9-3 fin
ピエロに扮したそれは、リサーリという悪魔だった。
悪魔の中でも最底辺を転がる超弱小悪魔である。
そんな彼は今、魔王軍の作戦を遂行している最中であった。
リサーリは種族としての強さに定評のある悪魔の中にあって、周囲から蔑まれるほど弱かった。周囲には才気溢れる双子の兄と比べられて「絞りカス」とまで揶揄され、その精神はぐずぐずに鬱屈してしまった。
リサーリは行き場も立場もなくなり、やがて魔王軍へと参加した。
他の者たちがどう捉えているかは知らないが、リサーリは魔王軍というシステムを人間で言う「冒険者ギルド」と似たようなものだと思っている。暴力を持て余した者、平和という柔らな淘汰で爪弾きにされた弱者、己の存在意義を見失い戦いに居場所を見いだした者――平和すぎる魔界には、どんな形であれそれを望まない者を肯定するためのシステムが必要だったのだと、リサーリは勝手に思っている。
幸いにして魔王軍の中でも悪魔が少数派だったことと種族的アドバンテージで中堅にギリギリ引っ掛かれるだけの能力があったリサーリは、地道な努力でコツコツと成果を上げ、今や遂に大規模作戦の前準備を任されるまでに成長した。
リサーリが使っている笛は彼自身が自分の能力不足を補う為に開発したマジックアイテムであり、笛から出た音波を耳にした人間を簡易的に洗脳できるものだ。ただしその効果はかなり貧弱で、子供か相当弱った人間でなければこのように多数を同時に誘導できない。ある程度成長した相手には音波すら届けられない。
しかもこの洗脳効果は非常に弱く、外的要因で簡単に揺らいでしまう。魔王軍の前線における戦闘では欠片の役にも立ちはしない。
しかし、逆を言えば戦闘が起きない平和な場所であれば子供を容易に誘導できるということ。彼はこれを利用してある作戦を立案した。
それは、町から大量の子供を攫い、これを人質に町に攻め入るというものだ。
魔王城の錬金術使いを利用して一夜城を築き、そこに子供を磔にしたり見せしめを行うことで人間の戦意を削ぎ、或いは助ける為に無謀な戦いを挑む人々を罠に嵌めたり、子を助けたい親を奴隷化して一気に町を攻め崩す。
この作戦を立案したとき、彼が所属する暗黒軍団の長、すなわち魔王軍幹部は手を叩いて喝采を送った。彼はそのように人の心を弄ぶのが大好きだった。
(まさか外に出るのが嫌で漁った実家の資料がこんな時に役に立つなんてな……まぁ、あれは失敗した記録だったけど)
魔王軍は昔から似たような作戦を何度も実行しては、あと一歩のところで勇者に人質を奪還されるのを繰り返している。そんな使い古された作戦が何故通ったのかというと、魔王軍には失敗した作戦の記録は残さないというリサーリからしたら意味の分からない慣習があるからだ。幹部達は過去に同じ作戦があったことを知らないのである。
(悪魔族は魔界の中でも情報を大事にするとは聞いてたけど、こういう資料を知ってて伝えないのは、絶対馬鹿につける薬はないとか思ってるよなぁ)
悪魔族は魔族内でも特別な存在であり、魔王軍を自分たちより格下に見ている節がある。事実、悪魔族の七大悪魔はいずれも魔王軍幹部に匹敵する実力者だ。そして、その誰もが地上侵攻にさしたる興味を持たない。
リサーリは本当の事を伝えるかどうかちょっと迷ったが、自分はあくまで人質調達の係でありその後の不手際は他の連中の責任かなと考え、利己的判断で黙っておいた。
(この仕事をクリアすれば遂に俺は中間職に出世する。これは俺の輝かしい未来への第一歩なんだ! うん、そう思うことにしよう……)
そろそろ予め内部に潜入させておいた魔王軍の協力者の家に辿り着く。そこから地下の道を伝って子供たちを町の外に連れ出して一夜城に案内すれば仕事は完了だ。
この町は多種多様な種族が暮らしていたようで、子供たちの行進もなかなか壮観だ。特にいつの間にか先頭に加わっていた『金の角の竜人』は高貴な家の出っぽさがあるので特別待遇を受けるだろう。魔王軍もなんやかんや無限に金があるわけではないので、ことお姫様などはギリギリまで金を絞り取るのに利用される。
(俺の出世の犠牲になってもらうぜ、子供たち……! もし救出前に死んだらノロマな勇者でも恨んでくれよ!)
リサーリは悪魔だが、弱者の気持ちを知る悪魔だ。
だから、ほんのちょびっとだけ、彼らが勇者に助けられることを期待した。
そう思えるだけの心はありながら、実際には自分はなにもしない。
リサーリはそういう男だった。
――だからだろうか、彼の背中に突如として罰が下ったのは。
「えいやっ」
「ホグベェーーーッ!?」
リサーリの無防備な背中に、クオンの盛大な頭突きが直撃した。
角がギリギリで突き刺さらない絶妙な一撃であった。
リサーリは曲がってはいけなそうな角度に折れ曲がった背中のまま道に投げ出され、何度もバウンドしながら地面をゴロゴロと転がり、真正面に待ち受けていたブーツの裏に顔面を受け止められる。
「そバッツッ!?」
「……クオン、少し力を込めすぎだぞ」
彼は薄れゆく意識の中で相手を確認する。
それは最近立て続けに魔王軍幹部候補を屠り、最近はとうとう本当に幹部をも屠ったと噂される『死神』に相違なかった。
(――殺されるッ!!)
そう思った瞬間のリサーリの行動は早かった。
常に袖の裏に隠し持っているマジックアイテムに魔力を込める。
直後、破裂音と共に閃光と煙幕が周囲を覆った。
「これは……!?」
(どうだ、悪魔謹製の特別アイテムだ!! 探知も索敵も機能すまい!!)
死神ハジメの声に困惑が混じっていることに、リサーリはほくそ笑む。彼は誰よりも卑屈で臆病であるが故、妨害されたときにどうするかもきちんと計画していた。それがこのスーパージャマーである。
リサーリが悪魔の技術で丹精込めて術式を織り込んだこのスーパージャマーは、短期間とはいえ発動者の周囲の視覚、聴覚、嗅覚、更には第六感まで阻害する特別製だ。しかもこれは相手へのデバフではなく複合的な空間魔法に近いものであるため、風で吹き飛ばすことも装備アイテムで無効化することも出来ない。
(子供達よ、今のうちだ!!)
リサーリは更に笛を吹き、子供達を誘導する。
アイテムの影響で洗脳が揺らいでいた子供達は、またリサーリの手に落ちた。
スーパージャマー発動状態ではリサーリも周囲が見えないが、彼はそのときのために自分の移動ルートのあちこちに不可視の糸を張り巡らせていた。その糸を使って物理的に移動ルートを割り出し、更には糸で引いて子供達も誘導する。そして戸惑う死神ハジメと、彼の仲間と思われる竜人の子供を糸で縛った。
「ぐっ!?」
「ママ!? きゃっ!」
さしもの最上位冒険者もこれほど入念な罠には対応しきれなかったか、子供もろとも手応えがあった。しかも糸はただ縛るのではなく、建物などと複雑に絡み合って最大限の強度を発揮するよう編まれており、短期間とはいえ魔力を弾くコーティングまでしてある。
魔王軍にこれほどのアイテム加工技術はない。
悪魔にこれほど策を弄する臆病者はいない。
これは、弱者として生まれたリサーリだからこそ思いつき、用意出来たものだ。臆病で卑怯でなんとしても作戦を成功させたいが為に、過剰なまでに念を押して考え抜いた作戦が、あの死神ハジメを拘束したのだ。
(なんだよ俺、やれば出来るじゃないか!!)
一瞬、今なら死神ハジメを仕留められるかもしれないと魔が差す。
だが、リサーリは即座にかぶりを振って邪心を払う。
(アドリブはするな、予定通りにいけ、俺!)
ハジメも周囲に何かの気配があることには気付いているだろうが、それがリサーリか洗脳した子供かどうかは判別がつかない筈だ。
リサーリがするのは、この環境を最大限に利用すること。
糸を通じてハジメと子供に言葉を送る。
『その糸は力尽くで外そうとすればお前の肉を引き裂くぞ! 魔法で吹き飛ばそうとすれば子供達も巻き添え! 仮に力尽くで破壊出来たとて、周囲の建物が崩落して子供達も巻き添え! 人殺しになりたくなければそこで大人しくしているがいい!!』
これで、あの二人は動けない。
予定外の妨害だったが、予想外ではなかったのが功を奏した。
あと少し、目の前の曲がり角さえ曲がれば、あとは悪魔謹製の魔方陣で転移するだけだ。仲間に称賛される未来を頭の中に思い描きながら、リサーリは輝かしい未来へ繋がる糸を手繰った。
◇ ◆
ハジメは、己の迂闊さを呪っていた。
入念な警戒をする犯罪者とは今までも戦ってきたが、ここまでの罠を張り巡らせた相手は初めてだ。クオンが彼に不意打ちをかけた時に確実に意識を刈り取り拘束出来なかったのは、今になってみれば相手を侮ったことによる判断ミスだった。
(糸の脅しは、はったりではない気がする。これだけの糸なら俺が抵抗した瞬間に子供を害する事も可能。どうする? アスラガイストで武器を飛ばして糸を切断するのは可能だが、今日はクオンと出かけるだけだったから剣一本しかない。剣一本で、しかも探知系スキルが機能しないのではどう動けばいいのか……)
子供を見捨てる、という選択肢はハジメの中にはない。
しかし、敵も対策を考える時間を与えてくれない。
『ママ!!』
(クオン?)
『ママ、わたし、何をすればいい!?』
(それは……)
今は何もするな、と言うべきだったのだろう。
しかし、クオンの念から伝わる真摯な感情に、ハジメは考え直した。
(クオン。あの誘拐犯の張った周囲を感知できない妨害を取り払い、糸を無効化して、やつの位置をはっきりさせる術はないか? 出来れば全部同時に出来ると嬉しい)
端から見れば、滅茶苦茶な要求だ。
しかしハジメは、クオンの持つ可能性に賭けた。
常人には解決する手立てがなくとも、エンシェント・ドラゴンたるクオンには想像を絶する手札があるかもしれない。クオンがその手札のどれを切ればいいのか迷っているなら、ハジメが教えてあげれば良い。
果たして、クオンは条件に当てはまるカードを持っていた。
『……『試練の結界』を張れば、出来ると思う! 周囲の生き物を一時的に戦いに最適な異界に引きずり込む結界で、周囲の環境が一度リセットされるから糸も妨害も一度はなくなる! 結界そのものに害はないから誰も傷つけないよ!』
恐らくは、ゲームなどでよくある『ボスを倒すまで出られない空間』を再現する類であろうそれは、まさに最適の答えだった。
(よし。それで行く! やってくれ、クオン!!)
『うん!!』
クオンは集中し、莫大な魔力が周囲を包む。
バリッ、と周囲の空間が裂ける音がした。
気がつけば、そこは空より暗く、しかし夜空よりは明るい半円状の空間の中だった。糸も煙も夢だったかのように消え去り、周囲には虚ろな目の子供と、突然周囲の光景が様変わりして目を剥く道化師がいた。
今度は、失敗しない。
空間に入る直前に用意していた加速のバフをかけ、ハジメは格闘系スキルの一種である『縮地』を発動。縮地は対象までの間に障害物があると上手く機能しない代わりに、縮地の発動直後に格闘系スキルを発動させるとコンボのように威力が増す。
道化師からすれば、ハジメが滑るように急加速して気付けば目の前にいたように感じただろう。近づけば分かるが、彼は下手をするとその辺の冒険者でも勝てるかもしれない程度のレベルしかないようだった。
だからといって、油断も手加減もしてやれない。
「震勁ッ!!」
「あ――ガァッ!?」
縮地の解除と完全に同時に叩き込んだスキルの衝撃が、道化師の体内で爆ぜた。
格闘スキル『震勁』はその名の通り相手の肉体そのものを激しく揺さぶる。特徴としては、衝撃が相手の体内で爆発するため本人が吹き飛ばない――ゲーム風に言えば相手に硬直が発生しやすい。
これを縮地と組み合わせ、しっかりと相手を狙えば、ほぼ確定で相手の動きを一時的に封じられる。下手をするとそのまま立ち上がれなくなることもある。ハジメの見立てでは、道化師はもう立てないだろう。
しかし、この際やるなら最後まで徹底的にだ。ハジメは拳を振り翳し、青ざめて手で制そうとする道化師を徹底的に追い詰める。
「的殺連掌ッ!!」
「え゛ほっ、まって、洗いざらい喋るから! 内部情報ダダ漏れセール開催するから勘弁し――ゲフッ、ちょっ、あっ、ばボォッ!?」
もう抵抗出来なさそうにも見えるが、一度油断した手前今度は一切妥協すまいと道化師のみぞおちを何度も執拗に殴るハジメ。端から見たらどっちが悪人なのだか分かったものではない。
最終的に首筋に鋭い手刀を叩き込んで確実に意識を奪ったハジメは、彼の身包みを全部引っぺがした後に麻痺などの魔法を叩き込み、更には悪党を拘束するための紐で念入りに縛り上げる。
後からクオンがてくてくとやってきて、ハジメに念入りに無力化されて泣きながら失神する道化師を見るなり悲しそうな顔をした。
「なんか……ここまでされると可哀想な気がするよ、ママ?」
「そうか?」
ここまでやらかした悪党に容赦はできない、と言おうとしたハジメだったが、少し考え直す。
「力の差がありすぎるまま戦うと、相手が可哀想なことになる。そういうことはあるかもしれない」
「うん……今ならなんでさっきの子供達が私と一緒に遊びたくなかったのか、ちょっと分かったかも」
戦いと遊びは違うが、圧倒的な力による蹂躙という状況はどちらにも発生する。
一つ大人になったクオンの頬を、ハジメは優しく撫でた。
◇ ◆
――結局、誘拐犯は衛兵の取り調べてにて自分の正体を含めた情報をあっさり白状した。ギルドはこの情報を基に敵の一夜城に逆に奇襲を仕掛けて壊滅させることに成功。子供たちは誰一人犠牲になることなく家に帰り、これにて事件は未遂で落着した。
そして、この事件で一つ大きな変化が起きた。
一つ、クオンが「もっと力をコントロールしたい」と言い出したことだ。悪魔リサーリが受けた蹂躙で自分の力というものに改めて着目した彼女は、自分なりに力の調整に挑戦している。
「……泥団子投擲っ!! 受け止めてオロチお兄ちゃん!」
「仰せのままにゥズッハァ痛ぁぁぁ!?」
クオンが投擲した泥団子を受け止めたオロチだが、凄まじい速度で放たれた泥団子はもはや瞬間的には岩と同等の威力で彼の手のひらに直撃し、弾け飛ぶ。ドッパァァン!! みたいなおおよそ泥投げで発生しそうにない音と共にオロチが痛みに悶え苦しむ。
「……ま、ま、まだ威力が大きすぎる、気がしますな……はは……」
「むぅ~……じゃあ次投げるよー!」
「ち、ちょっとお待ちくださいクオンさま既に数十回さっきの威力の泥を投げつけられてこのオロチの手の毛細血管は最早壊滅寸ぜッは゛お゛ッ!?」
既に限界を迎えた手で更なる剛速球を受け止めて悶絶するオロチ。
あれでも訓練開始時と比べると大分マシになってきている。
……訓練の成果は別としても、このやり方は他者への思いやりに欠如しているのではと思わないでもないが、実際には特訓開始前にライカゲがクオンに「最近オロチの気が緩んでいるので甘えたこと抜かしたらバンバン投げつけてよし」と耳打ちしたのが原因だろう。彼は弟子に対して結構スパルタなところがある。
彼女が力のコントロールを自在に出来るようになった暁には、今度こそ町の子供達と楽しく遊べるだろう。きっと彼女も内心それを願っている。
というのも、実は悪魔を仕留めた直後にそんなやりとりがあったのだ。『試練の結界』を解除して正気に戻った子供たちに事情を説明するとき、クオンは頑なに彼らに姿を見せようとせずに物陰に隠れていた。
(今姿を見せれば、みんなを助けたヒーローとして人気者になれるぞ)
『それじゃ意味ないもん。ママ、もしかしてわざと言ってる?』
彼女は既に誰に言われるでもなく、自分なりの答えに到達していた。
『今のクオンじゃ、それで人気になったとしてもまた加減ができなくて同じ事を繰り返しちゃうと思うの。だからね、そういうのきちんと考えて加減出来るようになってから、もう一回あの子供たちと遊びたいの。今度はみんな楽しい遊びになるように』
ハジメとしては、これでクオンが町を嫌いにならなくてよかったと思う。
その一端を担ったへたれ悪魔には少しだけ感謝しておこう。
クオンの頑張りを見て、ハジメは自分でも気付かないほど薄く笑みを浮かべる。その表情はしかし、伝書鳩が二つの手紙を持ってきたことで中断された。
手紙のうちの一つは、町の孤児院から。
孤児院の子供たちが一部連れ去られかけたのを助けてもらったことへの感謝が、そこには綴られていた。日付は指定されていないが、クオンがもう少し上達したらここに連れて行ってあげてもいいかもしれない、とハジメは思う。
そしてもう一つはギルドから。
緊急の依頼だろうか、と内容を検めたハジメは驚愕に両眼を見開いた。
「なん……だと……!?」
そこには、事件を未然に防いだ報酬に加えて、別件の魔王軍幹部討伐報酬として20億Gをハジメの口座に振り込んだ旨がしたためられていた。
「何かの間違いじゃないのか。どうしてまた金が増えるんだ……!」
ハジメは世の不条理をひとり嘆いた。
翌日、幹部討伐報酬を突き返そうとするハジメと全力拒否するギルドを見て、見物冒険者たちは「奴の頭のネジは月まで飛ぶ」と口にしたという。
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