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道を極めたおっさん冒険者は金が余りすぎたので散財することにしました。  作者: 空戦型


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断章-8(4/6)

 審査員席では五人のガストロノミアンの中でハマオを貶めた中心人物の最後の一人、カールした口ひげを蓄えた老ヒューマンのボンジョルドが赤ワインを静かに口に含み、隣のエバクエルに話しかける。


「トッカーが貴方を見つけ出してきたときは目を疑いました。一度俗世に降りた貴方が何故今更になって美食の世界に戻ってきたのです?」


 他のガストロノミアンに緊張が走る。

 ボンジョルドは貴族階級であり、現ガストロノミアンで最高の舌の持ち主と謳われる人物だ。料理に対する強烈な美学は認めた者を褒め称える反面、そうでないものを唾棄すべき存在として痛烈に批評する。ガストロノミアンの審査員で今現在最も影響力のある人間と言っていいだろう。

 そんな彼が敬語を使う相手であることが、エバクエルの存在の大きさを物語る。

 彼の問いにエバクエルは興味なさそうに暇つぶしの本を読みながら答える。


「下らんとは思った。だが、その下らなさが良かった。我らが遠い昔に失ったものだ」

「失ったのではありません。洗練されていくなかで必要なくなっただけでしょう」

「ならばもう話すことは何もない」

「……相も変わらず頑なでいらっしゃいますね。まぁ、よいでしょう。茶番ももう少しで終わる。ここまではテーマ自体が巫山戯ていたから見逃しましたが、これ以上あの男をのさばらせる気はございません。貴方もどうか美食家としてご懸命な判断をなされることです」

「勝手にせい。儂は興味ない。あのシェフも興味なかろう」


 それっきり、彼らの会話は終わった。

 同じ頃、彼らから離れた席にいたトッカーはそわそわしていた。

 隣のガブリエルが呆れた顔をする。


「あんた、子供じゃないんだからもう少し落ち着いたらどうだ?」

「落ち着いていられませんよ。私は今日の為に貴方方に頭を下げて大会を企画したんですよ? 第一第二、共に素晴らしいものでしたし、期待せざるを得ませんよ……!」

「ハマオの料理は美味いに決まっている。しっかり味わえ」


 何故か上から目線のラシュヴァイナがふふんと自慢げだが、実際にアリアとガブリエルはラシュヴァイナなしに審査員を承諾してくれなかっただろう。


 数日前、ハマオと最も親しいという彼女に事情を説明したときのことをトッカーは思い出す。


『ハマオの料理が食いたいから大会を開くのか? ……うん、了承しよう』


 彼女には彼女の思惑があるようだったが、少なくともトッカーの最も正直な欲求については承知してくれた。そして、審査員にハマオと親しい人間を呼んだ方がいいと提言したのもラシュヴァイナだ。


『あいつは意固地になっている。我だけ審査員で参加すれば我しか喜ばない料理を出してくるに違いない。それではせっかく大会を用意した貴様が哀れだ。我が見繕った審査員を二人ほど入れろ。それであいつは本気を出すだろう』


 こうして審査員問題とハマオが出場する為の導線は整ったが、問題は大会そのものだった。


 トッカーはハマオが一方的に不利にならない変則的な大会を企画した。題目としては、「高止まりした料理界の敷居を下げ、新規参入者を増やす」というものだ。


 料理界は成長を続ける一方で、変化に乏しく価値観が固定されたまま動かなくなりつつある。料理とは勿論美食文化を楽しむものではあるが、同時に多くの人間が文化として楽しめるものでもなければ金持ちの道楽にしかならない。

 また、革新的な料理や新基軸の料理が登場しても、固定的価値観が潰してしまって芽が育たないという問題も無視できなくなりつつあった。


 だから、敷居を下げる為に敢えて固定的価値観と離れたテーマで料理を作る。

 そういうコンセプトで提案した企画だったが、これにトッカーは骨を折った。


「固定的価値観で凝り固まった状態の人達に「違うことをしましょう」って説得する訳ですから、みんな首を縦に振らず大苦戦でしたよ。困り果てて頓挫しかけたところにミスター・エバクエルとばったり出くわしてなければどうなっていたことか……」

「あのおっさん、そんなに偉いのか。他の美食家がやたら顔色窺ってるなとは思ったけど」


 トッカーはまるで自分のことのように誇らしげな表情を浮かべ、エバクエルの素性を語る。


「ミスター・エバクエルはガストロノミアンの伝説の美食家です。彼の料理を正しく品評する為の知恵やテクニック、作法がそのまま今のガストロノミアンの基準になってるくらいで、当時は過大評価の大物ぶった料理人を容赦なく切り捨て、本当に真摯に料理と向き合うシェフたちが正当に評価される道を作ったと言われています。彼なしにガストロノミアンは今ほどの格式を得られなかったでしょう」


 アリアは「私、知ってるわ」と過去を懐かしむ。


「昔は高級食材を使って見た目が良ければ味は二の次で良いみたいな店が結構あってね。美食家も味の評価基準が人によってバラバラだし、星を貰った料理人は客から金を取って当たり前みたいな感じだったの」

「なんか鼻につきやすねぇ。そんな連中をエバクエルのおっさんがケツ蹴り上げた訳ですかい」

「ちょっと喩えがお下品だけど、そういうことになるわね。美味しくない店には『金払う価値もない』って酷評したり、なんてことない個人経営店のシェフに『そこらの店より美味いからもっと金取っていい』って後推ししたり。破天荒で煙たがられることもあったけど、でも批評はいっつも的を射てたのよねぇ」


 ガブリエルがへー、と感心する一方でラシュヴァイナはしっくりこないと首を傾げる。


「……今の奴からはそんな覇気を感じないが、老いというやつか?」


 エバクエルは時折含蓄のあることは言うものの、それほど大会に積極的には見えない。ハマオの料理を含めたごく一部の料理で嬉しそうに一瞬微笑んだのを見たが、その料理は点の高いものという訳でもなく、彼の喜びの基準はよく分からなかった。


 ただ、舌は今も確かなのだろう。

 トッカーはそれでも過去の伝説に羨望のまなざしを向ける。


「ガストロノミアンには10年ほど席を置き、その後突如として辞職宣言と共に去りましたが実績が大きすぎて今も名誉会員扱いになっています。影響力は見ての通りで、ハマオシェフを貶めようと強引に審査員に入り込んだ面々も場外乱闘を自粛しています。本当にあの方の協力を得られてよかった……」

「あのボンチャラやら言う男も乱暴者なのか? 視線で分かるがハマオは奴のことも嫌いだろう」


 名前を間違えているラシュヴァイナにトッカーは少し呆れるが、彼女の推測は恐らく的中している。自然主義のルクシャック、地位に拘るランバル……この二人がハマオに異様に攻撃的なのは、彼らがボンジョルドという後ろ盾を持っていたことも理由のひとつだった。


「ボンジョルド卿はミスター・エバクエルに薫陶を賜った弟子であり、後輩であり、同年代に活動していた最古参の美食家の一人です。当時は二人の関係は良好で、精力的に活動するミスター・エバクエルへの批判を捌いて美食ルールを確立した立役者……味覚も勿論ですが、彼の最たる功績は『似非料理人』と『似非評論家』の駆逐にありました」


 当時、エバクエルというカリスマの登場で世界美食連盟ガストロノミアンという組織は激しい新陳代謝と肥大化が発生していた。それに対して反発する勢力もいたが、それ以上に一時の流行に乗じて実力も無いのに勝手にガストロノミアンの一員のように振る舞い好き勝手のたまう連中が加速度的に膨れ上がり、批判される謂れのない店が誹謗中傷を受けて包丁を置くような事態が頻発していた。


 これを引き締めたのがボンジョルドだ。

 新規の受け皿を用意しつつも伝統料理人が不当に貶められることがないよう判断基準を整理し、更にはガストロノミアンの批評の質を圧倒的に高めることで質の低い批評家たちを駆逐し、大会では実力の無い料理人に対してエバクエル以上に辛辣かつ的確な批評をぶつけるなど辣腕を振るった。


「当時の荒れた美食界隈を安定に導いたボンジョルド卿も間違いなく生ける伝説です。ルクシャック氏もランバル氏も少々行きすぎた所はありますが、味覚に関してはボンジョルド卿の弟子だけあって正確だと私は思います」


 ラシュヴァイナは食事の際にそこまで拘りはなかったが、周囲の反応を見るにそうなのだろうと納得した。代わりに、それほど正確な味覚があるのに何故ボンジョルドがハマオを酷評したのかが分からなかった。

 トッカーは少し言いづらそうに、真相を語る。


「ボンジョルド卿の厳格さは当時は確かに必要なものでした。それによってガストロノミアンは格式を保った。しかし、ミスター・エバクエルが去ってからずっと最高位に座すこととなったボンジョルド卿の厳格さは……今となっては少し行きすぎに感じるところがあります」


 生ける伝説、ガストロノミアンの実質的頂点――数多の弟子に囲まれたボンジョルドという男が師匠と袂を別つことになった、恐らくは最大の原因。


「ボンジョルド卿は、何十年も前の一流料理人の礼儀を今も変わらず重んじています。逆を言えば、その礼を失する者は料理の味もついてこないという、今となっては現実とやや乖離する信仰めいた考えを頑なに持ち続けているのです」


 たとえば食材を触る前の伝統的な手の洗い方があるとしよう。

 伝統には理由があり、当時なりの合理性がある。

 とはいえ、手を洗う目的は手を清潔にするためであり、結果的にきちんと洗えていれば右手から水を触れようが左手から水を触れようが関係ない。なのでこの手の洗い方はあくまで合理的手段の典型例という以上の意味は無い。


 しかし、ボンジョルドはそこに拘る。

 繰り返すが、確かに伝統には理由と合理性もあるのだ。

 それらの知識を事前に学ばずに料理の世界に入る似非料理人が彼の若かりし頃は多かったが故に彼はそれに厳しかったのだろう。逆に、その洗い方を知っているということは料理の基礎からきちんと確認した、資格ある料理人ということになる。


 つまり、ボンジョルドは基礎から学んで出直しにこいと伝統を軽んじた者に敢えて辛く当たる――と言えば聞こえはいいが、彼は余りにも長くそれを重んじすぎた結果、ひとつでも伝統の礼儀を失したシェフの料理は口もつけずに失格扱いして頭ごなしにねちねち嫌味を言うようになってしまった。


 どんな手の洗い方をしたって、料理は料理なのに。


「ミスター・エバクエルがガストロノミアンを去ったのはその辺りの見解の相違があったのかも知れません。ひとつだけ確かなのは、ボンジョルド卿は次の勝負でハマオさんの料理に口を付けないでしょう」


 年月を重ねたボンジョルドは舌だけは確かであるのを全ての正しさと勘違いした、絶対もういらない慣習を頑なに残そうとする非効率会社のワンマン社長と化していた。

 実力と実績があるだけに周囲も指摘できないどころか逆に社長の太鼓持ちと化す、一番新規を潰してしまうパターンである。


 トッカーの宣言を裏付けるかのように、ガストロノミアン最重鎮であるボンジョルドの第三試合での批評は容赦ないものになった。


「食わずとも分かる。シメにこのようなクドい油を使う等と……」


「包丁を入れる角度ひとつで食感は変わる。まな板の上で既に失敗作だ」


「運ばれてくるまでの麺の伸びを計算せずに作ったな」


 多くのシェフ達が一口食べて貰うことすら敵わずボンジョルドの前に散ってゆく。

 しかも、指摘の一つ一つに心当たりがあるためシェフ達も反論出来ない。

 反面、星を持つシェフたちには好印象とばかりに口にしてゆく。

 無論、それだけ星持ちシェフに隙が無いのも確かではあるが、彼らは嘗てボンジョルドに難癖をつけられて矯正を余儀なくされたとも受け取れる。


 ルクシャックとランバルはボンジョルドが酷評した料理は虎の威を借りたように執拗にダメ出しをし、ボンジョルドが褒めた料理は称賛する。その様はどこか、これこそが美食だと誇示するような、大会の趣旨にさえ不満があるかのような態度にさえ思えた。


 トッカーは複雑な心境だった。

 彼らは美食家として正しいのかも知れないが、胸のどこかに引っかかりを覚える。


(ルクシャック卿は当人も料理上手。食べずに判断できるのも嘘ではない。他の面々もそうだ。しかし、この当てつけのような態度は……)


 会場の観客達のこれまでの盛り上がりが冷めてゆく。

 楽しい料理、予想出来ない料理と続いた先にあったものの余りの厳格さと、理解出来ないものに対する反発。大抵の人間は食べなければ料理の味など分からない。天才肌のボンジョルド卿の感覚は庶民と大きく乖離している。


 嘗てはエバクエルのフォローをする程度には市囲の目線を見極める力があったのに、今の彼は「自分の判断も理解出来ない低俗な学力の者は帰れ」とでも言いたげで、一般枠の審査員も彼の態度に鼻白んだ空気があった。


 エバクエルはというと、相変わらず時折彼の何かに刺さった料理に笑顔を見せながら、ガストロノミアンを完全に無視して出された品を完食している。

 何が彼を笑顔にさせているのかが分からず、トッカーは言い知れぬ不安が積もっていった。


 また一人、スープのスパイスの加減にケチをつけられた褐色肌の異国の女性シェフが料理を食べて貰えずに項垂れる。

 ボンジョルドは、あろうことかそのシェフに料理と関係の無い暴言を吐く。


「その出で立ち、ネルヴァーナ国出身であろう。砂漠だらけの土地の食しか知らぬ女では、家庭料理が精一杯だろうよ」


 国家、人種、性別に対する誹謗中傷と、自国の食文化の誇示。

 女性シェフは俯いて歯を食いしばり、悔しさに拳を握りしめる。

 トッカーはその言葉で確信する。

 長らくガストロノミアンの王様気分で過ごし続けたボンジョルドは、もうガストロノミアンの伝統の中でしか生きていけない偏屈な老人になってしまったのだと。


 ガブリエルが横柄な彼の態度に腰を浮かせて立ち上がろうとしたそのとき、ハマオが「すみません」と急に手を上げて女性シェフに歩み寄る。


「ずっと気になってたんですけど、あなた面白いスパイス使ってましたよね。ネルヴァーナのスパイスは結構チェックしてるつもりだったんですけど、あれは知らない」

「ど……どのスパイスですか?」

「ほら、あのスターアニスっぽいやつ。一見そっくりですけど、よく見ると違うやつですよね?」


 夜空の星の煌めきのように沢山の角が突き出た不思議なスパイスに、女性シェフ――ナイーザは戸惑いつつ答える。


「あれは古種です。新種は品種改良で辛みを強調されていますが、古種は辛みを抑えた代わりに口にした瞬間に清涼感のある香りが駆け抜けるので、刺激を抑えたいときや食品の臭いとの兼ね合いで使い分けます」


 スパイスに煩い方の料理人ジャクラも興味を示す。


「シャイナ王国じゃ出回ってねえよなぁ。稀少なのか?」

「ネルヴァーナ国内では普通に買えますが、地域差はあるかな。輸出するほどは育てていないし見慣れない人は古種と違いが分からないので……」


 話を聞いているうちに他のシェフ達も気になってきたのか、ナイーザの周囲に集まってくる。


「味見してよいか?」

「どうぞ」

「い~い香りじゃないか。辛さの中にある爽やかさとでも言うべきか?」

「シェフのスパイス加減もあってだろうな。単体だときっともっと違う香りになるけれど、こいつが主軸になることで纏まってるんだ。流石は本場の人間、大したものだ」

「魚料理にうまいこと使えるか?」

「いや、粉末にしてライスに少量混ぜてもよさそうだ」

「きみ、伝手があるなら今度紹介してくれよ。なんなら君を経由して買ってもいい。こいつは面白いスパイスだ」


 ナイーザは自分の料理に興味を持って貰えたことで多少は自信を取り戻したようだった。


 一方のボンジョルドは、我関せずという顔だ。

 そこも込みで判断したような顔をしているが、エバクエルが「見間違えたな、馬鹿弟子が」とぼそりと呟いてスパイススープを飲み干す。


「角の数と丸みの違い。ネルヴァーナの料理に精通してれば一瞬で見抜けた筈だ。ボンジョルド、最後にネルヴァーナに足を運んだのはいつだ? ネルヴァーナ料理の厨房を覗いたのは?」

「……貴方には関係の無いことです。私は私の舌に絶対の自信がある」

「じゃあ舌に乗せてから判断しろ」

「乗せずとも分かる。スパイス過多を香りで誤魔化しただけ田舎料理だ」

「だからお前は馬鹿弟子なんだ。情報ばかり食いやがって。次のスープもどうせ分からないんだろうな……」

「食べる価値もない料理です」


 ボンジョルドは鉄面皮を貫く。

 エバクエルは、どこか寂しそうだった。

 次に出てくるのは、ハマオのシメ料理である。

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