34-27 fin
――後に『エルヘイムの告発』と呼ばれることになる歴史的大事件は、その後すぐには民衆の耳目に留まらなかった。
排他的なエルフと国家首脳陣しかその情報を知り得なかったことと、内容が内容なだけに各国も軽々に公表する訳にもいかなかったこと、そしてシャイナ王国が事実関係を否定し、突如として国内の言論統制を目的とした新法の制定を極秘裏に始めたことで、情報はしばし世間を賑わすことはなかった。
しかし、一度膨らみ始めた疑問は押し止められるものではない。
しかも、新法は事情を知らぬ民までをも抑圧してしまう。
シャイナ王国の王位の正当性を揺るがす大事件は、静かに、しかし着実に、水面下に落ちた影を肥大化させていくことになる。
――そんな未来の話を知らぬハジメは、コモレビ村の為に宛がわれた客室のベッドで堂々と仮眠を取っていた。
多かれ少なかれ、攻性魂殻の使用は脳に負荷がかかる。
今日は特に盾を全面的に使用したり初めて他人の装備を動かしたりと慣れない使い方をしたことも含めていつも以上に酷使してしまった。
客室に着いたハジメはそのままベッドに直行して倒れ伏した。
睡眠欲にこれほど忠実に従ったのは久しぶりだった。
あまり長く寝る訳にもいかないのでぐっすりとはいかなかったが、多少は頭を休ませることが出来たと思う。
そんなハジメを眠りから呼び起こしたのは、オルセラからの一方的で粗暴な『起きろ』という感覚共有メッセージだった。
冒険者としての生活が長いせいか、まだ眠気があるのにぱちりと目が覚める。
身体を起こして部屋を見渡すと、オルセラはまだ来ていなかった。
『何かあったか?』
『貴様等がもうエルヘイムに用事がないなら村に送り返す。準備を整えておけ』
それだけ伝えてオルセラは一方的に意識共有を切った。
ギューフが忙しいであろう今、彼と話ができないのでは事実確認も出来ない。エルヘイムに留まるメリットがない以上、確かに早々に帰った方が互いにとってよい選択だ。
起き上がって時計を確認すると時刻は9時を回っていた。
部屋を見渡すとフェオとアマリリスが何やら話し合っているのが見える。
フェオはこちらを見ていなかったが、気配で気づいたのか会話を中断して即座に振り返った。
「おはようございます、ハジメさん。もう少し寝ていても良かったんじゃないですか?」
「いや、余り長く居座りすぎると案内人役のオルセラを待たせることになるのを失念していた」
「式典で顔を見たきりまだ戻ってませんし、まだいいんじゃないですか?」
彼女が座っていた椅子は、誰にも利用されずに壁際に寂しく佇んでいる。
フェオ達としてはむしろ彼女を待っている状態だったのだろう。
「いや、オルセラから念話があった。もう帰っていいようだ」
「帰る、かぁ。他の国の人達があの話を聞いてどうするのか気になりますけど、今はそれを探れる状態じゃなさそうですしね」
フェオの物憂げな声にオロチも首肯する。
「世界最大の人口と国土を誇る古の国家を根元から揺るがす疑惑ですからね。既にいくつかの国は今後の身の振り方を考えるために城を後にしたようです。逆にギューフ王に味方した者は残っていますが……」
アマリリスが「帰ろ帰ろ」と雑に促す。
「私たちは現状村以下の集団なんだし、政治のあれこれの話に混じってもやることないって。それに、うちは後から事情を把握できる伝手が色々あるじゃない?」
「バランギアや天使族ですな。ギューフ王から直々に遣いが来ることもありえましょう」
「そゆコト。幸い私たちは少数で荷物も大したことない訳だし」
「だな。俺も仮眠を取って多少頭がすっきりした」
アマリリス専属メイドのナルカがさりげなく取りやすいよう差し出してくれたお盆からサンドイッチを摘まんで口の中に放り込み、紅茶で一息に胃に流し込む。せっかく丁寧に淹れてくれたのは有り難いが、オルセラを待たせて機嫌を損ねるのは面倒だし、ハジメ自身村に戻りたかった。
確証はないが、ギューフの告発により以前から疑問に思っていたことや気にかかっていた点たちが線で繋がり、輪郭を帯びてきている。
世界にとって当然のものと思い込んできた勇者と魔王の描く二重螺旋。
その正体が予想を遙かに超えて歪で、しかしどこか陳腐なまでに単純な構造として存在しているという事実。
これからシャイナ王国十三円卓議会はより強行的になっていき、コモレビ村は時代の奔流に否応なしに巻き込まれるだろう。
しかし、それは必ずしも村の衰退を意味するものでもないとハジメは思う。
(うちはまだ小さな村だ。これからどう発展するのか、選択肢は沢山ある筈さ)
全員で素早く支度を終えて部屋を出ると、偶然にもバランギア竜皇国の面々と出くわした。彼らも母国に帰るようだ。
互いに失礼にならない範囲で挨拶を交わすと、ガルバラエルがぬっと近寄ってきてハジメの耳元で囁く。
「ロクエルはバランギアに恥じない仕事をしたか?」
ガルバラエルの目は据わっており、逆に奥のロクエルはだらだらと冷汗を流している。そういえばセンパイに怒られるだのなんだのと彼は言っていた気がするが、皇が若干呆れているのを見るにこの先輩と後輩はあまり関係が上手くいっていないようだ。
「多少未熟な面はなくもないが、あいつのおかげで大分楽させて貰った」
ロクエルによる迷宮構築妨害の貢献度はかなり高いし、その後も護衛も最後の最後でヘマこそしたがあの段階で作戦はほぼ成功していたのでハジメとしては気にしていない。
情報管理意識の甘さなど他にも指摘すべき点はあるのだろうが、ハジメは彼の監督役ではないのでそこまで教える義理はないと簡素な返事に留めた。
ついでにガルバラエルへの感謝も改めて伝えていく。
「お前との商談も含めて助かったよ。今後ともご贔屓にさせてくれ」
「……うむ」
ガルバラエルはそれで一応は納得したのか、にこりともせずに儀礼的に握手を交わすと皇の元へと戻っていく。ロクエルは露骨にほっと胸をなで下ろしていた。
実際問題、ガルバラエルが転売してくれたイミテーションドール10個がなければ作戦は大きく変わっていただろう。偽ギューフを散らしたからこそ敵戦力を分散し、各個撃破に近い形に持ち込むことができた。
もし総力戦になっていた場合、コムラ、ローゼンリーゼ、ダエグの三人を同時に相手取るという最悪の展開もあり得た。彼女たちは国家の思惑で気を許しあってはいないとはいえ、状況が整えばそれに応じた連携くらいはしただろう。
勝てないとは言わないが、犠牲者やより大きな遺恨を残すリスクを回避出来たのは大きかった。
最後に皇が「そのうちまた遣いを寄越す」と言い残してハジメ達に背を向ける。
その遣いとは恐らくエゼキエル――すなわち本人のことだろう。
段々バランギア竜皇国とフランクな関係になってきたが、彼らとの関係性を深めることには様々な意義がある。これからの時代、特に。
改めて城の出口へと向う途中、小さな誰かが遠くから勢いよく魔法で飛んできた。
ハジメの目の前で急停止したのはスリサズだ。
「ハジメ!! 姉上の護衛、大義であった!!」
「おはようスリサズ。期待に応えられてよかったよ」
心底嬉しそうな顔のスリサズに、彼を知らない他の面々が「誰?」とか「きゃわわ~……!」とか小声で好き勝手なことを言っている。
「そういえば皆は会うタイミングがなかったな。こちらは古の血族のスリサズだ。昨日会って少し遊んだり話をした」
皆は「初めまして」と丁寧に挨拶し、その度にスリサズは「クルシューない」と返答するが、自信満々な態度なのに自分の言葉の意味を理解してなさそうなところがまたスリサズの可愛げのある所で、無礼な少年に眉を潜める者はいなかった。
「これから純血エルフも外を知る時代らしいから、ワレはハジメのいる村にもキョーミがあるぞ! そのうち姉上と一緒に行くから出迎えの支度をせい!」
「来る前にちゃんと連絡をくれんと誰も出迎えに来ないぞ」
「なぬ!? そうなのか……外の世界の人間は不親切だな。覚えておく」
大仰に驚くスリサズのリアクションが面白い。
古の血族の中では落ちこぼれとはいえ十分すぎる程に箱入りなスリサズは、案の定城と里のエルフの在り方が万国共通だと思っていたようである。とはいえハジメの指摘には素直に耳を傾けてくれるのだから、順応性はありそうだ。
ひとりでにうんうんと頷いたスリサズは、「ではハジメ、これからもヨロシク頼むぞ!」と言い残して再び飛び去っていった。
「あいつとは長い付き合いになるかもな」
主に迷惑をかけられる方でだが、フェオは自分が彼にデブ呼ばわりされていたなど知らないので「いいじゃないですか」とのほほんとしていた。
「素直で可愛い子そうですよ。ハジメさんにも懐いてるみたいですし、クオンちゃんの新しいお友達になれるかも」
「改めて考えるとクオンの友達エルフだらけだな……」
一応村の子供達とは全般的に友達だが、特に近しいのが純血エルフの双子兄妹にダークエルフの姉弟というレアすぎる面々だ。ハルピーのルクスがまた強すぎる同年代に追いつかんと修行に励んでしまいそうである。彼はもうその辺の新参冒険者では数人がかりでも敵わないくらいの域に来ている。
閑話休題。
漸く城の出入り口に辿り着いた面々を待っていたのは、オルセラだった。
が、彼女は昨日とは決定的に違う点がある。
「お前、その肌どうした……?」
オルセラの肌が、こんがり日焼けしたみたいな褐色になっている。
デュートワイライツの魔法によるダークエルフ化のときよりは黒が薄いが、それ以上にツッコミどころがあるのが服に面する辺りは元の白い肌なところである。
オルセラが身を包むエルフの伝統衣装は結構あちこちに露出があるため、ただ佇んでいるだけでも白肌と黒肌の境がくっきり見えてしまい、余計に日焼けっぽくなってしまっている。
オルセラはふん、と鼻を鳴らす。
「デュートワイライツの解除に手を抜いたらこうなった。魔力の伝導率が高い衣装故に布が肌に触れる部分は早々に魔力が散ったが、触れない部分は自然に抜けるまでこのままだ」
唯でさえ元々抜群のプロポーションだったのに日焼けのコントラストまで加わって余計に目を引く姿になっているにも拘らず、オルセラはそれを気にも留めていないとばかりに平然と歩き出す。
「帰るぞ」
「いや、ちゃんと解除してからでもいいだろうに」
「我は我の肌が白でも黒でも困らないし気にしない」
アマリリスが「なんという叡智な……」とか鼻を押さえて意味不明なことを呟いているがもう誰も気にしない。マイル辺りはなるべく見ないようにしているのは気遣いか、それとも視線が奪われるのを避けたいからか。
つい数時間前まで命懸けの激闘をしていたとは思えないほど平然としたオルセラは、城を出ると早々に転移魔法を用いた。
次の瞬間、ハジメたちは村の出発地点と寸分狂わぬ場所にいた。
通行人が何事かと驚いたり、オルセラの姿を男女問わずガン見したりしている。
「これで我もお役御免だが、兄上やきょうだいがこの村に来ることもあるだろう。そのときはまた顔を合わせることになる」
「承知しました。いつでもご一報を」
「ん」
代表として返答したフェオに適当な相槌を打ったオルセラは、不意にハジメの前まで移動する。
「ハジメ、契約の話だが」
「契約……あ」
そういえば護衛の仕事が終わったら婚姻の証を外してくれるという話と、あとヒャズニンガヴィーグの刀身を完全なものにするという話が残っていた。
公衆の面前かつフェオの真ん前なので、ダエグに狙われたときより絶体絶命である。
「あー、その話は場所を改めた方が――」
「喧しい、聞け」
相変わらずオルセラは一方的であった。
「契約の方だが、よくよく考えるとしたままの方が連絡も取りやすくて便利なので解除しない。そのままつけておけ」
「えぇ……まぁ、便利なのは否定しないが」
「とはいえ距離が離れすぎるとやや繋がりづらくもあるのでこれを肌身離さず持っておけ。念を中継する呪いのかかった指輪だ」
「え」
エルヘイムでは貴重な筈の金属を用いた簡素な装飾の指輪をぽんと手渡されたが、その瞬間にフェオからの無言の圧が一気に強まった。
しかも、契約が婚姻の証であることを考えるとこの指輪は結婚指輪に等しいものである。普通にまずい。
「あと、ヒャズニンガヴィーグを出せ。兄上の代わりに我がする約束であったからな」
言われるがままに取り出すと、オルセラは二本の刀身の片方に親指を押しつけた。
美しい皮膚が裂けてじわりと血が付着する。
「お前は反対側の刀身で同じ事をやれ」
「ああ」
素直に従いはするが、夫婦のための剣だけあって刀身の解放の仕方が大分血の契り感があってフェオからの圧が更に高まる。しかも誤解ではなく本当にそうなので余計に困る。
二人の血を吸ったヒャズニンガヴィーグの二つの刀身は、一直線に伸びてまともな短剣に近い形状になった。感じる力も増大している気がする。
ただ、これは最初ギューフが自分でやるつもりだったことを考えるとどっちもどっちなので仕方ないと諦めがつく。
「よし、兄上との契約もこれで完遂されたな」
「まぁそうだが、当分は護衛任務はお断りしたい」
「そうか。しかし我はもうお前にしか身は預けんぞ。お前以上に身体の相性がいい男は見つかりそうにない」
「言い方が悪い……!」
フェオからの威圧感が爆発して周囲が気圧される。
ダエグ並みかそれ以上の圧である。
しかもオルセラはハジメに気を許したせいで若干口元が緩んでいるため、余計に一晩で関係性深まりました感がでている。いや、深まりはしたがニュアンスがなんか違う風に受け止められてしまっている。
フェオは無言ですっと指輪を取り出す。
ハジメが告白の際に渡した大きなエメラルドの結婚指輪である。
結婚指輪として大きく派手過ぎることから二つ目の指輪を用意したので最近は日の目を見なかった指輪をわざとらしいまでにゆっくりと薬指に嵌めたフェオがニッコニコでハジメの肩を掴んでオルセラから引き剥がす。
彼女はフェオのことより彼女の指輪に視線を向ける。
「む? 失われしエルヘイムの翠の契りの指輪ではないか」
「そうですよ? ハジメさんと私の契りの指輪でもあります」
「成程な。正妻なのだからその指輪を介して混ぜろということか」
「え?」
「え?」
急に話が変な方向に飛躍した。
面倒くさがりな風のくせに何故協力的になるんだとハジメは内心呻いた。
オルセラの頭のネジは新体操を得意としているようだ。
「その指輪を持ち出すほど本気ならば無碍にするのも気が引けるというもの。とはいえ純血ではないお前では自力で契約できまい。少々面倒だが我が仲介してやろう。我がお前と接吻して印を託す方法と三人で舌を絡ませる方法の二つがあるが、どちらがいいか選ばせてやろう。ちなみに後者の方がかかる時間は短い」
「な、なななななな何言ってるんですかぁぁぁ!?」
いきなり猥褻ギリギリ行為を一緒にやれと言われてかぁっと頬を赤く染めるフェオは、即座にある事実に辿り着く。
「てか、え!! それってつまり貴方契約のためにハジメさんと接吻したってことじゃないですか何やってるんですかマジでぶん殴りますよこの露出狂女ぁッ!?」
「煩いな。我がやると決めてやったことにごちゃごちゃとけちをつけて事実が変わる訳でもあるまい。我に舌を差し出すか二人でハジメの舌を舐るか、どちらか疾く決めよ」
「ハジメさんッ!! 貴方って人はよりにもよって性別見境なしの痴女に手を出したんですかッ!? 女も参加できるからオッケーじゃないんですよぉッ!!?」
「落ち着け、大分誤解がある。きちんと説明するから」
「ダメだ。説明する時間が無駄だ。今すぐ選べ。選ばないなら無理矢理する」
「やっぱ痴女じゃないですかッ!!」
「なんでこうなるんだ、俺たちは……」
結局フェオはどちらも選ばないまま猛抗議したことで、痺れを切らしたオルセラに公衆の面前でディープキスされる羽目に陥った。
余りに激しい舌の絡みに抵抗も許されず口腔を蹂躙され、やっと解放された頃には泣いてしまっていたフェオは「私、貴方の事嫌いですッ!!」と彼女にしては強い言葉で抗議するのであった。
なお、オルセラの側は子犬が健気に吠えているくらいにしか思っておらず、「また来る」と言い残して平然とエルヘイムに帰っていった。
――後に『エルヘイムの略奪姫事件』と呼ばれ、コモレビ村の大人の間で面白半分に語り継がれる大事件であった。
文句なし過去最長章になっちゃいました。
書いてる途中でインフルにもかかって今までで一番完走が大変だったかも知れませんが、何とか形になりました。色々世界の秘密的なものが出てきたけど、おっ散ワールドはまだまだ続きます。どうか暇つぶしがてらお付き合いください。




