9-2
――あの後、段々と教育に悪そうなワードも出てきたため、ハジメは「今日は忙しそうだから邪魔にならないうちに帰ろう」とクオンの手を引いた。
「もうちょっと見たかったなー……なんて」
「次の機会にしよう。それより今日はお昼にレストランに連れて行ってあげる。まだ食べた事のない料理がいろいろ食べられるぞ」
「食べた事のない料理……!」
口から涎が垂れかけるほど期待に満ちたクオンを見て、扱いやすいが将来がちょっと不安になるハジメ。だが、それも無理らしからぬ事かもしれない。子供の仕事は食う、寝る、遊ぶだ。
レストランでは、クオンは結構食べた。
幸いにして好き嫌いのないクオンは肉も野菜も何でも食べ、更には普段家では作らないスイーツ類にも夢中になった。そして、夢中になったスイーツの器が空になったとき、初めてクオンはねだるような瞳をハジメに向けた。
「今日はここまでだ」
「えぇ!! おかわりはなしなの!?」
「食べ過ぎると虫歯になっちゃうぞ」
「エンシェントドラゴンは虫歯にならないもんっ!」
暫くゴネたクオンだが、一通りごねると満足したように「ごちそうさま」と自ら食事を打ち切った。恐らく、底なしの胃袋を持つ自分が欲望のままに食べ続ければ終わりが来ないことに自分なりに気付いていたのだろう。
こういうときだけ察しが良いのは、流石の賢さと言うべきか。
さて、毎日たっぷり睡眠を取り、先ほど十分に食べたクオンは、当然の如く遊びたがった。そこでハジメは、ここはひとつ同年代の子供と遊ばせてみるのはどうかと公園へ向かった。
「見てみろ、クオン。町の子供たちだ。普段は大人とばかり遊んでいるが、同年代の子とも遊んでみたらどうだ?」
「うん! 行ってくる!」
同年代と言ってもクオンは色々と特殊だが、大体外見年齢通りの感性を持っているから公園で子供に混ざって遊ぶのはいい刺激になるだろうと思っていた。
しかし、ハジメの思惑は盛大に空回ることとなる。
十数分後、そこには不貞腐れるクオンの姿があった。
「ママ」
「なんだ」
「つまんない。帰りたい」
公園のベンチで両足をぶらぶらさせる今のクオンに、町を楽しみにしていた頃の面影はない。今現在、クオンは人生で初めて感じる疎外感に打ちひしがれていた。
子供とのファーストコンタクトは問題なかった。
物珍しい竜人の子供、それも金の角を持つ少女に周囲は興味津々で、様々な種族の子供に混ざって遊びを始めた。
しかし、ここでクオンの埒外の身体能力が期せずして火を噴く。
腕相撲では全員を秒殺。
かけっこではどんなに距離が離れていても秒で追いつく。
かくれんぼは聴覚の鋭さで百発百中、遊具遊びもぶっちぎり。
ボール遊びでは誰よりも早くボールを奪い去ってワンマンプレー。
最初こそスーパーウーマン登場にはしゃいだ子供たちだったが、クオンが余りにも強すぎてその後の戦いの全てがワンサイドゲームと化すと流石に話は変わってくる。
クオンも途中でその雰囲気に気付けずに最後まではしゃぎ通した結果、待っていたのが「お前ばっかり勝ってつまんねぇ」のブーイングと排斥である。その気がなくても勝利してしまうクオンには訳が分からない。
そして、いよいよ苛立った子供たちは公園に背を向けて歩き出した。
『え、ねぇ待ってよ! まだ遊びたいよ!』
『お前と遊んでも楽しくねぇんだよ』
『私たちもう別のところで遊ぶもん!』
『追っかけてくんな、しつけぇぞ!』
『そんな……』
その残酷な言葉が決定打となり、クオンはものの見事に悄気てしまった。
落ち込む我が子に、ハジメは途方にくれる。
(……途中で口を出すべきだったろうか)
子供同士の事に大人が首を突っ込むと話が拗れると思い、ハジメは敢えて何も言わなかった。しかし、目の前で落ち込むクオンを見ると、途中で一言くらい何か言うべきだったのではないかという考えが頭を過ぎる。
クオンは確かに周囲に歩調を合わせる能力を身に着けた。
しかし、それは平均レベルのやたら高いフェオの村特有の基準であり、同年代の子供のそれとは訳が違う。それに村で彼女の周囲にいたのは基本的に分別を弁えた大人ばかりであり、彼女と対等な立場の人はいなかったように思える。
「いいもん。帰って忍者の皆とかけっこするんだもん……」
言い聞かせるようなクオンのか細い声が、彼女の本音を物語っている。
彼女は、初めての友達作りに失敗したのだ。
この経験を糧に反省と対策を促すとなればいいが、これを機にクオンは同年代の子供に近寄らなくなってしまうのではないか、とハジメは思った。なのに、三十年も生きている癖に上手いアドバイスが思い浮かばない自分が無性に情けなくなった。真人間らしい生活をしなかったツケだ。
「……玩具屋に寄ってから帰るか?」
「やだ。すぐ帰る」
「そうか――」
ハジメはそれ以上何も言わず、クオンに手を差し伸べた。
クオンはしかし、その手を取らずに自分で立ち上がる。
あれほどはしゃいでいたクオンがこの落ち込みようで帰ってくれば村は騒ぎになるな――そう思った刹那、ハジメはふと視界の隅に映った光景に違和感を覚える。
(なんだ……いま、何か……)
ハジメはなるべくクオンから目を離さないように、違和感のあった光景を早足で追う。見間違いでなければそれは路地裏に入っていったはずだ。
路地裏を覗き込んだハジメは、その先の光景を注意深く観察した。
そこにいたのは、動物の角のような笛に口をつけているが吹いてはいないピエロと、その後ろを追従する子供たちだ。普通に見ればピエロを物珍しく感じた子供たちが追跡する光景だが、ハジメはすぐに違うと感じた。
(どう見ても子供たちの様子がおかしい……なぜ一言も言葉を発さずに黙々と歩いているんだ?)
年齢も種族も違う子供たちがほぼ一定の歩幅でピエロを追っている様は、まさに異様。ピエロの前にも横にもいかず、一列に並んでだ。路地裏の家の窓に微かに映った子供たちの顔は、一様に夢とうつつの狭間を彷徨っているようだった。
ハジメの脳裏に、フェオから聞いた噂話が過る。
(ピエロの不審者……あいつがそうなのか? それに、あの子供達は確か……)
ピエロに追従する子供達の中に、先ほどまでクオンと遊んでいた子供たちが混ざっている。内心で相手への警戒心を高めるハジメの様子を訝しがったクオンが、歩み寄ってくる。
「ママ……?」
「静かに。ちょっとだけ待ってくれ」
「……」
クオンは両手の人差し指を額に当てて目を閉じる。
『声が出なければ喋ってもいいよね?』
「……お前、そんなことが?」
『口に出さなくても大丈夫だよ、ママ。クオンに伝えたいって思えば簡単な会話なら読み取れるから』
(かなりびっくりした)
『びっくりさせちゃった』
悪戯っぽくぺろっと舌を出すクオン。
少しは元気が出たらしい。
不審な子供達の集団を目で追いながら、ハジメは頭の中でクオンと会話する。
(まさか念話なんてものが使えるとはな)
『ママ、クオンのこと見くびってるでしょ。これはエンシェントドラゴンとしての知識だから。エンシェントドラゴンは普段これを使って、自分の伝えたい相手だけに意思疎通を取るんだって』
(それはすごいな。今度他に出来る事も教えてほしいが、それはさておき……あの子供たちとピエロは明らかに様子が変だ。相手に気付かれないよう追跡する)
『あれって、さっきの……』
(ああ、さっきクオンが遊んでいた子供たちだろう)
一度は上向いた筈のクオンの気分が急速に沈んでいく。
『……放っといて帰ろうよ』
また会話して嫌悪の感情を向けられたくない、という拒絶の意思を強く感じさせる一言。嫌なものを遠ざけたく思うのは生物にとって自己保全の本能だ。
しかし、そうして遠ざけたせいで誰かが傷つけば、遠ざけた者は時として悪になる。
(駄目だ。これは俺と神様との約束だ。不審に思ったものを放っておいて帰るのはいいことではない)
クオンから、納得していませんという無言の意思が浴びせられる。
しかし、ハジメもここは折れることはない。
(どうしてもいやなら先に帰ってもいいぞ。今のクオンなら一人でも家に戻れると俺は信じている)
『……ううん、行く』
(そうか。それじゃ、隠密スキルを使うんだ)
『わかった……』
普段とは違う、ぶっきらぼうな返事だった。
遊び相手に忍者が含まれるクオンは既に低位ながら隠密スキルを使用できる。共に隠密スキルで気配を察されにくくした二人は、なるだけ音を立てずに子供たちを追う。
子供たちは次第に数が多くなり、数十人規模に膨れ上がる。
まるでハーメルンの笛吹き男だ、とハジメは前世の記憶を思い出す。
『ハーメルン、ふえふき?』
(笛を吹く不思議な男の物語だ。ねずみの被害に困っていた町に現れた笛吹き男が、お金を払うならねずみを全て退治すると言い出した。男は町と約束をして、不思議な笛を利用してネズミを引き寄せ退治したが、町は約束を破ってお金を払わなかった。怒った男は今度はその笛で町中の子供たちを集めて連れ去ってしまった……という話だ)
『そーなんだ。確かにずっと笛を吹いてるね、あのニンジャも』
(いや、確かに白化粧しているがあれはニンジャじゃなくてライカゲの趣味だぞ。あれはピエロという……待て。笛を吹いているだと?)
『聞こえないの、ママ? ずっとプープー吹いているよ?』
そんな馬鹿な、とハジメは耳を澄ますが、聞こえない。
だが、クオンがこの状況で嘘をつくとも思えない。
試してみるか――と、ハジメは今まさに別の路地から導かれるようにピエロの方へ向かう子供の背後に降り立ち、耳を塞いでみる。すると子供の動きがぴたりと止まり、やや間を置いて状況が把握できないとばかりに混乱した様子を見せる。
「えっ、ここどこ……後ろに誰かいるの?」
ハジメは子供の耳から手を離した。
すると子供は背後にいたハジメに驚くも、数秒もするとまた意識の薄い目でピエロの方に向かいだした。
(どうやら子供にしか聞こえない音が鳴っているようだ)
『へー、そうだったんだ。全然気づかなかった……この人たち、このまま放っておいたらどうなるのかな』
(このままあのピエロに連れ去れる可能性が高い。その先はひどい目に遭わされるかもしれないし、子供がいなくなった親たちは気が気じゃなくなるだろう)
『……そうなんだ』
クオンは俯き、何かを考えだした。
ハジメはそれに敢えて触れず、子供にスリープの魔法をかける。
すると子供の目はすぐに眠そうにとろんと蕩け、そしてその場で眠りだす。魔法は有効か、と思いながらハジメは子供を路地の隅に一旦寝かせ、思案を巡らせる。
あのピエロは魔王軍の工作員か、それとも度を超えた犯罪者なのだろうか。今のところ索敵に引っ掛かってはいないが、索敵は敵ではないよう振舞う相手には信頼性が下がることもある。
王国内では催眠道具の所持、及び使用は法律で固く禁じられており、悪事の内容によっては極刑もありうる代物だ。まして、万一アイテムを使っていない場合は自力で催眠をかけられる超高位悪魔の類ということになるので、尚のこと危険である。
『つまり、悪い人だよね。だったら!』
(待て、クオン。下手に近づけば子供を盾にされるかもしれないし、お前も洗脳を受けるかも――)
『ちっちっちっ、甘いなぁママは! エンシェントドラゴンはそういうズルが通じない体になってるんだよ? 具体的には人間が状態異常と定めるありとあらゆるバッドステータスが無効なのだぁ!』
さらっとトンでもないことを言い出すクオン。
しかし、そういえば神獣や魔王などこの世界の一部の特別な存在には状態異常が一切効かないという話は耳にしたことがある。神獣たるクオンであれば当然の話だった。
(……クオン、一つだけ確認だ)
『何、ママ?』
(最初あの子たちを見たとき、放っておいて帰ろうとクオンは言った。今も帰りたいか?)
しばしの沈黙の末、クオンははっきりとした口調で質問に答える。
『……わたし、あの子たちはあんまり好きじゃない』
でも、と、クオンは言葉を続ける。
『でも、なんか胸がズキズキするの。心が、嫌いだから見捨てるのは駄目だよって言うの。ねぇママ、もし私が家を出ていったっきり帰ってこなかったら……ママはどうする?』
(探すさ、見つかるまでいつまでも。だって心配だからな。親はきっとみんなそうだ)
『なら、なおさら放っておけないよ。放っておくのはママを悲しませるのと同じことだもん』
(……そうか)
ハジメは目を伏せ、頷く。
今のクオンなら、きっと大丈夫だ。
(よし、なら今回の作戦はクオンに任せよう。いいか、まずは……)
作戦を説明しつつ、しかし、ハジメは自分が一つだけ嘘をついたという自覚があった。
ハジメの両親は、きっとハジメを探してない。




