8-4 fin
三日後、三人は順調に巨大珊瑚を登り、遂に頂上付近にまで近づいていた。
この頃になるとフェオとサンドラはかなり打ち解けており、フェオは自分の夢の話を、サンドラはこの仕事が終わったらレヴィアタンの瞳を売ってお洒落な服が買いたいという実に年相応の話をしていた。
「そういえばサンドラちゃんはどうやってレヴィアタンの瞳を持って帰る気だったの?」
「カースドアイテムの中に押し込もうかなって。魔力を全部封じられる代わりに物理防御力がグンと上がるやつ。だから魔力の水も兜の呪いが封じてくれるかなって」
「成程、そんな手が……! それは思いつかなかったなぁ」
「う、上手くいくかは分からないんだけどね! 一緒にいたパーティの皆さんも『呪いの装備なんて』って露骨に引かれましたけどね!」
褒められて照れを隠せないサンドラだが、面白いアイデアではある。
カースドアイテムはいわゆる呪われた装備で、一部のパラメータと引き換えに別のパラメータをアップさせるのが基本だ。使いようによっては聖遺物級のポテンシャルを発揮することもあるので、レヴィアタンの瞳の魔力を封じ込める可能性はあるだろう。あとは瞳のサイズ次第だ。
捕らぬ狸の皮算用とは言うが、そろそろ目的地だし、敵の姿も見当たらない。二人も私語はしているが警戒を怠っている訳ではないので小言は必要ないだろう。
と――感知スキルに強い反応があって、ハジメは遠視スキル『鷹の目』を用いて反応のあった方角を見る。
そこには、かなり距離があるが、空を飛ぶ魔物の集団らしきものが見えた。
普通、空を飛ぶ魔物の群れは単一種族でV字飛行をしている。しかし、ハジメの目に映る群れは複数種族で構成され、陣形もV字ではない。
何より、これほど離れているのに相手の気配が濃い。
(この反応の強さと群れの統率された陣形……魔王軍か? 空を飛んでいるということは飛空軍団。しかも指揮官の気配が濃い。あいつは幹部級の力はありそうだな)
「ハジメさん、どうかしました?」
「遠くに空を飛ぶ魔物の群れが見えた。後で邪魔になると面倒だからスナイプを試みる。お前たちは先に行っていいぞ」
さしものハジメもこの距離からの狙撃を要求されたことはないが、せっかくフェオとサンドラが上手くやっているのに横から茶々を入れられたくはない。
(頑張って当てるか)
オーラ発動、能力向上。
特殊感知スキル『風読み』発動
命中率上昇スキル『精密狙撃』発動。
エンチャント属性は貫通力を重視して雷。
(使用スキルは拡散弾……いや、奴らはまだ海の上だから周囲の被害は気にしなくていいな。単純に無差別広域破壊で吹き飛ばし、生き延びた者を追尾弾で落とした方が効率的か)
弓術のスキルは、練度を上げきると魔法による遠距離攻撃に比べて距離による威力の減退が少ないという利点がある。しかもオーラによるスキルの威力強化が可能で、魔法によるエンチャントの属性付与と組み合わせるとかなり多彩な使い分けが可能だ。
弓に矢を番えた瞬間、矢に雷の魔法が宿り、紫電を放つ。
弓を極限まで引き絞ったハジメは、相手が未だこちらに気付いていないことを確認してよく照準を絞る。
そして、己の持てる最大攻撃範囲を誇る業を解き放つ。
「火雷天咆」
紫電の矢は弾け飛ぶような放電と共に射出される。
獲物を求めて猛り狂う青天の霹靂と化した矢は、大気を貫いて瞬く間に数キロ先へと飛翔していった。
◇ ◆
その日、飛空軍団幹部の大怪鳥はある仕事の為に砦を離れていた。
実はつい最近、魔王城で人類側によるものと思われる大規模破壊活動があり、一時的に水不足に陥ってしまっているそうだ。そのため彼の幹部は部下を引き連れ、『レヴィアタンの瞳』と呼ばれる宝玉を取りに向かっていた。
太古の神獣レヴィアタンが生み出すとされるこの宝玉は、今まで魔王軍の中でも運用されてきたものだが、その所有数は少ない。というのも、レヴィアタンは神に下った存在であるため、人類と敵対する魔王軍に対しては抵抗してくる。そのため、手に入れるには幹部を含む手練れを用意したうえで高度な水対策をする必要がある。
そこまでして、手に入るのはやっと数個。しかもレヴィアタンの意思により効果は弱体化する。それでも尚、必要な時は必要なのが厄介だ。
「まったく、人間め……確か主犯はニンジャとかいう訳の分からんやつと、人間どもが『死神』と呼ぶ男だったな……余計な真似ばかりしてくれる」
ニンジャはともかく、『死神』は魔王軍でも名の知れた存在だ。
『死神』は冒険者になった当初から魔王軍の進撃を幾度となく阻んできた。人間を滅ぼすための婉曲な作戦を潰すことから大軍を鏖殺することまで、奴に殺された仲間は数知れない。何度かこれを謀殺しようとしたこともあったが、結果はといえば彼が現役冒険者であるという事実が物語っている。
「おまけに奴め、各地で幹部候補を立て続けに始末しおって。とうとう本格的に我らと事を構える気か……」
その一言に、部下たちの体が強張る。
これまで、『死神』は何度も魔王軍を妨害はしたものの、積極的に撃破に向かうそぶりは見せなかった。故に魔王軍の幹部格はなんとかこれを避けて活動してきたのだが、これからはそうもいかないかもしれない。
既に今代の勇者が活動を始めているという噂もある今、明日は我が身だ。そんな部下たちの恐れを紛らわすために大怪鳥は軽口を叩く。
「……まぁしかし、まさか今回の任務でかち合うことなどあるまい。奴は人間の中でも忙しい身と聞く。まだレヴィアタンの瞳を噂程度でしか知らない人類が急に瞳を欲しがって奴を派遣するとも思えんし――な?」
軽口が終わるか否か、というタイミングで、大怪鳥の目は、島から飛来する光を捉えた。その光が纏う膨大なエネルギーを肌で感じた彼は、咄嗟に翼で全身をガードする。
「総員、耐衝撃防――」
瞬間、世界が爆ぜた。
「ガッ――!?」
強烈な衝撃波と爆炎、そして轟雷のような爆音が空に鳴り響く。
意識が消し飛ぶのを寸での所で堪えるのが精一杯だった。
白濁した意識がなんとか視界を回復させると、大怪鳥のガードした翼は襤褸切れのような無残な形に成り果てていた。大魔法すら防ぐ彼の羽が、ただの一瞬でだ。
周囲を見渡せば部下の大半が既に消し炭となり、残る部下のうち半分は今の攻撃で即死して物言わぬ躯として海に落下していく。生き延びた部下たちも飛ぶのが精一杯で、あと一撃でも受ければ死は免れない。
何が起きたのか、分からない。
レヴィアタンの攻撃はここまで届かない筈だ。
人間の攻撃もまた同じだ。
なのに、何故、何故、何故――疑問より先に、彼は撤退を選んだ。
「ぜ、全員退避を――」
言いかけて、大怪鳥の言葉は止まる。
先ほど攻撃が飛来した場所と同じ方向から、九つの真紅の光が迫っていた。
一切の希望を貫き、運命の果てを告げる死の紅だ。
これが先ほど攻撃してきた相手と同じ存在の放った技であれば、回避は間に合わない。彼は即座に回避を諦め、迎撃を選んだ。
「ッぁあぁあああああああ!! ビッグ・サン・ウェェェェェェブッ!!」
それは大怪鳥の最後の切り札。
全身から強烈な熱の波動を放ち、周囲を焼き尽くす超魔法。
その威力も、攻撃範囲も、必殺と呼ぶに相応しい上に、その炎で自らを癒すことまで可能とする不死鳥の如き攻防一体の切り札。
超魔法の壁と九つの真紅の光は虚空にて衝突し――そして、障子を破るように真紅の光が魔法を貫通した。九つの光は大怪鳥ごと部下を全員貫き通し、全身が穴だらけになった大怪鳥は吐血する。
回復速度が全く間に合わない、完全な致命傷だった。
「――グブッ!! ま、まさかこんな辺境の空で……この私が……飛空軍団の長たる、このガ――」
名乗りが終わる前に、先ほど放った九つの閃光が止めを刺さんと舞い戻って再度命中。計十八の風穴を空けられた魔王軍幹部は、結局最後まで名前を名乗ることが出来ずに絶命した。
◆ ◇
「――ふぅ、どうにか全滅させたか」
人生初の無茶な距離の狙撃を成功させたハジメは一つ息を吐く。
振り返ると、そこには先に行けと言ったのにしっかり見学していたフェオとサンドラがきらきらと目を輝かせてハジメを待っていた。サンドラが興奮気味に、フェオは使った技に興味津々だ。
「凄い!! 凄いですハジメさん!! 火雷天咆って確か弓術最高位を誇る必殺技ですよね!? 実物初めて見ましたけど、本当に凄い威力ですね! ここまで爆風が届いてましたよ!?」
「うわぁ、パパですら消耗が激しいから一回の戦闘に一度しか使えないって言ってたのに立て続けにもう一つ凄い奥義放ってましたし!! あれなんて名前でしたっけ!?」
「九陽殺だ。名前通り九つの矢を放つ。なんでも炎属性特攻もあるらしいが、特攻に関係なくだいたいの魔物は直撃すれば死ぬから有難みはよく分からん」
弓の最上位スキルを立て続けに二つ目撃した二人は、未だに興奮冷めやらぬ様子で、サンドラもフェオもまだ褒め足りないようだ。何故か若い女子たちに持て囃されたハジメは、慣れない状況に居心地の悪さを感じる。
しかし、二人が喜んでいるならまぁいいかと状況を受け入れることにする。
「爆風と閃光をその身に受けて構えを解く瞬間のハジメさん、最高にヒーローっぽくてかっこよかったです……!!」
「こう言っては不謹慎だけど、運悪く島に近づいてた魔物のおかげで凄い技を観れちゃいましたね!!」
『うむうむ、良きかな良きかな。迷惑な蠅共も魚の餌になり、妾は満足である』
さて、皆さんお気づきだろうか。
三人だったはずなのに、いつの間にかメンバーが四人に増えていることを。
「誰だお前」
『無礼者め、それが相手に物を訪ねる態度か……と言いたいところじゃが、お前のことは気に入ったのでその無礼は許す』
そこにいたのは、水で形作られた女性のような存在だった。
気配からは強い水の魔力と神々しいオーラを感じる。
ハジメはその正体にすぐ思い至った。
「この地に眠る神獣レヴィアタンの分霊……か?」
『然りよ。我が瞳を盗まんとする不逞の輩が空から近づいておったから来てみれば、オヌシが全て綺麗に叩き落としておったでな。奴ら、たまに来るが小賢しくも水対策をしておって、分霊では倒しきれぬのじゃ』
「そうだったのか……」
神獣の分霊の存在と直接対面するのは初であるハジメだが、随分とラフな性格なのか、古式な口調ながらどこか精神的な幼さを感じる声と態度だ。
「時にレヴィアタンよ」
『ああ、言うな言うな、皆まで言うな。レヴィアタンの瞳が欲しいのであろう? この珊瑚に足を踏み入れた時から先刻承知じゃ』
よほど機嫌がよかったのか、レヴィアタンはあっさりと要件を承諾した。
彼女の手が強く煌めいたかと思うと、そこには伝聞の通り海より深い碧の宝玉があった。宝玉からは大量の美しい水が絶え間なく流れ落ちている。
ハジメは内心、文字通り眼球だから目から抉り出すみたいなオチじゃなくてよかったと思った。フェオとサンドラの良心が死んでしまう。
レヴィアタンはそんなハジメの心の内を読んだのか、口を尖らせる。
『それはウケが悪かったのでもうやらぬ。やらーぬ』
「前にやったのか……」
瞳の最初の発見者は空気を読んでそこまで周囲に言いふらさなかったようだ。
『まー本来は本当に渡すに値するかテストとかするんじゃがの。ハジメの働きを観れば最早不要じゃろうて。有効に使えよ? この瞳は妾の瞳。悪用すれば災いとなるぞ?』
「は、はい!! 大切に使わせていただきます!!」
「ありがとうございます!!」
ぽーん、とレヴィアタンの分霊が投げ飛ばした瞳を、フェオは巻物でダイレクトに包んで保管し、サンドラはカースドアイテムらしい兜でキャッチする。
彼女の目算通りカースドアイテムの呪いによって魔力が封じられ、宝玉の水は停止した。フェオの方も上手くいっている。
二人が上手く宝玉を受け止めたのを見て、レヴィアタンはけらけらと笑う。
『うむ、よくぞ水を封じる知恵を絞ったの。前に来た輩は水がダバダバ出てたら持って帰れないだろとか何とかブツブツ文句を言いおったが、きちんと知恵を使えばちゃんと封じられるのじゃ。よって妾は間違っておらぬ。決して持ち帰るときのことまで気遣いが出来ていなかったわけではないぞ! 知恵を試す試練じゃぞ!』
つくづく、最初にここに辿り着いた人は空気の読める人である。
溢れ出るレヴィアタンのポンコツさを誰にも言わず心の内に仕舞って冒険者の夢を守った英雄かもしれない。事実、フェオもサンドラも口ごもっている。
「は、はぁ」
「そ、そうですか」
「事前準備必須でノーヒントなのに知恵の試練も何もないのでは?」
『う、五月蠅いわい! 妾は間違ってないし、ちょっと要求が高いかなと思って難易度を緩めただけじゃい!』
両手をブンブン降って威嚇するレヴィアタンの分霊。
彼女の体に人のような肌があれば、さぞ顔が赤かっただろう。
こうして、レヴィアタンの瞳を求める冒険は無事に幕を閉じた。
◇ ◆
――その後の話をしよう。
まず、開拓地の人々はレヴィアタンの瞳を本当に持って帰ってきたハジメたちを褒め讃え、その日はさながら祭りのような大騒ぎになった。
特にサンドラは「唯のダメダメ冒険者かと思ってたらやるじゃないか!」と褒めてるのか馬鹿にしてるのか分からない言葉にも感動で涙を流し、多少は世間に認められることが出来たようだ。
サンドラは手柄を故郷に持ち帰るためにハジメたちと一緒に船に乗り、そして大陸に戻るとそれぞれの帰路に就いた。
別れの間際、サンドラはハジメに握手を求めた。
「今回の冒険ですごく大切なことをハジメさんから学べたと思います。私みたいなダメダメな冒険者を『同類』と呼んでくれたこと……出来ないことは諦めていいんだって言葉、本当はすごく胸に響きました。えへへ……わたし、駄目なりに頑張り方を考えていきますね!」
はにかんだサンドラは続いてフェオをハグして友愛を誓い、そして去っていった。僅か数日で随分堂々とした態度でいられるようになったものだ、と思う。
なお、これは余談だが、後に聞いたことにはサンドラを見捨ててレヴィアタンの瞳を得ようとした冒険者チームはレヴィアタンの瞳から溢れ出る水の封じ込めに失敗し、結局は諦めたらしい。サンドラの用意した兜を、呪いの装備なんて持って来やがってと先入観で切り捨てなければ彼らにも目があったのに、何が幸いになるか分からないものだ。
そうしてハジメたちはフェオの村に戻り、フェオはさっそくレヴィアタンの瞳を利用した新たな建物の設計に取り掛かった。
そして、ハジメはというと……。
「くおーん……ママぁ、ママだぁ。久しぶりのママの匂いだぁ」
数日間留守にしたことで寂しさMAXだったらしいクオンの抱き枕と化していた。
今回は今まで留守にした中で一番長かったため、それはもう帰りを心待ちにしていたらしい。何度も言いつけを破って追いかけようかと思っては踏みとどまりを繰り返していたから存分に褒め、そして甘えさせてやれ、とはベニザクラの言である。
さっきからハジメの服に顔をうずめ、腕に頬ずりし、たまに甘噛みもしながら存分に抱き着いてくるクオンの顔は、まるでマタタビを得た猫のように蕩け切っている。言いつけを守ったご褒美がこれでいいというならハジメに文句など言えるはずもない。何日かは彼女と一緒にいてあげよう。
問題は、クオンが抱き着いている方の反対側の腕にある。
「ハジメさん、ハジメさぁん……私はやっぱり駄目なモノアイマンなのです……」
そこには、爽やかに別れた筈のサンドラがいた。
さっきから絶え間なく頭を撫でてやっているのだが一向に落ち着く気配がなく、さりとて撫でる手を止めると縋るような一つ目の視線を向けてきて止めるわけにもいかない。
サンドラはあの後故郷の家族にレヴィアタンの瞳を見せつけたらしい。
――家の中で、カースドアイテムの兜からわざわざ取り出して。
結果、サンドラの家の中は水浸し。しかも慌てて仕舞おうとして大失敗し、地下室にまで浸水。結果、手柄を持ち帰ったはずのサンドラは更に家族から侮蔑の視線を向けられてしまったという。更に彼女の冒険譚に対しても家族は冷たかったらしい。
「ひどい、ひどいんですよ皆……私あんなに頑張ったのに、話を聞くなり『全部そのハジメって人の手柄で、サンドラは何もしてない』って……ふぇぇぇん……!」
「そうだな、ひどいな」
余りに切ない声で言うものだから思わず同意したが、大体合ってるのが酷い。
しかもしょぼくれたままレヴィアタンの瞳を売ろうとしたところ、また質屋で家と同じくレヴィアタンの瞳をむき出しで取り出して店を水浸しにし、激怒した店長から出禁判定。更にその相手が高名な質屋だったらしく、噂が一気に伝播してサンドラはどの質屋でも出禁になってしまったという。
なお、ハジメがそのまま彼女にあげたダイヤ装備一式は、店を水浸しにして商品を幾つか駄目にした迷惑料に全て引き渡したそうだ。
こうして彼女は振り出しに戻り、辛さに耐えきれなくなってフェオの村までやってきたという訳だ。
悲しいくらいどうしようもない娘である。
とりあえず後でフェオに押し付けたい。
「あぁぁ……ハジメさんの温かい手だけが私を責めないでいてくれる……」
「んみゅう……ねむくなってきちゃった。ママぁ、膝枕してぇ……」
(どうしてこうなった)
このあと神が地上用アバターを使ってハジメの家に来訪し、更にレヴィアタンの瞳を通してレヴィアタンの分霊が遊びに来ることをハジメは知らない。




