34-25
眼前の予想外の光景に、ロクエルがうわずった声で叫ぶ。
「こ、この王もニセモノォ!?」
オルセラの顔色が一変する。
「じゃあ本物はシャイナ王国の護衛のところに――それではどのみち間に合わないではないか!?」
状況が飲み込めず二人が混乱する中、ダエグは別のことで混乱していた。
「何故、じゃ……!? そのイミテーションドール、は……儂の作ったものでは、ない……!?」
彼女はイミテーションドールの制作者だ。
人形を見ればいつ頃誰に渡したかまで理解できる。
そんな彼女が一度も作った覚えのないイミテーションドールなどあり得ない。
それまで沈黙を保っていたハジメが、不意に口を開く。
「俺は既に別口からイミテーションドールを入手していた。別に驚くことでもない」
「ち、ちょっと待ってくれハジメさん!? あんたこっちの王が偽物だって知ってたのぉ!?」
「ああ。ついでに言うと分断されたギューフも偽物だ」
これにはオルセラも驚愕する。
「どういうことだハジメ! それでは、逃走した9人の兄上の中には最初から本物はいなかったということか!?」
彼女はギューフが最初10人いたことを知っており、近衛たちエルフが「イミテーションドールの所持数は推定10個」と認識していることも聞いた。そしてハジメが護衛に出る前、コモレビ村の客室でマイルというリカントにイミテーションドールを一つ渡しているのを見た。
だから、てっきり9人のギューフのうちのどれかが本物だと判断していた。
彼女だけではなく、ギューフ側に着いた恐らくほぼ全員がそう考えていた。
しかし、記憶を思い返せばギューフもハジメもその認識で合っているとしっかり断言していなかったことをオルセラは思い出す。つまり、10人のギューフという奇策が発動するより更に前に、この作戦には仕込みがあったことになる。
ハジメは落ち着き払った態度で説明する。
「もう本物のギューフが儀式に入った。ダエグが如何なる手を使っても不可侵の儀式だ。【影騎士】がもう一人いたようだが、直接戦闘タイプじゃなかったのもあって迷宮の外で既に鎮圧済みだ。というわけで、ネタばらしの時間といこう」
「私は限界だから、後は頼んだよ、ハジメ」
「ああ。おつかれ、3番目のギューフ」
ギューフ3はほっとしたように微笑むと、完全に役目を終えて人形に戻った。
魔力に散った彼を見届けたハジメは、結論を口にする。
「本物のギューフは6番目のギューフ――ダエグ側に着いた近衛の罠にわざと乗って外に出たやつだ」
◆ ◇
「アイヤー!? それじゃ、本物はとっくに城から脱出してたアルかぁ!?」
迷宮の隅の七面倒くさい場所に閉じ込められていたジャンウー、リサーリ、ギューフ8。彼らは彼らでなかなか大変な目に遭っていたが、最後まで護衛を務めてくれた二人への礼としてギューフ8はネタばらしをしていた。
「本物は囮のギューフ達が散開したあと、コモレビ村のマイルくんと合流して一計を案じた。それが城の外への脱出だ。最初から相手が目星をつけていない場所にいればリスクは大幅に減るからね」
「しかし、城の出入りは特殊な方法で全部分かるって話じゃ……」
「そこは確かに若干の賭けだったけど、勝算はあったんでね」
実は、ギューフは城の出入り監視について前々から探りを入れていた。
その結果、実は出入り監視はあくまでセンサーが自動的に反応するようなもので、出入りした人物の詳細まで割り出せる訳ではないことを突き止めていた。
そこでギューフは、虚数魔法空間にマイルを入れて欺瞞魔法を展開しながら堂々と外に出た。ダエグもその協力者も、その時点で彼が本物か偽物かは区別が付かなかっただろうし、二人いたことも同様に気付けなかっただろう。
そして城の外に出たあと、ギューフはニーズヘグの魔法を発動させて周囲の視線を引きつけ動揺させたところでハジメから予め受け取っていたイミテーションドールを発動。戦闘の混乱に紛れて偽物とすり替わったギューフはその時点でマイル共々ノーマークとなった。
リサーリが余りの事実に困惑する。
「えぇ……じゃあ中で起きてた激戦の意味ってまさか、ダエグをずっと縛り付ける為に……?」
もしもダエグにギューフが城外に脱出した、ないしそうではないかと疑われた場合、世界最強の魔法使いから7時間ものあいだ逃げ切ることは不可能に近かっただろう。
しかし城内に戦力を集中させ、偽物をばらまき、オルセラを大暴れさせることでギューフはダエグに「城内の決戦に賭けている」と思い込ませた。ダエグであれば、一番の戦力はいざというときのために自分の近くに置くと考えるだろう、という読みだ。
イミテーションドールが10個という情報も、もしバランギアが10個全てを譲渡していたらという仮定でしかない。もしかしたらバランギア側が一つは手元に残したかも知れない、或いは既に使ったかもしれないという考えから、全て偽物という可能性は低く見積もられていただろう。
「ダエグに『ギューフは城内にいる』と思い込ませなければ元の木阿弥だから、正直ずっとひりついてたよ、オリジナルは。オルセラとダエグの激突はもはや相手の位置を縛るための必須の事項とまで言えたから、そこも妹の安否という意味で気が気じゃなかっただろうね」
「ってことは、王もオルセラ様も無事なんすね」
「ハジメが最後まで良い仕事をしてくれたよ。彼は秘密を守り、妹も守り抜いた。彼以外にこの仕事は務まらなかっただろう」
城の脱出後も外の見張りはいたため、そこでも気を張った。
ギューフが一瞬でも気を緩めると古の血族の魔力が漏れ出し、外にいるという情報が相手に掴まれかねない。ギューフは城内の味方の援護をマイルに任せ、本人はひたすらに気配を消して耐え忍びながら一つの準備をしていた。
「ある意味作戦の要だね。ほんと、ハジメがイミテーションドールを持ってきたからこそ使えた荒技だよ。その正体は――」
◇ ◆
エルフの城の物置に、魔法の拘束具で芋虫のように縛られた一人の男がいた。
彼はシャイナ王国【影騎士】所属、ネムール・オキタ。
ふざけた名前の通り、寝るのが好きな年中パジャマ男である。
彼は直接戦闘力は高いとは言えないが、ある特殊な転生特典を有していた。
その能力は、広域記憶改変。
色々と制限があり便利ではないが、政治家にとっては実に都合の良い力だった。
人間の記憶とはあやふやなものだ。
当日ははっきりしていた記憶が翌日にはぶれていたり、いつの間にか事実と違うものを誤認したり、見た時点で思い違いをしていることだってある。中にはそうした誤った認識が定着して事実が忘れ去られたこともあっただろう。
ネムールは、彼が起きてから眠るまでの間に視界に入れたあらゆる人の記憶に、自分が寝ている間だけ干渉することが出来る。
とはいえ、干渉力そのものは低い。
例えば前日の朝食を忘れさせたり別のメニューだと誤認させることは簡単だが、前日の大事件の存在そのものを忘れさせることは困難だ。
また、思い込みの激しい人や記憶を定着させることを得意とする人間も容易には干渉しづらい。
しかし、この干渉力の弱さは対転生者戦のあるこの世界では他人に気付かれにくいという利点がある。それに、初対面時の印象をじわじわ操作することで嫌われにくくなったり、少々都合の悪い出来事の後々の波及を弱めたりと実生活で考えると意外に便利な力だ。
この力をフル活用すれば、例えば式典に偽物のギューフや操られた様子のおかしいギューフが参加して訝かしがられても、ある程度時間をかければその訝しみを和らげ、最終的に「特に不審点はなかった」という所まで持って行くことが可能だ。
人は人の意見に流される生き物でもある。
閉鎖的なエルヘイム自治区に於いては特にそれが強く作用する。
都合の良いことに就任式典にはほぼ全エルフが出席するため、視界に収めるのも簡単である。
相手に不審がられないレベルでの、さりげない火消しや好感度低下の回避。
民衆をコントロールしようとする政治家にとっては、実に嬉しい力だ。
ネムール自身は信念めいた拘りがなく自堕落気味な性格なので、寝ているだけで給料が貰える今の仕事は天職だと思っている。
「なのに、俺ってばなんでこんな目に……」
申し訳程度に気を遣われたのかカーペットの上に転がされたネムールは、二度寝の気分にもなれずしとしとと涙を流す。
ネムールはシャイナ王国の外交にはよく同行させられる。
なにか無礼があった際にそのダメージを最小限に抑えるためだ。
流石の彼もエーリッヒ王子が周囲に与えた強烈な「こいつ大丈夫か……」という印象の緩和は焼け石に水程度の効力しか発揮できないが、いないよりは遙かにマシと判断されたのだろう。そしてその日の夜に、彼はダエグに協力するよう命令を請けた。
ネムールは政治的な思惑など興味はないが、基本的に自己評価は高くなく長い物に巻かれる無難な判断を好むので、待遇に多少けちはつけたが素直に受け入れた。
だというのに、気付けばこの仕打ちである。
「あのダエグとかいうババア、夜に会ったときと朝に会ったときで言ってること全然違うじゃねえか!」
そう、彼を拘束して倉庫に詰めるよう命令したのはなんとダエグだった。
夜はギューフ王と悶着あるからギューフを周囲がまっとうな王だと思うよう数日掛けて記憶を改変して貰うと伝えられたのに、今朝叩き起こされたと思えば「ギューフは物わかりがよく万事解決したので事情が変わった」と能力を危険視されてこの仕打ちである。
「チクショウ! せめてもう少し寝心地のいい場所にいさせろぉぉぉ~~~~!!!」
ネムールの情けない抗議は誰にも届くことはなかった。
――何故、迷宮内にいた筈のダエグが外にいたのか。
――何故、ダエグは真逆のことを命令したのか。
――その答えを知るのは、彼女の隣を歩いていた一人の男と、古の血族の姫を護衛していた一人の男だけが知っている。
真実を知る者のうちの一人、ハジメは、ダエグやオルセラたちの前で遂に最後の悪巧みを暴露する。
「イミテーションドールを時間をかけて改造し、ギューフに都合の良いことばかり喋るダエグの偽物をこしらえた。ダエグが迷宮にいるかぎり露呈することはない。腕利きの近衛も全員迎撃や迷宮に駆り出したから余計にな」
「えっと、じゃあ、つまり……」
ロクエルが窓の外を見ると、にこやかな顔で部下に指令を出すダエグの姿があった。オルセラもつられて外を見る。
とても偽物とは思えない精巧な出来映えだが、確かに言われて見れば機嫌がよすぎて逆に若干違和感がある。しかし、それはあくまで若干程度であって、偽物だと断定するには足りない。
しかも、普段は威圧感のあるダエグがにこやかなので部下たちは逆に接しやすいのか、まるで疑いなくはきはき命令に従っていた。
これこそが最後の悪巧みの正体――。
「雑ダエグだ」
「雑ダエグ」
オルセラはオウム返しせざるを得なかった。
一生かけても自力で思いつかなそうな言葉なので無理もない。
「本来イミテーションドールは本人を模倣するが、それができないのでギューフの思い描く都合の良いダエグをギリギリまで時間を掛けて作って貰った。だいたい6時間くらいかかった力作だが、どうしても言動がちょっとだけ雑になる。ギューフの性格が若干反映されて人当たりが良いようだ」
ダエグが泡を吹いて意識を失う。
死んではいないが心が折れたようだ。
まさか己の厳格さがこんなところで仇になるなどとは思いもよらなかっただろうが、普通、人は必要以上に厳しい人より適度に柔和な人の方が好印象を抱く。しかも新王の就任式典という祝うべき状況で上機嫌に見えるので、周囲としてはそんなに違和感がないのだろう。
彼らはダエグとギューフが和解したと思い込み、イミテーションドールに喜々として従っていた。
ギューフの偽物やギューフを操り本心と異なる言葉を吐かせようとしたダエグの野望を打ち砕いたのは、皮肉にも偽物の自分そのものであった。




