36-11
ハジメが第三次捜索隊の妨害準備を整えていた頃、ハジメの代理として現れたアンジュの指示で捜索活動は続けられていた。
「よし、ここも完了……と」
マジックルーターを雪下の凍った大地の下へ刺し込んだレヴァンナは、腕で額を拭う動作をする。実際にはこの寒さで額に汗などかかないどころかジャングルでだって竜人の肉体は平気なのだが、普通だった頃の感覚を忘れないために彼女は敢えてやっていた。
言ってしまえば人間アピールだが、こうした動作一つで周囲のレヴァンナに対する印象も少しは和らぐ。マジックルーターの射し込みを錬金術で手伝ってくれていたフェオはオーバーな動きだと知りつつ、力仕事を請け負ってくれたレヴァンナを労る。
「お疲れ様です、レヴァンナさん。昨日の分も含めるとこれで十八本目ですね」
「結構広げたわよねー。ま、私にはあんま恩恵ないけど。フェオちゃんはどう?」
「最初は全然でしたけど、数が増えてくると少しずつ恩恵が感じられてきましたよ」
マジックルーターはあくまで拠点であるリシューナの研究所を通して効果を発揮するものだが、魔法知識に富んだ人間であればマジックルーターから多少の恩恵を受けることが出来る。
恩恵の形は利用者によって異なるが、フェオの場合は『森の怯え』がよりクリアに聞こえるという形で利用している。静かに目を伏せて森の声に耳を傾けたフェオは、一つ頷いた。
「森の声が深層に行くほど麻痺していると言いましたが、微かにその範囲が拡大しているように感じます。それと、何かバニッシュモンスターと異なる存在の気配が動き回っている……」
「生存者?」
「分かりませんが、何か明確な意思を持って動いている気がします。カンですけど」
感覚でしか物事を捉えられない自分に自嘲的な笑みがこぼれるフェオだが、同じく同行するシャルアが「エルフのカンは唯のカンではありませんからね」と追従する。
「純血エルフの魔力の揺れや波長を感じ取る感覚は生物種としても抜きん出た感度を誇ります。フェオさんの感覚は先祖返りなのか純血エルフのものに近づきつつあるようですし、ルーターをこのまま増やせばその存在の位置関係まで掴めるかもしれませんよ?」
合理的な天使らしく根拠のある言葉で、更に言えば尊敬する先生の第一夫人たるフェオに対してシャルアはかなり礼儀正しい。
もしこの場にフェオがいない場合、彼は確実にレヴァンナに「憂いを秘めた竜人の姫よ……その憂い、この愛の天使に夜の褥にて打ち明けてくれまいか!」などと粉をかけてくるだろう。というか実際に何度かそういうことがあったのでレヴァンナの彼に対する視線はやや冷めていた。
(こんだけマトモでいられるんなら普段からそうしろっての……)
「ありがと、シャルアくん。お世辞でも嬉しいよ」
「本心のつもりなんですが……」
「ところでハジメさんと裏でいかがわしいことしてないよね?」
ニッコリした笑顔を崩さず突然振り翳された言葉の大鎌を首に添えられたシャルアが、直立不動の体勢で震えながら返答する。
「まだしておりません!!」
「まだ……?」
「ひ、表現の問題であって他意はないです!!」
文字通りのかまかけでありフェオは三割くらいしか本気ではないが、残り三割が本気な上に忘れた頃に不意打ち的にやってくるので、ほんのちょびっとだけやましい心のあるシャルアとしては恐ろしい事この上ない。
とはいえリアクションとしてやましさはギリギリ隠しきったため、レヴァンナは「怒られてやんのプークスクス」と冗談めかして笑い、フェオも「ならよろしい」とあっさり言葉の大鎌を下ろした。が、疑いが完全に晴れた訳ではなさそうなのでシャルアは話題を変えにかかる。
「せ、先生と言えば! アンジュさんが先生に変身した姿、かなりびっくりしてしまいました」
「あーね。私、見るの初めてだったけどそっくりなんてもんじゃなかったわね。双子って言われたら誰でも納得しちゃうわよ」
幸いにしてレヴァンナが話に乗ってくれたので、そちらに会話がシフトする。
ギルドに不穏な動きありということで皆が起きたときにはハジメの姿は既になく、代わりにいたのがアンジュだった。この場の全員が彼女の素性がハイドッペルゲンガーでハジメを100%コピーしているのは承知だが、実際にハジメに化けている様は初めて見た。
フェオはその話でソーンマルスの呆れた姿を思い出してため息をつく。
「事情を知らないソーンマルスさんが、これ以上女が増えるのは勘弁しろとか本当に代役が務まるのかとか騒ぐものだからああするしかなくなっちゃったんですよね……」
アンジュはハイドッペルゲンガーであり、厳密には実体がなく誰かと完全同調することで仮初めの肉体を再現しているに過ぎない。彼女はこれを利用してトリプルブイの作った専用義体に入り込むことで、少女の姿のままハジメの能力を再現している。
つまり、義体を脱ぎ捨てればそこに現れるのはほぼほぼ本人である。
フェオとしてはなるべくアンジュはアンジュとして生きるべきという考えからハジメの代理としてハジメコピーになることには反対だったが、ソーンマルスがあの調子ではやむを得ないと許可せざるを得なかった。
この場合、問題はソーンマルスにある。
「あの人、もし敵が女性だったら本当に戦えるんですかね……?」
フェオの疑問に、レヴァンナは顎に人差指を当てて考えるそぶりを見せる。
「うーん……お姉さんが騎士ってことは同僚に女性もいる訳だし、流石に戦いになれば大丈夫なんじゃない?」
「私もそう思いますね。例えばお姉さんの為なら相手の顔でもお腹でも容赦なくぶん殴る気がしますよ。個人的にはあんまり見たくない光景ですが」
嫌そうな顔を隠さないシャルアの予想には妙な説得力がある。
あれだけ強烈なシスコンであればむべなるかな。
しかし、騎士として女性に手を上げられないという可能性もなくはない。
一体彼はどちらなのだろうか――疑問は膨らむが、それにかまけて周囲の警戒を疎かにしたり足を止めることはない。三人は警戒を怠らないまま、次のマジックルーターの設置場所に向かう。
と、フェオの耳がピクリと動き、足が止まる。
「ちょっと深層に近い方角ですが、誰かいます。人間です」
ここまで全く足取りの掴めなかった遭難者発見の兆しであった。
◆ ◇
フェオ達が何者かの気配を発見していたころ、アンジュ――ハジメコピー達は予定通りマジックルーターの設置をしながら深層のより深い位置へ近づいていた。
「未だにしっくりこない。本当にハジメ本人ではないのか……?」
「いい加減、そういうものだと納得しろ」
態度や口調までハジメを完コピしたハジメコピーのことを疑っているのはドッペルゲンガー初見の彼だけであり、ウルは「いやドッペルゲンガーってそういうもんだし」と疑り深い彼に呆れていた。ツナデもウルとウルリという実例を見た今となっては特に言うこともない。
しかし、ソーンマルスの主張も分からなくはない。
彼からすれば朝起きたらハジメ代理を名乗る知らない美少女がいて、女が苦手なことを知った彼女が「ちょっと待ってて」と奥の部屋に入っていったと思ったら三〇代の見たことあるおっさんになって出てきたのだ。普通の人なら同一人物かどうか疑って当たり前だ。先日のやりとりなども完璧にコピーしているものだから余計にそう思うだろう。
「転生者なら知っている。シルベル王国にもそういう輩は生まれるし、実際に他人と自分の外見を入れ替える悪質な犯罪者を捕縛したこともある。しかし、記憶は愚か実力まで完全に模倣するとは……」
「俺の能力は転生者の中でもかなり上位だ。例外的と言ってもいい。この場合の俺とはアンジュのことだな」
「ややこしいな! いや、ややこしくなったのは俺のせいでもあるのだが!」
全く以てその通りである、と、ソーンマルス以外の全員が頷いた。
緊張感のないように見えるが、これでも既にバニッシュ属と数度遭遇しており、バニッシュバードやバニッシュボアなど的の種類や強さにもばらつきが出てきた。情報異性体の性質上魔力の収束ができないのか、魔法や属性攻撃は使えないようだ。
ただ、更に上位の個体になってくると触れれば情報が崩壊するビームなど撃ってくる可能性もあるので警戒は未だ怠れない。
と――ツナデの尻尾がぴくりと動き、視線をウルに送る。
ウルは掌に無数の文字で構成された魔力の塊を出すと、手首を回して塊を地面側に向け、ソナーのような光を放つ。
索敵に何か引っかかった合図だ。
ツナデとウルはそれぞれ異なる感知を行い相互に情報を補完している。
ウルは魔力のソナーを放つことで、魔力の反射が返ってこない点にバニッシュ属がいると判別できる。そして粗方の距離と方角をツナデに伝え、彼女が肉眼で確認することでバニッシュ属に先制攻撃できる。
しかし今のは逆で、ツナデの感知に合わせてウルが動いた。
ウルの感知はツナデの純粋な感知より範囲が狭いため、感知にかかったのはバニッシュ属ではないことになる。
「人間だにゃ」
「人間ね。あ、バニッシュモンスターに追われてる」
「もしや姉上か!?」
「行方不明者の方が確率は高いのでは?」
「確かに。姉上ならばどんな状態でもあの程度の魔物を相手に撤退を選ぶまでもなく華麗な一撃で粉々に――」
どちらにせよ、この大森林で何が起きているのかを知る大きな手がかりとなるかもしれないのでソーンマルスを無視して感知した何者かの元へと急ぐ。
それほど時を待たずして、遭難者と思しき人物四名が大慌てで雪を掻き分けながらバニッシュモンスターから逃げる姿をツナデが確認した。
ハジメコピーは今日の戦闘で使用している弓、『征嵐の青』を構える。
水属性付与に加えて風属性に特攻を持つ、青龍がモチーフと思われる業物だ。業物はこの世界に於いては最上位のハンドメイド品を意味し、ものによっては聖遺物級に匹敵する。この弓もそのうちの一つだ。
これに更にエンチャントやバフを重ねればバニッシュモンスター相手に武器を消耗せずに済む上に威力減退もゼロに近い所にまで持って行ける。
弦を引き絞り矢を番えると、ハジメコピーは淡々とバニッシュモンスターの処理にかかる。
「双翼陣」
アイスエンチャントを上乗せした矢が上空に解き放たれると、それぞれの矢が風を切って左右に分かれながら弧を描いてターゲットに迫る。
氷属性と水属性の相乗で威力を増した矢は十字砲火のように逃げ惑う彼らの後ろに迫るバニッシュモンスターだけを掃討した。
双翼陣は下位スキルながら使い勝手のよい技で、左右から飛来するため回避が難しく、弧を描いて角度の乗った攻撃なので熟練度次第では遮蔽物や盾をすり抜けて側面や上部から矢を当てる事も出来る。
今回のように直射では巻き添えが出る場合も然り。
バニッシュモンスターたちが失せたことで安心した彼らは安堵から破顔する。
「ああ、神は我らを見捨てなかった!! 救援隊ですか、そうですよね!? どうか助けてください!!」
「私たちもうボロボロで、食料も尽きたところをあいつらに襲われ――あの?」
彼らは疲労困憊で覚束ない足取りながら近づこうとし、不意に足を止める。
理由は二つ。
一つはハジメコピーが弓を下ろそうとせず次の矢を即座に番える姿勢を解かないこと。彼だけでなくツナデとウルも姿勢を崩さない。
(行方不明者リストの顔と全員一致しない。何者だ、こいつらは?)
(にゃ~んか演技の香りがするにゃあ)
(魔法を発動してるし、生命力的に遭難者のそれにしては元気すぎ……)
そしてもう一つが、彼らの視線が一瞬だがソーンマルスに集まったことだ。
彼らのうちの一人の左の目元がぴくぴくと不自然に痙攣する。
その瞬間、ソーンマルスは鬼の形相でその男の顔面に結晶のナイフを投げつけた。
余りにも躊躇いのない一撃にハジメは止める間もなくぎょっとするが、時既に遅くナイフは男の脳天に突き刺さり――ナイフと男の顔が同時に砕けた。衝撃に仰け反った男の顔はゆっくりと前面に戻り、先ほどとは別の顔が苛立ちを隠さない眉間の皺と視線をぶつけてきた。
「思わずクセが出てしまったよぉ……随分と乱暴なことをしてくれるじゃないか、ソーンマルスくん。今、謝ればこちらも矛を収めるが?」
「俺の質問に答えろ。何故貴様が国境を越えてここにいる……!?」
「若くして第二等級に選ばれたことで何か勘違いをしているようだなぁ。同じ第二等級でも優先権はこちらが上だと何度言えば貴殿は理解するのかな?」
「同じ事を二度言わせるな!! 質問には一度で返答しろと何度言えば分かる!!」
「……はぁぁぁぁ~~~~~。すぅぅぅぅ~~~~~~……死ねェッ!!!」
一度大きな深呼吸と共に収まったに思えた苛立ちが、殺意の籠もった螺旋型の結晶へと変換されて解き放たれる。ソーンマルスは蠅を払うように自然な動きで腕部に結晶の小盾を形成してパリィで弾いた。弾かれた結晶は周囲の針葉樹を綺麗に抉り穿った。
「フーッ、フーッ……目撃者全員雪に埋めてやれッ!!」
激昂に左の目元を露骨に痙攣させた男の怒声と同時、遭難者を装ったメンバー全員の顔が割れて中から別人の顔が次々に晒されてゆく。
「回りの連中はともかく同僚ともやるんですか、隊長? 後で責任問題になっても知りませんよ」
「イヒァ!! 硬ぇこと言うなよクー!! どうせ仕事なら楽しい方を選ぼうぜぇ!!」
「そうですよ。大体、隊長とソーマが犬猿の仲なのは周知。我らが騎士団長と彼の姉が対立関係にあるのは既知。我々の方がカラットが上なのは純然たる事実。いずれ衝突することは必然です」
彼らの姿形が全て崩れ、中からソーンマルスと似た意匠の鎧と結晶が姿を現す。とうに臨戦態勢に入ったソーンマルスにハジメコピーは質問する。
「何者か聞いても?」
「こいつらはカルセドニー分隊!! 姉上を妬む『アメジストの騎士』率いる騎士団の中でも、騎士の身分ではやれない仕事をするための部隊だッ!! 貴様等ぁ……もし姉上の邪魔立てや失脚が目的とあらば、全ての骨を砕き尽くしてくれるわぁッ!!」
「成程。それでか」
激憤に拳を振わせるソーンマルスの言わんとすることはつまり、姉であるシーゼマルスが行方不明になった土地で険悪な関係にある部隊が身分を装い活動していることへの強烈な不信――シルベル王国内における権力闘争と謀略の気配であった。
「それはそれとして、お前ら入国許可証を見せろ」
「「「「……は?」」」」
急な言葉にぽかんとするカルセドニー分隊をハジメコピーは暫く待ったが、許可証を出さないので一つ頷く。
「よし、出さないため全員不法入国者の可能性が高い。しかも先ほど攻撃された。よって犯罪者は拘束する」
「「「「……はぁぁ!?」」」」
「ワァ……如何にもハジメの言いそうにゃシンプルにゃ罪状」
「そこまで忠実に再現しなくとも良いのに……」
「姉上の居場所と貴様等の目的を吐けぇぇぇぇぇッッ!!!」
「あ、シスコンが突っ込んでいった……」
ハジメコピーの話などはなから聞いていないソーンマルスの突撃とウルの気の抜けた一言を以てして、微妙に締まらない形でカルセドニー分隊との交戦が開始された。




