34-23
ハジメの予想通り、ダエグは時間稼ぎという手段を自ら打ち捨てた。
「もうよい……もうよいわ!! 孫と思って大目に見てきた儂の判断が間違っておったッ!! 同じ血統に生まれようが、有害な因子は早々に切り捨てるべきであったのだッ!!」
「来るか……!」
「ハハッ! 次はどんな面を拝ませてくれる!?」
オルセラの耳障りな挑発も、これで聞き納めにしてくれよう。
ダエグの激憤に呼応するように、これまでに感じたことのない膨大な魔力が収束していく。魔力濃度の余りマナがエーテル化の兆候を帯び、景色が陽炎のように揺らぐ。
――その方法は遙か昔、神代の時代が終わる頃には生まれていたという。
しかし、技術が確立されながらも殆ど使われたことはなく、やがて純血エルフは戦いから遠のいた緩やかな衰退のなかで失伝させてしまった。
ダエグの生涯の功績は数あれど、この失伝した技術を再生させたことは誇るべき結果と言えるだろう。
ダエグの様相が変貌していく様を目掛けてオルセラは容赦なく魔法で攻撃を放ちながら道路標識を投擲するが、その全てがダエグに命中する前に異常な魔力の力場に阻まれる。相手が切り札を発動させる前に叩き潰す――などという誰でも思いつく甘い話をダエグが考えていない筈もなかった。
「儂は遂に編み出したのだ……!! 竜人における竜覚醒と比肩する、純血エルフの秘技をぉッ!!」
老婆の皺だらけの白肌が周囲の魔力を貪欲に取り込み、肌が黒みを帯びていく。
広がる黒はダエグの全身を深い褐色に染め上げた。
「これこそが、この世で最も魔力に適合したエルフの真形なりぃッ!!」
その姿にハジメは驚愕した。
「ダークエルフじゃないか……」
この世界には肌が黒めの種族や人種が幾つかあるが、その中でも最も深く美しいとされるダークエルフの肌色と、今のダエグのそれは同じだった。
ヤーニーとクミラという比較対象があるからこそはっきりと分かるその類似性。
「ダークエルフと貴様等が呼ぶ存在は、神代の終わりに袂を別った純血エルフの生き残りよッ!! 彼奴等は旧神の技術の一部を解明し、守りの猪神の加護を得ずして自力で生き延びたッ!! 彼奴等が純血を保っていない筈なのにはぐれエルフ共より高い能力を有しておるのは、肌にこそ秘密があったのだッ!!」
己の研究成果を誇示するように鷹揚に語るダエグだが、それでもダークエルフは純血に拘らなかったことで本来のエルフの力ははぐれエルフ同様薄れていったようだ。だがダエグは純血だ。そして、後天的にダークエルフの利点を得た。
「理解できるか、この漲る魔力の躍動がッ!! 人の肌は熱や衝撃、硬度から重量まであらゆる事象を知覚するもの!! その感覚さえも魔法に組み込むことが出来ることの意味は、愚昧な耳なしと劣等生には分かるまいッ!! だが、すぐ思い知ることになる……その身を以てなぁッ!!!」
直後、ダエグの姿がかき消えた。
次の瞬間、異常なまでに圧縮された魔力の刃を掲げたダエグがハジメの首を掻き斬る為に至近距離で腕を振るっていた。ハジメは反応して回避するが、振るわれた刃の先端から放たれた余波だけで斬撃を浴びるに等しいダメージを受ける。
「……!!」
レベル130に達しようとするハジメが、直接攻撃を避けているとはいえ一瞬で受けた深手。更なる追撃を放とうとするダエグを撃退しようと振り返ったオルセラに割って入ったのは、またもやダエグであった。
「甘いわぁッ!!」
「づっ!!」
魔力を込めた瞬足の蹴りが放たれ、オルセラの顔に直撃する。
既に年老いて背の縮んだ老人が放ったとは到底思えない威力にオルセラはたたらを踏むが、続く連撃が襲う前に肺一杯に息を吸い込んだオルセラは腹に力を込めて叫ぶ。
「 消 え 失 せ ろ ッッッ!!!!!」
オルセラの怒声は彼女の規格外のステータスに加えて風魔法を複合し、鼓膜が消し飛ぶ程度では済まない爆音と衝撃をダエグに叩き込む。至近距離で音の爆弾をまともに浴びたダエグはしかし、にやにやと笑いながら魔力の霧となって消える。
「ちっ、分身か……!! ハジメ!!」
「問題ない」
不意打ち気味に攻撃を浴びたハジメを心配したオルセラだったが、ハジメは極めて冷静だった。立て続けに負った傷からダエグの攻撃の特性や能力を分析し、僅か数秒でダエグの動きに対応し、オルセラとの感覚共有で分身だと確定すると動きに合わせて完璧なソードパリィ――剣で行なうパリィのスキル――で分身ダエグの姿勢を崩し、その隙にオルセラがダエグを薙ぎ倒す。
しかし息をつく暇もなく、ハジメが盾を操ってオルセラの背後をカバーすると、背後からオルセラを突き刺そうとしていた魔法の木剣がそれに防がれる。今までにも飛来してきた事があるが、威力とサイズが違い、何より――。
「追尾してくるぞ」
「分身婆も追加だ! 気色が悪くて吐き気を催す!」
弾かれた木剣は空中で形状や角度を変えて二人に襲いかかり、それに混じって格闘や魔法などあらゆるスタイルでダエグが襲いかかってくる。忍者顔負けの分身で、当人の桁違いの技量と魔力のおかげで全てが単純攻撃力でレベル100以上の破壊力を繰り出してくる。
恐ろしいのが、これら全てがダエグたった一人が転生特典などなしに魔法を用いて操っているという事実。恐らくは忍者の分身より遙かに複雑な方法で分身魔法を使用している筈だが、的確に迎撃しづらい攻撃を仕掛け、分身同士で連携までしており全く油断できない。
更に、魔法もこれまでに見たことのないものが乱れ飛ぶ。
魔力を奪う霜、雷で加速した岩礫、壁を跳ね返って直線に飛ぶ熱湯、空間指定魔法もそれに混ざって二人の体を蝕む。エルフ特有の無詠唱も相まって、オルセラの感覚共有を以てしても到底見切れない。
魔法の性質もまた、それほど広くないこの戦闘スペースを埋め尽くす派手な魔法ではなく、凝縮された殺傷力と弾速で四方八方から放たれる。ライカゲの猛攻に匹敵する攻撃密度は、相応に高位の転生者でも一瞬で八つ裂きにするだろう。
「直接本体と戦えないというのはもどかしいものだな」
「無駄口を叩くなッ!!」
オルセラは押し寄せる波状攻撃を持ち前の身体能力とハジメとの感覚共有、そして魔法の運用によって捌き、捌き、捌き切れないものをハジメに回す。ハジメはオルセラの感覚共有で魔法の前兆を把握しながら回避と、二人分の防御を同時に処理しなければならなかった。
――一方のダエグは、二人の予想以上の健闘に内心で感心していた。
(あのハジメやらいう耳なし、波状攻撃で複列思考が破綻するどころか精度を上げてきておる。間違いなく国家級戦力……しかも上澄み。シャイナ王国は何故この男を利用せぬ? その程度の損得勘定も出来ぬほど愚かなのか? 或いは……)
ダエグ自身も高速移動して魔法をばら撒きながら、必死に生き残る二人の若人を見つめる。ダエグが終ぞ経験することの叶わなかった、激しい若さと情動の発露。
ダエグが同じ年頃の時はどうだったろう。
二代前の弟が王になり、その頃から里に全てを捧げてきた。
結婚して子供もいたが、夫は安穏と過ごすだけで理解者とは言い難く、子もどちらかといえば夫に懐いていた。今になって思えばもっと時間を作って親子の時間を取れば良かったのかもしれない。
(馬鹿げた感傷、だな……)
ダエグは戦いの中で気付いてしまった。
確かにハジメは超一流の戦士だが、それだけでオルセラと連携出来る筈がない。
二人は、婚姻の契りを交わし、感覚を共有している。
(純血主義への当てつけ……それだけではあるまい。あのオルセラが劣った醜悪な存在に唇など許そう筈もない。嗚呼、どこまでも愚昧なる我が孫よ。おぬしは奇異な娯楽小説の如く、その男と共に里から逃げればよかったのだ――)
そうすれば、オルセラは救われただろう。
しかし、その道をオルセラが選ぶ事はない。
ダエグも違う道など選ばないからだ。
だから、オルセラがダエグに叛意を抱いた時点で、この戦いは運命であったのだ。
式典まであと20分。
あと少しで全てをねじ伏せられる。
血族の為に命を捧げてきたのに、最後にその力を振るう相手が孫なのは、なんの因果の応報なのであろうか。血族のために身を粉にし、時には非情なる決断も下してきたことを、神はよく見ていたのかもしれない。
ダエグは悲哀を抱かずにはいられなかったが、手を抜くこともまた考えられなかった。
(せめて、最後の最後まで足掻くが良い。折れて泣きわめくようなみっともない様を、このダエグに見せるな)
終わらせよう。
終わって、最後くらいは役目から解放されて、終わりたかった。
(――ハジメ、もう時間がない)
(仕掛けるか)
(ああ。最後まで糞婆の思い通りなどと、そのような都合の良い現実など我が叩き潰してくれる!!)
オルセラとハジメは決意する。
もはや時間が残されておらず、これが最後の攻勢となる。
押し切れなければダエグの勝利。
ならば押し切る、ただそれのみ。
周囲の魔力が景色と共に歪み、オルセラの肉体に吸い込まれていく。
魔力の流れを察知したダエグは目を剥いた。
「これは、このマナの流れは……オルセラ、貴様ぁッ!!」
「後世の為にやり方を文章で残していたその几帳面さにだけは感謝してやるッ!! 子孫として存分に利用させて貰おうかぁッ!!」
それは甘さなのかは分からない。
しかし、オルセラは短期間でその技術を唯の一度でものにして見せた。
ダエグの魔力が支配するような厚みと重みだとすれば、オルセラの魔力は蝕むように荒々しく、彼女の皮膚を黒く染めてゆく。
より雄々しく、より気高く、しかし、何故かどこか温かく。
「これで最後だ、糞婆ぁぁぁぁぁッッ!!!」
魔力の余り淡く光る髪をたなびかせ、オルセラが吠える。
慣れた手つきで振り回された道路標識は、無機質な凶暴性を露わにぎらつく魔力光を反射する。漲る力を支配下に置いたオルセラは、ダエグと同じダークエルフのような美しい褐色に肌を染めていた。
――ダークエルフのような様相に変化するこの術を、ダエグは『デュートワイライツ』と名付けていた。
その名が何を意味するのか、オルセラは知らないし興味もない。
実の所、魔法を苦手とする彼女には術の全てを理解する時間がなかった。
ダエグは僅かながらその可能性を頭の片隅に置いていたのか、渋面で呻く。
「魔の道を邪道で通るおぬしに十全に使いこなせる筈はない、が……!」
「かいつまんで、使える部分だけ抜き出すのは得意でなぁッ!!」
魔法における優位性の部分を切り捨て、オルセラが使いこなせる範囲だけを覚える。
そうすれば、不完全であってもオルセラ側には何の不都合もなく力の恩恵を得られる。
孫のそうした取捨選択能力の鋭さを知っていたダエグは、狼狽えることなく真っ向からオルセラの攻撃を迎え撃った。
「ウオオオオォォォォォッ!!!」
「キエエエエェェェェェッ!!!」
ダエグが腕に纏った魔力の剣は、もはや情報密度の高さから逆転現象を起こしかける濃度に達していた。
魔力を物理的戦闘能力に転化したオルセラの道路標識と魔力剣が衝突し、衝撃波がぶつかり合って拮抗する。デュートワイライツを以てしても、最長老ダエグは化物の類であった。
物質と情報の理は、この世界を構成する重要な要素だ。
武器を振るって武器スキルが発動するのは、その瞬間だけ情報の密度が物質を僅かに上回るからだ。魂の情報――経験値が蓄積するほどに使い手の情報量は高まり、より高度な情報操作ができるようになる。
しかし、情報操作は本来、人類には知覚しえない領域だ。
その領域に既に至っているのがエルフや竜人であり、至らなかった人類もスキルやレベルという概念から来る技術を信仰の力を通して得ることで限定的ながら情報密度を操ってきた。
すなわちエルフとは情報密度を感じ取る感覚に特化して進化した生物であり、もしその力が極限まで研ぎ澄まされれば存在しない物質さえ作り出すことが出来る。
現実にはそれは人の情報許容量の限界を超える神の領域だ。
その境こそが『理』。
錬金術とは『理』に挑んだ者たちの努力の形跡に過ぎない。
ダエグは今、人類の情報許容量の限界に近い領域まで踏み込んでいる。
偶然にも長寿となったダエグだからこそ踏み込めた領域だ。
(やはり……デュートワイライツの練度はあちらが上か)
力を交えてこそ理解出来る。
身体能力に強引に特化させたオルセラのデュートワイライツに対し、ダエグのそれは身体能力も魔力も思考能力も、全てが満遍なく最高水準に強化されている。殴り合いの最中もダエグの魔法はあらゆる角度からあらゆる方法で飛来する。
だが、そもそも素の身体能力や近接戦闘のセンスだけはオルセラがダエグを完全に上回っている。その優位性に加えてハジメの盾や武器を用いたダエグへの妨害が合わされば、どうなるか。
ダエグのしわくちゃの顔が苦渋に歪む。
「どこまでも小癪な……ッ!!」
「オラオラオラオラオラオラァッッ!!!」
剛腕で振り回される道路標識がダエグの攻撃を打ち破らんと獰猛に暴れ回る。
その隙を突くためにオルセラの死角から迫る魔法を、ハジメが防ぐ。
盾だけではない。
ハジメは己のスキルとオルセラの感覚共有による恩恵を遺憾なく活用していた。
槍によるサークルカウンターや対魔効果のある魔法、シールド。
運で対魔効果の上昇する武装とブレッシングラックのコンボ。
更に当人も絶えず飛来するダエグの猛攻を凄まじい反応速度と反射神経で捌き、援護の手を決して緩めない。
一体どのような人生を詰めばその若さでここまで上り詰められるのか――言葉を選ばず言えば、常軌を逸している。ただ、今はそのような人間が味方につきオルセラの背を押してくれることに感謝している。
「撃砕せよッ!! 圧壊せよッ!! 尽滅せよぉぉぉぉッッ!!!」
振るう道路標識は最早ダエグの生存を一切考えていない。
鋭利な先端は斧として大気を両断する刃となり、ブロック部分もハンマーとして人体の急所を容赦なく狙い、スイングの度に余りの威力から大気が押しのけられ、激突の度に空気が押しのけられては真空になりかけた空間に戻ってを繰り返して出鱈目な風が吹き荒れている。
「ッるぅあああああああァァァァッッ!!!」
灼けるように熱い肉体を咆哮で鞭打ち、一歩、また一歩と距離を詰める。
ダエグはそれに対して猛攻の手を緩めぬまま僅かに後ろに下がり続ける。
壁際に追い詰めるには余りにも遠いが、距離はもどかしくも僅かずつ縮まっている。ダエグが一気に距離を離すための暇をオルセラが作らせていないから、それ以上の速度で移動できないのだ。
それでもダエグは臆することなく狂気めいた気迫の形相を更に深くする。
「幾万もの間積み重ねてきたエルフの歴史、小娘一人に覆すことなど出来ぬのだぁぁぁぁッッ!!!」
魔法による攻撃と反撃の圧が強まる。
ハジメの援護速度を以てしても完全に防げない威力となるが、デュートワイライトで対魔力防御が極限まで高まったオルセラは無視して問題な威力に減退したものを体で受けながら猛然と突き進む。
ハジメも状況の変化を感じ取り、刀を抜いて虚空刹破でダエグの攻撃を空間を越えて切り裂き始める。彼の回避力は更に強まり、段々とダエグの攻撃を完全回避する場面が増えていた。
それでも、ハジメはダエグを直接攻撃できない。
口約束とはいえオルセラとダエグの間で了承済みのものだ。
だから、ダエグからの魔法の圧が更に強まって無視出来ない威力の魔法が体に命中したとしても、オルセラは自力で道を切り開き続けるしかない。
「こんなッ、ぬるい攻撃でッ、止まれるかよぉぉぉぉッッ!!!」
感情の高ぶりに呼応して、全身の魔力が更に漲る。
ハジメの余剰魔力も合算した全力形態は、夫に先立たれ並び立つ者のいないダエグのそれに拮抗する。幾らダエグが規格外の魔法使いでも、独りの力では出せる出力に限りがある。その僅かな隙を、どんな手を使ってでも埋める。
「未来をッ!! 手前が薄汚い手で隠した、あの子たちの未来を返せぇぇぇぇぇッッ!!!」
弟たち、妹たち、兄、愛する家族の未来。
権力に塗れた醜悪な大人に覆い隠された可能性。
あと僅か、道路標識の先端がダエグを捉えるまで、あと一歩――。
「こ、の……愚か者がぁぁぁッッ!!!」
バオッ、と、何かが破裂して空間を貫く音。
オルセラの極限まで研ぎ澄まされた感覚と動体視力をしても辛うじて目に収めることが出来たそれは、まったく予想していなかった代物。
拳銃による、早撃ち。
ダエグの手に光る鈍色の古めかしい拳銃から発射された水晶の弾丸が、絶対に避けられない威力と速度で彼女の心臓に迫っていた。
「――ッッ」
ハジメが反射的にありったけの近くの盾を射線上に滑り混ませるが、弾丸は盾をあっさりと貫通した。
聖遺物級を――!? と、ハジメの驚愕が伝わってくる。
神代の時代の技術すら打ち砕くのは、空恐ろしいまでの情報密度が成せる業。
あのエルフの伝統に拘るダエグが隠していた切り札は、ガンマンスキルと拳銃という完全なる外由来技術に手を加えたものだった。
体を動かすが、間に合わない。
ダエグの、本当の本気の殺意だ。
受ければ恐らく蘇生魔法でも戻ってこれない程の、完全な死の弾丸。
それでも、オルセラの心に諦めるという選択肢はなかった。
「我は――」
直後、衝撃。
オルセラの視界は暗転し、そして――。




