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道を極めたおっさん冒険者は金が余りすぎたので散財することにしました。  作者: 空戦型


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34-24

 ――。


 ――。


 そこは、淀んだ空間だった。

 いや、滞った空間と言った方が正しい。

 視界に映る全てのものだけが空間に焼き付いただけの、実態の伴わない虚像、残影。

 森の声など一切聞こえないそこに、オルセラは立っていた。


「ここは――」


 周囲を見渡すと、余りにも見慣れない人工物に塗れた空間。

 竜人の都市にしては脆いが、高度な加工技術を持った文明の住宅街に見える。

 はためく洗濯物、視界を覆う建造物達のせいで狭く感じる曇天、狭い土でこじんまりと生きる木々、不純物を感じる空気、大地の恩恵を否定するかのように見渡す限りを石に似た素材で塗り固めた平らな道。


 どこか淡く、触れれば消えてしまいそうな世界の中に、一カ所だけ鮮やかな色彩があった。

 オルセラの足は自然とそこに向う。

 そこには、見覚えのあるものがあった。


 オルセラがいつの間にか持っていた、ドウロヒョウシキと呼ばれるらしいものだ。


 塗り固められた大地と融合するように突き刺さったそれの根元には、見たこともない金属の筒や自然と折り合いの悪そうな装飾の為された菓子、そして花束が幾つかとお香のようなもの。


 その前にしゃがみ込む、異国の服を着たヒューマンの女。


 女はオルセラと顔も合わせようとしなかったが、彼女がかけたメガネは素材こそ安いが洗練されたフレームで、この文明の加工技術と生活水準を感じさせた。

 年頃はオルセラと変わりないだろうか。

 女はじっとドウロヒョウシキを眺めながら、口を開く。


「話しておきたかった」

「……我とか?」

「さいごだから」


 なんの力も魔力も持たない、唯のヒューマンの一方的な言葉。

 オルセラは、何故かは自身でも分からないが、その言葉を黙って聞くことにした。


「貴方と一緒にいる彼と、私は少しだけ似ているかもしれない」

「……肌の色とかは、似てるな」

「同じ国の別の場所にいた。繋がりはない。でも、共に同じことを考えた」


 女はそこで言葉を句切り、顔を見せないままゆっくりと立ち上がる。


「第二の人生なんていらなかった」

「転生者……」

「二度目の人生があったからって、なんなの? あの子を蘇らせたら、ここで手放した命がなかったことになるわけ? 何もかも忘れて頭ハッピーで二度目の人生楽しみましょうなんて、ばかみたい」


 彼女の柔らかそうな手が、優しく道路標識をなぜる。

 オルセラは、彼女は見た目通りの年齢ではないのかも知れないと思った。

 彼女の魂が此処という想いの時空間に縛られているから若く見えるのだ。


「私はここでいい。全てを忘れて刹那と畢竟が永遠に交錯する世界に旅立つこともなく、ただここで忘れずにいたい。それが呪いであっても別に構わない」


 そこでオルセラは気付く。

 ここには血と死の匂いがする。

 そしてドウロヒョウシキの根元にある花束の隙間に、本物と見紛うほど精彩で小さな肖像画が置かれていた。写真と呼ばれるものかもしれないが、本物を見たことがないのでなんとも言えない。


 映された少年は女より幼いが同じ肌色で、何が楽しいのかにこにこと見る者に笑いかけている。スリサズを思い出す無邪気な人なつっこさを感じるが、恐らく、彼はここにはいない。きっと永遠に、どこにも――。


 ドウロヒョウシキのひん曲がった底部とこびり付く塗装。

 視界をずらすと、前方の一部が破損した乗り物のようなものが打ち捨てられていた。きっと馬以上の速度で移動が出来るのだろう。

 もし人にぶつかったら殺してしまうほど、無慈悲に。


「でも、同じ思いをする人間が遠い世界にいるのなら……その人の力になれるのなら、忘れられはしないけど、何かの形になってもいいかなって思えた」

「それで、私の手元に……?」

「きょうだいの為に最も困難な道を歩もうとする誰かに身を委ねたいってお願いしたから。道路標識は、本当はもうなくなっているんだけど……これが私の終着点だったから、消えてなくならないようにして貰った。私はただ、これに付随するように隣に添い続ける」


 女は顔を見せないまま、オルセラに問う。


「結局、貴方は死のうとしている。これも因果なのかもしれない」

「……成程な」


 この空間に意識が来る前のことを思い出し、オルセラは得心する。

 死ねば出会えないから、死ぬ前に出会いに来たのだろう。


「後悔はないの?」

「ない」


 オルセラは断言した。


「だが勘違いするなよ。死ぬことに対してないのではない。我はきょうだいを守る為には生きて勝たねばならん。だから勝つ。後悔などしようもない」

「……いま、死ぬ間際だけど」


 ほんの微かな呆れの感情が垣間見える言葉。

 地縛霊のようなものかと思ったが、やはり普通の女だ。


「おまえは運命を司る神なのか? 全能の調停者なのか? そうでないなら運命めいた物言いはやめておくのだな。恥を掻くことになるぞ」

「今更だけど、私の場合」

「まぁ見ているがいい。だが、そうだな……一応聞いておこう」


 オルセラは考えるそぶりをみせ、女に問う。


「このドウロヒョウシキなるもの、『理』とどっちが丈夫だ?」

「あの子のことは絶対になかったことになんてさせない。何も出来なかった姉として、意地でも壊させない」


 決意の籠もった言葉に、オルセラは安心したように笑う。


「ならば問題ない。形は違えどきょうだいを想う姉の想いが二人分。糞婆に吠え面をかかせるには十分すぎる力だ」

「……へんな人」

「子供の頃から我がどういう存在だったか知っている筈ではないのか?」

「力の使われ方にしか興味なかったから。でも、今すこし興味が湧いたかも」


 オルセラはずかずかと道路標識の前に歩み寄り、むんずと掴む。

 横目に漸く見えた女の顔は予想通り平凡で、しかし、全てを諦め達観したような気配は少しだけ和らいでいた。


「じゃあ、遠慮なく借りていくぞ。生きて帰ったらもう一回ここに呼んでも構わんぞ?」

「期待しないでおくから、期待しないでね」

「存外口の悪い女だな」


 オルセラは口を尖らせたが、同時に初めて彼女から気安さを感じたので悪い気はしなかった。彼女が道路標識を引っ張ると、地面が割れ、見覚えのある土台部分のブロックが姿を現す。


 すると、視界が白く染まっていった。

 白の中に消えていく女は、オルセラに遠慮がちに手を振った気がした。


 ――。


 ――。


「我は――死なんッッ!!!」


 オルセラは、死力を振り絞って道路標識を己の盾にした。

 白く細いポールを射線に滑り混ませようと、決死の思いで動いた。

 間に合わないと分かっていても、オルセラはそうした。


 だって、オルセラがそうしようと考えた時に手伝ってくれる手が、もう一つあるから。


攻性魂殻アスラガイストォッッッ!!!!!」


 道路標識を掲げる手に、ハジメの見えざる手が重なった。


 オルセラが最後の奥の手として放った絶死弾頭が道路標識と接触する。

 戦いでの物理破損などまずありえないとまでされる古代超高度文明の遺産たる聖遺物を障子を破るが如く貫通した告死の光は――ポールに接触し、あらぬ方向へと逸れた。


「 い ま だ ッ ッ !!!」


 絶叫が限界に近しい己の肉体に限界以上を絞り出せと命令する。

 勢い余って前方に倒れていく道路標識を踏み越え、オルセラは疾走した。

 ダエグはしかし、発射の反動で罅割れた銃を捨ててもう一丁の銃を取り出す。

 もはや魔法の迎撃は間に合わないと踏んで、重複した奥の手のもう一枚に全てを賭けたのだ。一体どれほど練習を重ねたのか、速度、照準、どれを取っても一流の動きで拳の間合いに迫るオルセラに狙いをつける。


 その、刹那。


「間に合えぇぇぇッッ!!!」


 ダエグとオルセラの間に虚空雑破の空間歪曲が生まれる。

 しかし、飛び出したのは彼の刀による斬撃ではない。

 僅かな隙間から噴出したもの、それは――金だった。


 金銀財宝、宝石に装飾、金貨に札束。

 この世の贅を尽くす者が抱きかかえて喜ぶものが、ダエグとオルセラの視界一杯に噴出する。


 ダエグとオルセラの判断を別ったもの、それは、知恵だった。


 オルセラはきょうだいの為なら金などどうでもよかった。

 いっそ、それが金であるかどうかさえ眼中になかった。

 知恵なき者の野蛮な行動であった。


 しかし、頭脳明晰なダエグは噴出したそれが貴重な財であるという事実に脳の処理能力の一部を取られた。

 何故金を、これは本物か、視界が覆われる程とは幾らくらいなのか、このまま撃ってしまえば一部の金が失われる、そもそも実はこれはダエグの金なのでは――。

 常人なら思考がパンクして静止してしまうほどの情報か、或いは一瞬過ぎて気付けない情報。しかしダエグは優秀であるが故に無視はできず、なるべく速く理性的に情報の取捨選択をしようとした。


 結果から言えば、ダエグは殆ど隙を作らないほどの時間で、それが目眩ましであるという結論を叩きだした。コンマ0,001秒以下の、神懸かり的な判断だった。


 ただ、《《思考を上回る反射》》と比べるとそれは絶対的に劣るもので、更に言えば、ハジメが攻性魂殻でダエグの銃を照準が間に合う前に勝手に発射させる隙を作ってしまった。


往生おうじょうしやがれぇぇぇぇえぇぇえッッッ!!!!!」


 あらゆる守りを打ち捨て、思考すらなく唯々ダエグへの負の感情を全て攻撃性に転化する。肉体が限界を超えても尚衰えぬ激情が魔力となって溢れ出し、最上位魔法を幾重に重ねても辿り着けない思念と魔力が唯一撃に宿る。


 積年の恨みという余りにも単純な暴力の籠もった右拳は、ダエグの左頬を完全に捉えた。

 命中の瞬間に数百の障壁が拳に触れ、飴細工より脆く虹色に砕け散るる。拳はダエグの体を廊下の果てまで盛大に吹き飛ばし、勢いの余り彼女の体は空気抵抗で浮き上がりながら空中できりもみになった。


 目の前の事態が受け入れられないとばかりに目を見開きながらもなんとか勢いを相殺しようとしていたダエグだが、その努力も虚しく通路の果ての壁に激突する。


「ゲッ、ハガッ、グブッ――!!!?」


 激突の瞬間、彼女が体に仕込んでいた計100個の秘蔵ダメージ身代わり人形が一瞬で全て砕け散り、デュートワイライツによる攻防一体の力が弾け飛んで肌色が戻り、服の中に仕込んであったいくつかの装備が役目を終えてボロボロと崩れ落ち、絶対に壊れないとまで言われた亀裂水晶が真っ二つに砕けた。

 それでも防ぎきれなかった破壊力は、もはやダエグに立ち上がる力どころか魔法で自身を浮かせる力さえも残さず奪い取っていた。


 殴った勢いのまま廊下に倒れ伏したオルセラが体を起こす。

 勝利を齎した拳は自らの力に耐えられなかったのか骨が罅割れ裂傷で血を滴らせていたが、彼女は躊躇いなく拳を天に掲げて勝利を宣言した。


「我が勝者だ。文句があるなら……はぁっ……聞いてやらんでもないぞ、糞婆?」


 連綿と続いたエルフの伝統ある歴史の守人の執念を打ち砕いたのは、たった一人の娘の家族を想うが故の執念と、同じくらいの私怨による復讐心。


 就任式典まであと3分に迫り、ギューフとロクエルが漸く人質入りのニーズヘグを片付けてハジメ達の元に駆けつけた時間の出来事であった。


 ――長い夜が終わりを告げる。


 城の形状が再び正常に組み変わり始める。

 組み替わるときよりずっと早いのはきっと城のシステムの関係なのだろう。

 ハジメたちはそこに至って漸く朝日が空に登り始めていることを知った。

 曙の温かな光が、勝者と敗者を照らす。


 ハジメは倒れ伏したダエグが弱々しくも呼吸しているのを目視確認してほっと胸をなで下ろす。


「殺したかと思ったぞ……」

「殺すつもりでぶん殴ったからな。まぁ、何も備えていないとも思っていなかった」


 オルセラは悪びれもせず飄々としているが、その体は激戦で酷使を続けたことで限界に近い。ハジメはギガエリクシールを彼女の頭にぶっかけるが、それで治るほどデュートワイライツの反動は軽くないのか少しふらついていた。

 肩を貸すと、オルセラは勝手に背に乗る。

 仕方なく背負うと、彼女はその身をハジメに完全に預けた。


「まったく、ダエグの銃の威力を見た時も肝を冷やした。俺がいなかったら確実に死んでいたぞ?」

「お前がいるからした無茶だ。頼られたことを光栄に思え」


 こつんと頭をぶつけて自らの存在を主張するオルセラは甘えているかのようで、彼女がまた一段ハジメに気を許したことが覗えた。ハジメとしてはこんなに世話のかかる護衛対象を持つのは出来れば今後遠慮したい。


 後方から近づいてきたロクエルとギューフは、倒れ伏すダエグを見やる。

 ロクエルは仕事が成功したことを喜んだが、ギューフはほんの数秒、黙祷のような静けさで彼女を見つめた。

 オルセラは感傷に浸るギューフを現状に呼び戻す。


「兄上、ダエグの手が全て潰えたとも限りませぬ。我は残念ながらこの通りですが、就任式典の準備は既に始まっている筈。急ぎ状況を確認し、本懐を遂げてください」


 就任式典は午前七時にいきなり始まるという訳ではないが、式典前には古の血族が伝統的ないくつかの儀式を内々に行なう必要がある。これは極めて神聖なもので、不備があれば長としての正当性を疑われかねないほどエルフ内では重視されている。

 ダエグが何か仕込みをするにしても、ギューフがそれを防ぐにしても、午前7時はデッドラインギリギリだ。


 ギューフはそれに頷き――直後、彼の腹部を魔力の閃光が貫いた。

 その場の全員が、貫かれて仰け反るギューフの様をスローモーションのように感じた。やがて三人の視線は、光の発射元へと移る。


 そこには、虫の息になりながらも死力を振り絞って指から魔法を放ったダエグの姿があった。


「さ……せ……ぬぅ……!!」


 空気中の魔力を術で強引に運用して体を起こしたダエグは、デュートワイライツの反動と瀕死の重傷を負った衝撃でゾンビより動きが緩慢で、吹けば倒れそうなほどに足が覚束ない。

 にも拘わらず、血走った相貌だけが異様に爛々と妖光を放っている。

 生存本能を凌駕した意思の力が、朽ちかけた老体から極限を絞り出していた。


 ダエグは更にギューフに追撃を放つが、漸く我に返ったロクエルが迫る光をダエグ目がけて投げ返すという離れ業をやってのけ、ダエグはまたもや壁に叩き付けられた。円形の魔力障壁がそれを防ぐが、とうに限界を超えたダエグは障壁に命中した魔力の反動で足をもつれさせる。

 それでも、うつ伏せに突っ伏しながら顔だけは持ち上げて魔法を放つ。


 執念――そうとしか説明のしようがない、足掻き。

 オルセラは青筋を立て、残された膂力を精一杯に振り絞って道路標識を投げ飛ばした。


「負けを、認めやがれぇッ!!」


 これまでの彼女の暴れぶりからは想像出来ない弱々しい投擲だったが、それでも十分すぎる重量を持つ道路標識のポールが腹に当たったダエグは自力でどかす力もなく、漸く倒れ伏した。

 それでも、くつくつと不気味な笑い声を漏らすダエグの声は勝ち誇っていた。


「時間、切れ、じゃあ……この先、部下も、配備して……おる。これで……儀式には、間に合うまい……!! は、はぁは、はははは……!」


 ほんの僅かな時間稼ぎ。

 しかし、一分一秒を争う今となっては致命的なタイムロス。

 ダエグがこれで間に合わないと弾き出した計算が、今、解を得た。


 ただし、その解は前提を違えていた。


「そうだね、ダエグ。尽きたのは貴方の時間だが」


 腹に魔法の直撃を受けたギューフが事もなげにむくりと起き上がる。

 彼の様相を見てオルセラとロクエルは目を剥いた。

 ギューフの体が魔力となって散り初め、腹部の損傷内部からイミテーションドールが露出していた。

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