34-20
ヴァイグとトライグを撃破して迷宮の先を進むハジメとオルセラは、先ほどまでとは様変わりした不安定な道を進んでいた。
これまでのキャリアの中で見たことのないタイプの迷宮にハジメは僅かな戸惑いを抱く。
「行けそうな場所が行けなかったり、かと思えば恐ろしく簡単なショートカットがあったり、なんともちぐはぐだな。ギリギリで破綻していないだけといった印象だ」
「途中の妨害らしきものがよほど予想外だった証拠だろう。ヘタをしたら妨害用にこさえた部屋が無視出来る構造になっている。様を見よ糞婆。なんでも思い通りに事が運ぶと思い上がった愚か者には相応しい結果だ」
邪悪な笑みを漏らすオルセラの性格の悪さは誰に似たのか、或いは彼女が持って生まれた個性なのかは分からない。女の子なんだからもう少しお淑やかに、などと前時代的なことを言うつもりはないが、もう少し悪役ムーブを抑えて欲しい。
ともあれ、ハジメ達に好都合であるのは確かなことだ。
やや詰まったり引き返したりはあるが、前半に比べれば進行速度は俄然速い。
迷宮のおよそ中腹を通過した辺りで、2人はまた広い空間に到達する。
そこには、2人の先客がいた。
1人はハジメ達に向けて一瞬構えたが、もう1人が手で遮って静止するとこちらに微笑んだ。
「随分速かったね、オルセラ」
「兄上、ご無事で何よりです」
そこにいたのはギューフ3と、先日の晩餐会で遠目に見た男だった。
「あいつは確かバランギアの熾四聖天、ロクエルだったか。ガルバラエルから聞いた」
「ええと、初めましてロクエルです。ガルバラエル先輩に言われてギューフ王の護衛やってます。あー、つかぬことをお聞きしますが、あなたは……?」
「シャイナ王国で冒険者をしているハジメ・ナナジマだ」
その名前を聞いた瞬間、ロクエルが緊張で震え上がり直立不動の態勢でビシッと礼をした。
「大変失礼しましたッ!! ナナジマ殿のご勇名は耳にしておりましたが、先日は挨拶も碌にできず誠に申し訳なくッ!! つきましては、今度とも友好的なご関係を築きたくッ!!」
「なんでへりくだってるんだお前は」
「ガルバラエル先輩と互角に渡り合った猛者であると皇からお聞きしておりますので、敬意を払うには十分すぎる理由かとッ!!」
ロクエルの言葉にギューフとオルセラが驚く。
古の血族でも強者と認識せざるを得ない竜人の中でも最上位の戦士であるガルバラエルと単身互角に渡り合える存在などこの世界には殆どいないから、普通の感覚であれば驚くのは無理もないことだ。
ただ、彼らの反応を見たハジメはバランギアで自分たちが起こしたクオン争奪騒動が海外に伝わっていないことを悟り、ロクエルにこれ以上喋らせるのは危なっかしいなとフォローに走った。
「大げさな物言いはよせ。普通にハジメでいい。立場的にはお前が上だが、敬意を払いたいというのならため口で話させてくれ。それで釣り合いが取れるということにしよう」
「寛大な御言葉、感謝します! でも自分がタメで喋ってると先輩に縊り殺される危険があるので我が身可愛さに敬語を使用することをお許しくださいッ!!」
「わかった、うん、分かったよ」
ビッシィィッ!! と、空気が裂けるほどの勢いで90°の礼を深々とかますロクエルの放った風圧で、髪が一瞬オールバックになった。オルセラのような手合いも面倒だが、低姿勢すぎる相手というのもなかなか扱いに困るものである。
(こいつ、要職にしては迂闊に過ぎる男だな……)
バランギア竜皇国でコモレビ村とその協力者一行がバランギア熾聖隊が激突したあの一件は、バランギアの威信の失墜を防ぐ為にかなり厳しい箝口令が敷かれたので世間には伝わっていない。
コモレビ村も今後のバランギアとの関係を踏まえて口外しない方向性で一致しており、当事者以外で知るのは精々ルシュリア辺りだろう。
なのに、公式記録では戦闘したことがない筈のハジメとガルバラエルが互角だなどと言い出すと、それはどこでどう確認を取ったんだという話につながりかねない。
今更取り繕ったところでギューフとオルセラは何かあったことを察したかもしれないが、会う度この調子でぺらぺら喋られると大変である。
オルセラは、これ以上話が脱線するのは時間の無駄とばかりに二人を無視してギューフ3の方を向いた。
「兄上、状況は」
「もう片方の私とその護衛たちは迷宮の奥深くに囚われている。厄介な仕掛けや罠が満載なので到底就任式典までに脱出は叶わないだろう。我々で脱出を図るしかない」
「つまり、ここにいる兄上が本物と?」
既に城内で確認されたイミテーションギューフは二人を残して全てが破壊されている。ハジメがガルバラエルから転売されたイミテーションドールは10個。うち、破壊されたのは9個。ギューフ8の脱出は間に合わない。それでも作戦が失敗したと言わずに脱出を図るという判断を下すのは、目の前のギューフ3こそが本物のギューフだと宣言しているようなものである。
ギューフはオルセラの問いに「そう思って貰って構わないよ」と返すと、手を叩いて皆の注目を集める。
「この部屋は私とロクエルくんで制圧したが、強力な敵がいる大部屋は構造上もう一つあるだろう。そこでだが、ロクエルくんの能力はダエグとやり合うには少々相性が悪いため、もし三つ目の大部屋に到着したら彼にそこの敵を引き受けてもらい、残る面々は速やかに先に進もうと思う。どうやら大部屋はどれも同じ方法で先に進む道が隠されているようだから、タネさえ割れればスルーは可能だ」
「私はそれで構いませぬ」
「依頼主がそう言うなら異存はない」
「自分は敵の情報あんま知らないのでお任せします」
オルセラ、ハジメ、ロクエルの合意を経て、4人パーティとなったハジメ達は残る迷宮の攻略に繰り出した。
◆ ◇
十数分が経過し、ハジメたちは順調に探索を続けていた。
その折、行き止まりであることが分かり通り過ぎかけたある部屋の前でオルセラが立ち止まる。
「……」
彼女の心が微かに揺れているのを感じたハジメはすぐに問いただす。
「その先に何かあるのか?」
「恐らくだが、ダエグの隠し部屋がこの先にある。今なら中に入れる」
「ほう……」
ギューフの目が好奇心で光った。
この騒動の発端にして最大の敵とも言えるダエグの隠し部屋ともなれば、彼女がひた隠しにしてきた様々な情報が眠っている可能性がある。普段は侵入不可能な位置か仕掛けがあったのだろうが、迷宮として構造が変わるなかでダエグの隠し部屋が中に組み込まれたことでそのセキュリティがほどけてしまっているようだ。
ギューフはオルセラの後推しをするように彼女の肩に手を乗せる。
「踏み入ろう。貴重な時間を消費するが、その価値はあると私は読んだ」
「……はい」
頷いたオルセラは、兄の同意が得られたことが少しだけ嬉しそうだった。
――オルセラの言う通り、ほんの少しの罠を掻い潜っただけでその隠し部屋にはあっさりと到達した。
「ここが最長老の隠し部屋か……雰囲気はあるな」
ハジメの言う雰囲気とは、ショージが勝手にハジメの家に隠し部屋を作った際に彼が語っていたものだ。
広々とは言えない空間を照らす控えめな暖色の照明。
壁に掛けられた貴重品に、デスクを煩雑に囲む本や書類。
ソファの側に置かれた飾り気のないテーブルには、かなりの期間手入れをしていないであろう茶色い渋だらけのマグカップが置きっぱなしになっていた。微かに漂う香ばしい匂いはコーヒーのそれで、よく見ると部屋の隅にコーヒーセット一式が揃っていた。
ロクエルが、セットを手にてしげしげと見つめる。
彼の視線は商品の底に焼き付いた印で止まる。
「ガルバラエル先輩の経営する貿易会社のやつだ。へー、エルフもコーヒー飲むのか」
彼の何気ない一言を、ギューフは否定した。
「いいや、飲まない。というか純血エルフの殆どがコーヒーの存在も知るまい。それ以外にもこの部屋には民達が手にする機会すらない品が散見される。成程な……禁制品を指定するにはまずどんな品かを知っていなければならないということか」
「糞婆のメモがありますよ、兄上。この豆は仕入れたものではなく、里内で極秘裏に育てたものの試供品らしいです」
ダエグは何も外の文化を全て否定している訳ではなく、里内に取り入れられるものは取り入れる方向性で考えることもあったようだ。隠し部屋のメモには様々な外の文化について、禁止するか否か、取り入れるとしたらどのような形にするかなどの走り書きが残されている。
ハジメはそれらを流し見し、ダエグという人物の生真面目な一面を感じた。
「ダエグはダエグなりに外との距離の取り方を模索していたのだな。特に健康に関する興味は高いようだ」
「そうだね。私もダエグも里の未来を憂いているのは同じだから」
「どちらも取り入れるのが本来はあるべき道だろうに」
「……耳の痛い話です」
部屋にある書類を片っ端から魔法で浮かせて分析しながら、ギューフはばつが悪そうに視線を逸らした。
「別に責めているつもりはない。ただ、人という生き物のままならなさを嘆いただけだ。合理的な判断だと分かっていても、感情はどうしても文句を垂れては体を操る」
オルセラが壁際を調べながら「まるでそれを悪い事のように言うではないか」と反論する。
「感情に従わずして生きるなど我には考えられん。我が儘に生きることこそが人の本質ではないのか?」
「否定はしない。誰しも好きに生きられればそれでいい。が、お前の場合はほどほどにしとけ。エルフ社会ではどうか知らんがそのまま社会に出たら唯の暴君だぞ」
「それの何が悪い?」
「好き勝手に振る舞うということは行きすぎれば周囲の好き勝手を阻害するということに繋がる。自分の決めた正義のままに振る舞い続ければ、いずれお前がダエグ二世になるぞ」
「あんな糞婆と一緒にするな」
不愉快そうに吐き捨てたオルセラは、ハジメの言葉を深刻には受け止めていないようだった。おっさんの警句など若者には無視されて当然なので別に悲しくはないが、一応記憶の片隅にくらい残れば良いなとハジメは思った。
と――デスクを弄っていたロクエルが「うおっ」と叫ぶ。
「どうした?」
「デスクの引き出しの中に部屋があって、そこにパンッパンの金銀財宝が……現金だけでも1兆Gはあるかも」
覗き込むと、内部には魔法で空間が拡張されているであろう広い部屋があり、そこに溢れんばかりの金貨と札束、金銀延べ棒に宝石などが整然と並べられていた。秘密部屋のおもちゃ箱と似たような構造だが、ここにはギラギラと光る欲望が敷き詰められている。
クオンの入っていた卵が1000億Gだったので計算上では現金だけで10クオン、全部現金化したら100クオンは下らないだろうか、とハジメは謎の計算をする。言わずもがな、貨幣経済のないエルヘイム自治区内では異常な光景だ。
しかも、財布に詰めればコンパクトに済むのに金貨袋まで別途用意して綺麗に並べている辺り、どうやらダエグは貯まった金を眺める趣味があったようだ。確かにものをずらりと並べてしげしげ眺めるのが好きな人間はいなくもないが、なんと中央には金に取り囲まれた豪奢なベッドまである。
あそこに寝れば右を見ても左を見ても金目のもの塗れ。
拝金主義の貴族でもこんな寝方はしないぞ、と、ハジメは真面目にドン引きした。
「このベッドに寝転がり、金を眺めながら寝ていたのか……」
「すっげぇ悪趣味なババァだな」
「ブフッ! ックックックッ……!」
ロクエルのドストレートな一言にオルセラが盛大に吹き出し、ギューフは「真面目なダエグも金を前にするとこうなるのか……」と知りたくなかった身内の下品な趣味にげんなりしていた。
……それはそれとして、ダエグの部屋からは他に貴重な情報が様々得られたため、げんなりはしたものの足を運んだ甲斐はあったことを、ここに記しておく。
◇ ◆
ダエグの部屋を出てから、一行はタイムロスを取り戻すように急いで迷宮を駆け上がった。
中腹以降はぱらぱらと異常な再生力の樹兵もいたが、ここで役立ったのがロクエルだった。
「ふんっ! ほっ! そぉいっ!!」
どことなく柔道を彷彿とさせる両腕の構えから一気に樹兵に接近したロクエルは、間合いに入った側から敵を放り投げる。通常なら投げ飛ばすという動作は相手の勢い等を利用しなければ難しいものだが、ロクエルの投げ飛ばしはそうした流れを無視していきなり吹き飛ばすために相手も抵抗出来ない。
そうして姿勢が崩れた所にギューフとオルセラが氷魔法に似た封印のような魔法を放ち、無力化すると同時に駆け抜ける。樹兵の厄介さはどんどん上昇してはいるのだが、如何せんロクエルの転生特典『ぶん投げる』が強力すぎる。
流石のハジメも、通路を埋め尽くす巨大な魔力光を真正面から受け止めて「一本背負い!!」などと叫びながら投げ返したのは一瞬目を疑った。流石は熾四聖天の後釜に無理矢理詰められただけあって出鱈目である。
「考え得る限り前衛からすると最悪の能力の一種だな。コストどうなってるんだ」
「いや、元々護身用のつもりで……別に戦う気なかったのに、なんか気がついたらビッカーじいさんに弟子にされてリベリオンスケイルとかいうのだけ覚えさせられて……」
困ったような顔で翼で風を切るロクエル。
一口に転生者と言っても戦う気のない者は珍しくないが、突出した力を持つ者は自然と周囲に目を付けられてしまうもの。ビッカーシエルが強引に弟子にするのも頷ける能力だし、ロクエル自身が転生前に格闘技の心得があったことが動きから覗える。
この時点でタンクとして破格の能力であるのに、竜人の最高位防御スキル――リベリオン・スケイルを習得しようものならいよいよ不沈艦だ。スキルの詳細までは知らないが、ライカゲの推測ではただの防御ではなくあらゆる攻撃的行為に対しても耐性か反射を得るのではないかということらしい。
竜人としては落ちこぼれの類らしいが、恐らく竜人という種族を引いたのは本人の幸運で、そこから才能をコストの釣り合いで抜かれたのだろう。
いずれにせよ、味方としては心強い。
オルセラは自分の出番が減って退屈そうに欠伸をしていた。
四人はあっという間に迷宮の上層――出口にほど近い場所まで上がってきた。
――果たして、そこに待っていたのは見上げる程に巨大な樹木の大蛇だった。
不気味な軋みをあげて相貌を光らせるそれは、まだハジメたちを発見してはいないのか動く気配がないが、時折生物のように身震いをする様は得も言われぬ迫力がある。
ギューフも外で攪乱の為に使用したそれは、攻撃に耐性を得ながら巨体を振り回し、魔法を放ち、レベル100級の魔物に匹敵する暴れぶりを発揮する。
魔法の使い手は、一人しかいない。
ギューフが目を細めて様子を窺う。
「ダエグの放ったニーズヘグか」
ギューフも使ったニーズヘグだが、ダエグがわざわざこの場所に配置したことには単なる戦力以上の意味がある筈だ。その意図を見抜けずして正面からぶつかる訳にはいかず、ハジメ達は多少なりとも時間のロスを強いられる。
もしかしたら、それすらもダエグの思惑なのかも知れない――心の隅をじわじわと炙り判断力を鈍らせかねないこの焦燥も、また。




