34-18
ギューフ3は、先ほどから響き渡る声の主にゆっくりと慎重に近づいていた。
声の主とは、バランギア竜皇国『熾四聖天』、【甲聖】ロクエル。
数時間前からギューフを探して回りながら純血エルフを片っ端から襲撃して回る狂人である。
(その理由はまるで見当がつかないが……あのバランギアがわざわざダエグと手を組むとは思えないし、恐らく皇の気紛れか何かだろう。或いはハジメ殿を介した縁なのか? なんにせよ、彼が味方に加わってくれるならかなり心強いことだ)
これだけ長く純血エルフを倒しているのだから、本人にその気はなくともとっくにダエグには敵認定されている。守らせろなどと言っているのが本当であれば、ここいらで隠れるのをやめて彼に守護して貰った方が安全だ。
(なにせ、まだ戦いは続きそうだからな……)
本来、戦力の逐次投入は戦いに於いては愚策とされることが多い。
最小の犠牲で最大の効果を得るには数で圧倒するのが結果的に早期決着に繋がる。
しかし、タイムリミットという制約を考えると時間を使ってちまちまとギューフ側に消耗を強いてくるのは厄介だ。
(幾らダエグのプライドが高いとは言え、援軍二名を失って近衛や戦士の数も底が見え始めた今、次の手を打ってくるだろう。予め考えていない筈がない、あのダエグが……)
この世で最も魔法を巧みに操れる種族に生まれ、最も経験と魔力を蓄えた魔法使いだ。ダエグが本気になれば外で暴れさせたニーズヘグのような凶悪な樹兵も次々に生み出すことができる。それをしないのは、城内が狭いからだ――。
ズッ、と、石の擦れる音がした。
同時に、ギューフ3の体が不自然に引っ張られる。
「……?」
敵の襲撃、ではない。
呪いの類でもない。
これは、この感覚はもっとシンプルに――慣性の法則に体が引かれたのだ。
ゴゴゴゴゴゴゴッ!! と、石材の擦れ合う大合唱が城中を満たし、体を浮遊感が襲う。全身にのしかかる慣性に対応して地に足を付けたギューフ3は慌てて廊下を走り出すが、次の瞬間に廊下と廊下に継ぎ目が現れ、ギューフ3のいたフロアは空中に投げ出されていた。
暗闇に包まれた外の様子を見て、ギューフ3は絶句する。
荘厳なるエルフの城が、ギューフ3のいる場所と同じようにバラバラに分解し、宙を浮いている。まるで積み木の城が崩れたようで、しかし、その数と迫力が目の前の幻想的なまでの光景が現実だと告げている。
「私の知らない城の機構!? ダエグめ、こんなものまで隠してッ!!」
ブロックの中には負傷した近衛やギューフ8たち、妹のオルセラの気配も感じられるが、客人のいたエリアと廊下はそのまま残されていた。
――この城は、神代の時代の建造物をそのまま利用した城だ。
純血エルフを以てして解析しきれない部分があるのは知っていた。
城の内と外の出入りの制限や識別などの機能、及び城内探知機能――エルフ側が手を加えたことで使えるようになった機能がこの城のどこかで管理されていることまではギューフも突き止めていたが、まさか城自体に分離機構があるとは聞き及んでいなかった。
試しに空を飛んで離脱できないか試すが、城のブロックを操るためかブロックの外は神代の技術か異常な空間密度に満たされており、進めない。転移も難しく、無理に進んでも全方位から押し寄せる空間の密度に圧殺されるだろう。
城のブロックが大きく動き、形を変えて組み上がっていく。
しかし、里は巨大な異変に対して不釣り合いなほど静かだ。
恐らくダエグの強力な幻術で、城の様子は外からは一切見えないのだろう。
設計図に従うように寸分の狂いもなく組み上がっていくブロックは元の城の形状とは大きく変化し、迷宮のような構造へと変貌していく。
ダエグに有利な構造に。
ギューフに不利な構造に。
『残念だよギューフ、我が最優の孫よ。おぬしが古の血族の使命を正当に継いでおれば、この方法はお前にこそ伝授する筈であったのにのう』
「……」
ギューフ3の背後に、ダエグの幻影がいた。
戦闘能力はない、ただ本人の姿を投影し、音声を伝えるだけのものだ。
城が分解されたことで視覚的に場所を特定したのだろう。
『考え直す気はないか、とは問わぬ。それは明日以降に問うことにする。オルセラは潰す。おぬしに味方した耳なし共は生死を問わぬ。竜人もどこかに閉じこもっていて貰おう。あれはどうやら術が下手なようだからの』
「……ダエグよ」
『良いではないかギューフ。何もあれを公開しなくとも、ゆるりと変えてゆけばよいではないか。儂もおぬしより長生きすることはなかろう。次代の決定権がおぬしの手に握られる日も来るとは考えられぬか?』
それはある意味で正論であった。
ダエグは最強のエルフではあるが、老いには勝てない。
もしかしたらあと数年で寿命が尽きるかもしれないほどには老け込んだ。
しかし、ギューフ3は首を横に振る。
「その間に、貴方は私に隠れて徹底的に仕込む。エルフが変化を望まないように、私が改革を推し進める気概を削られるように、私の我を通してはバランスが崩れるように」
人間は社会のなかで生きる。
社会の機構と構造という制約を受けてしか、利便性を維持できない。
まして大勢を導かなければならない立場は、ギューフを個としてではなく長という認証システムとして求めているのだ。
そこに、ギューフの我が儘が介在する余地がそれほどあろうか。
『それが誰にとっても幸福な道じゃよ。おぬしの理想は民にとっては毒なのじゃ』
「しかしそれでは、エルフは滅ぶのです」
『それも自然の摂理じゃ。惨めに穢れ、失い、己が何であったかも忘れ果てるのが正しいことか?』
「生きとし生ける者が未来を求めて足掻くのは真理です。そこにエルフもそれ以外もない」
『……まっこと、残念じゃ』
「私は、もう残念に思うことはしません。貴方は障害だ」
毅然と言い放たれた言葉に、ダエグは静かに目を閉じ――。
「……ぉぉ…………ぉぉぉぉ」
「?」
『?』
遠くから聞こえる風鳴りのような音に、二人して首を傾げて外を見る。
「……ぉぉぉぉぉぉぉおおおおお!!」
そして、二人はフリーズした。
城の機構によって操られていたブロックの一つが、滅茶苦茶な速度で構築中の迷宮の中に突っ込んでいったのだ。周囲の空間密度をも突き破るほど常識外れな物理法則が働くブロックの中から、誰かの声が明確に響いていた。
「ぉぉぉぉおおおおおいこれ本当にこっち行って大丈夫なのか!? でも一回投げたらもう修正が、ってアレぇ!? 王と最長老いるじゃん止まれ止まれ止まってアッはい無理ですよねぇぇぇぇぇぇぇぇ…………ぇぇ……!」
一瞬目が合ったが、そのブロックで雄叫びを上げているのはロクエルであった。
ドップラー効果ですぐに遠ざかっていった声とブロックを見送ると、ブロックはなにやら迷宮内の広い空間の中に突っ込んでいった。一体何をどうやったのか、彼は浮遊するブロックを制御不能に陥らせていた。
いきなり予期せぬブロックが組み上がり途中に強引に詰め込まれたことで、組み上がるブロック達が混乱したように大きくばらけ、急いで齟齬のない形状に組み上がり、明らかに先ほど完成しようとしていた迷宮と構造が変化していく。
気付けば、ダエグの幻影は消えていた。
動揺を悟られたくなかったのか、予想外すぎて対応に追われているのか。
なんにせよ、これで少しは先が読めなくなった――と、迷宮の一部に自分の立つブロックが吸い寄せられるのを眺めながらギューフ3はため息をついた。
「天にはまだ見放されていないが、バランギアに大きな貸しが出来てしまったな。どうやって返したものか……まいった。皇はここも計算に入れていたのだね。彼なら出来ると」
……ギューフ、明晰な彼にしては珍しく角度にして167°くらい予想を外す。
真逆との誤差13°は皇の「ロクエル、焦って何かやらかさないといいが。あやつの転生特典は使い方次第でなかなか大変なことになるぞ」という心配を加味したものである。
タイムリミットは残り三時間を切っている。
ここからどれほど立ち回れるのかは、ギューフ、ダエグ両陣営にとって完全に未知数となった。
◇ ◆
――数分前、ロクエルは延々と敵にしか会えずに城内をずっと彷徨っていた。
敵もまた、『この星の真の古の守護者は我々だ!!』だの、『人間もどきがぁぁぁ!!』だの、ロクエルに言われても知らないしそういう思想的なことは他所でやれよと思ってしまうことばかり発言して異様にロクエルに攻撃的だった。
結果、ロクエルはまったく自覚のないままギューフ達に向う筈だった近衛や戦士の純血エルフ達をかなり薙ぎ倒した。当然、強化された近衛も難なくだ。
そんなロクエルは一向に進展のない現状にため息を漏らす。
「なんでこいつらこんなに竜人憎しなんだよ……こんなことならもうちょい純血エルフの歴史調べて来るんだった。いやマジで、ガルバラセンパイにもつまみ出されなくて済んだかもしれんし無知って罪だわ」
ロクエルも竜人族のなかで特別無知な訳ではないが、なんせ自分の預かり知らぬうちにバランギア熾聖隊を通り越して『熾四聖天』の座に座らされたものだから、色々と準備が出来ていない。
嗚呼、ビッカーシエルに引退を決意させたライカゲなるヒューマンが恨めしい……考えたとて詮方なきことではあるが、ロクエルはそう思わずにいられなかった。
そんなときであった。
彼のいた区画が城から突如として切り離され、虚空を移動を開始したのは。
「なっ、なんじゃこりゃーーーーーッ!?」
なんの面白みもないシンプルなリアクションだが、リアクション出来るだけまだ余裕があるかも知れない。普通の人間は自分のいる場所だけ宙に浮いている光景を見たら目の前の現実をどう受け止めれば良いか分からず硬直しているところだ。
廊下の先と窓の外に夜の暗闇を彩る空の綺羅星。
自分のいるブロックと同じように数多に浮遊する城の一部。
このとき、ロクエルは拙速な判断を下した。
「あっ、これまさか俺このまま城の外まで追放される感じ? パージ? パージなの? 俺、ガルバラセンパイに「役立たずめが」って殺されちゃうよ?」
もっと時間をかけて冷静に周囲を見ていれば、ブロックが再構成されて迷宮を構築し始めていることに気付けただろう。しかし、ロクエルは拙速は巧遅に勝るという思考の持ち主――もとい、タイムセールと聞くと焦って買わずにはいられないタイプであった。
「こうしちゃいられねぇ!! すぐに城の方に戻らないと!!」
言うが早いか、ロクエルは翼を広げて廊下から浮くと、その手を天井に当てた。
「よし、掴める!! おんどりゃああああああああッッ!!!」
彼が手を振りかぶると、天井に当てた手を軸にブロックの方が動く。
――転生特典、『ぶん投げる』。
転生特典史上、これほど名前も内容も大雑把なものはないかもしれない。
ロクエルは自分の手が届く範囲にある『投げられそうな物』を、掴むと考えた瞬間に強制的に掴んでぶん投げることができるというとんでもない能力を持っていた。
元々は前世で護身術をを少々囓ったことのある彼が自衛用に丁度いいなと考案したもので戦闘を前提としていた訳ではないのだが、それ故に想定外の機能を得てしまったこの力。
規格外なところは主に二点。
間合いに入った相手は因果律の逆転で『掴む』を確定させられ、一方的に掴まれること。
そして、この能力は投げられそうかどうかが重要であり、相手のサイズや重量を考慮しないこと。
ブロックと一言で言っても城から分離したブロックはちょっとした民家ほどのスペースを構成する石材を『理』で固めたもので、なおかつ到底人間が片手で持てるような重量をしていない。
しかし、城から切り離されて『投げられそうな物』になったことで、ロクエルにとっては既にこのブロックは自由自在に投げ飛ばすことが可能になっていた。
こうして、彼はダエグ、ギューフ両名が思いつきもしなかった事態を巻き起こし、迷宮の構成を滅茶苦茶にしてしまった。
一度崩れても再度組み直せば良いと思うかもしれないが、この分離と再構築は本来の使用方法が不明な為にエルフの能力と明らかに正攻法ではない操作で強引に動かしているため、とても修正は間に合わない。
何より、これ以上城を派手に変形させるといくらダエグの幻術でも誤魔化しきれず、民に異常事態が伝わってしまう。
たった一人の男の拙速な判断が起こしたとは思えない混沌ぶりであった。
ダエグの想定では、ロクエルとギューフはタイムリミットまで出口の設定されていない封鎖空間に閉じ込め、かつオルセラとハジメには敢えて困難で長大な通路を歩かせる予定だった。
古の血族ならば時間をかければ転移を用いて部屋から脱出は出来るが、内部が迷宮化していれば転移先が全体におけるどこに当たるのかが分からず虱潰しにマッピングをする必要がある。
迷宮の外に出ることは、理に阻まれて出来ない。
そうして時間と魔力を消費している間に、オルセラとハジメは通れる道を延々と進んで敵を撃破し続け、消耗していき、最後にはダエグに叩きのめされる――筈だったのに。
「終わりです……もう……」
今、城をコントロールする隠し部屋では、変形操作に全身全霊を捧げていたイースが力なく突っ伏していた。もはや彼女には指揮官としての役割を果たす気力も残っていない。それほどまでに、城の操作とは大きな消耗を強いられるのだ。
暫くすると、彼女は植物のベッドを自分の直下に作り出し、そのまま寝息を立て始めた。まだそれほど成長しきっていない彼女にとっては夜更かしの時点で相応の負担だったのが、今の作業でトドメを刺されてしまったのである。
古の血族イース、人知れずリタイア。
◇ ◆
すわ城の崩壊かと焦ったハジメだったが、震動が収まってみるとそこは城内によく似た迷宮の中だった。オルセラは面倒臭そうに眉間に皺を寄せている。
「何が起きたんだ?」
「ダエグの隠し札だろう。あの糞婆、身内の争いに国防の秘密を持ち出すとは公私混同極まりないな」
「確かに伏せておいてこそ効果的な仕掛けだが……この防御機構は面白いな。俺の家にもこういうの仕込むか」
勿論散財のためもあるが、思えば侵入者対策という観点を自分の家に持ったことがなかったので将来のことを考えると一考の余地はありそうだ。
「それはそれとして、どうする?依然としてダエグの所を目指すか?」
「無論だ。城が再構成されるときに見た感じ、出口自体はあるようだからな」
「ふむ……まぁ、行けるな」
オルセラが見た景色を共有したハジメの頭の中で、簡易的な迷宮のマッピングが為される。異常な空間認識能力を持つハジメならではのことだが、オルセラの観察力なしに同じ事は出来なかっただろう。
二人は言葉も交わさず簡易的なマップを頭の中で共有した。
これで移動は捗るが、オルセラは微妙な顔をする。
「……お前、便利すぎるな。戦闘能力も高いし援護も上手いし思考がシンプルで共有しやすいし。何で身内でもないやつがこんなに我と相性がいいのだ気持ち悪い」
「そんなに変な事でもあるまい。そもそも家族は赤の他人同士がくっついて生まれるものだろ」
「それはまぁ、道理だが」
古の血族は近親婚を推奨していない。
それが遺伝的劣化を加速度的に早めることに気付いたからだろう。
故に、遠い祖先は同じでもオルセラの父母は赤の他人だし、他の血族も皆そうだろう。
しかし、オルセラの中での人間というのはやはりエルフとそうでない者に二分されている。もっと言えば、彼女は身内とそうでない者の扱いを明確に区分している。身内以外には興味がなくて感情が動かないのだろう。
「便利なら利用していれば良い。俺は報酬に釣られて仕事を引き受けた唯の雇われヒューマンに過ぎない」
「はぁ……」
ため息をつくオルセラの感情は、遮断されていて読み取れない。
ただ、横目でじろりと見る瞳に害意や疎ましさは不思議と感じなかった。
彼女は視線を元に戻すと、魔法で互い宙を浮かせる。
「ともかく、迷宮内には残り二人の兄上がいる。どちらが本物かは知らんが、最終障害が糞婆になることには相違ない。とっととケリをつけるぞ」
こうして、二人は移動を開始した。
が、通路の道のりはダエグの性格の悪さを如実に表していた。
道が、一本道なのである。
ただひたすらに曲がりくねり、上下し、うねり、延々と延々と一本道なのである。
「空間を限界まで使ってたった一本の道を移動させられているな」
「しかも罠もある。婆の若さに対する嫉妬が見え隠れするな」
言いながら、オルセラは儀式魔法に満たされた空間に干渉して安全な抜け穴を生成する。一つ一つの罠は大したものではないが、無駄な消耗を避けるためには慎重にならざるを得ず、その度に二人の足が止まる。
マッピングの時点で予想はしていたが、いざやらされると果てしなく無駄な時間を過ごしている気分にさせられる。客室以外のエリアから地下まで城のかなりの部分を用いて作られた迷路は『理』で接合されているため抜けることも困難だ。
また、嫌らしいことに丁度転移で抜けて近道が出来そう、という場所には特に執拗で陰湿なトラップが多数配置されていて迂闊に近道も出来ない。当然のように樹兵もうろついている。中には樹兵の中に操っている近衛がいる場合もあり、殺す訳にもいかないので余計に対応に苦慮する。
ただし、この嫌がらせ迷宮も途中までで終わりだ。
誰が何をしたのか知らないが、中腹より以降の迷路の構造が途中で組み変わったので後半ほど通路が抜け穴の覆い雑な作りになっている。たっぷり入り時間を費やし、二人は城のホールよりも広い空間に出た。
不自然な程の暗闇に包まれる空間から、ぎょろりと四つの琥珀色の瞳が二人を睨み付けた。
『お客さんだよ、トライグ』
『聞いていたより早かったね、ヴァイグ』
闇が部屋から引き剥がされるように減少していき、やがて目の前に見上げるほど巨大な二匹――匹で数え方が合っているのか――の猫が見下ろしていた。
北欧の長毛種を思わせるモコモコとした毛並みが目につくが、鋭い爪と長い牙、そして生物としての圧倒的な存在感が目の前の相手を愛らしいと思わせなくする。
トライグと呼ばれた猫は右耳に、ヴァイグと呼ばれた猫は左耳に、それぞれ黄金の装飾を飾り付けていた。
『我らは魂を縛られしもの』
『我らは同じ時を繰り返すもの』
『我らは在りし日の残影、影法師』
『我らは記録そのもの、力ある残影』
「話が長い」
オルセラはなんの躊躇いもなく手近だったヴァイグの前脚に道路標識を叩き付けた。
『フギャアアアアアッッ!!?』
『ヴァ、ヴァイグ~~~ッ!!』
「再現体風情が一丁前に生物ぶるな」
激痛にヴァイグが巨体を震わせ転げ回る光景は、相手が敵であることに目をつぶると動物虐待である。少なくとも猫好きはオルセラに怒りそうだ。当のオルセラはそのままトライグをもしばき倒した。
「再現体にしてはお喋りな」
「再現体とはなんだ?」
「情報は一定の密度を超えると物理法則を書き換えて実体を得る。それが再現体だ。遺跡やダンジョンで前にぶっ倒した筈の魔物やゴーレムがいつの間にか復活していた経験はないか? 外ではヨートゥンとかいうのが有名らしいが」
「ああ……そういう」
以前にハジメがシルベル王国のノーバス山脈で倒した巨人の魔物ヨートゥンは、何度倒しても復活するがノーバス山脈の外には出ないという特性がある。それはどうやらあの山脈にヨートゥンの『情報』があり、そこを起点に何度もヨートゥンが再現されているというメカニズムであったらしい。
他にも、古い遺跡やダンジョンでは掃討した筈の魔物が暫くすると復活しているのは有名だが、『そういうもの』だという認識しかなかったハジメは一応理由があったのだなと感心した。
「つまり、この二匹も再現体――生物として存在している訳ではないし、死んでもまた再現されるのか」
「トライグとヴァイグは神代の時代から古の血族に管理される再現体だ。城の外には出られない代わりに、共にレベル100相当。言い伝えでは『守りの猪神』グリンがこの再現体を用意したそうだが、詳しくは知らん」
そんな由緒正しい存在を平然とぶん殴るオルセラの信仰心のなさが如実に伝わってくる。
一方のトライグとヴァイグは彼女の横柄な態度に全身の毛を逆立てて怒気を露にした。琥珀色の瞳孔が獲物を狙う目へと変貌し、魔力が渦巻いてゆく。
『グリン殿のご慈悲で偶然にも永らえた種族の、長ですらない痴れ者めが……!』
『万死に値するその傲慢、その身を以て贖え! 己が想い人と共になッ!!』
「……想い人?」
『え? だって契約してるじゃないか』
『ヒャズニンガヴィーグまで持っているし』
「え?」
「え?」
『え?』
『え?』
ハジメは、契約は心当たりがあるものの何故依頼の前料金として受け取った儀礼剣ヒャズニンガヴィーグが想い人の証になるのか分からず困惑。
オルセラはハジメがヒャズニンガヴィーグを所持していることを今知って困惑。
トライグとヴァイグはそんな二人の事情がまるで読めず困惑。
四者の間にしばしの沈黙が漂ったのち――オルセラは急に無言でトライグとヴァイグに道路標識をフルスイングした。あまりにも急な行動に二匹は面食らう。
『うわぁ、なんかぬるっと戦い始まった!?』
『おいどういうことなんだ、なんの沈黙だったんだ!?』
変な戦いの始まり方に困惑する二匹。
なお、オルセラの心を読んだハジメが知った彼女の心中……それは「もう反論とか経緯の把握とかいろいろ面倒臭いからとりあえずボコってから考える」、であった。ハジメもそれには同感であるが、一つ気がかりがある。
(ヒャズニンガヴィーグが婚姻の証なんだとすると、俺はギューフと浮気したことになるのか……???)
フェオ達への説明が更に複雑化していくようで、ハジメは頭が痛かった。




