断章-7(2/2)
クリッドは自分が転生者であることをそれほど隠していなかった。
具体的には、転生者であれば彼が転生者ではないかと疑いを持つ言動がたまにあったし、本人も問われれば正直に答えていた。ハジメはてっきり彼の転生特典は才能、外見、装備品の三つに振られていると思っていたが、まさか二次元のキャラになりきっているとは知らなかった。
「架空のキャラになりきって今までずっと人生を送ってきたのか?」
「そうなる。クリッドは英雄キャラで、名言とかも多いからすげぇ真似して楽しんでたよ」
「一体それは何が楽しいんだ?」
「えっ」
真っ先に想像したのはドッペルゲンガーのアンジュだが、彼女は今でこそ安定しているものの、元々は自己評価の低さから自分という存在に耐えられず、しかし誰かを真似てもそこには自分が欠落するというジレンマの狭間の存在だった。
しかし、クリッドは少なくとも最近までは純粋にそれを楽しんでいたようなので事情は大きく異なる。
ハジメにはいまいち理解の及ばない感覚だ。
「見た目と能力はその架空のキャラクターと同じになっても、精神は自分自身なんだろう? キャラクターっぽい振る舞いは出来てもキャラクターそのものにはなれない」
「まぁ、そうだけど」
「キャラクターに完全になりきりたいからその姿になった訳ではないのか?」
「そんな完璧主義は求めてないけよ」
「つまり適度に妥協はあったということか」
「いやさ、ハジメ。ハジメくんや。相手に完璧になりきりたいなんて人はメンヘラ系であって、普通の人はそこまで架空のキャラに陶酔できないからね? もっとライトなものだよ俺がやってんのは。ごっこみたいなもんよ」
言われて見れば、架空のキャラに完全になりきるには自分を捨てる覚悟が必要になる。極論を言えば自己の喪失、或いは完全合一が目標となるので、ごっこで済ませるというのは合理的な考えかもしれない。
架空の英雄を演じて現実に羨望の視線を集め人心を得るごっこ遊び。
言葉にしてみるとかなりヤバイ奴に聞こえるが、言ったらまたキレ散らかされそうなのでそれは言わない。
「だったら何故身体をキャラそのものにしたんだ? キャラに憧れて人生の指標とするというのなら何となく理解は出来るんだが」
「いやその、憧れるったって二次元キャラ相手だと限度があるからね。ほら、その、ゲームとか漫画読んでてさ。もしこういうシチュエーションがあったらこいつは格好よくこう答えるんだろうな~って想像が膨らんだりとか、ねぇ? それがもし自分だったらとか。そういうこと考えるのに完璧超人なクリッドってキャラはイメージしやすかったんだよ」
逆にハジメの言うことが分からないとばかりにクリッドは頬を掻く。
つまり、彼にとってキャラクター:クリッドとは人間的存在ではないようだ。それこそゲームのアバターのような――とは言ってもハジメはその辺は詳しくないが――なりきり遊びがしたいが為に彼は転生後にわざわざクリッドというキャラになった挙げ句、辞めたくても辞められなくなって苦しんでいることになる。
「それはそのキャラが好きなのではなくキャラクターに自己を投影してちやほやされたり万能感に浸るのが好きなのであって、それならば別にキャラクターのガワを借りなくともやりようはあったのでは?」
「お前ものすごい嫌なこと言うね!? 今更そんな正論言って結果が変わりますかァ!?」
「いや、すまん。なんで早い段階でその可能性を考えなかったのかを不思議に思ってしまった」
「それ遠回しに俺のこと馬鹿にしてるのと同じだからなァ!?」
額に青筋を立てて唾が飛沫になるほどの怒声を挙げるクリッド。
多分だが、元のキャラとなったクリッドはこのような怒り方はしないのではないだろうか。今までこのような俗人的でドラマ性の欠片もない怒り方をしたクリッドは見たことがない。彼は普段、相当演じる自分に酔っていたようだ。
逆を言えば、今の彼は酔いから覚めている。
「今までは楽しんでいた筈だろう。何故今になって辞めたいなんて言いだしたんだ」
20年以上演じていれば、もはやほぼ自分自身のようなものだろう。
元キャラに対する畏敬の念や演じる拘りがある訳でもないようだ。
ぶつけられた疑問に対し、クリッドは渋い顔で経緯をぽつぽつと口にした。
「……ゲームのクリッドは18歳だった。今の俺は27歳だ。まだ老けたとまでは思わないけど、鏡見るとちょっとイメージとずれててキツイなって思って、そこから段々と……30歳のクリッドって、もうクリッドじゃねえだろ……」
ハジメではない誰かに愚痴るような言葉を吐き、クリッドは深いため息をついた。
(言われてみれば、ゲームや漫画のキャラは歳を取らないことが多いのか)
作品にもよるが、多くの二次元キャラクターは作品が完結すればそこで時間が止まる。中には時間の概念が曖昧でずっと同じ年代のまま何年、何十年も続くこともある。作中で長い年月が経過するものもあるが、基本的には多くの作品がキャラクターデザイン自体は作品開始時と終了時であまり変わらないのではないだろうか。
クリッドを再現した時には思い至らなかった盲点といったところだろう。
彼の外見は確かに10代のフレッシュさはないが、元がいいので見た目には全然若々しい方だ。しかし、元となったクリッドの姿とは確実に乖離が進み、いつかはイラストと似ても似つかない老人になる。
自分がクリッドになれば、本物のクリッド以上の時間を歩まなければならなくなる。言動を若いクリッドに依存していた彼は、これからのクリッドの演じ方が分からず投げ出したくなった――というのが事のあらましのようだ。
クリッドなら嫌われようとこうする、という決断は、逆を言えばクリッドというキャラクターに自分の責任を押しつけているということでもある。この男は根っこの部分では自分の行動に自信がないのだ。
「……お前、逆にその心持ちでよくここまで強くなれたな。一周回ってすごいぞ」
「下手な慰めなんかいらないんだけど!?」
「いや、言っておくが転生特典込みでも20代でレベル90のラインに乗るのは誰でも出来ることじゃないからな?」
ハジメはこの男は実はすごいやつなのではないかと本気で思い始めていた。
見通し激甘転生者はこの世界では珍しくないが、架空キャラのロールプレイを貫き通すだけで今の高みに至ったのは間違いなく非凡な才覚である。
その才能もキャラクター:クリッドのおかげといえばそれまでだが、中身はまねっこしてるだけで別人だった訳なので、自力で到達したと言える部分も大いにある。
本来ならこの手の悩みは『アムネシアの聖女』の管理する案件だが――。
「パブリックイメージがどうこう言っていたが、つまり理想の英雄を演じるのを辞めることで世間が掌を返したり微妙な顔をするのが怖いんだな?」
「そうだよ。清廉なイメージつきすぎなんだよ。金八先生演じすぎて一生良い人でいることを強いられる武田鉄矢さんみたいな状態だよ」
既存キャラのまねっこをしているだけで大物俳優に勝手に共感するクリッド。
それとは対照的に、ハジメの導き出した答えは淡泊だった。
「辞めたいなら辞めればいいだろ。既に実力も財産もあるだろ? そこまで強くなれたんだったらこれからの人生もどうにかなる。だいたい、世の中の誰にも失望されず生きていくことなど不可能だ。嫌われるつもりでとっとと言ってしまえ」
「んんん誰も幸せにしない正論ンンンンンッ!!!」
「うるさい」
怒っているんだかなんだか分からない必死の形相で抗議するクリッドを、ハジメは四文字で切り捨てた。
「そもそも、お前が自分で選んだ道で勝手に不幸になった事について俺にどうしろと言うんだ。俺の意見は変わらん。これ以上文句をごちゃごちゃ垂れるようなら今からマリアンの所に行って全部事情をぶちまけるぞ」
「し、守秘義務違反だぞ!!」
「お前から請けた依頼は腕試しのみ。相談に対する守秘義務はない」
「うぐぐぐぐ……そ、それしかないのかぁっ……!?」
蹲って懊悩するクリッドを放置して、ハジメはとっとと帰路に就いた。
――そして、数日後。
「結局、なんか丸く収まった」
菓子折片手に村に挨拶に来たクリッドはほっとしたような、がっかりしたような、なんとも言えない微妙な顔で事のあらましを告げた。
「流石にロールプレイ野郎ですとは言えなくて、もう少し自由に生きていきたいみたいなこと言ったら周りが「やっと本音が聞けた」みたいなこと言って喜びだして……前ほど肩肘張らずに済むようになったのはいいけど、結局英雄から脱却できなかった」
音楽でヒット曲を一発当てたらその一発しかメガヒットしなくて一曲に呪われ続けるミュージシャンみたいなテンションの言い方だが、クリッドの場合はそれより大分自業自得寄りである。
ハジメは正直こんなことではないかと思っていた。
彼は本人の望む望まざるに関わらず、元々そういう役を演じる能力があったのだ。
その能力にガワが追いついたことで、彼は本当に英雄になってしまった。
実際にそれが人の役に立っている上に本人が周囲の目を気にする性格だから、この英雄像は当分彼に纏わり付くだろう。実績に裏打ちされているから余計に強固に。
「お前は案外本物のクリッドより出来る男なのかもしれん」
ハジメのそれなりに本気の言葉だが、クリッドは当然否定する。
「やめてくれ! 本物を凌駕する偽物展開は好きだけど、自分でなりたくはない!!」
「本当に嫌になったら逃げるなり本気で打ち明けるなりすればいい」
「それっていつでも辞める覚悟があるから心に余裕ができてまだ続けられるってヤツだろ!? 騙されんぞッ!! 結果的にあんたに相談したのは正解だったけれども、ソレはソレでコレはコレだからなッ!! 英雄は卒業したいんだよ!!」
「うるさい。俺の答えは変わらん」
青筋を立てて怒れるクリッドだが、そんなことを言いつつどうせ辞める踏ん切りが一生つかないまま周囲を勘違いさせて、ちゃっかり英雄の恩恵を受けながら過ごす気がするハジメであった。
ちなみに、今後も愚痴りに来られると面倒臭いので「この村はマリアンがよく出入りしている」と告げると彼は真顔になり脱兎の如く去って行った。まさか天才マリアンがクリッド避けに活用出来るとは、あのクソガキマインドを宿せし者もたまには人の役に立つものだ。




