34-26
王という言い方は、純血エルフの間では本来はしない。
古の血族の頂に立つ存在は、ただ長と呼ばれる。
王という呼び方は言ってしまえば外来語が定着したものに過ぎない。
木々のせせらぎ程度しか聞こえない静かな城前の広場に、近衛の知らせが響き渡る。
「我らが新たなる統治者、ギューフ様の御成~~り~~~~!!」
世界を待たせたエルフの長が厳かに開いた城の入り口から就任式典に姿を現すと、エルフ達が色めき立った。
時刻は10時を回り、既に来賓たちも食事を終えて正装で来賓用に拵えた席に座っている。近くには古の血族たちも並んでいたが、実際には来賓、血族共に幾人かはイミテーションドールで体裁を保っている。
先だっての激戦で倒れ伏した者達や最後まで戦い抜いた者達は流石に一晩の激闘の疲労を隠しきれなかった。途中で戦線を離脱したユーリ達やローゼンリーゼ、早々に脱落したことで回復の間に合った冒険者たち、消耗が少なかったマイル、リサーリ、ロクエルなどはそのまま出席している。
その中にはハジメもいたが、よく見ると夜更かしの影響を隠す為にメイクで顔色や隈を誤魔化していることに気付いた者は少なかっただろう。
ギューフは先日の激戦など何もなかったかのように凜々しい顔で就任式典をこなし、年老いた旧長より額飾りを恭しく受け取った。大きなエメラルドを基調に装飾されたそれが冠の役割を果たすらしい。
ギューフがそれを額に当てると、側に控えていた雑ダエグが魔法で固定した。
実際にはギューフの遠隔操作による自作自演だが、疑う者は誰もいない。
こうして、ギューフは名実共にエルヘイム自治区の長となった。
長となったギューフは就任演説をする。
大抵の就任演説は、これからもエルフとエルヘイム自治区の誇りを胸に統治者として里の安寧と未来を約束するのが通例だ。変化のないエルヘイムではそれ以外にないと言ってもいい。
しかし、ギューフはそうはしない。
安穏と変化しない里に、混乱と反発を帯びた未来を提示するために、彼はダエグと争ってまであの場所に立った。
ハジメは彼の言葉を待つ。
(聞かせてくれ、ギューフ。天使族が最近になって動き出した理由となった、お前が暴露するという秘密を。俺たちの血と痛みを伴う戦いが齎したものを)
ギューフは数多の民と世界中の首脳陣を前に、拡声魔法を展開する。
それは新たなる時代の産声か、将又、終末の呼び声となるのか。
「――エルフは、変革しなければならない」
ギューフは結論より話した。
民は予想だにしなかった言葉に僅かながらどよめくが、彼は威風堂々と語り続ける。
「今より二千余年前、我らエルフは世界の変化に対応出来ず滅亡の危機に瀕していた。我らを哀れんだ神獣、『守りの猪神』グリン様が救いの手を与えたもうたことでエルフという種は危機を乗り切り、今日まで世界に一目置かれる選ばれし民として平穏を享受してきた」
ギューフはそこで言葉を切り、そして、民の認識を言葉で斬る。
「その認識は大きな誤謬だ。我々は先人の遺産の上に胡坐を掻いて何もしていなかっただけである。我らがシャイナ王国の中にあって特権的な立ち位置にあるのは、今まで世に出ることのなかった密約があったからに過ぎない」
どよめきが大きくなっていく。
長が誇り高きエルフという種を貶めるかのような言葉を放つなど想像もしたことがない民は、ただただ目の前の状況をかみ砕けず困惑するばかりだった。
シャイナ王国のエーリッヒ王子の側に仕える者たちが顔面蒼白になっているのを、ハジメは目ざとく見ていた。何人かの護衛がさりげなく武器に手をかけるが、もしこんな場所でエルフの王に弓引く者がいれば、けしかけた国家の信頼は失墜する。
大方、ダエグが上機嫌なのを見て彼らは貸与した【影騎士】が上手く仕事をしたものと勘違いしたのだろう。今更それに気付いても遅いし、ダエグも彼らに全てを開示する気はなかったことがギューフにとって都合良く働いた。
ギューフは語る。
エルフの歴史の裏に隠された真実を。
「嘗て、神代が終わって間もない混乱期に戦争があった。戦争の当事者たちが表向きその存在を葬ったそれは、あるものの奪い合いであった。それは――『聖者の躯』である」
『聖者の躯』――初めて聞く言葉ではあるが、ハジメの脳裏に聖者や躯というワードに引っかかるものは幾つかある。やはり、それらには大きな意味が存在したらしい。
「所持していたのはシャイナ王国の前身となった集団で、躯を欲したのは嘗ての我らの祖先。戦争の仔細までは記録されていないが、最終的に我らの祖先は『聖者の躯』の一部を奪い取ることに成功した」
前王がギューフの言葉に挙動不審となり、彼と側にいるダエグを交互に見やり何かに気付く。しかし、気付いたとて手遅れと判断したのか、沈痛なため息と共に椅子に背をもたれる。
諦観と、自分の代でこの問題が訪れなかったことの安堵の半々が顔から滲み出ていた。
「祖先が得たのは『聖者の胴』。これを交渉材料に、嘗てのエルフは相手集団と停戦交渉を交わした。『聖者の胴』を管理し、秘め続ける代わりに、我らは相手集団より特別な待遇を得ることとなったのだ。当時疲弊していた双方にとって最善の落とし所であったのだろう」
エーリッヒ王子は話の内容が何も理解出来ていないのか、周囲の焦りにも気付かず退屈そうにしている。よくよく周囲を見渡すと、教会から派遣された集団はそれとは違って不自然なまでに静かだった。
「集団は後に始祖シャイナに付き従うと国興しに尽力し、その後は王を支える集団――十三円卓と呼ばれる特権的な議会となった。これこそはシャイナ王国の興りであり、我らのエルヘイムの地が自治区として成立したのも時を同じくする」
アマリリスが口元を歪め、「やば、これ……」と独り言を漏らす。
十三円卓が始祖シャイナに最初に付き従った十三の臣下に由来するという話はシャイナ王国の建国について学んだ人間なら誰でも知っている。
問題は、シャイナ王国の興りに関する事前情報が歴史書の内容と大きく異なっていたことだ。
今の話が本当ならば十三円卓は少なくともエルフと戦争をするだけの規模がある組織だった集団であったようなので、これではシャイナ王国は実質十三円卓が建国したようなものということになる。シャイナ王族の王位の正当性を大きく貶める発言と言ってもいいだろう。
ルシュリアは何も分かってないような顔でニコニコ笑っているが、あれは知っている顔だな気色悪いとハジメは思った。
「十三円卓が何故『聖者の胴』ひとつのためにそれほどの譲歩をし、今日に至るまで律儀にエルヘイムを優遇し続けるのか……私はその思惑にさしたる興味はない。ただ、知識として知ってはいる。『聖者の躯』は魔王軍という仕組みを維持する為に使われているものだ。もしまかり間違って破壊などされれば十三円卓は魔王軍をこの世界に呼び込めなくなる。彼らにとってそれは都合の悪いことらしい」
これまでの経緯と比べてさらりと発された言葉。
魔王軍の危機を感じたことのないエルフ達は、実感が湧かないためか関係のない話として軽く聞き流している。
それとは対照的に、来賓席に並ぶ各国首脳陣は呆然としていた。
余りに荒唐無稽な内容に思えたか、ギューフの正気を疑う目もあった。
しかし、彼らはシャイナ王国十三円卓の顔色が蒼白を通り越して脂汗を滴らせていることに気付き、今の話が法螺話と言い切れないことを直感してしまった。
ハジメの隣では、フェオが身に余る情報を前に口元を両手で抑えて動揺している。
他のコモレビ村出身者も多かれ少なかれ動揺が見られた。
ハジメもまた、心中穏やかではいられなかった。
(これまで何人が魔王軍の手にかかって死んできたと思っているんだ、あいつら。真実も知らされずに殺されてきた人々を前に、どの面を下げて対魔王軍の最前線を張る正義の国家だなどと……)
ハジメには十三円卓の考えることが理解できないし、したくもなかった。
何か人間とは別の生物の考え方だと感じるほど、ハジメの道徳とかけ離れている。
ギューフの言葉が嘘偽りなく、魔王がこの世界に侵攻する理由が十三円卓の思惑によるものなのだとしたら――文字通りシャイナ王国という国家の在り方そのものが覆ることになる。
ギューフはしかし、彼らの断罪を目的とはしていなかった。
「私はシャイナ王国の統治について口を出すつもりはないので、事実だけを述べる。魔界の魔族なる存在は、元々十三円卓の祖となった組織が謀略によってこの世界から追放した者たちの子孫である。彼らは今は滅びし旧神との契約が世代を越えてもなお魂に刻まれており、『聖者の躯』を通して自意識を操られ、軍隊を編制し、勝てない戦いで数を減らし続ける」
リサーリが動揺の余り喉が鳴るほど強く息を飲む。
魔界で相応の立場にあるというブエル家の子息ですら魔王軍システムを何の違和感もなく受け入れていたことが反応から読み取れた。
「……彼らは自分たちの意思で侵攻に来るのではない。契約を通して、それが自分の意思だと思い込んでこの世界に襲来しては人を襲う。私は他種族の正義を語る気はないが、彼らを哀れむ」
魔族は嘗て自分たちを追放した者への復讐などという大義名分すら知らずに死に続けているのだろうか。
必要性も自意識もなく、ただ誰かの都合で死ぬ為に殺し続ける。
これでは魔王軍への復讐を誓い戦ってきた者たちの魂も、魔王軍の尖兵たちの魂も報われない。
ギューフも指摘には思うことはあるのだろうが、民に語りかける長としてそれ以上の言及は避けて話を進めた。
「……このシステムは『人理絶対守護聖域』と呼ばれ、神代の後も人知れず稼働し続けている。システムが続く限り、シャイナ王国はエルヘイム自治区を優遇する。優遇されたエルヘイム自治区はそれで満足し、恵まれた地に留まり続ける……諸君にはこの意味が分かるだろうか」
犠牲になった者の中にははぐれエルフや純血エルフもいたかもしれない、などとはギューフは言わない。純血エルフ達はエルヘイム自治区の外のエルフを須く見下している。
エルフですら見下すのだから、エルフ以外の種族は更に見下している。
だから人情に訴えるようなことをしても意味がない。
「我らは自らの優秀さによって繁栄しているのではない。弱い者いじめに助力した見返りで現状を維持しているに過ぎないのだ。それをエルフの血の成せる威光だと勘違いした祖先達は、嘗て古代エルフが滅びかけた理由を忘却し、子孫たる我々は今また同じ岐路に立とうとしている。二度目の怠惰を許すほどグリン様も慈悲深くはないだろう」
余りにも同胞に対して辛辣な言葉に、古の血族たちの身体が竦む。
彼らはグリンを信仰するに当たって過去の歴史を幼い頃より教えられる。
古い言い伝えを書き記した書物には、こう書いてあった。
――古のエルフ達は長大な寿命と力を持っていたが、それ故に生きる活力と変化する力を失った。
――学習せず、進歩せず、やがて子を成す力さえ枯れて滅亡の危機に瀕した。
――だから猪神グリンは、長大な命を減らすことを代償に、エルフの血に活力を与えた。
――結果として、短い一生を全うするためにエルフ達は生きることの本質を取り戻し、これが今のエルフの繁栄に繋がっている。
ギューフはその教えにある嘗ての過ちを、今のエルフがまたもや犯していると遠回しに告げていた。
「密約による守りは、活力を取り戻したばかりの当時のエルヘイムには必要であったのだろう。しかし今はどうか? 外の物事を知ろうとも思わずただ里の中で変化のない日常を貪るだけの我々は、次第に身体が虚弱になり、子を為す力さえ弱りつつある」
母親世代のエルフ達の子を抱く手が硬直する。
我が子が生まれてから育つまで、どれほど死の危機が訪れただろうかと。
子を成せずに思い悩む夫婦の顔色が変わる。
自分たちの苦悩は、もしかしたら自分たちだけの問題ではなかったのではと。
医療に携わるエルフたちが、拳を握りしめて俯く。
ある者は感動し、ある者は嗚咽を漏らし、またある者は沈痛な面持ちで俯く。
彼らは医療の最前線にいる以上そのことに当然気付いていたにも拘らず、言うなと口止めされ続けた者たちだった。
思惑はそれぞれ違うが、心のどこかでいつかこの瞬間が来ることを望み、或いは覚悟していた。
ギューフは拳を振り上げ、己の道を力強く宣言する。
「我々はゆりかごから出て自分の足で大地を踏みしめ、世界を知らなければならない!! 純血を続けることは弱くなることでもあると思い出さなければならない!! 故に、私はエルヘイムの新たなる長としてここに宣言する!! 我らを停滞の螺旋に導く『人理絶対守護領域』を巡る密約を、我が代で破棄する!! 誰あろう、我々の未来の為にだッ!!」
新たなる長の一世一代の決断に対し、拍手を送ったり声援を送る者は歴代の長のそれに比べて明らかに小さかった。全体でも二割から三割といった程度で、言葉を選ばずに言えば大半の民の心を打っていなかった。
当然と言えば当然かも知れない。
彼らは現状不利益を被っている実感がない。
出生率の低下や虚弱児問題も、人口の全体で見れば苦しんでいる者は一部に過ぎない上に常態化しているために慣れており、外の知識がないためそれが異常なことである認識すらない。今も尚、ギューフが何を言っているか理解できていない者は多いだろう。
それでも、ギューフの顔は希望に満ち溢れていた。
今の宣言だけで、二割から三割は王を信じてくれたのだ。
もちろん、古の血族に妄信的に従っているだけの者や、周囲に流されてなんとなく支持した者もいるだろう。それでも、声援の中に混ざる現状のエルヘイムへの問題意識を持つ者の声は本物だ。
同時に、この宣言はダエグとの思想対立に完全なる楔を打ち込んだ。
ダエグはずっとあることを恐れていた。
エルフの血が濃くなりすぎたとして、それを解決するにはエルフ以外の血も少しは取り入れる必要がある。しかし、そうして外の血を取り入れ続ければやがてエルフ固有の因子は淘汰されていき、遠い未来、エルフという種はいなくなるかもしれない。
あれほど長らく守ってきたエルフの誇りが、そこに生み出された文化や技術が、先人達の誇りある戦いや決断が――エルフを受け継ぐ者がいなくなるかもしれない。
そうでなくとも混血を許せば三種属以上の血が混じった時点で虚弱児が生まれやすくなり、純血という統制を失ったエルフ達は更に死にやすい子供を産み、何らかの事情で大量死してしまうかもしれない。
ダエグは、自分と家族と先祖たちの一生が無駄になることを恐れた。
ある意味、誰よりもエルフの為を想った考え方だ。
しかし、思い出に縋り続けて変化しない種族もまた、小さなきっかけで滅ぶかもしれない。
人はいつだって、限られた時間のなかで不確定な未来を選択するしかないのだ。
十三円卓が王子と王女を連れ、大慌てで会場を後にする。
三国同盟を組んでいたドメルニ帝国とシルベル王国の首脳陣はなんとか彼らを捕まえて事情を聞き出そうと追いかけ、そうでない国は状況を整理するので精一杯の様子だった。
ハジメは立ち上がり、コモレビ村の皆に声をかける。
「就任式典は終わりだ。騒ぎが拡大する前に部屋に戻ろう。これ以上ここに留まっても仕方ない」
「……ハジメさんは、驚かないんですか?」
「驚いてはいるんだが、すまん。正直に言うと一度寝てから改めて考えたい」
「あ。あぁ~……そりゃ徹夜で戦えばそうですよね」
一瞬呆気にとられたフェオだが、ハジメの正直な反応に苦笑いして頷く。
流石のハジメも一晩中戦っただけではなく慣れない護衛スタイルでダエグのような怪物級の実力者と一戦交えてからすぐ式典に出席したのは多少堪えていた。それに、大変な出来事だからといってここで考えても仕方ないのは事実だ。
フェオは皆に目配せして立ち上がると、背伸びをしてハジメの頭を撫でた。
「お疲れ様です、ハジメさん」
フェオの細く温かな手がハジメの髪をなぜる。
彼女の微笑みと手から、労りの気持ちが流れ込んでくる気がした。
今まで殆どされたことのない行為にハジメは面くらい、咄嗟に反発の言葉を漏らす。
「俺は子供か?」
「お嫌でした?」
「わからん。ちょっと複雑かも」
「人目のある所なのが良くなかったのかなぁ? でも手応えはあった気がします」
悪戯っぽく笑うフェオに、ハジメはほんの少しどきっとした。
意外と心地よいかもしれないと内心思っていたのを彼女に見透かされてしまったようだ。
こうして、ギューフによる前代未聞の就任式典は混乱のままに幕を閉じた。
彼が遠い未来に賢王と愚王のどちらで呼ばれるのかは、後世の歴史家が決めることだろう。
それも歴史が後世まで正確に受け継がれればの話だが、未来の為に何をするかもギューフの選択次第である。




