断章-8(5/6)
「続いては優勝候補のハマオシェフのシメ料理! その名も、野営スープだぁぁッ!!」
冷えた会場を盛り上げようとブリットが張り切り、優勝候補ハマオに観客が再度反応する。野営スープとは一体どういうことだろうか。名前にも料理対決と不釣り合いな響きがあり、注目が集まった。
出てきたスープが審査員の前に並べられる。
遂に出てきたお目当ての料理に、トッカーは――当惑した。
(普通の……普通のスープ、だ)
調理過程を見たとき、ハマオはやたら材料や下ごしらえに力を入れていたので期待値が大きく上がっていた。
しかし、目の前のこれはどうか。
細かく刻まれた野菜に肉団子という捻りの全くない具材。特別な色などないスープ。目立つものは白い団子のようなものくらいだが、ただ色合いのバランスを取っているようにも見える。
もしかしたら、ハマオシェフはトッカーを無視して三人の知人友人を楽しませることを優先したのだろうか。ボンジョルドの態度を見て、いよいよガストロノミアンに失望してしまったのではないか。或いは、もう勝ち目はないと思いやる気を失ってしまったのでは――。
トッカーは、それでもスープに口を付けた。
スープにはほどよい雑味と絶妙なとろみがあるが、美味しい。
肉団子も、食感が面白く美味しい。
団子の弾力は絶妙で中にチーズの存在を感じる。
それでも、どこを取ってもやはり一流ではない。
全てが二流のスープだ。
一般審査員たちは喜々として口にしているが、とてもガストロノミアンを唸らせるものではない。
やはり、無理なのか。
彼の本気を、彼が最も嫌うガストロノミアンが引き出すことは。
トッカーは静かに、悲しみに目を閉じた。
(――え?)
しかしその瞬間、トッカーの脳裏に何かが閃き、胃が食材を寄越せと唸った。
トッカーは再度スープを口にする。
やはり味は二流だ。
しかし、何かが――このスープには秘密がある!
でなければ、何故味は二流と判断したこの手が、この口が、スープを求めることを辞めないのかの説明がつかない。
味の底を探る為に舌を極限まで研ぎ澄ますトッカーは、自分がエバクエルに見られていることに気づいていない。
(気づけるか? 終ぞボンジョルドたちが理解しなかった真理に……)
それが幸せに至る道とは限らないが、エバクエルは彼に可能性を見出しつつあった。
知っている。
トッカーはこのスープに使われた食材たちを知っている。
「肉団子の中にあるこの触感と甘みは、キャベツの芯だ」
そうだ、思い出した。
ジャクラシェフが回鍋肉を作った際に食感がよくないし火の通りの調整が面倒になるからと切り落とした、あの芯。それだけではない。この肉団子には他にも何種類かの野菜やキノコが含まれている。野菜は食感などの問題から切り落とされたものでキノコは恐らく切り落とされた芯から可食部位をギリギリまで切り出している。
「肉はベヒーモスのもの。丁寧に叩いて別の肉を混ぜ、合い挽きのようになっている」
ヨーゼフシェフを含むシェフたちがベヒーモスの肉を調理する際に厚みなどを調整するためトリミングした肉の切れ端。もちろんそれだけではなく繋ぎや香りに工夫があるが、主役級の食材ではなく別の料理の余りのような葉まで使われている。
「ダシもそうだ。ここまでの料理で使われた様々な野菜、魚介類、肉などの中から短時間で旨味を出せる組み合わせを綺麗に揃え、とろみを出している。団子はナンディー牛乳をツナギにチーズを練り込んだことで、スープと肉団子とは異なる味のバランサーになっているんだ」
団子は丁寧に作ってあるが、その気になればもっと上質な団子を作ることもできた筈だ。
しかしハマオは敢えてこの精度の団子を作った。
多分、ナンディー牛乳がなくとも、チーズの種類が違おうとも、スープ内で同じ役割を果たすことの出来る団子の組み合わせは色々とあるだろう。その上でしかし、スープ、肉団子と共に三界の調和を保っている。
ハマオは、手元にあるもので即興のバランスを取った。
もっと上質な食材など幾らでも使って、スープの質を高められた筈なのに。
「そうか……だから野営スープなのか!!」
都心の整ったキッチンを用意出来ず、高級食材をかき集める余裕もない冒険者のような職業であれば、たとえ最高の食材でなくとも無駄遣いは避けたい。戦渦で家を追われたような訳ありの人の場合は尚更そうだ。
しかし、食は生きる活力。
少しでも美味しい形で食べたいに決まっている。
だから、あるもので最高に無駄のない品を作る。
このスープは二流であることにこそ価値があるのだ。
二流だからこそ野営で再現出来る。
どんな状況でも作って食べさせてやれるように。
だが、まだだ。
このスープのレシピの奥に眠る秘密が他にもある筈だ。
トッカーはそれを探し続けたが、無常にもスープは尽きる。
終わってしまった――ガストロノミアンとして、一人の美食家として、終ぞ一杯で神髄を見切ることは出来なかった。
なのに、どうしてだろう。
トッカーは不思議な満足感と安心感に包まれていた。
ふと横を見ると、一般枠の三人が全員安らかな顔でスープを飲み干していた。
ガブリエルがしみじみ呟く。
「なんか、オフクロの料理を思い出したな。暫く顔見てねえや。元気かな?」
アリアが遠い日を回顧する。
「懐かしい。星空の下で皆と語らい、駆け抜けた日々を思い出しちゃった……」
ラシュヴァイナが緩んだ顔で一息つく。
「食べたことのある味だ。ハマオの作ったものだから。でも、これは何度でも食べたくなる。何故かな。安心するのだ」
トッカーは何となく、分かった気がした。
(素朴で肩肘張らない味……忘れていた感覚だ。そう、どんな美食を味わっても、ある時ふと故郷の味が恋しくなる……そんな郷愁が沸きあがってくる。野営という言葉の響きが、今ではないが確かに自分が通ったどこかへと心を誘っているんだ)
もうトッカーは他のガストロノミアン審査員がどんな顔で何をしているのかも気にならなかった。ただただ満足感が身体を支配した。まだ全てのシェフの料理が出きっていないのに、自分はこのスープで良いという確信めいたものが胸に広がった。
エバクエルは、とっくの昔にスープを飲み干していた。
そのときの彼の表情は、今大会で最もリラックスした笑顔だった。
「ぷはぁ……おいボンジョルド。飲まないなら儂に寄越せ」
「勝手にすればいい! こんな、三流食材をわざわざ使うなど、食べる人間を馬鹿にしている!!」
ボンジョルドは激怒していた。
彼の理想とする料理世界のシェフの在り方と比較して、ハマオの醜悪ぶりが過去と比較にならない程の無礼さに達したと彼は思い込んだ。
「ハマオシェフ、貴様はやはり料理の世界に相応しくないッ!! 用意出来る食材で最高の体験を提供する!! その尊き志なくしてガストロノミアンは貴様を認めぬッ!! 未来永劫、何人たりとも、貴様のような料理人こそ唾棄すべきだと全世界に広め尽くしてくれるッ!!」
立ち上がって唾を散らしながら怒鳴るボンジョルドから、普段の厳格なイメージは感じられない。彼と対照的に、ハマオは面倒臭そうな顔を隠そうともしない。
「それがガストロノミアンの在り方というならば大いに結構。ご勝手に罵れば良いと思います。でもね、ただひとつだけ訂正させていただきます」
「今更命乞いか!? シェフ以下の存在が何様のつもりだ!!」
何の命乞いだよ、と言いたげなハマオはひとつため息をつく。
「私は自分が料理人であることに誇りを持っています。《《料理人》》とは、素材の良し悪しに関わらずそこにある食材を極限まで無駄なく、美味しいものに仕上げる存在であると私は定義します。貴方が求めているのは《《調理人》》だ」
転生特典で料理の才能を与えられたハマオが唯一絶対のルールとして己の胸に刻む誇り、それが料理人の定義。
知っている。
トッカーはこのスープに使われた食材たちを知っている。
「肉団子の中にあるこの触感と甘みは、キャベツの芯だ」
そうだ、思い出した。
ジャクラシェフが回鍋肉を作った際に食感がよくないし火の通りの調整が面倒になるからと切り落とした、あの芯。それだけではない。この肉団子には他にも何種類かの野菜やキノコが含まれている。野菜は食感などの問題から切り落とされたものでキノコは恐らく切り落とされた芯から可食部位をギリギリまで切り出している。
「肉はベヒーモスのもの。丁寧に叩いて別の肉を混ぜ、合い挽きのようになっている」
ヨーゼフシェフを含むシェフたちがベヒーモスの肉を調理する際に厚みなどを調整するためトリミングした肉の切れ端。もちろんそれだけではなく繋ぎや香りに工夫があるが、主役級の食材ではなく別の料理の余りのような葉まで使われている。
「ダシもそうだ。ここまでの料理で使われた様々な野菜、魚介類、肉などの中から短時間で旨味を出せる組み合わせを綺麗に揃え、とろみを出している。団子はナンディー牛乳をツナギにチーズを練り込んだことで、スープと肉団子とは異なる味のバランサーになっているんだ」
団子は丁寧に作ってあるが、その気になればもっと上質な団子を作ることもできた筈だ。
しかしハマオは敢えてこの精度の団子を作った。
多分、ナンディー牛乳がなくとも、チーズの種類が違おうとも、スープ内で同じ役割を果たすことの出来る団子の組み合わせは色々とあるだろう。その上でしかし、スープ、肉団子と共に三界の調和を保っている。
ハマオは、手元にあるもので即興のバランスを取った。
もっと上質な食材など幾らでも使って、スープの質を高められた筈なのに。
「そうか……だから野営スープなのか!!」
都心の整ったキッチンを用意出来ず、高級食材をかき集める余裕もない冒険者のような職業であれば、たとえ最高の食材でなくとも無駄遣いは避けたい。戦渦で家を追われたような訳ありの人の場合は尚更そうだ。
しかし、食は生きる活力。
少しでも美味しい形で食べたいに決まっている。
だから、あるもので最高に無駄のない品を作る。
このスープは二流であることにこそ価値があるのだ。
二流だからこそ野営で再現出来る。
どんな状況でも作って食べさせてやれるように。
だが、まだだ。
このスープのレシピの奥に眠る秘密が他にもある筈だ。
トッカーはそれを探し続けたが、無常にもスープは尽きる。
終わってしまった――ガストロノミアンとして、一人の美食家として、終ぞ一杯で神髄を見切ることは出来なかった。
なのに、どうしてだろう。
トッカーは不思議な満足感と安心感に包まれていた。
ふと横を見ると、一般枠の三人が全員安らかな顔でスープを飲み干していた。
ガブリエルがしみじみ呟く。
「なんか、オフクロの料理を思い出したな。暫く顔見てねえや。元気かな?」
アリアが遠い日を回顧する。
「懐かしい。星空の下で皆と語らい、駆け抜けた日々を思い出しちゃった……」
ラシュヴァイナが緩んだ顔で一息つく。
「食べたことのある味だ。ハマオの作ったものだから。でも、これは何度でも食べたくなる。何故かな。安心するのだ」
トッカーは何となく、分かった気がした。
(素朴で肩肘張らない味……忘れていた感覚だ。そう、どんな美食を味わっても、ある時ふと故郷の味が恋しくなる……そんな郷愁が沸きあがってくる。野営という言葉の響きが、今ではないが確かに自分が通ったどこかへと心を誘っているんだ)
もうトッカーは他のガストロノミアン審査員がどんな顔で何をしているのかも気にならなかった。ただただ満足感が身体を支配した。まだ全てのシェフの料理が出きっていないのに、自分はこのスープで良いという確信めいたものが胸に広がった。
エバクエルは、とっくの昔にスープを飲み干していた。
そのときの彼の表情は、今大会で最もリラックスした笑顔だった。
「ぷはぁ……おいボンジョルド。飲まないなら儂に寄越せ」
「勝手にすればいい! こんな、三流食材をわざわざ使うなど、食べる人間を馬鹿にしている!!」
ボンジョルドは激怒していた。
彼の理想とする料理世界のシェフの在り方と比較して、ハマオの醜悪ぶりが過去と比較にならない程の無礼さに達したと彼は思い込んだ。
「ハマオシェフ、貴様はやはり料理の世界に相応しくないッ!! 用意出来る食材で最高の体験を提供する!! その尊き志なくしてガストロノミアンは貴様を認めぬッ!! 未来永劫、何人たりとも、貴様のような料理人こそ唾棄すべきだと全世界に広め尽くしてくれるッ!!」
立ち上がって唾を散らしながら怒鳴るボンジョルドから、普段の厳格なイメージは感じられない。彼と対照的に、ハマオは面倒臭そうな顔を隠そうともしない。
「それがガストロノミアンの在り方というならば大いに結構。ご勝手に罵ればよろしいと思います。でもね、ただひとつだけ訂正させていただきます」
「今更命乞いか!? シェフ以下の存在が何様のつもりだ!!」
何の命乞いだよ、と言いたげなハマオはひとつため息をつく。
「私は自分が料理人であることに誇りを持っています。料理人とは、素材の良し悪しに関わらずそこにある食材を極限まで無駄なく、美味しいものに仕上げる存在であると私は定義します。貴方が求めているのは調理人だ」
転生特典で料理の才能を与えられたハマオが唯一絶対のルールとして己の胸に刻む誇り、それが料理人の定義。
最高の味を提供するために最高に及ばない食材を切り捨てることを過ちとは言わないが、それはハマオからすればあくまで調理であって料理ではない。
他の誰がどうとか、道理的にこうすべきとか、そんな話ではない。
ハマオは己の信念を以てして、料理人でありたいのだ。
「私は料理人として残飯の扱いを受けた食材たちがそのまま捨てられることが忍びなかったから、最大限に活用してシメ料理を作ったまでのこと。それを手抜きと言う貴方は――食べ物のありがたみというものをまるで理解していない」
「な……ッ!!」
彼らは美食云々以前の根本的な思い違いをしている。
「美食とはどこまでいっても金持ちの道楽に過ぎないんです。貴方が口も付けずに捨てていた料理で救われる人もいる。美食の世界とは、食という大分類に於いてはちっぽけなものであると自覚した方がいいですよ」
「……ふっ、不愉快だッ!! このような稚拙な大会、もう付き合っていられぬ!!」
顔を真っ赤に染めたボンジョルドは、普段は礼節の何たるかを散々語る癖に自らは一切礼儀の感じられない態度で立ち上がると、肩を怒らせて帰っていく。ルクシャックとランバルも慌てて立ち上がると、口々に空虚な罵詈雑言をハマオに一方的に浴びせて会場を後にした。
場が静まりかえったかと思った途端、ラシュヴァイナがぽつりと漏らす。
「邪魔な連中が消えたな。奴らの話を聞いていると美味い飯も不味くなる」
その言葉にガブリエルが吹き出し、複数のシェフからも失笑が漏れ、やがて会場全体に笑いが伝播していった。
結局、審査員三名がいなくなって勝敗は有耶無耶になったものの、場に残ったシェフたちが会場の人々に料理を振る舞い、皆の舌を満足させた。
ハマオのスープは一定の好評を得たが、一番であったかどうかは定かではない。
シェフ同士でもいつの間にか交流が始まり、料理大会は主催の予期せぬ形ではあったものの大盛況の中で幕を閉じた。
エバクエルとトッカーはいつの間にか姿を消しており、気づけばハマオはいつも通りラシュヴァイナに肉を焼いてあげていた。それなりに料理を食べた筈なのに、彼女は飽きずに肉を美味しそうに平らげる。
「ラシュヴァイナさん」
「むぐむぐむぐ……ごくん。なんだ?」
「どうして審査員なんて似合わない役割をやってたんですか?」
ラシュヴァイナの気性はハマオもよく見てきたが、彼女なら審査員などややこしくて頭を使うから面倒がりそうなものだ。しかし、大雑把ではあるが彼女はそれなりに真面目に審査員をしていたように思える。
ラシュヴァイナは、逆にハマオに問うた。
「ハマオこそらしくなかった。食べたいと言っているんだから食べさせてやれば良かったのに。あんなに美味い料理をろくに味わえなかったトッカーが可哀想だろう。やつは食べることに大真面目だ。我には分かる」
「……」
ラシュヴァイナが自分の拒絶した男に同情するのは、なんとも複雑な気分だった。長い付き合いの自分に味方してくれてもよいではないかという、彼にしては幼稚な願望が胸中を渦巻く。
しかし、彼女はそんなハマオの気持ちに忖度しないことも彼はよく知っていた。
「私にだって、簡単に割り切れない過去はありますよ。結果的にそいつはさっき割り切ることに成功したので、トッカーくんと会えて良かったのかもしれません。やや釈然とはしませんがね」
「割り切れたのであれば何よりだ。我としてはハマオにつまらない理由で客を選んで欲しくない。ハマオの料理を大好きになってくれる者が増えると我も誇らしい。ハマオは我の認めた最高の料理人なのだ。もっと誇れ」
ラシュヴァイナにしては珍しい、優しい笑みを湛えた激励に、ハマオは照れくさそうに頬を掻く。
「そう面と向って言われると、照れますね……」
ラシュヴァイナがこうもストレートに料理人としてのハマオを褒め称えることは初めてかもしれない。すごいとかありがとう程度なら何度か言われたことがあるが、この勇ましい狼剣士はそんなことを思ってくれていたのかと胸にじんとくるものがあった。
数秒もすればラシュヴァイナはまた肉に夢中になっていたが、ハマオはそれでよかった。彼女が誇りに思える料理人でいる――そういう生き方も悪くないと思ったからだ。
……なお、そんな二人を物陰で見ながら「ハマオくん大好きって言いなさい、このムードを利用するのよラシュヴァイナ……!」と小声で囁くアリア院長と「アネゴにそういう恋愛情緒はちょっと早いんじゃないっすかね」と冷静にツッコむガブリエルの姿があったとか。




