8-2
――冒険開始から数時間。
パーティーは幾度目かの戦闘に突入していた。
ルーンナイフを逆手に持ったフェオが疾走と共に刃を煌めかせる。
「バラージスラッシュ!!」
「ギギャアアアアアッ!?」
ただ一振りの刃から無数の斬撃が生み出され、彼女の眼前にいたサハギンの胴体に複数の裂傷が走る。サハギンは半魚人とでも形容すべき魔物だが、防御力の高い魔物ではないことに加えてフェオの腕前もあり、その場で絶命した。
更にフェオは立て続けに足元に魔法陣を発生させて、詠唱する。
「不徳なりし者たちに天罰を! ライトニング!!」
詠唱が完了した瞬間、空から耳を劈く雷鳴が響き、複数の稲妻が枝分かれしてサハギンの奥に控えていた鳥の魔物たちを纏めて叩き落とす。
ライトニングは本来単体相手に使う魔法だが、彼女は『拡散魔法』のスキルを使い、威力を落とす代わりに確実に全体にダメージが行き渡るよう調節したのだ。弱点属性も突いているので、鳥の魔物たちは死んではいないが上手く体を動かせずにいる。
フェオは武器を剣に切り替えて油断なく近づき、痺れて動けない魔物を一体ずつ確実に仕留めていく。堅実な立ち回りだ、とハジメは内心で称賛した。
サハギンとの間合いの取り方は模範的だし、空の敵に対して倒すのではなく行動不能に追い込むために魔法を放ったのも良い判断だ。また、行動不能になった魔物に対して安直に魔法を連発せずリーチの長い武器に持ち替えたのも悪くない。
そう考えながら、麻痺から立ち直りかけた魔物に向けてハジメは弓に矢を番えて放つ。矢は吸い込まれるように魔物の脳天を撃ち貫いた。今回のハジメは援護担当だ。
……ちなみにだが、この世界の弓は必ず矢筒とセットになっており、そして矢筒の中の矢の数は無限である。
もう一度言うが、無限である。
一見すると十数本程度しかないように見えるのだが、何本引き抜いてもそれ以上数が減らない。
システム的に矢の本数という概念のないゲームに価値観を合わせることで弓使いというジョブの使いづらさを解消したものだと思われるが、何故この世界の住民たちが矢筒の矢がなくならないことを不思議に思わないのかが逆にハジメには不思議でならない。
それともこの世界の弓矢はハジメの知る弓矢とは違うYUMIYAなのだろうか。TENTOと同じパターンなのだろうか。細かい指摘はキリがないが、そこはかとなく気になるハジメである。
「援護ありがとうございます、ハジメさん!」
「サンドラの援護に回るぞ」
「はいっ!!」
彼女は元々中堅くらいの実力の持ち主だったが、NINJA旅団の弟子忍者たちと手合わせすることで更に動きに磨きがかかってきた。それに、暇な時間にちょこちょこ魔法についてアドバイスを求められたのでハジメも協力し、立ち回りを意識するようになっている。
レベル的には大した成長はないが、立ち回りの成長は戦いの安定感が抜群に増す。これは必ず彼女の糧となるだろう。
一方で、サンドラの動きは弱くはないが危なっかしい。
「メガスウィング!! って、わわぁ!?」
手に持った棍棒を盛大に振り回してサハギンの顔面を粉砕したサンドラだが、力を込めすぎてスウィングの回転が止まらず更に別の敵を中途半端に叩きのめす。慌てて態勢を立て直そうと棍棒を振るが、攻撃を避けていたサハギンの槍が棍棒とぶつかり、また慌てる。
結果的に相手も手出しできていないが、危なっかしいことこの上ない。
とてもではないが味方として近くにはいて欲しくない動きだ。
モノアイマンは人間に並んで能力的に特徴に乏しい種族だが、モノアイマン特有の単眼は厳密には人間の眼球とは違う器官であり、一つだけ他の種より有利な部分がある。
しかし、それは魔法によって発揮されるもので、棍棒で戦う戦闘スタイルでそれが活かされるかは微妙なところだ。
フェオも援護の為に近づくが、不規則に足場をずらしてふらふらしながら棍棒を振り回すものだから危なくて近寄れず、しかも不用意に魔物側に向かっていくので魔法による援護も狙いにくい。
「くぅ、敵味方識別はまだ習得してないのに……!」
「うきゃあああ!? 来ないで、見ないで、近寄らないでぇぇぇ~~~!!」
そうこうしている間に敵の数自体は減っているのだが、これは到底効率的な戦いとは言えない。フェオなら1分で片づけたであろう敵をたっぷり3分かけて片づけたサンドラは、やっとパニックから醒めたように大きな眼をぱちくりさせて周囲を見る。
「あ、あれ……? 終わってる……やったっ、勝ったぁ!!」
すべての敵を粉砕してはしゃぐサンドラ。
しかし、はしゃぐ余り大切な武器である棍棒が手からすっぽ抜ける。その行先は、さっき苦労して上ってきた珊瑚プレートの下。
「あ……」
希望が絶望に移り変わる表情。
サンドラは放物線を描いてゆっくりと手の届かない場所に落下していく棍棒を見つめ、やがてその大きな瞳に大粒の涙を湛えて震え始めた。
さしものハジメもこれには頭を抱えた。
(冒険者が武器を落とすなど、はっきり言って論外だぞ……)
武器は敵を打倒し身を守る最低限にして最大の装備。
一時の感情に任せて失っていい代物ではない。
仕方ない、とハジメは懐からブーメランを取り出す。
このブーメランには風の力が籠っており、狙った対象を上に巻き上げたりモンスターを風で地上に叩き落としたりと様々な応用が利く聖遺物級アイテムである。
緑の帽子の勇者が愛用したとも伝えられるそれを投擲すると、落下を続けていた棍棒が風に巻き上げられてハジメの下に飛んでくる。それを難なくキャッチしたハジメは、そのままサンドラに渡す。
「……ほら、もう落とすなよ」
「ありがとうございますぅぅぅぅぅぅ!! そしてごめんなさいぃぃぃぃぃ!!」
サンドラは地面が割れんばかりの土下座で感謝と謝罪の言葉を告げたのだが――既にここに来るまでにサンドラはちょっと無視できないレベルのやらかしを何度もやっている。フェオも「気にしないで」とは言っているが、笑顔が若干引きつっているのが何よりの証拠だ。
敵の目を眩ますための煙玉を誤ってフェオに投げつける。
こっそり通り抜ければ戦闘せずに済む場所で盛大なくしゃみ。
プレートとプレートを跨ぐ際に使うロープが脚に絡まり逆さ吊り。
武器をうっかり投げ飛ばしたのもこれが最初ではなく、一度はハジメの顔面に向け殺意すら感じられる速度で迫ってきたこともあった。
ハジメは別にそれに対して恨みがましく思うことはないが、フェオは口には出さずとも明らかに彼女をパーティに入れたことを後悔しているだろうとは思う。
それは彼女のモラル云々ではなく、そもそもサンドラのようなタイプの人間が根本的にチーム行動に向いていないことに起因する。
(最初に組んでいたチームが早々に彼女に見切りをつけた理由……もしやとは思っていたが、悪い予感は当たるな)
冒険者は命懸けの職業だ。そのパーティに足しか引っ張らない人を入れれば、当然死のリスクも高くなる。好き好んで死のリスクを上げたがる人間はこの世界にはいない。
……一部例外はあるが。
サンドラも自分が足を引っ張っているのは百も承知なのだろう。
ぼろぼろ涙を流しながら、彼女はハジメたちに懇願する。
「頑張ります! 注意します! 働きます! だから見捨てないでぇぇぇぇぇぇ!!」
「み、見捨てたりなんてしないよ! だから泣かないで、ねっ!!」
サンドラは決してふざけている訳ではないのは、痛いほど分かる。
冒険者には稀にそうした妨害行為によって私欲を満たさんとする存在がいることもあるが、彼女は違う。この世界に稀に見かけることがある、「どうしようもなく失敗する人」だ。
挽回しようと突出してまた迷惑をかける。
失敗しまいとする余り緊張が上回り、また失敗する。
それを自覚して気合を入れても空回る。
何をやっても上手く行かない。
それでも何とか認められたくて、何度でも同じことを繰り返す。
悪ではない、が、どうしようもない。
どうしようもないので結局人に忌避され、孤立する。
彼女自身の実力は相応にあるようなので、今まではソロでもギリギリやっていけるから今も冒険者なのだろう。
(或いは冒険者以外の職業でやらかしすぎて他の居場所がなくなったのか……なんにせよ、どうしたものか)
今、ハジメたちは予定していた進行度の半分近くのペースで進んでいる。ただでさえレヴィアタンの瞳がどこにあるのか判明していないのに、このままでは当初の予定の何倍も時間がかかってしまうだろう。
しばし思案したハジメは、やがて決意を固める。
この現状をずるずる引きずるのはよくない。
「一度ここらで休憩とする」
まだ太陽が高い中、ハジメは小休止を宣言した。
サンドラの存在による予定の大幅な遅延をという現状に対し、取れる道は三つ。
一つ、このままパーティの構成を重んじ、サンドラを抱えて進行する。
二つ、一度引き返してサンドラとパーティを解消し、再度上る。
三つ、フェオの成長のためという副次目標を諦めてハジメが単機吶喊する。
ハジメとしては一番目はお勧めしないが、フェオは優しい子だ。二つ目と三つ目は実質サンドラを責めることになる以上、彼女は選びにくいだろう。サンドラ自身も自力でレヴィアタンの瞳を見つけることにこだわりがあるようだ。
とはいえ、このまま三人で進んだとして、フェオの忍耐力が最後まで持たないのではという懸念がハジメにはあった。
遠征の場合、方針転換の判断は早い方がいい。
先延ばしにするとそれだけ無駄が増えてしまう。
腰を落ち着けての休憩の最中、飲み物を小鍋で温めながらハジメは率直に話を切り出した。
「フェオ。このペースでは想定を遥かに超える時間がかかる。行動指針を転換するなら今のうちにすべきだ。このままだと進行ペースの確保とサンドラの同行は両立できない」
「はっ、ハジメさん! それじゃサンドラちゃんを置いていった人達と同じ……!!」
「その冒険者たちの選択は最適ではないが、理解は出来るものだったということだ」
サンドラを庇うようにフェオが非難の声を上げるが、問題を先延ばしにするのはよくないとハジメは彼女に向けて首を横に振る。サンドラが息を呑む声が聞こえたが、現実は見なければならない。
「俺たちの優先事項はこうだ。一、レヴィアタンの瞳を手に入れること。二、それを可能な限り短期間で行うこと。三、その過程としてフェオが冒険者として経験を積むこと。だがこのままでは二つ目の優先事項が大きく損なわれる。俺もあまり長く付き合う訳にはいかない」
そろそろクオンを町に連れていく約束もしているし、ハジメのいない間にもハジメを名指しにした緊急依頼発生の可能性は常にある。いよいよ長期化しそうならハジメは一人でレヴィアタンの瞳を調達する腹積もりだ。
「サンドラとこのまま行くか、彼女とのパーティを解消するか、それとも冒険を諦めて俺に任せるか。選択するのは今だ」
「そんな、まだそれを選ぶには早すぎますよ!!」
「早くない。時間は有限だ。こうした長時間の移動では特に、後になってからの方針転換が自分たちの首を絞める結果になる」
フェオだって知らない訳はないだろう、と視線をやると、彼女は苦しそうに唸った。森の案内役をやっていた彼女がそうしたリスク管理に疎い訳はない。ただ、サンドラへの気遣いの余り言い出せなくなってしまっているだけだ。
当のサンドラは話を聞いて自分が足枷になっていることを痛いほど感じているのか、震える声を漏らす。
「私が、足手まといだって話だよね……やっぱり、私って役立たずなんだ……」
「それは別に問題ではない。選択することとそのタイミングの問題だ」
「選択肢が発生する原因は私じゃないですか……!!」
「その議論には意味がない。既に始まっていることを前提から変更することはできない」
サンドラを無計画にパーティに引き入れたフェオにも問題はあるが、それも含めて今話したところで不毛な議論にしかならない。
フェオは今、サンドラへの気遣いと比例する我慢によって少々冷静さを欠いている。こうしたときには甘い物が一番だ。そろそろいい具合に小鍋のココアが温まるな――と思っていると、はっとサンドラが鍋に目をやる。
「ああっ、私が注ぎ分けますっ!! 気が利かなくてごめんなさ――!!」
急に前に出たサンドラは目測を誤り、鍋を蹴ってひっくり返した。
火傷しない程度とはいえ相応に熱いココアが行き場を失い、フェオの白い足にざばっとかかった。フェオが足を抑えてうっ、と苦悶の声を漏らす。
サンドラは顔面蒼白になりフェオに駆け寄る。
「ごごごごご、ごめんなさい!! 手当しますから!!」
「い、いい……手当しなくて、いいよ……自分でなんとかするから、ちょっと離れてね……」
「あ……」
フェオはやんわりサンドラの善意を拒否し、「ちょっと洗ってきます」と言い残してその場を離れていく。誰がどう見ても、サンドラにこれ以上迷惑をかけられたくないという思いがあるのは明白な引きつった笑みで。
優しいことと、気にしないことは違う。
フェオは自分の優しさを維持するために、サンドラからかけられ続ける強烈なストレスの熱を冷却しようと自ら彼女と距離を取ったのだ。
「フェオ……さん……」
とうとうフェオに拒絶されたサンドラは、その場で膝をついて俯いた。
フェオに面倒事が起きないよう探知スキルで追尾しつつ、ハジメはサンドラが自棄を起こさないよう見張る。彼女は暫く震えて目からぼろぼろと涙を流しつつ、ぽつぽつと言葉を漏らす。
「昔から……駄目で。何をやってもダメで、仲間からは見捨てられ、モノアイマン以外の種族からは一つ目、一つ目と悪口みたいに呼ばれて……お前は気が利かないなぁ、そんなんだからダメなんだって何度も言われて……」
「それで、パーティを組む相手が見つからなかったという訳か」
サンドラは無言で頷く。
彼女の強烈な間の悪さはさっきからひしひしと感じていた。恐らく今までに食事の番を任されて失敗し、周囲に殺意の籠った怒気を浴びせられたことが何度もあるだろう。失敗すまい、周囲に好かれたいと思ってもすべてが空回り、悪循環に陥っているのが想像できた。
しかも、モノアイマンは人々に差別されやすい。
苛立ちのあまり人格や容姿まで侮蔑の対象とされてきたのもまた容易に想像がつくし、ハジメ自身そうした光景を見たことはある。
サンドラとてそうありたい訳ではないが、気持ちだけではどうにもならない。
「家族からも私、どんくさくて家のものを壊すから何もするなって言われるの。嫌われたくないのに、嫌われないよう沢山頑張ってるのに……」
「……」
「フェオさんのあの顔、見たことあります。昨日の夜に『サンドラは何もせずに先に寝て良いよ』って言って、そのまま置いていったみんなの顔とそっくりだった……」
人は社会性の生き物だ。故にこそ、社会規範でカバーできない存在は都合が悪く、排斥したがる。それを差別だというのは簡単だが、実際には彼女の周囲にいた人物は実害を少なからず被っているだろう。
しかし、だから何だというのだろうか。
「別に嫌われてもいいだろう」
「……へ?」
嫌われ者の三十路冒険者は、珍しく先達として助言することにした。




