断章-7(1/2)
この世界に於いて『英雄』と呼ばれる者は、驚くほど少ない。
時として勇者とその一行を英雄視することはあるが、神器に選ばれるという明確な基準がある勇者一行に対し、英雄の定義は曖昧だ。
優れた能力によって非凡な結果を手繰り寄せるという意味ではアデプトクラス冒険者も条件は近いが、彼らにとってそれらの偉業は職務であり、世間に喧伝されない活躍も少なくないのでそう呼ばれることは殆どない。
或いは、狭い土地の中で特筆すべき能力を発揮している人間をローカルな範囲で英雄と呼ぶことはあるが、国民の誰もが英雄だと認める者となると果たして如何ほどか。
あと英雄の雄は男を意味するからジェンダー差別だという主張もあるがそれは少数なのでさておく。
この世界で『英雄』と呼ばれるにはそれに匹敵する偉業が必要だ。
人と人の戦争が極端に少ない世界では英雄は生まれづらい。
魔王軍との戦いで華々しい戦果を挙げた程度では「アデプトクラスや竜人の戦士でも出来る」と片付けられるし、勇者一行という分かりやすい象徴の前には霞む。
その中にあって英雄と称されるには相当な勲功を重ねなければならないだろう。
しかし、英雄然とした外見と風格を持った人間が英雄を自称し、英雄的な振る舞いと戦果を挙げ続ければどうだろう。
人々はその人物が体現する英雄像を受け入れるのではないだろうか。
実際にそれをやって『英雄』となった男が一人、冒険者にいる。
それがベテランクラス冒険者のヒューマン、クリッド・ヘリオレンスである。
この世界では見たことのない――恐らく一品ものの――豪華な鎧を纏ったクリッドは、激しい剣戟の最中に生まれた一瞬の空白を縫って仮想敵であるハジメに肉薄する。
クリッドの実力は、大それた称号を自称するだけあってアデプトクラスに匹敵する。彼がアデプトに昇格していないのは、時に秘匿性を求められるアデプトに採用するには余りにも目立ちすぎるからだ。
クリッドは勇猛な叫びと共に精緻な細工の施された直剣で華麗な剣技を披露する。
「はぁぁぁぁッ!! シュトロームシザースッ!!」
渦を巻くように絶え間なく連続でぶつけられる斬撃はその一刀一刀に気迫があり、下手に防げばその時点で押し込まれかねない。
ハジメは彼の繰り出す攻撃を大剣を盾に冷静にいなす。
シュトロームシザースは直撃すれば大ダメージ、ガードしても押し込まれて動けなくなり、生半可な回避では追尾で距離を詰められるという直剣スキル最上位級の決め技だ。
繰り出すタイミングや狙い目、バトルメイク自体も上手い。
ハジメが相手でなければ殆どの戦いはこれで決着が着いていただろう。
今、クリッドとハジメは魔王城近くの荒れ地で実戦形式の訓練をしていた。
依頼者はクリッドで、ハジメは時間に余裕があったのもありそれを請けた。
ライカゲの腕試しと似たようなものだが、流石にハジメのレベルが大幅に上回っているため、相手の力量を詳細に見定める余裕がある。
(レベル100も遠くないな。装備も聖遺物級で性能を引き出せている。実戦経験も申し分ない。転生者故のブーストがあるとはいえ、ここまで正統に鍛えてるヤツは珍しい)
その気になれば押し返すことは容易だが、ハジメは敢えて変則的な方法を選ぶ。
片手で剣を支え、空いた手で杖を掴むと魔法を発動する。
「ロックハインダー」
「うッ!!」
魔法を発動し、クリッドの足下から岩がせり出す。
魔法剣士系との実戦経験からか瞬時に危険を察知したクリッドは辛うじて技を中断し、岩の加速に足を合わせて宙返りで後方に飛ぶことで攻撃を回避した。
ハジメは即座に大剣を構え直し、追撃に移る。
大剣の重さと大きさを最大限に活かした刺突という名の突進だ。
「グラトニーファング!」
「くっ……フェアリーシンドローム!!」
着地と同時に狩られることを察したクリッドは、空中で飛行魔法を発動した。
十分な練度なしには難しい魔法――しかし、彼はその魔法で急に減速する。ハジメは彼の意図に気付いて感心した。
(自在に飛ぶのではなく空中での制動に使ってタイミングをずらしてきたか。あれなら練度不足でも活用できる。上手い使い方だ)
最近になって開発されたばかりの魔法を早速学んで活用方法を見出す嗅覚も評価すべき点だが、それだけでは突撃は躱せない。ハジメは詠唱破棄で再度ロックハインダーを使用する。
杖なしの詠唱破棄で唱えられたロックハインダーは攻撃魔法とは思えないほど控えめで弱々しい大地の隆起を引き起こすが、それはクリッドではなくハジメの進行方向に発生していた。
クリッドがその意図に気付いてはっとするが、もう遅い。
「まさか、岩を足場に突進の軌道をッ!?」
そう、これはグラトニーファングの突撃方向を上向きにして空中の敵に攻撃を命中させる裏技的運用法だ。突進速度の速さと飛行魔法の練度不足でどうにも出来なかったクリッドは咄嗟に美しい細工の盾を突き出した。
「ガードアイギスッ!!」
大剣と盾が接触。
盾の正面に半透明な障壁が輝き――即座に砕けた。
ガードアイギスはかなりの防御力を誇る盾スキルだが、流石にハジメの大剣を凌ぐには無理があった。弾き飛ばされたクリッドはそれでも着地姿勢を取ろうとするが、衝撃を逃がす為に転がるので精一杯だった。
ハジメは突撃の勢いそのままに転がるクリッドに追いつく。
大剣の射程内に入ったクリッドは、敗北を悟る。
「ガハッ!! ……参った、降参だ」
剣と盾を手放したクリッドは仰向けに寝そべったまま両掌を見せた。
依頼主の言うことなのでハジメも剣を仕舞う。
起き上がって身体の埃を軽く払った彼は、屈託のない笑顔で握手を求める手を差し出す。
「あんな畳みかけのやり方があるなんて、勉強になったよ。本当は力押しも出来たのに、敢えて経験を積ませてくれたんだろ?」
「より依頼主の要望に沿う形になるかとな。為になったなら何よりだ」
嫌味の無い言葉と誠実な対応。
そこに少しばかりの愛嬌。
懐の広さと人当たりの良さもまた、クリッドが英雄を名乗るのを周囲が受け入れやすい要素だ。転生者であることを感じさせないほど世界に馴染んだ様から、ハジメは時折彼が転生者であることを忘れそうになる。
――数分後、呼吸を整えて傷を回復したクリッドは使い捨てテントの中でハジメと対面して苦笑していた。
「あんた強すぎるって。前より更に強くなってない?」
「未だに仕事はしているからな」
ハジメとクリッドは直接的な付き合いこそ少ないが、互いに見知った間柄だった。
彼が転生者だからではなく、仕事の傾向が一部被っていたからだ。
クリッドは緊急性の高い仕事も積極的に請け負うために、人数が必要な仕事では共に仕事に挑むことが何度もあった。
年齢はクリッドの方が三歳ほど年下だが、彼もまた幼い頃から冒険者だったので付き合いの古さで言えばライカゲより長い。
また、明朗な性格のクリッドは周囲に気味悪がられていたハジメのようなとっつきづらい冒険者にも分け隔て無い態度で接していた。
ハジメが仕事中に難癖をつけられたときも相手を立てつつも怒りを収めて身を引かせるよう巧みな話術で誘導したり、事を荒立てず厄介なトラブルを解決する様も周囲に人気がある。
だからこそ、ハジメはクリッドからの突然の依頼に疑問を持った。
「それで、なんで急に手合わせの仕事など頼んだ? 今までわざわざ依頼を通して他人に腕試しを頼むようなキャラじゃないだろう、お前は」
ハジメが依頼を請けた理由の半分以上は、彼の真意の確認だ。
クリッドは今日日珍しいくらい真っ当に異世界での英雄街道を歩む超正統派転生冒険者だ。周囲からの人望も本当に厚く、腕試しのために仕事を頼んでくるなどというバトルジャンキー的な側面は少なくともハジメは見聞きしたことがない。
質問を受けたクリッドは好青年然とした顔を崩し、苦悩を孕んだ複雑な表情になる。
「キャラじゃないのは分かってるけど他に相談する相手が思いつかなくて、つい口実に戦いを持ち出してしまった。俺とあんたの実力差を測りたい気持ち自体は嘘じゃないけどな」
思ったより深刻そうだ、と、ハジメは身構える。
クリッドと言えばいかなる時も泰然と構え、どんな事態も冷静に受け止め、その上で人を気遣いつつ戦いを勝利に導くまさに英雄的な性格だ。今のように弱音を見せた場面はハジメの記憶にない。まさにコミュ障なハジメの対極にある存在だ。
そんな彼がわざわざらしくない婉曲な手段で接触を試みた、その理由は――。
「まさにそのキャラなんだ」
「キャラ?」
クリッドは大仰にため息をつくと、半目でハジメを見やると思わぬことを言った。
「――お前は未だに知らないみたいだけどな。クリッド・ヘリオレンスってのはリアル世界のゲームのキャラなんだ」
ハジメは一瞬耳を疑った。
クリッドはその反応が耐えられないとばかりに目を逸らした。
「俺はクリッドが好きで、ゲームのクリッドのビジュと装備を神に再現して貰った。それが俺の転生特典なんだ。でも、正直最近もうこのロールプレイが客観的に見てキツくて……」
その反応が、彼が自分の言葉の意味を正しく理解していることを物語っていた。
「つまり、お前は架空のキャラのなりきりごっこを何十年も続けているイタい男ということか?」
「言い方ってもんがあるだろぉがよぉぉぉーーーーッ!!?」
クリッドが激昂してハジメの胸ぐらを掴んで揺さぶる。
彼へのイメージと180度違う、英雄感のない俗人的な怒り。
「お前なら言いふらさないと思って相談したけど実際に目の当たりにするとやっぱつれぇなぁ!? まさかそんなに的確に傷を抉るほど煽り上手とは知らなかったよッ!!」
「えぇ……なんかお前の顔が急激にカエルみたいに見えてきた」
「蛙化現象でしっかり失望してんじゃねぇッ!!」
カエルを悪口みたいに言うとカエルに失礼だとジライヤ&ベアトリスに怒られそうだな、と、ハジメは遠い目をした。
なんで最近の連中はわざわざハジメのところに面倒な相談ばかり持ち込むんだろうか。




