断章-3(3/3)
――その後、シュークルの棺は村の墓地の丁重に埋葬された。
ベニザクラの家族の墓に続く二つ目の墓標は、シュークルの遺言に従い楽器をモチーフにした模様が彫り込まれた。
これからコモレビ村が歴史を重ねて行くにつれ、墓標は少しずつ増えていくだろう。しかし、それは当たり前の営みが行なわれていることの証左でもある。ならばせめて、シュークルのようにとんでもない成仏でなくとも未練無く旅立てるようにするのが今を生きる者達のすべきことだ。
献花したネルファは先ほどの一曲で極限まで消耗したのか、すぐに宿に直行してしまった。誰もそのことを咎めなかった。老婆と孫の間には余人に知り得ない歴史と絆があることを誰も疑わなかった。
それぞれが献花を終えて帰路に就き、気づけばハジメとイスラ、ミニマトフェイ、セアティーユが残った。
「魂ってのは、分からないことだらけだ。あんな派手な成仏聞いた事もない」
ぽつりと漏らしたハジメの言葉に、イスラは同調する。
「死者の魂は哀れむものだという意識が僕の中のどこかにありました。でも、シュークルさんにはそんなのは感じなかった。人生の何たるか、その答えのひとつがあったような気がしてなりません」
ミニマトフェイはまだ空に残る、しかしもうすぐ流れる雲に消えるであろうハロを見つめる。
「神は彼女の魂をどうお思いになったのでしょう……いえ、考えても詮無きことですね。きっと当人も別に深くは考えていなかったことでしょう。そこは問題ではない」
「ロックかどうか、ですか。しかし空に穴空けて虹が出来るって、お孫さんが実は不思議な力があったんじゃ……とか言うのは野暮ですかね、先輩?」
「彼女だけの力では説明がつかないよ、セアティーユ。果たして説明する必要があるのかは分からないけどね」
「わかる気がする。俺が拘った終わり方は、無数にある可能性のひとつに過ぎないのだと思い知らされた」
死とはもっと静かで、ほっとして、何もかものしがらみから解放されるものだと思っていた。
転生などない、本当の終わり。
ハジメが嘗て望んでいたもの。
そんな死生観にまるでそぐわないシュークルの逝き方は衝撃だった。
結末は同じ。
しかし、辿る道は無数。
彼女はその内で己が最も納得する道を選んだ。
俺も、同じように納得できる理想の死に方が出来るだろうか――と、ガラにもないことを考える。
もし出来たら、きっと悔いの無い死に様なのだろう。
しかし、きっとそれはずっと先のことにするつもりなので、今すべきことをハジメは選ぶ。
「とりあえず、村に葬儀屋を作るか。今回は葬儀の内容が内容だったのもあるが、準備不足でバタバタしてしまった。ある程度スムーズに葬儀の準備を整えられるようにしたい」
「そうですね。流石に今回みたいなことが何度もあるとは思いませんが、ご本人や遺族の気持ちに寄り添った柔軟な葬儀ができると尚いいです」
ここが村という名の老若男女の集合地点である以上、次の葬儀はいずれ必ずやってくる。備えるのは生者の役目だ。
◇ ◆
衝撃の葬儀から一晩が経過した翌日、ネルファとディブラー三兄弟はハジメとフェオの案内でシュークルの住んでいた家の中にいた。
ツリーハウスが多い村の中でもシュークルがここを選んだのは、確実に地下室があるからだろう。綺麗に整頓された家には音楽の気配がなかったが、地下で発見された楽器や楽譜は予想以上に多かった。
ハジメはネルファの様子を窺うが、表面上は変わりない。
彼女は懐かしむように楽譜を指でなでる。
「バァちゃんの娘、つまり私の母親は音感なくてさ。ヒートビートハートは音痴でも受け入れる町だけど、それでも嫌だったみたい。ほら、神職憎けりゃなんとやらって言うじゃない? 苦手が嫌いに変わっていって、私がバァちゃんに音楽教えて貰うのも文句言うようになってさ。うち弟もいるんだけど、弟はバァちゃんに殆ど会ったことないの。ママが拒否してたから」
ガリルとジギルがはっとする。
まさか、他の身内が未だに村に来ないのは……。
「おい、嘘だろ? 家族仲悪いからってわざと来ないなんてことあるか?」
「冗談だろ。実の母親の最期の見送りに……」
「それは知らないけど。歌姫デビューしてからママは口きいてくれなくなったし、優先順位低いんじゃない? パパはこの話題じゃいっつもママの腰巾着だしね」
ヌルは売店で買ったお菓子をかじる手を止め、口を挟む。
「案外、引っ込みがつかないだけかもよぉ? だってぇ、親不孝かました上に、来たらネルファがいるの分かってるでしょ? 超気まずくない?」
「そうかなぁ……」
ありそうな話だとハジメは思ったが、ネルファはやや懐疑的な顔だった。ヌルはお菓子かじりを再開した。ネルファもそれ以上考えるのをやめたのか、フェオに確認を取る。
「ね、村長さん。この家って遺言ではなんて書いてあるの?」
「家財も含めて売るなり引き継ぐなり好きにしていい、って書いてます。この家と土地はシュークルさん個人のものですし」
「じゃ、私が引き継ぎます」
ネルファは迷い無く即答した。
恐らく最初からそうするつもりだったのだろう。
ハジメは今後について問う。
「引き継いでどうする? 住むのか?」
「講演に不便だから普段住まいはしないけど、そーだなー……この村は見たカンジ音楽が芽吹きそうな気配がするし、楽器屋にでもしたいな。子供たち歌の授業やってるでしょ。ノリで分かる。でも歌より更に外に踏み出すには、やっぱコレがいる」
そう言ってネルファは地下から持ち出されたギターのひとつを指で軽く鳴らす。
「使わずコレクションするだけなんて私もバァちゃんもガラじゃないしね。楽器は音出してナンボよ。ま、道楽商売で儲からないかもだけど。商売自体はやっていい?」
フェオが「勿論」と笑顔で快諾する。
「ただしご近所さんとの付き合い方は要相談ですけど」
「騒音問題だな。防音改修したり地下室を上手く使えば抑えられるだろうが」
「ふんふん。ま、都度都度相談に乗ってくれると嬉しいかな」
ネルファが茶目っ気混じりにウィンクする。
フェオは先日の彼女の歌声に魅了されてしまったのか、「いつでも!」と普段より前のめりだ。しかし、纏まりかけた話に待ったがかかる。
「いいやちょっと待て。店だなんて言うのは簡単だが……」
ジギルが胡乱げにネルファを見やる。
「その店、誰を働かせる気だ? まさか歌姫のお前がやる訳にはいかないし、聞いた感じ家族の協力も得られそうにないだろ?」
「は? そんなのあんた達が入れ替わりでやるに決まってんでしょ」
「「ハァァァァァ!?」」
腰に右手を当てたネルファに次々指で指し示されたディブラー三兄弟は、ヌルを除いて抗議の叫びを上げた。
「ちょっと待て! なんで俺たちがお前の個人的な道楽に付き合わなければならないんだ!」
「そうだ! 楽器の売買などヒートビートハートの知り合いの楽器職人を雇ってやらせればいいだろう!」
「ダメよ。やるからにはこの私が信頼出来る奴じゃないと。バァちゃんの遺した土地をその辺の適当なヤツに任せられる訳ないでしょ!? その点あんたたちは最適じゃない? 音楽知識あり、簡単なメンテは出来る、そして私を裏切れない!」
「ぐぬぅ……!」
「おのれ……!」
自信満々に主従関係を振り翳すネルファに二人は口ごもる。
彼らがネルファの所有するグリモアのせいで逆らえないのは事実だ。
それでも非難がましく何か言おうとする二人の前に、ヌルが出る。
「ダメだよネルファ、意地悪言っちゃ~」
「あら、なんで? 私が主でしょ?」
「だからだよぉ。僕らはみんなネルファの側で一緒に音楽やってるのが大好きだから、離れたくないんだよぉ」
「え」
「え」
「あら……」
ガリルとジギルがかちんと固まり、二人と対照的にネルファは頬を朱に染める。
「ちょっと、えぇ? そんなに私のこと好きなの?」
「うん。みんなネルファがいないと寂しいよ」
「え~~! やだも~~~! だからそんなに嫌がってたのぉ!? ホンットわがままで世話の焼ける奴らねぇ!!」
屈託のない笑顔であっさり頷くヌルに、ネルファは口こそ悪いが満更でもなさそうに頬を緩ませてもじもじしている。ハジメは乙女の心の機微には疎いが、今の彼女のそれはからかいではなく割と本気の照れに見えた。
ガリルとジギルは慌てて弟を後ろに押しのけ、顔を真っ赤にして抗議する。
「ちがっ、誰がこんな奴のこと! かか、顔合わせない時間が出来てせいせいするわ! やる、楽器屋やる! 店名レインボーババァにしてやる!」
「おっ、俺はただマネージャが常に一人欠けた状態が歌姫としての活動に支障を来す可能性に対して無頓着なお前に苦言を……!」
「兄ちゃん達はこのとおり、素直じゃないのです」
「みたいね!」
「「ヌルゥゥゥゥゥ!!」」
二人が鬼の形相で両サイドからヌルの耳を引っ張り、ヌルが「痛ぁ~~~い!」と間延びした声で抗議する。どこまで本気なのか、本当に好きなのかは分からないが、ライブの様子を見ていれば彼らの息が合っていることは疑いようもない。
ネルファも兄弟らしい諍いをニッコニコで見ている。
三人がぎゃーぎゃーと騒いでると、不意に家の入り口から視線を感じた。
振り返ってみると、ウルが悪戯心全開のニヤケ面で覗き見してた。
後れて視線に気づいたディブラー三兄弟の顔が引き攣る。
「「「げぇっ、ウルシュミ!?」」」
どうやらディブラー三兄弟は魔界ではウルと因縁があるらしい。
当のウルは白々しいまでの棒読みで名前を誤魔化す。
「ナンノコトカナー。私はしがない村娘のウルルで~す」
「嘘こけ! ライブの時は魔力を上手く押さえてたみてーだがこの距離で間違えるか!!」
「俺たちに二度も煮え湯を飲ませて刑務所送りにしてくれた暴力女が! なんでよりにもよってこんな所にいやがる!?」
「魔族の気配はしてたけどぉ、よりにもよってこいつかぁ……」
彼女は鼻歌交じりに部屋に入ると、戦々恐々のディブラー三兄弟の横を通り抜けてテーブルに乗せてあったヴァイオリンを手にする。繊細な指で弦を弓で何度か鳴らした彼女は即興でメロディを奏でる。
ほんの短い演奏だったが流麗な旋律はプロさながらで、ネルファは即座に彼女の技量に食いついた。
「素人じゃないわね。即興なのにすぐにその楽器のクセを掴んだ。かなりの音楽教養人とお見受けしたわ!」
「おうちの習い事で演奏は少々。音感、審美眼、歌唱もそれなりに自信はありましてよ? どう? こいつらとはちょっと縁があるから雇われ店長してもいいよ?」
ドヤ顔のウルに三兄弟は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「この女がいるんなら店にいたくねぇ。ネルファの側のがいい」と、ガリル。
「育ちだけは確かにいいし、真面目にやる女ではある」と、ジギル。
「ねぇお願いネルファ~! 僕らを連れてってよぉ~!」と、ヌル。
ネルファは考えるそぶりを見せるが、嬉しさが隠せない緩んだ朱色の頬のせいで端から見ると答えは出ている。案の定、彼女は「まったくしょーがないなぁ!!」と嬉しそうに三人を小さな手で精一杯抱きしめた。
恐らく、本音を言えば彼女も四人でいるのが好きなのだ。
ガリルは窮屈そうに、ジギルは恥ずかしそうに、ヌルはされるかままに彼女の手で顔を引き寄せられる。彼らの顔をじっくり見たネルファは、不意にその勝ち気な雰囲気を霧散させて三人の存在を確かめるように頭を預ける。
「ずっと一緒にいようね」
幾ら明るく振る舞っていても、昨日の今日で悲しみは振り払えない。
ふとした拍子に、いつか彼らと別れるときのことを考えてしまい、不安を振り払いたくなったのだろう。12歳の少女であれば尚更だ。
エネルギッシュな彼女が垣間見せた甘えるような声を、三人は拒絶しなかった。
「……オウ」
「仕方なくだぞ」
「えへへ、一緒ぉ」
(……こいつらなりに心配してたんだろうな)
――人間が魔族を従えるという構図は、どこか嘗ての十三円卓が魔族を利用した関係を思い起こさせる。
しかし、目の前の四人の間には確かな絆が感じられた。
多分、ディブラー三兄弟のような輩にはネルファみたいな主が丁度良いのだ。
グリモアの束縛に苦しんでいるようなら解放するよう説得しようかとも思っていたハジメだったが、少なくとも当分は必要なさそうだと四人を見守ることにした。
ちなみにウルは明らかにハジメと違う視点で見守っていた。
(あの図体だけ大きくなった悪ガキ共みたいな三人を母性で包み込むネルファたんと、そんなネルファたんの寂しがりな一面を見て放っておけなくなる三人! そして三人は次第にネルファたんが大人になってゆくにつれて自分たちの想いに……キテル!! アリ!! アリアリアリアリ!!)
(何らかの栄養素の過剰摂取で口角の上昇度が人類の顔構造における限界点に到達しようとしている……)
――余談だが、ディブラー三兄弟はウルが魔王になる前にこちらの世界に逃亡したため、彼女が魔王であることには気づいていないようだった。
魔界に連なる者はみな正体を教えずともウルを「魔王様!」と慕っていただけに、過去の因縁から警戒しまくりの三人のリアクションは新鮮である。
真実をしれっと教えたら三人がどんな反応をするのか気になってきたが、ぐっと堪えたハジメであった。




