9-1 転生おじさん、娘の町デビューを見守る
その日、フェオの村を揺るがす地響きが起きていた。
住民達が何事かと家の外の様子を見て、ああ、と納得する。
震源は、ハジメの家の庭だった。
「わたしも町に行きたいわたしも町に行きたいわたしも町に行きた~~~~~~い!!」
森に響き渡る駄々っ子の咆哮。
この日、ハジメの娘のクオンが珍しく暴れていた。
彼女の白く細い腕が地面に叩きつけられるたび、足が地面を蹴るたび、埒外のレベルが齎す破壊力が大地を抉っていく。子供が駄々をこねるのは珍しいことではないが、エンシェントドラゴンたるクオンの駄々は洒落にならない破壊力だった。
(くっ、何故こんなことに……いや、俺が気付かずクオンに我慢を強いていたツケが回ってきたのか!)
町に買い物に行く――その一言に端を発したクオンの我儘に「まだ早い」と言ったらこの有様である。余りにも駄々が激しいため、普段クオンを可愛がるベニザクラをはじめとした村民さえここに近づけない。
(思えば、クオンは生まれてこの方ずっといい子だった……今になって考えると我が儘を言わなかったのが不思議なくらいだ)
ハジメに強めに甘えたりこっそり家を抜け出したりは何度かあったものの、彼女は基本的には大人の言いつけに従ってきた。しかしそれは彼女がイエスマンだったからでも忍耐力があったからでもなく、ただ単純に普通に村の中で生活し、勉強をするということさえ彼女には新鮮な経験だったからだ。
しかし、彼女が生まれてから暫く経った。
いい加減に変化に乏しい村の生活の大半が既知のものになっている。
そんな彼女が『町』なる未知の存在に興味を示すのは当然であり、その好奇心の大きさを見誤ったのはハジメの失態であった。
町に連れていく約束はしていたが、日時を明確にしていなかったのもクオンの不満を助長したのだろう。
(どうしたものか……いや、いっそ連れて行ってあげるか? 何であれ初体験はいつか来るもの。俺が子育てに臆病すぎただけなのかもしれん)
クオンは字の読み書きも大体できるようになった。
基本的には彼女は素直な性格だし、ある程度譲歩すれば基本的な言いつけは守れるだろう。また、ベニザクラを通して思いやりを学んでいるのもある。
不安要素としては、一般人とクオンの間にある純然たる力の差が圧倒的なことが挙げられるが、そこはハジメがフォローして彼女に学んでもらうべきだろう。
……未だにハジメのことをママと呼んでいる事については、修正はもう諦めた。
ともあれ、これ以上クオンに我慢を強いる必然性はない。クオンの発生させる衝撃波に耐えながら、ハジメは彼女になんとか近寄る。
「クオン、町に行きたいんだな?」
「行きたいっ! ママばっかり町に行って、他の人たちも町に行ってるのに私だけいけないなんてずるいもん!」
「約束を守れるなら、連れて行ってもいいぞ」
「……ほんと!?」
不満ありありだったクオンの表情がぱぁっと華やぐ。
甘やかしすぎはよくないとは言うが、子供の願いを叶えるのもきっと親の仕事だ。
「約束は三つある。するか?」
「するっ!!」
「じゃあ約束だ。一つ、勝手にママのそばを離れないこと。二つ、物や人に乱暴しないこと。三つ、夕方には村に戻ること。守れるか?」
「守るっ!!」
「いい子だ」
クオンの癇癪はぴたりと収まった。
実際には完璧には約束を守れないかもしれないが、ハジメも余程のことがない限り多少は大目に見る予定だ。ハジメはクオンを起こし、そして――。
「町に行く前に一度お風呂に入ろうか。土塗れになってしまった」
「えーっ!! すぐ行きたいー!!」
「駄目だ。体は綺麗にしておきなさいっていつも言ってるだろ?」
「約束は三つでしょ!? あとで増やすなんてずるいよママ!!」
「増やしてない。あまり汚れた体で町をウロウロするとばっちぃから追い出されてしまうかもしれない。そうなったらクオンも悲しいだろ?」
「むぅぅぅぅ~~~~……」
言葉は理解できたが納得できないというクオンの膨れっ面に、ハジメは先が思いやられるな、と内心でごちた。
そういえば、と、ハジメは少し前にフェオに聞いた話を思い出した。
(曰く、ピエロの不審者が出るとか……まぁ、保護者同伴なら問題あるまいが)
それより問題は、最近になってNINJA旅団の紅一点であるキャットマンのツナデに「今まで女の子だからって理由でお風呂に入れさせてあげてたけど、いい加減親子も板に付いてきたし家族一緒に風呂に入ったらどうかにゃ?」と言われてしまったことだろう。
既に何度かクオンの体や髪を洗ってあげたことがあるハジメだが、そもそも今まで人の体を洗ってあげたことがないので未だに少し緊張する。フェオもツナデも普段こんな苦労をしていたんだな、と子育ての苦労の一端を垣間見るハジメであった。
◆ ◇
その日、冒険者の町はざわついていた。
原因は『死神』の異名を持つ異次元の冒険者、ハジメの登場――ではなく。
「おぉぉ~~~~!! これが町なんだ!! 確かに村より大きくて建物がいっぱいある!!」
「あまりはしゃぎすぎて他の人の邪魔にならないようにな」
「あっ、そうだった……てへへ」
――ハジメの足元をちょろちょろ走り回る、竜人らしき少女の方にだ。
前々からハジメにはフェオが恋人だの愛人が出来ただの子供がいるだのと具体性のない噂が飛び交っていたが、その噂の子供がついに町に現れたのは町の人々にとって衝撃であった。
しかも、子供は金の角の竜人。
明らかに噂されていたフェオとの子供ではない。
つまり、ハジメの浮気相手は竜人――という新たな根も葉もない噂が発生していた。そんな噂話には興味がないクオンは見慣れないものについて片っ端からハジメに質問する。
「ねぇママ、あれはなんの建物?」
「あれは雑貨屋だ。生活に必要な細かなもの……例えばご飯のときのお皿やフォークもあそこで買ったものだ」
「へー、あんな感じだったんだ……わたし、卵の頃はあんな感じの所に居たんだね。じゃあじゃあ、あっちは何の建物?」
「あれは玩具屋だな。いろんな玩具が置いてある。後で行ってみよう。クオンの気に入るものがあるかもしれない」
「ほんとっ!? ママ大好き!!」
「……俺もだよ、クオン」
死神に抱き着く少女と、その少女の頭をそっと撫でるハジメ。
目撃者たちの頭は情報過多でパンク寸前だった。
……何よりも周囲にとって謎だったのが、何故クオンがハジメを『ママ』と呼ぶのかであったのは言うまでもない。
親子二人は町を巡り、ハジメ御用達の場所に辿り着く。
そこにはドーム状の建造物が鎮座していた。
「この建物、他のよりおっきいね。それに中に凄い沢山の気配がある……ここは?」
「ここは冒険者ギルドの支部だ。沢山の戦士たちがここで仕事を貰っている」
元々は別の地域で活動していたハジメだが、マイホーム計画で引っ越してからは専らこの支部の世話になっている。移転先にもハジメへの指名依頼はやってくるので、特段の不便はない。
クオンは知識としては存在を知っていたが、やはり現物を拝むのは新鮮なのか物珍しそうに建物を眺める。
「ママも冒険者なんだよね? あの中はどんな風になってて、どんな人がいるの?」
「中身はそんなに特別なものはないが、人に関してはいろんな種族がいる。ほら、今から仕事に行く冒険者たちが出てきたぞ」
ハジメの言う通り、ギルドの中から5人の冒険者グループが出てくる。
出てきたのはエルフ、ドワーフ、有翼人、リザードマン、オークだ。この町でヒューマンが一人もいないパーティは珍しい。
と、彼らのうちの一人――リザードマンの男の目が突如としてギョロリとクオンの方を向いた。
「ひゃっ!」
突然の動きに驚いたクオンが慌ててハジメの後ろに隠れると、リザードマンの男は「天使……」と恍惚の表情でつぶやき、そしてハルピーの女性に羽でつつかれてはっと正気を取り戻したようにかぶりを振る。
「いきなり何言ってんのよ気持ち悪い。ロリコンなのあんた?」
「違うわ! 逆にお前らなんで平気なんだ、あんな姫君と見紛う美しさを前に……」
「まぁ、確かに超かわいいけど……て、え゛。連れのあれって死神……!」
パーティはそそくさと退散した。
そういえば、とハジメは思い出す。村では普通にやっているが、クオンは竜の系譜の種族から見たら神々しいまでの美形。いきなり遭遇すればあの反応も当然である。
クオンは未だにその辺りを理解していないのか、ハジメの後ろから再び前に出て首を傾げる。
「なんだったんだろ、あのオロチそっくりのトカゲさん……」
リザードマンの顔はかなり個体の判別がしづらいため、クオンには忍者のオロチと彼がよく似て見えたようだ。もちろんリザードマンからすれば他種族の顔の見分けは付き辛いらしいのでどっちもどっちだろう。
「クオンのことが綺麗だってさ」
「そうかなぁ? ……ねぇママ、わたし綺麗?」
どことなく何かを求めるようにポーズを決めてもじもじしながら質問するクオンの頭を、ハジメは優しく撫でた。
「もちろん綺麗だよ」
「んふっ……もう、ママは幸せ者だなぁこんな美人のムスメを持って!!」
褒められて嬉しい余り調子のいいことを言うクオンだが、それもまた子供っぽくて愛らしいものだ。そう思ったハジメは、ふと、自分が自然に「愛らしい」などと考えていることに自分で驚く。
(……いや。生物とは子孫を残すために子を守ろうとする本能がある。忘れてたものが出てきただけ……きっと、それだけだ)
「~~♪ ~~♪」
上機嫌に鼻歌を歌うクオンから目を離さないようにしながら、ハジメは自分にそう言い聞かせる。彼女とはあくまで、彼女が自立するまでの関係になる筈なのだ。自然界の生物もまた、そういうものだ。
何故それを自らに言い聞かせるのか、と疑問を投げかける心に、ハジメは聞こえないふりで蓋をした。
せっかくなので、挨拶がてらクオンを連れてギルドに入る。
今日は仕事を請ける気はないのでカウンターには赴くまい――と思っていると、やけにギルド内が騒がしい。ハジメとクオンの登場によるざわめきもあるが、職員たちはそれよりも前から忙しかったように見受けられる。
「すっごい急いでるね、みんな」
「そうだな。大事があったようだ」
これでも長く冒険者をやっているハジメにはこの喧騒に心当たりがあった。
恐らく、魔王軍幹部の誰かが討たれたのだ。
魔王軍幹部は絶大な力と統率力で広域を侵略するが、逆に幹部を失った魔王軍の軍団は一気に統率が崩れる。人間の軍隊であれば臨時で副官などをトップに据えて統率の瓦解を防ぐところだが、魔王軍幹部はそうではない。
魔王軍の詳しい内部事情については不明な点も多いが、一つの状況証拠がある。魔王軍の進撃に際して各地に派遣される正式な魔王軍幹部は、討たれると補充されないらしい。事実、今まで勇者が各地の魔王軍幹部を倒して魔王城に向かうまでの間に、新しい幹部が追加で出現したという記録はない。
魔王の城に行くには神器に加えて城の結界を弱めるために幹部を全員倒す必要があり、幹部全員を倒された魔王は勝った記録がない。そして魔王軍幹部が再度現れるときは、新たな魔王が現れるときだ。
恐らくは幹部任命に際して与えられる居城の結界に関連する魔術的な要素があるのだろうと推測されているが、ゲーム的な事情というのが有力だとハジメは思っている。
婉曲な話になったが、幹部が討たれると突如として魔王軍の支配域が開かれるので何かとギルドは忙しくなるのだ。
……ちなみにだが、自称幹部候補が出てくることもあるので、もしかしたら増える可能性はあるのかもしれない。ただ、勇者のせいで毎度叶わず立ち消えになっているだけで。
(しかし、あの勇者候補……レンヤだったか? もう神器を賜って幹部を討ち取ったのか? だとすれば相当成長が早いな)
以前ベニザクラの件で顔を見かけた、あの青年を思い出す。
魔王軍幹部を倒せるのは余程の例外がない限り神器を持つ勇者のみだ。大したものだと内心で感心していると、ギルド職員の一人がハジメに気付き、クオンには目もくれずに駆け寄ってきた。いつもハジメの担当をしている七三分けと四角いメガネの薄幸そうな男性だ。
「あの、ハジメさん。一つ確認があるんですが」
「どうした?」
「……最近、海に出て火を操る巨大な怪鳥を倒したりとか……してませんよね?」
何故か冷や汗を垂らして尋ねる職員。
随分ピンポイントな質問だと思いつつ、ハジメはそれがレヴィアタンの瞳を求めてフェオと共にビスカ島に赴いた際の出来事に符合することに気付いた。
「……南方の海には出た。火の力を使う大型の怪鳥らしいやつを倒した。二日前のことだ。群れで行動していたから魔王軍所属の魔物だと推測したが、遠距離からの狙撃で仕留めたので姿は明瞭には確認していないし、死体は海に落ちたから魔物の種類も確認していない。交戦理由は、別の仕事の邪魔になりそうだったからだ」
「そう……ですか……そうですかぁ……はぁ……丁寧な状況説明に、感謝します」
職員はハジメの目の前で頭を抱える。
もしや、緊急討伐対象か何かだったのだろうか。
それにしても彼の態度は少し大げさに思える。
深刻な表情を見て心配になったのか、クオンが彼の足をぽんぽんと優しく触る。
「おじさん、元気出しなよ。特別にキャンディー分けてあげるから」
「ありがとう、綺麗なお嬢さん……あれ? なんでギルド支部に子供が?」
「俺の義理の娘だ。今日は見学にな。クオン、忘れてることがあるんじゃないか」
「……あっ、初対面の人には挨拶だった! クオン・ナナジマです! 今日はママと一緒に初めて町に来ました!」
その元気いっぱいな言葉に周囲が一斉に振り向く。
「なッ」
「んッ」
「だッ」
「とぉッ!?」
驚きポイントその一、死神に義理の娘がいる点。
驚きポイントその二、娘が超可愛い点。
驚きポイントその三、ママと口にした彼女の手がばっちりハジメのズボンの端を握っていること。
唯でさえこれまでのハジメの陰気で陰鬱で陰の極みのようだったイメージを全て根底から覆すような最近の噂に拍車をかけるように登場した美少女――しかも一部種族からしたら神々しい程――に、ギルドは更なる混沌の坩堝と化した。
「どないなっとんねんこれ!!」
「お前がママになるのかよ!!」
「畜生畜生畜生!! なんで神はこんなに不平等なんだ!!」
「クオン様……嗚呼……クオン様……その響きのなんと甘美なことよ……」
「おい正気になれぇ!! 口を閉じろ、涎が出てる!!」
「死神、まさか貴様ロリコ――」
「はい無知乙ー。あの年齢まで行くとアリスコンプレックスでーす」
「出た知識人ぶってマウント取る奴!!」
ハジメはこれまで一人であることに努めてきたし周囲にも積極的に声はかけられなかったが、クオンを連れてきただけでこんなにストレートに話しかけられるとは思わなかった。
「ママ、ギルドって変な人ばっかりで面白いね!」
「……そうかもな」
一番変な冒険者はクオンの隣にいるかもしれない、とは言い出せないハジメだった。




