34-13
魔力暴走による自爆の衝撃と閃光に、その場の多くの者が咄嗟に顔を庇った。
やがて光が晴れると、全身から白い煙を出した近衛達が床に転がっていた。
疑似刻印が所々途切れて、意識はない。
単なる肉体的な爆発ダメージという以上の深刻さが感じられた。
爆心地にいた筈のオルセラは――仰向けに倒れてはいたが無事だった。
呆気にとられて天井を見上げているが、その玉姿には傷一つない。
彼女はすぐに状況を把握したのか、ため息をついて身を起こす。
「……自力で防げはしましたが、お手数をおかけしました、兄上」
あの状況で相手が魔力暴走による自爆を決行しようとしていることを看破し、オルセラを守れる者はギューフしかいないと、瞬時に彼女は判断して立ち上がった。その視線の先にはギューフが展開した魔力障壁がある筈だと予想して。
「……?」
彼女の予想に反し、目の前にあったのは戦いの最中にハジメが飛ばして回った盾たちだった。狭く五重に展開した防御スキル、エクスペンドは全て破壊されているが、最後の一枚の盾の防御力でオルセラを守り切ったようだった。
これまでオルセラの衝撃波を二重で防げる強度だったことを考えると、自爆の破壊力が窺い知れる。
しかし、それよりまさか自分の予想が外れるとは思っておらずオルセラは唖然とした。これではまるで、ギューフが自分を助けた訳ではないかのような――。
彼女の背にギューフ5の声がかかる。
「すまない、私は間に合わなかった。お前を守ったのはハジメだ」
「え?」
「え?」
「え?」
ハジメは困惑し、その困惑にギューフが困惑し、二人の困惑にオルセラが困惑する。何故か当事者が全員状況を飲み込めていないシュールトライアングルの完成である。
「俺は間に合わなかったと思ったのだが……」
「いやいや、間に合ってたよ。生命力の流れではっきりと見えた。ハジメは盾の防御が間に合わないと悟ると物を動かす力をオルセラに使って守れる位置まで引き下げさせたろ?」
「なんだと? 俺にそんな力はない筈だが……?」
「いやいや、やってたって。絶対やってた。試しに私にやってみてくれよ。服に集中して」
ハジメは困惑のままに『攻性魂殻』を行使する。
すると、今までは掴むことの出来なかった他人の装備に手が届く感触があり、次の瞬間にギューフは宙に浮かび上がった。
「……出来た」
「え、今まで出来ることに気付いていなかったのかい?」
「いや、どうだろう。去年は少なくとも出来なかったが、もしかしたら最近の戦いで新たなステージに到達したかもしれない」
思えば浮遊島でハジメは二代目剣聖コテツと戦う前後に『攻性魂殻』をかなり本気で操り続けた。しかもその後一時的とはいえレベル差を大きく突き放されていたコテツを撃破したので、きっかけとしてはあり得る。気配察知スキルの新発現も恐らくそのときには成されていたのだろう。
とはいえ、最初から自爆に気付いていれば焦る必要はなかった訳で――。
「これは全く以て褒められたものではない。護衛を請け負っておきながらしくじりかけた。冒険者としては屈辱ものの失態だ」
ハジメはばつが悪くて後ろ頭を掻いた。
30歳になった程度で仕事を極めた気分になっていたのかもしれない。
「真面目だなぁ」と苦笑いしたギューフはオルセラの方を向く。
「本人はこう言っているが、結果は結果だ。お礼はハジメの方に言ってくれ、オルセラ」
「……本人が褒められたものではないと言ったから礼を払う必要は無い」
オルセラはハジメの方に顔も向けずにそう言い放つ。
しかし、その場の全員がオルセラのつっけんどんな態度を咎めはしなかった。
何故なら、顔を背けたところで真っ赤に紅潮した耳が隠せていなかったからである。ギューフが微笑ましそうにハジメに耳打ちする。
「さっきお礼する相手を間違えたのが恥ずかしいようです。わが妹ながら、なかなかどうして可愛げがあると思いませんか?」
「そういう感覚あるのか。まぁ、プライドが高い分間違いを認めるのには勇気がいるのかもしれんな。位が高いと特に」
「お姫様ってばか~わい~アル~~!」
「ツンデレって奴ですか?」
容赦なく馴れ馴れしい追求にとうとう我慢の限界がきたオルセラは真っ赤に紅潮した顔で振り向くと道路標識を一行に突きつける。
「近衛より先にお前達が叩き潰されたいか……ッ! ああもう! 礼は言わんが護衛として褒めて使わす!! これでいいだろう!! 満足したか!?」
「あ、ああ……守れてよかったよ」
あの瞬間、過去の友が導いてくれたようで、その結果が今のオルセラのような気がしたハジメは自然と笑みがこぼれた。
オルセラはその笑みに「なんだその顔は」と居心地悪そうに呻くと、また皆に背を向けた。
(我は守る側の存在だぞ! それが守られてどうする! 我に頼る相手も並び立つ相手も必要ない! 誰かの庇護など受けてなるものかよ!)
しかし、頑なな思考に反して、オルセラは段々とハジメという男のことを認めざるを得なくなってきていた。
(……まぐれであっても、我を守る力をあいつは示した。我は、しかし……どうするべきなのだ。あいつはダエグとの戦いにまで同行するだろう。我は、我は……)
ダエグとの戦いには最初から一人で挑むつもりだった。
それがオルセラなりの矜持と決意だった。
自分に肩を並べる強い者などどこにもいない。
オルセラを産んだ両親でさえ、オルセラにとっては自分が守る対象でしかない。
世に住まう全ての生物が唯一つの例外を除いて戦闘力や生命力で自らに劣ること、それがオルセラにとっての常識であった。
そんな自分が守られたという事実は恥辱だが、否定はできない。
彼がいると戦いやすいという体感的な結果や、ギューフですら反応が遅れた事態に対応した判断力を己の思い違いと考える程、オルセラは夢想家になれなかった。
兄以外に己が強さを認めた男など一人もいない。
まして、兄の強さはどちらかと言えば智の強さに過ぎない。
認めるか、否か。
単純明快なことの筈なのに、彼女の胸中ではプライドと現実がせめぎ合っていた。
――オルセラの照れ隠しで場が和んだ一行であったが、近衛が自爆攻撃まで仕掛けてくるという事実は改めて深刻に受け止められた。
すぐに次の近衛が出現して迎撃を余儀なくされる中、ハジメは自爆して倒れ伏した近衛に手を翳すギューフ5を見やる。
全身がボロボロの近衛は、呼吸のために僅かに胸が上下しているだけで全く覚醒の兆しはなく、恐らく起きられたところでまともに動けないだろう。
「……どうだ。なにか弱点や特性は掴めたか?」
「結論から言えば、時間と魔力をそれなりにかければ疑似刻印は消去できる。しかし近衛の数と彼らの目的を考えると消去して回るのは余りにも現実的ではないね」
「それ以外の方法では殺してしまう、と?」
「……最低限の命の保証はなされているけど、最悪死んでも事態に埒を明けられればいい。ダエグの考えはそんなところか……」
ハジメが最も安価なポーションをギューフ5と、無言だが同じ行動をしているギューフ8に手渡す。
ポーションは自爆した彼らへのせめてもの慈悲だ。
敵である以上は回復させる義理はないが、今も彼らの全身を苛んでいるであろう苦痛を多少は和らげることが出来るだろう。
「――私は甘かったのかもしれない」
動かない近衛にポーションを垂らしながら、ギューフ5がぽつりと呟く。
近くでは護衛達が大立ち回りをし、オルセラも先ほど以上に精彩に敵の魔法を道路標識で弾き、迫る近衛を殴り飛ばしている。殴られた近衛は壁や天井、床に何度も激突してバウンドしながら後方を巻き込んでいた。ダメージを早く蓄積させてダウンを早める戦法のようだ。
割り切って猛攻を加えるオルセラの姿と、自爆を強いてまで止めに来たダエグ。
二人の残酷なまでの覚悟を前に、ギューフ5は自問する。
「反対を押し切ってでも改革を進めると決意したのは紛れもない私だ。反対するであろうダエグと対決することも今更の事実だ。しかし、仮にも同胞を切り捨てるような選択をしてまで……私は読めなかった。そして今、切り捨てる覚悟を決めた相手の尖兵に私は情けをかけている」
ポーションが瓶から零れ落ち、近衛の体に降り注ぐ。
近衛の体の傷が少しばかりマシになるが、疑似刻印を通して全身が爆発した近衛の体に蓄積した内的ダメージを考えると微々たる慈悲だった。
ギューフ5はこれを無駄な時間だと考えているのかもしれない。
合理的に考えればそうとも言えるが、ハジメはそれだけで人間は生きていけないと思うことがある。
「人はそれを偽善と呼ぶかもしれない。他者を労る姿勢を取ることで己の心を満たすための行為だと。でもそれでいいんじゃないか?」
「それは……甘えです」
「甘えを切り捨てれば楽になる訳でもないだろ。心を偽れば信念もあやふやになっていく。お前は信念を曲げたくないんだろう。そういうところがあるからオルセラもお前を手伝おうと思ったんじゃないか?」
「……」
オルセラと相対する前衛の近衛が自爆の兆候を見せた瞬間、ハジメは攻性魂殻で魔法減退効果のある聖遺物級の盾を叩き付けた。オルセラはそれを察して盾の裏を道路標識で叩く。結果、自爆の破壊力は全て通路の奥に押し込められて他の近衛も巻き添えに自爆していった。
道路標識を床に突き立てたオルセラは憮然とした顔で振り返る。
「おい、死神ハジメ」
「ハジメでいい」
「じゃあハジメ」
「なんだ?」
「どうも我々以外の誰かが暴れている。正面からは暫く追撃が来ない。このまま前進して少し休憩する」
どうやら先ほどした休息の話を覚えていてくれたらしい。
ハジメ達以外の護衛で自爆する近衛を足止め出来る存在とは誰なのか、気にはなれど時間を稼げるのは有り難い。
すぐさまハジメは後ろで交戦中のジャンウーとリサーリに確認を取る。
「二人もいいか?」
「さんせー!」
「同じく!」
「では片をつけるぞ」
ハジメは十数個の盾を操って近衛たちの膝裏や延髄などを執拗に殴打し、その隙を突いてジャンウーは敵を床に叩き伏せ、リサーリは糸で彼らを先ほどより念入りに拘束する。
更にオルセラが地団駄を踏むと、それに呼応するように近くに植えてあった植物がトレントモドキへと変貌する。トレントモドキはめきめきと音を立てて震えると、ハジメたちにそれなりに似た色彩と形に変化した。
薄目で見れば似ている程度だが、オルセラはそれを三セット用意する。
「陳腐な手だが、少しの間なら索敵を誤魔化せる。着いてこい」
駆け足で廊下を走り出すオルセラに全員が追従する。
この囮は目視確認だとすぐにバレるが魔力探知に優れたエルフは逆に引っかかりやすいという性質を持っており、更に魔法のジャミングを加えることでどれが本物か瞬時には判断できなくなるものだった。
ダエグ側についたイースの特殊な索敵手段を事前にギューフたちが掴んでいたからこその方法だが、通用するのは一度きりだという。もしかしたらこれが最後の休憩となるかもしれない。
――ちなみに、このときのハジメたちは知るよしもないが、近衛の後続が途絶えた原因はガルバラエルに無茶ぶりされて部屋から閉め出された熾四聖天ロクエルが近衛からギューフの情報を聞き出すために次々襲撃していたせいであった。
自爆した護衛の胸ぐらを掴んだままロクエルはだらだらと冷汗を流す。
「やばい、全然見つかんない……このままだと先輩に半殺しにされる……! ギューフ王~~!! どっこでっすか~~~~~!? 助けに来ましたからお願いだから守らせてくださ~~~~~~~い!!?」
甲聖の称号を受け継いだロクエルは既に十数名の近衛の自爆をいなしておきながら爆風で髪と服が乱れた程度の影響しか受けていない。それほどの強さを誇るロクエルが何よりも恐れるのは仕事に失敗した際のガルバラエルの折檻であった。
涙目で駆け回るロクエルは理不尽な指令への文句が止まらない。
「そりゃ護衛とはぐれることは仕事上ありえますけどね!! 会ったことない上にどこにいるかも分かんない人の護衛はもう護衛の仕事の範囲外だと思うんすよぉ!!」
全力で走り回るロクエルであったが、不運にもコムラからの逃走を続けるギューフ1は彼の進行方向と反対。ギューフ3は未だに隠密中で姿を現す訳にはゆかず、ハジメたちと行動を共にする5と8は位置的に逆サイドであった。
唯一遭遇する可能性のあるギューフ2とその護衛達が兵法的な経験則から器用に敵を避けているのに対してロクエルは護衛を見つけるたびに情報を吐かせられないかと交戦するため、なかなか距離が縮まらない。
「俺を助けると思って俺に助けられてくれぇぇぇ~~~~~ッ!!!」
意味不明な供述でドップラー効果を起こしながら、ロクエルは通路の彼方へと駆け抜けていった。
――そんなことが起きているとは露知らず、ハジメたちはオルセラの案内した隠し部屋の中に入り込む。
先ほどくすねたチーズタルトを中央のテーブルに置いたオルセラは、魔法でカットして1ピースを手に取ると、部屋のソファの背もたれに体を預けながらそれを囓った。
「ここは城の『理』が働いていない増築された部屋だ。一体誰がいつ作ったのかは定かではないが、いわゆるサボり部屋か秘密基地だな。前の持ち主が入念に隠匿魔法を刻んだおかげで索敵にも一切かからない」
「では時間までずっとここにいればいいのでは?」
「囮が全て破壊されれば本物がいないことに気付かれる。そうなるとこれまでの移動ルートのどこかに隠れていると考えて虱潰しに炙り出そうとするだろう。『理』のないこの部屋は簡単に吹き飛ぶ。ダエグとイースならそれくらいはやる」
「つまり、のんびり作戦会議を出来るのはこれが最後か」
ギューフ5とギューフ8もそれに頷く。
ハジメも部屋の別のソファに座ろうとし、そこでふと部屋の中に人数分以上の気配を感じた気がして思わずギューフに視線を向けるが、ギューフは人差指を口の前に立てるジェスチャーで応えた。姿は見せていないが敵でもない、と解釈したハジメは敢えて気配に触れないことにする。
その間にすでに2ピース目を食べ始めたオルセラは、おもむろにハジメに声をかける。
「おいハジメ」
「なんだ」
「我の隣に座れ」
「いいけどなんで???」
余りにも唐突かつ謎の要求にハジメは困惑を隠せない。
ぽんぽんと自分の隣のスペースを空いた手で叩きながらオルセラは3つめのチーズタルトに手を伸ばした。
「座ったら話す」
「そ、そうか」
とりあえず言われるがままに座るが、オルセラは自分で招いておいて何やら言いづらそうにもじもじしている。他の面々の視線が生暖かいが、ハジメは彼女の言葉を待つしかない。
やがてオルセラは3つめのタルトを平らげて決心を固めたのか、ハジメの方をまっすぐ見た。
「ハジメ」
「なんだ」
「我はダエグと戦う。戦わねばならぬ。そして絶対に勝つ」
「ああ」
「お前は兄上が我につけた護衛だ。それは理解した。しかしこの戦いは我とダエグの戦いで……ダエグは、お前が邪魔だと思ったら排除しようとするだろう……」
「まぁ、容赦してくれるとは思えないな」
ダエグにとって、要人でもエルフでもないハジメは鬱陶しいハエくらいの認識かもしれない。ハジメとしてもダエグとの戦いでどう立ち回れば良いかを掴みかねている。間違いなく、今までの人生で出会ったなかで最も強い魔法使いだからだ。
「お前が強く、役立つことは……納得した。兄上にとって善き友人になれそうだとも、思った。そんなお前を、ダエグは……殺すことも厭わない、と、思う」
オルセラは歯切れの悪い言葉を並べ続ける。
気取られまいと視線だけはまっすぐだが、瞳の奥の決意は揺れている。
ハジメの身を案じて引き下がれと言いたいのか、命を賭けて共に戦えと言いたいのか、或いはオルセラの中でも決意が揺らいでいるのか――もどかしい時間が過ぎる中、痺れを切らしたのは一行のなかの誰でもない第三の人物だった。
その人物は部屋の隅の大きな収納箱の中から現れ、勢い余って箱ごと転倒しそうになって慌てながらもこちらに駆け寄ると、ハジメに指を差して震える声で叫ぶ。
「ハジメ! 姉上の護衛を放棄するのは、こ、このワレが許さないぞ!!」
「スリサズ? お前、こんな夜更けにまだ寝てなかったのか?」
幼き古の血族、スリサズの寝間着姿がそこにあった。
部屋に感じた気配の正体は内緒で夜更かししていた彼であったのだ。
オルセラは弟の存在ではなくその言葉に驚き、ギューフ5とギューフ8はまるでこれが必要な過程であるかのように口を挟まなかった。




