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天使族の里での用事を終えて村に戻ってきたハジメを待っていたのは、ギルドから受付嬢アイビーを通しての連絡であった。
「シルベル王国の騎士がギルドに来てる?」
「依頼内容は話せないが賞金首狩りの経験が豊富で可能な限り実力の高い人間を紹介しろの一点張りらしいよ。どうする?」
「話だけは聞いてみるか。依頼人の詳細は?」
アイビーがぺらりとギルドの書簡をめくる。
ギルド出張支部がなかった頃は情報漏洩防止の為に伝書鳩の書面には詳細が書かれていなかったが、今は正規受付嬢がいるのである程度は情報を知れるのが地味に便利だ。
「若い男。種族はリカント。名前はソーンマルス。一応パスポートはちゃんと持ってるけど、気になるのは身分でさ。【聖結晶騎士団】の第二等級騎士だってさ」
「なんだと? 第二等級と言えば上級将校クラスだぞ。結構な大物じゃないか」
予想外の依頼主に驚きの声が漏れる。
シルベル王国において【聖結晶騎士団】の等級は第一から第三まであるが、実際には第一と第二が上級でそれ以外は第三と言って良いほど第二と第三の間を隔てる壁は高い。
第一等級騎士は王国でのアデプトクラス、ないしドメルニ帝国の【六将戦貴族】に相当する最高位の実力者なため、第二等級騎士はその予備軍とも言える超エリート層だ。
その実力は第一等級騎士に次ぐのでレベルは低くとも70、下手をすると90近いかもしれない。
忘れられがちだが、この世界ではレベル60の敵が出ればベテランクラスの大半が死を覚悟するようなパワーバランスなので、レベル70もあれば同業者から見ても化物の類だ。
「……そんな騎士が事情も告げずに単身ギルドへ、ね」
「絶対厄介事だけど、どーすんの? ギルドとしては断ってくれてもいいってことだけど」
「いや、話だけでも聞く。シルベル王国の知り合いなんて殆どいないし、友達とはいかずとも顔見知りになっておいて損はないだろう」
シルベル王国は騎士団が余りにも強力故に冒険者は下火気味で、ハジメも両手の指で数えられるほどしか行ったことがない。情報網としても知り合いは増やしたい。
それに、上級騎士がわざわざ仲間ではなく冒険者を雇おうとするのであればよほど困っているのだろう。困っている人に手を貸すのはいいことだし、人間関係が広がるのは嬉しいことだ。
アイビーはハジメの前向きな姿勢に「物好きねーアンタも」と笑う。
「んじゃ、いってらっしゃ~い。お土産期待してるよ~!」
「遠出になると決まった訳じゃないんだが?」
「なるなる。受付嬢のカンが言ってる」
「適当なことを……」
こうして、ハジメは異邦の騎士との邂逅を果たす為に村を後にした。
◆ ◇
王都のギルド支部に向うと、久しぶりの感覚があった。
「死神……」
「今更何しにきやがったんだ、あいつ」
「戦時中の英雄は平時の犯罪者ってなぁ」
(うむ、懐かしきかなこの差別的な視線。王都はやはりこうでなくては)
もはや数周回って安心感さえ覚える『死神』ハジメの悪名は、十三円卓の印相操作が最も強力な王都では健在である。王都の人間は殆どが王都の外に出ないので外の世界での噂の変化には気づかず、仮に耳にしたとて本質的にはハジメに興味が無いため情報の正誤は気にしない。
なんならハジメどうこう関係なく王都以外の出身者を田舎者と見下しているのでそれ以前の問題かもしれない。
ハジメも王都の民の心のあり方に今更興味は無いので、ギルドの入り口をくぐって受付に向う。すると、ポニーテールの受付嬢がこちらに気づいて控えめに手を振った。どこかで見たことがある気がする。
彼女の元に向うと、嫌な顔ひとつせず挨拶してくれた。
「お久しぶりです。と言ってもほんの数日なので覚えてないかも知れませんが、ホラ、ベニザクラさんと遺留品捜索で不正を行なっていた連中の一件で……」
「ああ……あったな、そんなこと。そうか、君はあの時の――」
もう随分昔の話に感じる、ベニザクラとの馴れ初めの事件。
あのとき裏で色々手を回して不正を暴く協力をしてくれた受付嬢だった。
流石に数日の付き合いだったので名前までは覚えていない。
「王都の支部に異動していたのか……と、世間話は後にすべきだな」
「いえ、お気になさらず。ソーンマルスさんの件ですね?」
「ああ。一先ず話を聞きたいが、いるか?」
「来賓室でお待ちです。なかなか気難しそうな方で、少し前にギルドのベテランクラス冒険者の腕前を確かめるとか言って手練れを何人か叩きのめしています。カンですけど多分ハジメさんにも同じ事をするかと」
苦笑いする受付嬢は手早く手続きを済ませる。
彼女は結構人気者らしく、ギルド内の冒険者の一部からこれまでと違う視線が刺さる。仕事で愛想良くする必要がある人間に一方的に惚れ込むってちょっと怖いなとハジメは思った。
案内された先にいた男は、かなりの美丈夫だった。
端正な顔立ちに鋭い視線。
すらりとした長い足に細身ながら鍛え込まれた肉体。
立ち上がった際の身長はハジメより高い。
淡い青みのある銀髪からはリカント特有の尖った耳が反り立っている。
ハジメは端的に挨拶した。
「冒険者のハジメ・ナナジマだ。ギルドから君の話を聞き、依頼について確認する為にここに来た」
「【聖結晶騎士団】所属、【アイオライトの騎士】ソーンマルス。ギルドで最も腕利きの人間を紹介しろと頼んだが、貴殿は腕利きか?」
恐らくギルドから経歴の説明があった筈なのに、それでも真正面から尋ねてくるのは自分への自信からか、それとも単なる念押しか。
「確か賞金首狩りの腕前が条件だったな。多分、凶悪な手配犯の捕縛ではシャイナ王国一だ」
一時期ギルドの頼みでその手の依頼を多く受けていたため、数はともかく質で言えばハジメが恐らくトップだろう。実際にはNINJA旅団の方がこの手の仕事は得意だが、彼らは表向きの存在ではないし、必要とあらばハジメが助力を願うので結局は同じことだ。
ハジメの返答に、ソーンマルスは「結構」と言うと、部屋の外へとつかつか進む。
「腕試しをしたいのか?」
「話が早くて助かる。シャイナ王国の実力者はどうやら名前負けしている者が多いようなのでな。ギルドは腕は保証すると言ったが、貴様がそうでないことの保証は武技によって為されると思え」
(この様子、俺のことは完全に知らないようだな)
流石の悪名もシルベル王国までは届かなかったようだ。
政治的な思惑で来たならハジメの名前くらい事前調査していそうなものなので、彼はかなり個人的な事情でシャイナ王国に来たのではないかとハジメは感じた。ソーンマルスはその後一言も喋らず、圧で通行人を後ずさらせて鍛錬場の中心に立つと振り返った。
「来い。俺は無駄は好か――」
「朧弦月葬」
ハジメは歩きながら自然に刀を抜き、残像を残す程の加速で横一線の斬撃を放った。並の冒険者では武器を抜く間もない一瞬の斬撃に、ソーンマルスはしかし高速換装したクリスタル輝く鎧で対応し、見事に弾く。
しかし、弾かれた刃は次の瞬間にはソーンマルスの首筋に背後から突きつけられていた。
朧弦月葬は三日月のような斬撃を放つ技ではなく、使用者が弧を描いたステップで対象の正面から背後にかけて致死の斬撃を放つ上位スキルだ。もし実戦であれば、ハジメはソーンマルスの首を刎ねるか、或いは峰打ちを容赦なく叩き込んでいた。
「……!!」
驚愕するソーンマルスはしかし、鎧の背部から何らかの魔法めいた力を噴出させてハジメを押しのける。スキルというより鎧に秘密があるのだろうと分析しつつ、ハジメは即座に回避して刀を構え直す。
「俺も無駄はそれほど好きではないので手っ取り早い方法をとったが、お気に召したか?」
「まだ、その程度ではッ!!」
ソーンマルスの鎧の掌が光り、一瞬で複数の光輪が握られる。
チャクラムに似たそれをソーンマルスは慣れた手つきで素早く投擲した。
それぞれの光輪が偏差でハジメに迫るが、軌道自体は容易に見切れる。
ただし、ハジメは【聖結晶騎士団】のことを少しは知っているため、見た目ほど簡単な技ではないことは想像がついた。刀にオーラを這わせ、ハジメはスキルを放つ。
「大日輪」
回転斬りに乗せた刀のオーラが全方位を薙ぎ払い、斬撃と圧で三つのチャクラムが爆散した。ソーンマルスは避けるか近接で切り落とされると予想していたのか一瞬面食らった顔をするも、肉体は淀みなくその場を駆け出して両手に光る剣と盾を握りハジメに肉薄する。
ハジメはその場を一歩も動かず片手で刀を上段に構えると、迎撃した。
「雷鳴突牙」
刀のリーチを最大限に活かした雷鳴の如き刺突をソーンマルスは光る盾でいなそうとする。刺突のおおよその間合いとタイミングをよく読んだ練度を感じさせるものだったが、ハジメが一枚上手だった。刺突の角度を僅かに逸らしてパリィを防ぎ、盾は一撃で砕け散る。
「迂闊なり、冒険者!!」
瞬間、ソーンマルスが更に加速した。
彼は最初から盾を持つ腕を捨てることを想定し、もう片手に握られる剣に全てを賭けていた。刺突を繰り出せば当然剣を握る姿勢は伸びきり、隙が生まれる。ソーンマルスはその隙を狙っていた。
しかし、彼の剣は空を切る。
ハジメは刺突を繰り出すと同時に前転の姿勢に入り、間一髪で剣の軌道を逸れていた。本来の斬撃なら多少は斬撃の角度を修正出来ただろうが、盾を持つ手を犠牲にしたことで姿勢的にそれが敵わなかったソーンマルスは苦々しげに歯を食いしばる。
今度こそ、言い逃れの出来ない刀の硬く冷たい感触が彼の首筋を沿ったからだ。
前転後、即座に反転したハジメの刃だった。
「【聖結晶騎士団】の上級騎士は古代より伝わる特殊な鎧に身を包み、武器がなくとも結晶で即座に装備を作り出せると聞いたことがある。チャクラムも剣も盾も、手加減の為に敢えて結晶武器にしたんだろう。得意の戦闘スタイルも封印していたんじゃないか?」
複数の武器を高水準で使いこなすハジメだからこそ、レベル差を差し引いてもソーンマルスの動きには違和感を覚えていた。初対面の人間にいきなり自分の本気を見せないのは賢明な判断であり、ハジメなりに相手を立てた物言いだ。
ソーンマルスの手に光る剣が輝きを失い結晶で形作られた美しくも脆い姿を晒すと、先端から光と消えてゆく。彼の戦意と同じように。
「……仮にそうであっても、不覚は不覚。何よりこの短期間で魂胆を見抜かれては言い訳も立たぬ」
これで結果を認めないほど幼稚ではなかったソーンマルスは、振り返って右手を差し出した。彼なりの敬意だろうとハジメも手を握り返す。
「ギルドの説明に違わぬ実力、御見逸れした。先だっての不遜な態度を詫びると共に、改めて依頼について説明させていただきたい」
「喜んで。可能な範囲で検討させてもらう」
ふと周囲を見れば、遠巻きに見物していた冒険者達が拍手を送っていた。
人数は大分まばらだが、二人の健闘を讃えるというよりは「よくぞシャイナ王国冒険者の意地を見せた」という勝手なお国自慢が多い気がする。そういえばソーンマルスはここのベテラン冒険者を訓練で一方的に叩きのめしたらしいので、彼らとしてはソーンマルスが勝つくらいならハジメに勝って欲しかったのだろう。
彼らの身勝手さはさておき、無駄にヘイトを買うソーンマルスに老婆心からの忠告が漏れる。
「あんまり人の恨みを無闇に買う真似はしない方が良いぞ」
「ご忠告痛み入るが、惰弱な馬鹿共に構う時間が勿体なかったもので」
(その物言いは余計に嫌われると思うが、自覚あるのかなぁ……)
ソーンマルスの愛想笑いのひとつも無い真摯なまなざしに、ハジメは彼の人格面が今後トラブルを招かないか妙に不安になるのであった。これなら最初から傍若無人なオルセラの方がまだ扱いやすそうだ。




