断章-3(2/3)
デスボもばっちりな歌姫ネルファには楽器担当とマネージャを兼任するディブラー三兄弟という美形の青年たちが付き添っていることでも有名だ。ネルファが気合いを入れている中、その三人は彼女の後ろに集まって何やらひそひそと話している。
「死んだバアさん送り出すのにあの歌とかイカレてるぜあのガキ。だが面白ェ! 燃えるぜ……!」
「俺はよくないし燃えないが? 魔界にもあんな不謹慎な奴いねぇよ。なんであんなのが俺らのグリモアの所有権持ってんだ……って、おいコラ、ヌル! 本番直前まで弁当食ってんじゃねえ!」
「だってここの弁当ビックリするくらいうまいよぉ~?」
勝手に燃えているのがガリル、愚痴っぽいのがジギル、弁当を貪っているのがヌルだ。それぞれ紺色の髪に赤、青、黄色のメッシュを入れているが、あれはネルファが「顔が似てて覚えにくい!」と染めさせているとの噂だ。
というか今あいつら魔界について言及したなと思っていると、ぽちを頭に乗せたマオマオがこそっと近づいてきて耳打ちしてくる。
(あれ、魔界ではディブラーの三悪童とまで呼ばれた札付きのワルたちですよ。グリモアというのは魔界で悪い事した人に使われて、刑罰を完遂するまで罪人の魂を縛る司法アイテムです)
(確かディブラーの三悪童は悪事が過ぎて一度刑務所送りになったが、護送中に脱走して行方不明になってる。多分、人間界に逃げた拍子に強奪したグリモアを落としちまってあの娘っ子に拾われちまったんじゃねえか?)
(成程な。なんとなく関係性が見えてきた)
察するに、今はネルファがグリモアの所有権を持っているので三人ともあの子供に魂を縛られて逆らえないのだろう。
件のネルファは三兄弟が本番前にダラダラしているのを見咎め、不機嫌全開の顔でつかつかと近づくと問答無用で手近なジギルの尻を蹴り上げた。
「いっだぁ!?」
「今からバアちゃんのカチコミ応援しようって時にな~にダラダラしてんの! シャキッとなさい! 楽器の準備いいの!?」
「「「ハイ!!」」」
「よろしい」
先ほどのだべりが嘘のように背筋を伸ばした三人にネルファはうんうんと満足げに頷く。たった一人の少女に逆らえない三人の悪魔兄弟とは不思議な構図だ。
ネルファはステージの奥に安置された今は亡きシュークルの眠る棺をマイクで指し示す。
「歌姫ネルファ、まかり通るッ!!」
田舎に急遽作り上げた豪華とは言えないステージを、ネルファはまるで巨大な演劇場の主役のように堂々と歩く。そこには戦いを生業とする者のそれとは異なる、しかし全てを背負っても余りあるようなプロのオーラが感じられた。
ディブラー三兄弟は彼女に続いてステージに上がると、彼女を中心に設置された楽器をそれぞれ手に取る。これらは全て生前シュークルが愛用していた楽器を借りたものだ。
背後にあるシュークルの棺桶に背を向け、ネルファがマイクを持たない左手で空を指さす。
「ネルファ・エギアです!! 家族として、そして一人の音楽家として! 最高最強最大パワーでおばあちゃんにこの歌を捧げます!! ――インフィニティ・ブレイズ!!」
ヘタをしたら、大ブーイング。
罵詈雑言を浴びせられるかもしれない。
途中で不快感をあらわに背を向ける人もいるかもしれない。
本来の段取りも何もあったものではない異例の葬儀の幕を開けるネルファの一声。
――始まりのたった一声が響き渡った瞬間、この世界の主役は彼女になった。
圧倒的な存在感と熱量は一瞬で村を覆い尽くす。
「始まったな。彼女のライブが」
フェオが聞いた事のない音楽に興奮している。
「なにこのゾクゾクする感覚。すごい。すごい歌だ……!!」
他の人々も同様だ。
もはや誰も彼女から目を逸らし、耳を塞ぐことは出来ない。
場の空気が歌姫一色に染め上げられていく。
アップテンポなリズムに合わせて年齢を感じさせない力強くも繊細な音程で歌詞を紡ぐネルファは、一挙手一投足に至るまでが芸術の塊だ。
音楽に合わせて歌うのではない。
ネルファに音楽が従っているかのようだ。
ディブラー三兄弟はしかし、そんな彼女の僅かな声色や機微から求める音を瞬時に導き出し、決して遅れず激しい旋律を奏で続ける。開始前の緊張感のなさは欠片も見当たらず、ただネルファの歌の魅力を最大限に引き出すという目的にどこまでも真摯に添い続けている。
彼女オリジナルの音響魔法なのか、それとも魔族の知恵か、異世界とは思えないエフェクトが織り込まれながらも歌は加速する。
天国への殴り込みという無理難題に思えたシュークルの要望をまるで見越していたかのように歌詞は決戦のサビへと雪崩れ込み、再度、ネルファの歌唱力が爆発した。
最早、棺桶に背を向けて歌うという行為の是非すら参列者の頭にはない。
どんなに高レベルな冒険者でも、如何なる権威を持つ貴族でも為し得ない、それはまさに歌姫の歌唱であった。転生者にも歌い手を選んだ者は時としていたが、ネルファほどの輝きを放った者はハジメの知る限りいない。
圧倒的な歌唱は尚も続き、やがて長い間奏に入ろうとした頃、とうとう雨がぽつぽつと降り出す。しかし、観客の誰もその場を離れようとしない。今という瞬間を見逃したくないのだ。ネルファ達も頬を伝う雨粒を一顧だにしなかった。
そのときだった。
「あっ――」
ネルファが初めて言葉に詰まる。
彼女の視線の先に、霊体となったシュークルが姿を現したのだ。
イスラ達が固唾を呑み込む。
この世界で霊体が生前の姿のまま人間と相対することは滅多にない。
それほどまでにシュークルは今という瞬間を待ち望んでいたことになる。
イスラの予想は正しかった。
彼女が未練なく成仏出来るかどうか、今ここで決まる。
ディブラー三兄弟が驚きつつも演奏の手を止めない中、ネルファは、マイクを握る手を下ろして瞳に一杯の涙を湛えた。
「ごめん、バァちゃん……ごめん!! 私、バァちゃんがこの村に引っ越したことも知ってて、そのうち会いにいってお歌聞かせるねって約束したのに!! なのに、有名になって、ライブが忙しくて、まだ時間があると勝手に思い込んでぇ……えぐっ……本当にごめんなさいッ!!」
彼女は必死に嗚咽を堪えていたが、涙は留まることなく、声はどんどん歌姫とかけ離れた悲痛なものになっていく。
初めて、ネルファがシュークルへの思いの丈と正直な感情を見せた瞬間だった。
芸人は親の死に目に会えない、という言葉がある。
結果的にネルファはシュークルが死んだと知らされるまで、会いにいかなかった。
もしかすれば無理をしたらどこかで行けたかも知れないのに、シュークルの命の灯火がもう尽きかけていることに無頓着でいたことへの懺悔。誰もが他人事ではいられない、命の真実だ。
しかし、シュークルの霊体はまさかの行動を取る。
彼女が手を上げると、ディブラー三兄弟の楽器たちが勝手に動き出したのだ。
彼女によるポルターガイスト、なのに、ディブラー三兄弟に一切劣らない即興演奏で場が繋がれていく。
激しい演奏を寸分の淀みもなく奏でるシュークルは死出の旅路に出るとは思えない自信に満ちあふれた声で孫に語りかける。
『ここから盛り上がるところでしょう? こっちは最高に暖まってるんだから、今こそブチかますところでしょ? 私たちのファイナルセッションに!』
ネルファははっとして涙を拭き、マイクを手に取る。
「……遅くなっちゃったけど、私、歌うよ。バァちゃんは魂だけになってもロックでいたんだもんね。だから……ド派手でグルーヴアゲアゲでヘヴィーでゲキアツなレクイエムでバァちゃんをあの世まで送り届けてあげるッ!!」
『そうこなくっちゃ! ばあに聴かせておくれよ、歌姫の絶唱を!!』
懺悔に萎んだ彼女のオーラが、再度、爆発した。
そこに物理的なエネルギーはない筈なのに、誰もが信じて疑わない熱量が、会場の全員に魂の力を信じさせる。嘗てない一体感と興奮に、気づけば全ての観客がこれが葬儀であることを忘れて立ち上がっていた。
ネルファの歌とシュークルの演奏が重なる。
楽器を奪われたディブラー三兄弟が即席でコーラスに加わり、音の厚みが更に増す。彼らの歌声は余すことなくネルファの美声を引き立てた。
ハジメは、自分の心臓が高鳴っていることに気づいた。
(圧倒的だ……俺も心が震えている。ネルファの本気の歌は死者をも興奮させるのか――)
荒ぶる楽器の超絶技巧演奏と天にまで届かん声量、その全てが緻密かつ大胆に絡み合い、これまでの中で最高潮のパフォーマンスへと昇華される。
この瞬間、この一分にも満たない残りの時間にあらん限りの情熱と愛を注ぎ込んで――たった一人の家族のためにネルファは魂を燃やして歌い続ける。
そして、とうとう訪れる終わりの時。
ネルファの小さな体躯からは信じられないシャウトが村に、森に、世界に響き渡った時、霊体となったシュークルが楽器を手放して天を見上げた。
『人生最期にして最高の演奏、しかと受け取った!! 行くぞ神ッ!! 行ってくるよ、ネルファッ!! 死後の世界に殴り込みじゃあああああああッ!!』
全身が金色に輝くシュークルから死人とは思えない正のエネルギーが立ち上る。
村人達の知る柔和なそれとはまったく違うエネルギッシュな笑みで笑う彼女は、右拳を突き出して弾丸のような速度で空へと飛び立った。
『世界よ、星よ、次元を超越して聴けッ!! これが……ロックじゃああああああああああああッッ!!!』
瞬間、村を覆う雨雲に巨大な大穴が穿たれ、蒼穹に浮かぶ太陽が顔を覗かせた。
シュークルの姿は完全にこの世から消えて無くなり、空には虹が残る。
アーチではなく円を描いた、ハロと呼ばれる虹だった。
誰もが圧倒される、理解を超えた、しかしきっとシュークルにはもう一遍の未練も無いだろうと確信出来る成仏の瞬間であった。
それがシュークルの常軌を逸した思いの強さであったのか、歌葬とでも言うべき新たな魂の浄化であったのか、将又ネルファの歌が生み出した奇跡であったのかは判別がつかない。ただ、この破天荒な葬儀に苦言を呈する者は、その後も不思議と一人もいなかった。
シュークルにはあれでよかった。
ただ、それだけだった。
歌いきったネルファは膝から崩れ落ちながら、空を見上げて一瞬の嗚咽を堪え、精一杯の笑顔を作った。
「ばいばい。最高に格好良い、私のバァちゃん」
歌姫ではなく、愛を注がれた一人の孫娘としての惜別の言葉だった。




