34-21
本来のニーズヘグは自在に動き回るものだが、目の前のダエグが放ったと思われるニーズヘグは尻尾に当たる部分が木の根のように部屋に張り巡らされ、壁と融合しているかのようだった。
あれでは尾で攻撃できず、機動力も減ってしまう。
ギューフは敢えてそのような形にしたダエグの意図を図りかねていた。
「何故あのような形状なのだろうか……」
「気にはなるが、時間が勿体ない。ボルカニックレイジで消し飛ばす」
ハジメは盾を絞まって杖を大量に取り出そうとする。
魔力は一気に持って行かれるが、ボルカニックレイジの複数同時発動で灰燼に帰せば残存魔力も関係ないし、魔力は後でエーテルを飲めば回復できる。
しかし、それに待ったを掛ける声があった。
「お待ちください、ハジメ殿」
「お前か。全滅したかと思ったぞ」
「事実、それに近い状態です」
迷宮の壁や床にある僅かな溝にある影、その中から顔を隠したオロチの分身がずるりと姿を現した。彼の存在を知らないロクエルがさりげなく拳を構えるが、味方だと告げると構えを解いた。
オロチのいた場所と迷宮が完全に隔絶した今、影ながら援護してくれていたオロチも数を補充できず支援が行き届かないようだ。しかし、支援が出来ないなりに彼も仕事をしていた。
「あれなる魔物、内部に魔力電池のようなものがあります」
「ダエグは『亀裂水玉』を改造した蓄魔水晶を複数所持しているらしい。恐らくその一つだな」
それは、ダエグの私室にて判明した収穫の一つだ。
彼女が乗り物として利用している下の水晶は武器でありながら魔力も蓄積している予備魔力タンクであり、更にこれを複数所持することでダエグは丸一日魔法を使い続けても魔力不足に陥らないらしい。
彼女はその数ある水晶のうちの一部をニーズヘグに組み込むことで大幅な強化を図ったものと推測された。
しかし、オロチは「それもありますが」と話を続けた。
「ニーズヘグの側面、模様のような斑点をよく見てください」
「……そうかい。大した悪趣味だ」
遠視スキルを用いたハジメは、彼にしては珍しく嫌悪感を――ルシュリアほどではないにしろ――抱いた。
ニーズヘグの体の側面にずらりと並んでいる模様は、模様ではない。
百はあろうかというその全てがエルフの顔だった。
その中には叩きのめした覚えのある者や、ギューフに手を貸した者、非戦闘員と思しき給仕の類まで混ざっている。彼らは一様に微かな苦悶の呻き声を上げながら、悪夢の中にあるように虚ろな目をしている。
時折その中から「くるしい」、「みすてないで」、「なんで」、と、懇願するような言葉が漏れ出ていた。
どう見ても自ら志願してあの中にいる訳ではない。
生きた人間の顔が整然と並び、藻掻くこともできずただ苦しむ異常な光景。
そして、彼らを取り込んだまま獲物を探すように時折顔を動かすニーズヘグ。
彼らがニーズヘグを動かす為の生体パーツ扱いであることは明白だった。
ギューフが拳を握りしめる。
込められた力の強さの余り、彼の爪は掌の皮膚を突き破り鮮血を滴らせた。
「ダエグ、あなたは、あなたって人は……ッッ!!」
「戦士のみならず別のエルフまで魔力源として吸い取らせているのか。そうか、そうかい……」
オルセラの声に底冷えするようなドスが籠もる。
ロクエルが顔色を青く染めて呟く。
「肉の壁かよ……悪趣味を通り過ぎてるって。あれ、どうなってんだ? 助かるのか?」
「オーラで感じた印象では、肉体と樹木は融合していないから救出は可能だろう。それはそれとして、おおよそ思いつく限り最も下劣な人間の使用方法だ。権力を握った年寄りというのはどの世界でもこうなる宿命なのか?」
ダエグは、ギューフを挑発している。
自らの手の内に握られた臣民の命を見捨ててまで己に逆らうのか、と。
あのニーズヘグと戦えば、消耗した魔力は意識のないまま取り込まれた彼らから補充され、彼らを苦しめる。ニーズヘグを破壊すれば、それだけ内部の人間を破壊することにも繋がる。
彼らの命を吸い、彼らの命を盾にして、ニーズヘグはあそこに根を張っている。
恐らく、迷宮の続きを根で覆い隠して。
エルフを守る為に権力の笠の元に下々のエルフの犠牲を強い、多くの者が苦しむ中で自分だけが望むものを得ようとする。
もしも失敗しても、自分ではなく手を掛けた相手に殺人の十字架を背負わせる。
なにより、自分自身は大義を押しつける力があるので傷つきもしない。
そして、選択を誤らせられて落ち込むギューフに付け入るのだろう。
独裁を布く有害な指導者として余りにも完璧で、そして、人類史ではありふれた邪悪の再現であった。
これでは敵味方指定の出来ないボルカニックレイジではエルフ諸共殺してしまう。かといって、あの人数をニーズヘグから救出していては絶対に時間が足りない。
側面に並んだエルフの顔の幾つかが、不意に意識を取り戻したようにはっきりとした視線でギューフを捉えた。
「長……ご慈悲を……お助けを……」
「なんでぇ……王子のせいで、我々は、こんな……」
「もう、おやめを……双方とも、おやめくだ、さ……」
「ッッ!!!」
距離は遠くとも、純血エルフたちは次代の王が近くにいることに気付き、念の籠もった声をギューフに送り込んできた。
ギューフの横顔には、殺意さえ滲んだ劇的な感情の奔流が垣間見えた。
彼らが意識を取り戻したのは恐らく偶然ではなく、ダエグがギューフへの精神的ダメージを期待して敢えて意識を少し残したのだ。
ギューフがニーズヘグを傷つけようとする度、彼らは意識を取り戻してギューフに助けを求め、或いは責め、或いは苦悶を伝えてくるだろう。
実際の所、ダエグが本当に彼らの命を見捨てるかは分からない。
しかし、なんとでも理由を付けてギューフのせいには出来るだろう。
例えば、王は民を見捨てないと信じて敢えてこの状態にしたのに、王は民を見捨てて欲望に走っただとか。
一見すると稚拙な主張だが、当事者が少なく証拠が乏しければ、エルヘイム自治区内ではより実績のあるダエグの側に勝利の天秤は傾くだろう。そうでなくともギューフの治世に一抹の不安を覚えさせる効果は充分に見込める。指導者の入れ替わる時期はどうしても政治的な不安が生まれるものだからだ。
ハジメは冒険者的思考で考える。
目的は達成すべきであり、依頼人の考えは可能な限り尊重すべきだ。
判断は早い方が良い。
「ギューフ、俺とオルセラは奴を強引に突破して先に進む。お前はロクエルと一緒に自分の里の民を救え」
救う為に王になる者が見捨てることを是とするのは、たとえそれを避けるのが困難であったとしても正しくない。
否、ハジメ自身がそうあって欲しくないと願う。
「ハジメ、しかしそれは……」
就任式典に間に合わないのではないか、という彼の問いを、ハジメは決意のこと場で押し止めた。
「ダエグをぶちのめせば後はどうとでもなる。違うか?」
「……簡単に言ってのけるんだね、君は」
「兄上、先に言われたのは癪ですがこいつの言う通りかと」
ハジメを押しのけるようにオルセラが割り込む。
「ついでに言えば、兄上はこれから目の前のダエグなんぞを信じるあすこのバカ共の何百倍もの愚か者共の行く末を決めなけれなならぬお立場になられるのだ。この程度の数を助けるや否やを即断できずしては、後に続く血族たちが困りましょう」
王となったギューフはこれから、いま目の前に広がる光景と同等かそれ以上の醜悪な現実と対面するかもしれない。彼はそういう世界と向き合う家系に生まれ、戦う選択をした者だ。
ならば、ここで臆することは、もはや許されざることだ。
少なくともオルセラはそう考えているとハジメは感じた。
「……いけないな、私は」
ギューフはかぶりを振り、流血したままの手を見つめる。
その手に彼が何を重ねたのかは分からない。
ただ、きっと彼の双肩にのしかかるものと比べて軽くはなかっただろう。
「オルセラに次代の長として、ハジメに一時の依頼者として命じる。絶対に勝って帰ってくるんだ」
血まみれの手を差し出したギューフに、オルセラが人差指と中指を伸ばして触れる。ハジメもそれに倣い、二人の指にギューフの血が触れた。すると血は癒やしの力となって二人を包んだ。
約束であり餞別でもある、と、ハジメは解釈した。
「行くぞハジメ。死なない程度にぶっ壊してさっさと通路を発見する」
「いや、もっとスマートにいこう」
「……成程な」
オルセラは言葉もなく理解し、二人の視線がオロチへと向う。
先ほどから不気味なまでに静かにギューフを見つめていたオロチは、彼から視線を外して頷く。普段は言われる前に行動する彼にしては珍しい反応だと思ったが、追求はしなかった。
「行先への道は幻術と重ねて錬金術で塞がれているのを発見済みです。水先案内人の役を仕りましょう」
ライカゲの一番弟子であるオロチが部屋の偵察をしていない筈がないし、隠し通路程度なら見つけていない筈がない。ハジメの予想通り、彼は既にすべき仕事をこなした後だった。
オロチは斬鬼の鎧を身に纏う。
本来、忍者の分身は装備の再現に一定の制限がある。最初から装備しているのでない限り斬鬼の鎧はその制限を越える筈だが、どうやら別のオロチの分身を変化させることで疑似的に再現しているようだ。
「ただ、最短で駆け抜けるには誰かがニーズヘグを引き受けてくれた方が都合がよい」
「あ、じゃあ俺やるわ」
ロクエルが軽薄なまでの気軽さで自ら役目を買って出る。
「壁と張り付いてるもんは『ぶん投げる』のが難しいんだけど、それならそれで力尽くで行けばいいし。それに、ここまで投げまくったことで体が温まってきたから……なっとぉ!!」
ロクエルの体の内から光が迸り、より人が竜へと近づいた姿――竜覚醒に至った。
「――ふぅ。こうなると投げるより殴る方が手っ取り早くなるから個人的には好みじゃないんだが、ひとまずあの蛇の動きを封じればいいんだろ?」
「ええ。十秒稼げれば結構です」
「オーケー。王の護衛はちゃんとこなすから後よろしくな!」
言うが早いか、ロクエルは床を蹴り飛ばして一直線にニーズヘグの頭部へと向う。
ニーズヘグは口に魔力を収束して迎撃態勢に入るが、それと同時に取り込まれたエルフ達が一斉に光って無数の魔力弾が次々に発射された。ただ一人を迎撃するには過剰なまでの数の魔力弾は弧を描いてロクエルに殺到する。
「リベリオンスケイル、は、跳ね返しちゃうから……プロテクションスケイル!!」
ロクエルの前身をハニカム構造のバリアが覆い、命中した魔力弾が弾けて消えてゆく。決して威力は低くない筈だが、流石は『甲聖』の称号を継いだだけあって彼は傷ひとつなく、次々に押し寄せる魔力弾をものともせずニーズヘグの頭上に舞い上がると体を前転させて踵を振り下ろす。
「ギロチンフォーーーールッ!!」
ゴガンッッ!! と、轟音。
炸裂したスキルの衝撃でニーズヘグの頭頂部が陥没し、頭が弾かれた衝撃で開いた口が閉じ、発射寸前だった魔力が内部で爆発する。
ロクエルは間髪入れずにその首を上から両手で掴むと、翼を羽ばたかせて無理矢理引っ張り上げる。引き上げられようとするニーズヘグは抵抗しようともがくが、竜覚醒を果たした竜人の規格外の膂力と翼の力は体格差をも覆し、身動きが取れずに拮抗状態に陥る。
「今だ、行けぇぇぇーーーーッ!!」
と、ロクエルが叫ぶ一秒前には、既にオロチを先頭にハジメとオルセラは駆け出していた。
壁を埋め尽くす蔓が三人に反応して刺突するように飛来し、魔力を発射し、或いは小さな樹兵の蛇を放つが、オロチが一切速度を落とさないまま鎧の全身から飛び出た刃で瞬時に切り裂いていく。体術に秀でたオロチでなくてはこれほど見事に敵を切り裂くことは出来ないだろう。
オロチはそのまま垂直な壁を平然と駆け上がっていき、ある一点に達したところで忍者のスキルを発動させた。
「風遁、乱刃鎌威断ッ!!」
片足を伸ばして回し蹴りの姿勢を取りながら独楽のように高速回転したオロチの全身から、幾重にも重なった風の刃が生み出され、周囲を乱れ飛んだ。回避するほどの隙間もない高密度で乱れ飛ぶ刃は彼を中心に周囲の根を文字通り微塵切りに刻んで円形に吹き飛ばした。
「ここです!!」
オロチは壁を蹴って跳躍する際に足の裏で目印を残した。
オロチに切り刻まれた蔓や根は、刻まれたその瞬間から再生を開始し、彼の開けた穴はみるみるうちに塞がっていく。しかし、彼と入れ替わりにハンマーと道路標識を掲げていたハジメとオルセラには十分すぎるほどの時間であった。
「粉々に……砕け散れぇッ!!」
「キャッスルデストロイヤーッ!!」
オルセラの剛腕と、ハジメの使える最大のハンマースキルが炸裂し、そこにあった幻影と、幻影をそれと思わせないオリハルコン製の壁が中央からひしゃげて奥に吹き飛んだ。二人の全力の衝撃は『理』で守られた壁の表面を駆け抜け、再生しかけた蔓や根を浮かび上がらせ、広大な空間そのものが殴り飛ばされたような轟音で大気を強かに揺るがした。
二人はそのまま通路の中に飛び込んでいき、穴はまた幻影の壁に戻り、元の位置が分からなくなるほどの蔓と根に覆い隠される。
全てを見届けたオロチは空中で身を翻してギューフの隣に着地する。
しかし、オロチの体はそのまま薄れ始めていた。
「もう少しお役立ちしたかった所ですが、少々分身の身で張り切りすぎました。どうかご容赦を」
「君は別に私の為に戦った訳ではないのだろう? 変な遠慮はいらないよ」
ギューフは、オロチが彼に向ける瞳の特異さに気付いていた。
敵意ではないが、品定めをされている感覚があった。
今は幾分か和らいだが、彼は恐らく、ギューフという為政者の心を知りたかったのだと思う。
「少なくとも今は問題なしと判断された、と、受け取っていいのかな?」
ギューフの問いにオロチは静かに目を閉じた。
「個人的な――ごく個人的な興味があっただけでございます。その興味がどう転んだとて、私の行動には関係しない程度の……」
ギューフはオロチの過去など知らないが、その言葉に彼の本音が見え隠れした気がした。オロチはため息をつき「悟られるとは私もまたまだ未熟の身ですな」と自らを戒めると、彼の方を真っ直ぐに見つめる。
「我が心は我が物に過ぎません。役割とは別の話にございます。しからば、御免――」
ぼふん、と、煙を上げてオロチの姿は消えた。
遠くでロクエルが時間稼ぎを続けるなか、ギューフは一秒ばかりオロチのいた場所を見つめ、やがて民の救出へ集中するために視線を外す。
「同族と争いたくない心と、我が決心。どう折り合うかの参考の一助として受け取らせてもらうよ、オロチ殿」
もしかすれば、これから助ける民はギューフに感謝しないかもしれない。
最初から余計なことをしなければ自分たちは平穏に過ごせたのだと糾弾する者もいるだろう。一度は感謝しても、就任式典で掌を返す者も同じく。彼らは敵となるのかもしれない。
それでも、ギューフは彼らを助けようと思う。
心と決心が一致している今は、躊躇いはないのだから。
◆ ◇
エルヘイム自治区の長い夜が終わろうとしている。
森は未だ闇に覆われてこそいるものの、空は次第に明らみ、遠からず訪れる朝焼けを迎え入れる準備をしている。
エルフの目覚めには速すぎるのか誰一人里を出歩く人がいないなか、里の外れでギリースーツのような装備をかぶりスナイパーライフルのスコープ越しに城を見つめるリカントのマイルは静かに、音もないほど静かに息を吐いた。
(どうにも、役目は終わったのかもしれんな)
特殊な弾頭を用いて外から援護射撃を行ない、時折狙撃ポイントを変更しながら敵に見つからず今まで過ごして来たが、今の彼は何もやることがない。城は幻覚で覆われてしまい狙撃も役立たずとなり、外の戦力も皆中へと入ってしまった。
それでも焦ってアクションを起こさずにずっとここで気配を消し続けていたのだから、マイルの忍耐力と集中力の高さが覗える。
(……所定の時間になった。これが最後の狙撃になりそうだな)
この世界の射撃武器は残弾弾丸の枯渇という概念がない。
リロードというモーションを行なった瞬間、勝手に弾丸が補充される。そういうものになっている。だが、それはそれとしてマガジンや薬室が銃からなくなっている訳ではない。
マイルはボルトアクション式ライフルの弾丸を意図的に排出し、ハジメとギューフの悪巧みを装填する。ゆっくりと、可能な限り音を立てずにボルトをスライドさせ、悪巧みはトリガー一つで発射可能な状態になった。
(俺は作戦を遂行するのみ。作戦の可否については知らんし、知らん方が良い。俺はただ、アマリリス様が心健やかに過ごせる場所の為に戦うのみ。アマリリス様が笑っている場所が、俺の守るべき場所だから――)
木の根の出っ張りに引っかけるように固定したライフルのスコープを覗き込み、所定の位置に照準を合わせる。
これは特定の誰かをターゲットにした狙撃でもなければ、的当てですらない。
発射と同時にマイルの今日の仕事は終了する。
(上手くやれよ)
トリガーを絞り、弾丸が発射される。
発砲音が響かないよういくつかの対策を施したことが功を奏し、弾丸は音もなく所定の位置へと飛来していった。




