断章-4
ある日、ハジメの下に奇妙な依頼が舞い込んできた。
依頼人は『Dの意思を継ぐ会』としか書いておらず依頼料も安いが、仕事内容は講演会に参加するだけ。平均的な冒険者の目線からすると、怪しさは満点だが危険度は低く小遣い稼ぎにはなるくらいの内容である。
普段のハジメが請けることのまずない仕事だ。
ハジメの担当歴がそれなりに長い筈の職員が何故それを提示してきたのか、不思議に思って尋ねた。
「なんだこれは? 緊急性が高いのか?」
七三分けと四角いメガネの薄幸そうな男性職員は困ったように額の汗をハンカチで拭う。
「まぁなんというか、ある意味では。この会は組織というより同好会みたいなものでして、決して犯罪に加担している訳ではないことはギルドが保証します」
「講演会の内容が書いていないが」
「周囲には秘密にしているようで。会の名前を出したこと自体が初めてなので、彼らなりに本気なのかと」
「言っておくが勧誘目的の講演会であれば俺は行かないぞ。そもそも俺が講演会に参加するのになんで依頼者は金銭を配るんだ」
「それは、その……彼らは外部の人間から意見を取り入れたいようなんです。それで、諸々の条件を満たすのが貴方だったようで」
「……」
魔王軍が事実上の壊滅状態になって以来、ハジメが出張るほどの仕事は激減しているので時間はある。が、家族サービスを減らしてまで受ける仕事なのかは疑問だ。
考えた末、ハジメはため息をついて頷く。
「あんたとも今や長い付き合いだからな。今回は乗せられておく」
真面目な彼がわざわざ差し出してきたということはよほど依頼人がしつこいのだろう。職員は安堵の息を吐く。
「助かります……!」
「ついでに依頼の出し方の指導もしようか?」
「是非お願いします! 変な前例と解釈されると困るんで……」
こうしてハジメは『Dの意思を継ぐ会』の会場である隠れ家的な店に辿り着いた。
部屋の中心のラウンドテーブルを囲う30代から40代の無愛想な顔の男達全員の視線が集まる。
ちなみに集合した時点でハジメは依頼書の出し方について彼らに説教をかましたが、全員「確かにこちらに非はあったが」とか「謝れと言われれば謝るが」などともれなく言い訳がましい言葉選びをしていたので響いたかどうかは不明だ。
閑話休題。
老けが見え隠れし始めた顔にミスマッチな若者感を狙ったファッションと髪型をした一番年長らしい男が、口を開く。
「元々、君のことは勧誘する予定だった。勧誘前の一年の調査の間に君は基準を満たさなくなったので、我々は悲しみに暮れた」
一度依頼内容の曖昧さに説教したにも拘わらず婉曲な物言いで雰囲気を醸し出す若作り男。いつものことなのか他の面々は止めもしないどころか賛同している。
「我々は、深い闇の中にいる。光を求めて藻掻き、足掻く。隔絶された世界の中で……しかし、我々と同じ世界にいた男が一人、自力で光へと這いだした。それが貴殿だ、ハジメ殿」
「早く簡潔に言え。言っておくが長くとも午後五時には帰るからな」
「はい、すいません」
年齢で言えばハジメの方が年下だが、社会的地位ではアデプトクラス冒険者の方が大差を付けて上だ。先ほどの説教もあって怒られるのは嫌なのか若作り男は素直に従った。
「我々は、30歳以上になっても結婚相手が見つからない男達! 『Dの意思を継ぐ会』とはすなわち、『脱未婚』の頭文字D!!」
「今世紀一しっくりこない頭文字だな」
「平たく言えば非モテ連合です」
「素直にそう言え」
「なけなしのプライドくらい守らせて頂く!」
憮然とした顔で聞いてもないことを言い張られた。
そのプライドの高さが余計に女性を遠ざけている気がするが、彼らの自尊心がそれで保たれるなら口を出すことでもない。それはそれとしてDの無駄遣いだとは思う。
改めて周囲を見ると確かにファッションに気を遣っていたり髪型に拘った形跡があるのだが、それは十代後半から二十代前半にするようなものばかり。実際には全員顔の肉が垂れ下がり皺が増え始めているので得も言われぬイタさとキツさがある。
アマリリス辺りが見たら「加齢20年のファイナルファンタジー」などとコメントしたことだろう。
「とりあえず、勧誘がご破算になった理由には心当たりがあるので聞かない。それで、何の用でわざわざ依頼を出したんだ」
「それは……我々と貴方と何が違うのかを知りたかったからだ!!」
言うが早いか、全員が同時に冒険者証をテーブルに出す。
彼らの等級は全員がベテランクラス、すなわち冒険者の上澄みだ。
ハジメも一般的にはベテランクラスだと思われている。
彼ら全員は目が血走っていた。
「俺たちもベテランだ! はっきり言って強い!」
「経験豊富! 実力不足による任務失敗はほぼなし!」
「俺など魔王軍撃退戦では勲章を貰ったこともある!」
「なのに俺たちは何でモテないんだ!?」
「お前も三十路になるまでモテない人生だっただろう!」
「何がお前を変えた! どこで差が出たのだ!?」
「知らん」
ハジメはもう結構面倒臭くなって帰りたがっていた。
しかし男達はしつこく食い下がる。
「これでも金を払ってるんだぞ!」
「いらん。違約金が欲しいならのしをつけて返す」
「金で満足するならこんな会を開くものか!」
「モテ情報を独占して悦に浸るつもりか!?」
「貴様と俺たちは同類なのだから貴様の経験は我々にも反映される筈だろ!?」
「しつこい。知らんものは知らん」
フェオは気づいたら好きになっていたし、なられていた。
サンドラはいつ彼女の中でハジメへの心の壁が壊れたのかよく分からない。
ベニザクラは強い人間に惹かれるタイプだったが、強いだけなら他にも気を引きそうな人間はいたのに彼女は一途だった気がする。
総評、分からない。
しかし彼らが納得する気配を見せないので、ハジメは仕方なく別の切り口を思案する。しょうもないが、彼らにとっては確かに切実なのは何となく分かった。元非モテの先達の知恵の一滴くらいは提供しなければ彼らも収まりが付くまい。
今の妻達がハジメを慕うようになったのにはいくつかの、或いはいくつものきっかけの積み重ねがあった筈だ。そこから記憶を紐解いた際、ひとつ思い出したことがある。
それは、フェオがハジメに対して気安い口を利きはじめたきっかけだ。
彼女を雇った初の仕事を終えた翌日、ハジメは人生で初めてチャレンジした散財に結果的に失敗して気落ちしていた。その様子を見たフェオが面白がってハジメをからかった。
あのとき初めてフェオは親しみの感情を見せた気がする。
何かが伝わったのだ、彼女に。
はっとして彼らの顔を見渡してみると、全員に過去の自分との共通項があることに気づいた。
説得力を持たせるにはこれしかない。
ハジメはその欠点を容赦なく突いた。
「お前ら全員、表情筋が衰えて顔の肉が下がっているな。態度が悪いと依頼主を怒らせたりギルドに苦言を呈されたことがあるだろう」
これに対して、彼らは一斉に脊髄反射的な反感を口にした。
「だったらなんだ! こちらは何もしていないのに勝手に嫌われても知るか!」
「どんな顔してようが勝手だろ! 笑えとか申し訳なさそうな顔しろとか強要するやつに何の権限がある!?」
「もともとこういう顔だからな。なんだ、顔の差か? ブサイクに人権なしか?」
彼らのプライドの高さを感じさせる抗議の数々。
抗議は結構だが、目的が自己正当化でしかない。
「そんなんだからお前らはダメなんだ。自分が変わらないまま周囲の変化を待つのは何もしてないということだ」
「「「なっ!!」」」
ここだ、と、ハジメは畳みかける。
「いいか。標準的な顔の人間と仏頂面の人間なら、普通の人は後者に積極的に話しかけようとは思わない。見た目に印象が悪いし、不機嫌そうに見えるからだ。俺も顔の表情があまり変わらないタイプだから何度も面倒事に巻き込まれた」
冒険者である以上は結果が全て、とは言葉だけの話だ。
実際には仕事は人から人を渡ってやってくるし、人と手を組んだり現地で依頼人の話を聞かなければ状況を詳細に把握出来ない場合もある。重要な依頼は報告義務だってある。
依頼を巡る相互のやりとりのなかでコミュニケーションを疎かにしたり悪印象を持たせる態度をすれば、いらぬトラブルを招くのは必然。
少なくともこの世界では、人の為に働く以上は他人の感情や人間関係に一切関わらず仕事をすることは不可能だ。
ハジメはそのことを分かってはいたが、自己評価の低さへの揺るぎない確信から気に掛けたことがなかった。その間、一体何人の人間関係に不和を招いたことだろう。今でこそ地方の有力者からは信頼されているハジメだが、中には初対面の印象が悪すぎたが故に可能な限りハジメを避けようとする者も未だにいる。
誰だって嫌な相手、トラブルを平気で起こす相手と仕事などしたくない。
仮に実力が折り紙付きでも、不愉快で理解し難いだからだ。
原因が明らかなのに対策もしようとしない相手などは特に。
「しかし、あることを始めてから反感を買う確率が明らかに減った。お前らはそれをしていない。だから顔の肉が垂れ下がるんだ」
ハジメもきっかけがいつだったかは明瞭に思い出せないが、少なくともフェオに出会った後からのことだったと思う。少し前、一年前の自分の写真と今の自分の写真を見てハジメはこんなに自分が変化していたのかと少なからず驚いた。
そして、やはりそうなのだと確信した。
「お前ら、顔ヨガをしろ」
やはり、顔ヨガ。
顔ヨガは全てを解決する。
ハジメの到達した偉大なる真理を理解出来ない『Dの意思を継ぐ会』はぽかんと口を開ける。
「顔」
「ヨガ?」
「実務技能だけでなく表情筋も定期的に鍛えろと言っている」
「それは、関係ないだろ」
「ある」
顔ヨガの素晴らしさを理解できない哀れな民に、ハジメは慈愛を以て啓蒙を施す。
「いいか。顔が下に弛むと実年齢以上に老けるし感情が見えづらくなる一方だ。みっともないんだ。みっともない顔だから対面時に印象が悪くなりやすいし、マイナスイメージを抱かれたときも弛んだ顔が悪印象にブーストをかける。つまり、顔のたるみは明確で回避不能なマイナスポイントなのだ」
「し、しかし! それで顔の形が変わる訳ではない! 性格が変わる訳でもないだろ!? 根本的な解決にならない!」
「ブサイクな上に表情筋が死んで頬肉が弛んだ顔より、ハリのある健常そうなブサイクの方がダメージは少ない。それに表情筋が鍛えられれば感情が伝わりやすくなる。感情とは人を知るきっかけだ。お前らは今のままではそのきっかけが起きる確率まで減らしている」
そう、フェオはあのとき初めてハジメという人間の感情をはっきりと見て、多分、安心したのだ。
ちゃんと感情があって、こういう顔をすることも出来るのだと。
「きっかけを掴むために、お前らは顔ヨガをしろ」
我ながらなんと完璧な理論だ。ハジメは顔ヨガに目を付けた過去の己の慧眼を称賛した。時代が時代なら自分は顔ヨガ教を広める伝道師になっていたかもしれない。
ハジメの体感では、顔ヨガを始めて以降相手に怒られたり嫌な顔をされる確率は37%から20%にまで減った(当社比)。100人中17人もの悪印象を顔ヨガだけで削減したのだ(当社比)。その17人の中に運命の人がいたとすれば、努力をしなかったせいできっかけを逸していることになる(なお確率なので運命の人が一人もいない場合もある)。もはやそれは唯の怠慢だ。
「――つまり、遍くお前達の選択は顔ヨガに収束するのだ」
……ということを熱弁すると、彼らも目の色が変わってきた。
「顔ヨガ……」
「顔ヨガ!」
「俺たちに足りないものは顔ヨガだったんだ! なんという金言!!」
「そうだ。さあ、こんな辛気くさい所に籠もってないで顔ヨガを教えて貰ってこい。クサズ温泉なんかがおすすめだ」
「応よ! これより我らは名を改め、『Kの教えを継ぐ会』へと改名し、顔ヨガを開始する! 弛みきった我らが表情筋を極限まで酷使するゥゥゥゥッ!!」
「「「うおおおおおおおッ!!」」」
「いや、適度に休め。そのテンション絶対長続きしないやつだぞ」
こうして、『Kの教えを継ぐ会』は新たな目標へと走り出した。
とてもいいことをした気分になった。気分だけだが。
決して面倒な奴らの言いくるめに成功してやはり自分は演技の才能があるのではと悦に浸った訳ではない。ないが、顔ヨガのおかげで閉じられた才能が開花しつつある可能性は否めない。
『汝、転生者ハジメよ……間違って煽動者の資質を開花させないか神は心配だぞ……ぞー……』
余談だが、フェオへ初めて感情を見せた一件について帰宅後にハジメが解釈を述べると、フェオに「違いますけど?」と鼻で笑われてちょっとショックだった。
「ハジメさんは分かってないな~。でもそこがカワイイところなので、今のままで居て欲しいなぁ~」
「すごく馬鹿にされた気がする」
「拗ねてます?」
「ちょっと」
「素直ですねぇ。ふふっ、カワイイ」
「嬉しくない」
本当は当時のやりとりを思い出して少しだけ嬉しかったが、素直に言うのが恥ずかしくて嘘をついた。
しかし、フェオのにやけた顔を見ているとこの嘘も見透かされている気がした。男は女心が分からないのに、女は勘が鋭く男の嘘にすぐ気づくものだ。




