこなしてんの!? しれっと参考にならないムーブされたけど、とにかく隙あり!!)
おかげでウルは気を逸らされることなく目の前に集中できる。
斧は斬撃と打撃の両方を兼ね備え、大剣とハンマーに並ぶパワータイプの武器の代表だ。その斧の最大の弱点は、先端に集中した重くだだっ広い刃である。ウルは体を回転させて遠心力を付けた掌底を斧の刃の側面に叩き付けると同時に『魔拳』を発動させる。
「グラビティウォール!!」
「な、ガッ!!?」
拳の先に六倍の密度で集中した重力の加重がバルドラスの斧の重量を一瞬で何倍にも跳ね上げ、先端に異常な重量がかかった斧を咄嗟に保持しようとしてしまったバルドラスの腕ががくんと下がる。
鎧に纏っていた結晶は落下する斧を持ち上げようとする負荷に耐えきれずバキバキと亀裂が入り、一部は弾け、砕け散っていく。もし即座に斧から手を離して格闘戦に切り替えられていたら、と、ウルは後になって自分の行動の詰めの甘さに気づいたが、それは今後の反省に活かすために記憶に留めることにした。
「腕が、保たな……クソォ!!」
結晶を纏わせたことで重量が更に増してしまった斧をこれ以上保持し続けることは出来ず、バルドラスは斧を手放す。そして、しまった、と己の迂闊さに今更になって気づいた。
ウルが、彼女の目の前で拳を握りしめていたからだ。
「ふつーにナックルラッシュ!!」
「チクショウ、受け止めてやらぁ!!」
タフネスと防御力に自信のあるバルドラスは結晶を強化して攻撃を腹で受け止め、後手でウルを倒すことを決意した。
(妙な戦法だが、さっきから魔法ばっか使ってるってことは後衛タイプだろ!! 前衛タンク舐めんじゃねえッ!!)
――バルドラスの見立てはあながち間違っていなかった。
ウルが放ったのは魔法とはまったく関係ない、ただ拳の連撃を放つ下級格闘スキル。
熟練度次第で連打数が伸びて中級クラスの性能を発揮できるが、素人に毛が生えた程度のウルでは四連撃が限界だ。
しかし、後衛系とはいえ数々の魔族をビンタ一発で沈めてきたレベル100のウルが放った拳は『ろくぶて』の効果で一発につき六発分の破壊力に増幅されている。
すると、どうなるか?
通常、一部の特殊なスキルを除けば幾ら連撃と言えど殴られた後にもう一発の拳が飛んでくるまでには僅かなインターバルがあるため、多少は拳から伝わった衝撃を逸らすタイミングがある。ところが、『ろくぶて』は装備品としての威力増加がない代わりに一度のアクションで六連続発動するため、押された力を逸らせないタイミングで更に一撃、更に一撃という現象がごくごく短期間に連続して発生する。
この特性は一発目より二発目、二発目より三発目と少しずつ与えるダメージを加速させる。そして六連撃を全て受けきった頃には既に二発目の拳が命中しているので、完全にダメージを逸らせない状態で追加の六連撃が次々に襲いかかる。それを凌いでも《《おかわり》》があと二回叩き込まれ――結局、相手はピンポイントの位置に二四連発のマシンガン掃射めいたダメージを浴びることになる。
理屈を理解した人間なら絶対に避けるべきだと考えるだろう。
しかし、手袋の秘密を知らないバルドラスはそれをあろうことか真正面から受け止めてしまい――。
「ふグッふぶぶボボボゥゲバァッッ!!?」
僅か一秒程度の連撃で鎧の結晶が全て粉々に弾け飛び、それでも逸らせない衝撃が鎧の内部で連鎖爆発を起こしたバルドラスは血反吐を吐いて白目を剥き、そのまま仰向けに倒れ伏した。だらりと力なく伸びきった体はまったく立ち上がる気配がない。
ヘインリッヒの表情が青ざめ、やっと氷の拘束が解けたザイアンは絶句する。
「ば、バルドラスだぞ!? 『カーネリアンの騎士』だぞ!? 援護を、いや救出を、か、回復が先か……違う、再召還しなければ……おいザイアン、何を呆けている! 速く弾幕を張り直せ!!」
「なっ、馬鹿を言わないでくれたまえ!? ここからではバルドラスを巻き添えにするぞ!!」
目に見えて慌てふためくヘインリッヒ達をよそに、完全にオーバーキルな連撃を叩き込んでしまったウルは血相を変えて慌てる。
「どうしようハジメ! 殴った後に気づいたけど、このコ女の子だ!! 腹パン連打は流石に不味かったかなぁ!?」
「嘘だろ???」
ハジメコピー、「リアクションそっちかよ」と「マジかよ」の二重で驚く。
ちなみに、言われて見ればバルドラスは立派な筋肉と長身の割に声は高めで顔も中性寄りだった。
正直どっちでもいいのだが、一応申し訳程度にポーションをかけておいた。
……余談になるが、この世界のポーション含む液体回復アイテムは不凍液のようなもので絶対に凍らなかったりする。道具袋に入っているから凍らないのかと思って一度極寒の地に置きっぱなしにしてみたが、後で確認したら瓶ごと凍らずそのままだった。瓶もかなり謎で、溶岩の上に立てると溶けないくせに衝撃を与えて砕くと急に自分がガラスだったことを思い出したように溶解する。
なんかこの世界の情報の法則で説明がつくんだろうが、納得出来ないのはハジメとハジメコピーだけなのだろうか。
ハジメをコピーしたせいで気になるハジメコピーであった。
バルドラスの予期せぬ敗北にヘインリッヒが慌てふためいている間に離脱していたソーンマルスが駆け戻ってくると、状況を見て首を傾げた。
「ん? まだバルドラスだけか? とっくに壊滅させていると思ったが、あてが外れたな」
ハジメコピーは彼が同格の騎士と戦闘を行なったとは思えないほど身綺麗で余裕なことの方が気になったが、敢えて言及せずに「結晶騎士の特徴をじっくり見たくてな」と弁明した。
「そうか。しかし見たところ既に充分に様子を見たようだな」
「ああ。これ以上の隠し札がない限りは、だが」
「ふぅむ……」
ソーンマルスが考えごとをしている最中にザイアンがエレメンタルガドリングを彼目がけて発射するが、ハジメコピーが守るまでもなく彼は一瞥だけしてひらりと躱し、自分とザイアンの射線に倒れ伏したバルドラスを挟んだ。ザイアンはそれでも砲撃するが、迫撃砲も使わないし照準に気を遣いすぎて連射速度も然程ではない。
直撃コースに入った弾丸も手の甲で軽く弾かれ、ザイアンは渋面を浮かべる。
「しれっと撃ちにくい場所に移動して、抜け目のないことで……!」
「成程、カルセドニー分隊と言えど仲間を見捨てるほど下劣ではないようで安心した。嫉妬深い主に似なくてよかったな」
「こ、こいつ……!!」
ソーンマルスの堂々たる挑発に、大した胆力だとハジメコピーは呆れる。
彼は激情に心滾らせたとしても状況はしっかり俯瞰して見ている節がある。
今の挑発も、ザイアンが激情に駆られて引金を絞る輩ではないと分かっていて言ったのだろう。
ヘインリッヒが我慢できずに肩を怒らせてザイアンの前に出ると、唾を飛ばして怒鳴り散らす。
「そういう貴様はあれほど慕っていたクーを無惨に打ちのめしてきたらしいな、ええ!! 貴様はいつもそうだ、自分のことしか考えていない!! 貴様の如き私情に駆られて王命を軽視する輩をいつまでも蔓延らせぬぞ!! そうだ、そもそも貴様は我らカルセドニー分隊に先制攻撃を仕掛けた!! 重大な規則違反だ、このことは上層部に報告して厳正な処罰を下して貰う!! 軽挙妄動の報いを受けるがよい!!」
「知らんな」
ヒートアップするヘインリッヒに対し、ソーンマルスはあっけらかんとしていた。
「そもそも俺が攻撃した際は貴様等変装していたから騎士かどうかなど客観的に見て確信できるものではないだろう。だから俺が攻撃したのは誰だか知らん怪しい輩だ」
本当は目線とクセで見抜いたくせに、いけしゃあしゃあとしらを切るソーンマルス。言っていることは嘘ではないので尚のことタチが悪い。あのとき鬼の形相で怒り狂っていたくせに言い訳の速度と着眼点がやたらと正確である。
この言葉はヘインリッヒの怒りの炎に油を注ぎ、彼は怒気を増していく。
「では貴様は無辜の民をいきなり殺そうとしたと言うわけだ!! 士道不覚悟、規則違反どころか犯罪である!!」
「それはシルベル王国法に基づくもので、規則もシルベル王国内での話だ。だいたい攻撃したのは結果的に貴様だったし怪我一つ負わせていない。持ち物の類も何一つ壊していないし、証拠もない。犯罪の立証は不可能だ」
確かに投げたのは結晶のナイフで、ヘインリッヒもどうやら結晶で偽の顔を作っていたようなので、既に砕け散って大気に溶けたことで証拠は消滅している。
「そ、それでも!! シャイナ王国法には明確に違反する筈だ!!」
「ほう。それで貴様はシャイナ王国の司法に不法入国者の身分で俺を殺人未遂で訴えると。訴えてみたらいいが俺はやめた方が賢明だと思う。貴様が訴えている間に休暇が終わるので俺は帰る。門前払いならまだいいが、最悪貴様だけ逮捕されるぞ?」
「ならば、シルベル王国の司法に訴える!!」
「隠密部隊として顔を隠していたのに休暇中の騎士にあっさり見抜かれましたと司法に証言するのか。そもそも貴様、俺に向って「死ね」と言って攻撃したが、あれも貴様の理屈で言えば十分な規則違反だ。訴えが通れば先に待つのは証拠を持たぬ者同士の低俗な水掛け論。下らんことをしていると貴様の愛するキャリアに傷が付くな。俺は元々不出来な騎士なので付き合ってやってもいいが」
「ぐっ、ぐぎ、ぎぃぃぃぃ……!!」
左の目元を痙攣させて歯を食いしばるヘインリッヒ。
怒りの余り痙攣しているが、反撃の言葉が出てこないようだ。
特殊部隊の隊長なのに恐るべきレスバの弱さである。
そこでソーンマルスは彼を宥めるように手で制した。
「しかしまぁ、俺も貴様の気持ちが分からんでもない」
ウルが「あんだけ挑発しといてどの口が……」と漏らすが、全く以てその通りである。
「大切な任務中に出会うはずのない騎士と不幸なすれ違いをして任務が滞るなど、誰だって避けたいことだろう。俺の懸念が誤解であったならば、概要だけでも任務内容と目的について俺にこっそり教えてくれればこちらも矛を収めよう」
「……軍規につき、カラットが下の貴様に教えることなどない!!」
「では命令があったという言葉も嘘かも知れないので、やはりカルセドニー分隊は全員撃破する必要があるな。俺と違って不法入国者だし」
「命令は正当なものだ! 多少の問題は外交で解決できる!」
「やましくないというのならば言って見ろ」
「貴様に知る権限はない!!」
「では命令は嘘かも知れない」
「きっ、貴様……ッッ!! ああああああああッ!! ギュギグハアアアアアアアアアっ!! 沢山だ、もう沢山だッ!!」
意図的な水掛け論に持ち込まれたヘインリッヒは奇声を上げて頭を掻きむしる。
余りにも醜い癇癪にウルも引いていたが、不意に停止してだらりと腕を脱力させたヘインリッヒはくつくつと笑う。
「シルベル王国軍規特務規定第三条一項。分隊活動において命令優先順位の最も高い命令を特務と故障する。二項。特務に於いて任務達成を著しく妨げる外敵と遭遇し、独力による突破が困難である場合、分隊長はその権限によって戦術級ゴーレムの開帳を許可するものとする」
直後、ヘインリッヒの足下に巨大な魔法陣が浮かんだ。




