断章-5(2/2)
レヴィアタンの横でウシナミはしまったとばかりに顔に手を当てて悔いる。
「ああ、そういえば外の世界では我々セイレーンは人魚と呼ばれると耳にしたことが……そうか、人魚だと言って真形を見せれば説得できたのですね。突然の詰問に混乱して思いつきませんでした! 流石はレヴィアタン様、とってもかしこい!!」
『うむうむ、もっと褒めるが良い』
ドヤ顔のレヴィアタンを純粋に褒め称えるウシナミ。
どうやら「とってもかしこい」は人魚の世界では結構大きめの意味らしい。
マイルは思わず大仰なため息が漏れた。
「そうか、人魚はパンツなんて穿いてないもんな……」
「おお、遂に理解して貰えましたか! そうなんです、我々にはそのぱんつと呼ばれるものを着用する文化がないのです! 我々の場合そういうのは鱗の中に格納されておりますので!」
恐らくウシナミは人魚でも高位の存在が故に実際に地上の人間と相対する経験がなかったのだろう。加えて、彼らにとって胸を隠す文化はあっても下半身を隠す文化ははなから存在しない。
そのため、彼は地上で活動するに当たって地上の人間と同じ姿に変身したものの、服のことはさっぱり意識外だったのだ。
レヴィアタンは子供を諭すようにウシナミに語りかける。
『大方、地上に妾の社が建ったという話を聞いて水神の巫として一度は参拝せねばと一念発起したのであろう? おぬしのその信仰心は妾も嬉しいが、一声かければ村の者に妾から話を通して大事にならずに済んだのだぞ?』
「そ、それは大変申し訳なく……地上の人間の姿への変身が成功して舞い上がってしまいました。己の迂闊さを呪うばかりです」
『ならば失敗を糧とせよ。今回は真に大事に至る一歩手前であったが、踏みとどまれたのだからな』
「レヴィアタン様ぁ……!!」
ウシナミの純粋な瞳がまたひとつ、美しい涙をこぼした。
真っ当に信者を導き諭す優しい神獣に見えるが、実際には定期的に村で悪戯したり張り切ってやらかしては「私は悪い神獣で、罰を受けています。えさを与えないでください」と書いたプレートをぶら下げて正座させられているポンコツなので周囲は「なんだこれ」とやや白けた目で見ている。当の二人は変な世界に入っているので気づかない。
感情ゼロの視線で二人の様子を眺めるマイルの背を、呆れ顔のアイビーが指でつつく。
「これどうする?」
彼女の手には、ぴらぴらと揺れる犯罪者護送用の書類が存在を主張している。
これだけ騒ぎを起こしておいて、蓋を開けてみれば彼の弁明は割と理にかなったものであった。冤罪とまでは言わないが、わざわざ拘留所送りにする必要性があるかと問われるとかなり微妙である。
マイルは徒労感から静かに息を吐く。
「罪状を不法入国に書き換えるというのはどうだろう。無駄手間をかけさせた報いとして」
「あいよー」
『「待て待て待てぇぇぇいッ!!」』
二人の声には手間を取らされたことへの若干の私怨が籠もっていた。
ちなみにウシナミはファーストインプレッションこそ最悪だったが、嫌疑取り下げになって以降の視察では聖職者らしい生真面目な面と知識欲旺盛な面が垣間見え、自分の過ちも素直に認める普通にいい人だった。
彼が村に侵入した方法についてもすぐに判明したことだけは良かった。
「私はこれでもセイレーンの中では最上位の術の使い手でして、『水渡り』という水場限定の特殊な瞬間移動が使えるのです。忍者なる方が私の存在を直前まで感知できなかったのは当然なのです」
『海から川を経由して『水渡り』を連続で使用して一気にここまで遡ってきたのであろう。ウシナミほどの信仰心があらば社のおおよその場所は感じ取れるであろうからな』
「しかし、確かにノックも無しに扉をすり抜けるような真似はセイレーンとしても些か配慮に欠ける行動でした。こちらの常識がそちらの非常識となる可能性を考慮出来ていなかったのは私に非があります」
「……こちらも変質者と決めつけすぎた。冤罪を避ける努力が出来ていなかったことを謝罪する」
どんな理由があれ、間違いは間違い。
相手の善意に甘えて誤魔化すことはしない。
自警団の代表としてマイルが頭を下げたことで、他の自警団は慌ててポーズを合わせつつも「あんなの初見で気付けるかよ……」等とぼそぼそ本音が漏れている。マイルとしては初見でなくとも変態と人魚を見分けるのは困難だと思うが、せめて拘束後に見分ける努力は出来ただろう。それすらもしていなかったのは、やはり反省すべき過ちなのだ。
ウシナミの耳に自警団のぼやき声は聞こえていただろうが、彼はそれについて糾弾するどころか眉ひとつ動かさずに笑顔で手を差し伸べる。
「ならば手を取り合いませんか。これはどちらかが折れる必要のある問題ではありません。我々が地上の常識に歩み寄り、貴方方がその姿勢に理解を示してくれれば、きっと次の交流はより実のあるものになる筈です」
「……では、よりよい未来のために」
マイルと固い握手を交わすウシナミの姿は、彼が故郷では責任ある立場であったことに説得力を持たる寛大なものだった。
……が、そうなると後方腕組みしてる水棲ポンコツとの落差が際立ってくる。
「レヴィアタンより出来た人だな」
「交換してもらうか。彼の方が働き者そうだ」
『聞こえとるぞ自警団クラァ!! も~少し妾を敬わんか!! この村の水事情、大分妾のおかげな所あるぞ!?』
「そうですよ! 水神レヴィアタン様の否定は水の否定と捉えていただきたい!」
(信仰心が絡むとやはりちょっとキモい男だな)
神への敬意は譲れないのか目を剥いて抗議するウシナミにマイルが引く。
人魚って皆こういうノリなのだろうか、と、自警団はげんなりした。
人型に再度変身して社の参拝と初の地上巡りに満足したウシナミは、里から持ち込んだ大真珠をレヴィアタンの社に奉納し、お土産も買って満足げだった。ただ、彼がお土産のなかで特に気に入ったものはまさかのスカートであった。
「これはいい! 人魚的に一番着用して違和感がありません! 意味はわかりませんが《《ぱんちら》》なるものを防止する特別な魔法のおかげか不思議な風で絶妙に股間を隠してくれます!」
色んなパンチラポーズを取ってはスカートの付与効果による鉄壁防御にはしゃぐウシナミだが、絵面が大分きついのでマイルはスナイパーらしからぬよそ見で堪えた。
本人はご満悦だしスカートは女性の為だけのものという訳ではないが、上半身が胸だけ隠す姿なのでどうしても女装おじさんにしか見えないのであった。
◆ ◇
「――と、いうことがあったらしいぜ」
珍しく緊急の仕事に駆り出されていたハジメは、帰り際アンジュの身体のメンテの付き添いでトリプルブイの工房に寄った際に彼の口から聞かされた。
トリプルブイとしてはシンプルに人魚の姿を拝みたかったのか悔しがっていた。
「くっそ~、新人形のアイデアが脳内に降臨してたタイミングだったから外の騒ぎに気づかなかったんだよ~。あー見たかったなぁ生人魚。いっそこっちから見に行くか?」
相手が男の人魚だったと分かっても俄然興味を持つトリプルブイ。
彼にとって観察眼を養うのに男も女も関係ない。
むしろキワモノも喜びそうである。
「人魚の里に行くには人魚の案内人を用意するのが好ましい。つまり、どちらにせよ人魚の再度来訪を待った方がよい」
「そこでグレゴリオンに運んで貰う!」
「ああ、それは出来そうだな」
あの機体なら深海でも余裕で耐えられそうだ。
そうでなくとも亀型ゼノギアのガルダートル辺りは恐らく水陸両用なのでいけるだろう。
「しかし、冤罪が証明されたのは良かった」
「そうだなぁ。バレたら十三円卓には格好の攻撃材料にされたんじゃないか? 嫌いな相手の悪評ってのは嫌がらせに都合が良いもんだし、多少盛れるし。俺も散散変態野郎だなんだと言われたよ」
「それは半分真実なんじゃないか?」
「残り半分が問題なんだよ~」
いつも人の体をローアングルから観察しようとしておいてどの口が言うのかトリプルブイがぼやくと、うつ伏せでメンテを受けていたアンジュがにやっと笑う。
「女の子の身体を好き放題に弄ってる男がここにいまーす」
「あ。確かに今やってるわ。証明終了!」
「自供したな、あっさりと」
アンジュ以外にも何人も女性の身体をメンテナンスしているので、物は言い様とはいえ事実ではある。と、横でトリプルブイの助手をしていたカルパがすかさず口を挟む。
「マスターのケースの場合、双方同意の上であれば法的に問題はないかと」
「それはそれでハズくない? 真実の証明の為に『しました』って宣言しなきゃなんないじゃん」
「なるほど? 私には難しいことではありませんが、そうではない人も多いかもしれませんね」
のろけ話のようにも聞こえるが、現実にハジメが元いた世界では性犯罪を証明する際に被害者側が受ける精神的負担が大きいが故に立件を諦めるケースがよくあるという。
ただ、ハジメが「良かった」と言った理由はそこにはない。
そのことを、アンジュも理解していた。
「分かってないなー二人とも。ハジメが良かったって言ったのは、村の側が外部の人間に変な気持ちを抱くことにならなくてよかったってことだよ」
「そうだな。もちろん十三円卓議会への懸念もあったが、それも含めて外の人間に対して過敏に反応する排他的な潮流が生まれるのは好ましくない」
人が犯罪を犯すには様々な理由があるが、それに対して「外国人だから」とか「余所者だから」などといまいち理由とは言えないレベルの主張をする人間はどこにでもいる。
しかも、このレッテル貼りは厄介なもので、便利が故に人に定着しやすい。
仮に今回の一件で人魚が冤罪のまま処分されれば「余所者は道理を弁えないから犯罪を犯す」、後で冤罪が証明されて十三円卓による攻撃材料になったら「余所者が変な真似をしたのが原因だ」、と、この余所者理論は根拠がないのに簡単に状況に当てはめることが出来てしまう。あたかもそれが真理であるかのようにだ。
「外の人間を受け入れて育ってきたコモレビ村にとって、外界を拒絶するのは未来を閉ざすのと同義。どこかに線引きが必要だ」
「でも、たった一回でいきなりそんなレッテル貼りが広がる訳じゃなくない?」
「住民は確かにな。だが、自警団は別だ。彼らに関しては、レッテルというより誤った《《成功体験》》か」
マイルはそれを理解していたからこそ、自ら率先して頭を下げたのだろうとハジメは推察する。
「自己正当化による責任逃れや隠蔽、決め付けによる捏造は、一度成功すると抵抗感が薄れて二度目も三度目もやってしまい、いつか理念が抜け落ちる。しかし今回はマイルが自ら頭を下げたことで自警団は自分たちの過ちを認めざるを得なくなった。これからは正式に給料が出てより彼らの負う責任は重くなるから、その責任の一端は知れただろう」
力には責任が伴う。
否、伴わなくてはならない。
無責任な力ほど邪悪で危険なものはないのだから。
「ところで」
カルパが疑問を呈する。
「人魚が不法入国者という問題はどうなったのですか? 人魚は国家を持っていないので、地上に上がった時点でもれなく不法入国扱いになるのでは?」
「……どうなん、ハジメ?」
「ぶっちゃけ面倒臭くて考えるのを後回しにしていた」
人魚という存在が例外的すぎて、シャイナ王国がそもそも国家に属しない人間をどのように裁くのかはハジメにも想像がつかない。多分ドメルニ帝国ならそのまま裏ルート経由で奴隷にされるだろう。ウシナミが戦い慣れしておらずあっさり捕まったことを思うと妙に心配になってくる。
ハジメは何故か昔読んだ本の内容を思い出していた。
白人を神の遣いと考えて受け入れた国家がその白人の侵略によってあっさり滅びた、とか、宣教師が布教のために降り立った先で原住民の逆鱗に触れて殺された、とか、何故か碌でもないものばかりが脳裏に浮かぶ。
アンジュはハジメの心を読み取り、悪戯っぽく肩をつついてくる。
「どうやら人魚の里とも早急に友好条約を結ぶ必要がありそうじゃん?」
「……面倒臭いな、人魚って」
「レッテル貼りだぁ」
「自覚はある」
……余談だが、後に友好条約締結に現れた人魚の要人たちは悉くスカートを穿いていた。
ウシナミが故郷で「これが地上の服で一番(着やすい)」と言った言葉が曲解され、スカートが正装という誤解を産んだらしい。ある意味とても異文化交流らしいエピソードだ。
ハジメとマイルは説明が面倒臭いし不都合もないからとツッコまなかった。
コモレビ村から人魚の里への貿易で最も需要がある品がパンチラ防止スカートになったのは言うまでも無い。




