34-9
――外でどれほどの騒動が起きていようが、城の内部には音や振動すら伝わってこない。
故に多くの客人は何も気付かず上等なベッドの上で眠りこけている。
そんな中、騒動に参加するでもなくニーズヘグが暴れる様子を眺めてワイングラスを揺らす者がいた。
バランギア竜皇国の皇だ。
「ほう、エルフの秘技をこの目で見られるとは、此度の催しも捨てたものではない。ガルバラエル、お前の目から見てあれはどうか」
控えていたガルバラエルが「は」と頷く。
「どうやら遠隔操作故に万全の力を発揮してはいないようですが、それでも熾聖隊の一兵卒程度では荷が重いかと。竜人からすれば攻撃性能は然程脅威ではありませんが、魔物と違ってどこを破壊されても魔力で活性化した植物が補うため、跡形も残さず消し去る必要があります」
視線の先ではニーズヘグがいくつかの強力な火属性魔法を受けながら、それをものともせずに雑兵を蹴散らす様が覗えた。損傷した箇所を無事な蔓が埋め、更に損傷部を覆うように巨大な花が咲いて炎を弾いてまでいる。
術者本人がこの場にいれば性能は更に上昇、或いは複数使役も可能かも知れない。種族として衰退期に入っていても、やはり古の血族ともなれば軽視できない力を持っている。
同じく様子を窺った護衛の一人――ロクエルが顔を顰める。
「うへぇ、俺と相性最悪」
「ロクエル。皇の御前で斯様な態度、不敬であるぞ」
「あっ、やべ……申し訳ございません!」
「許す。余もそう思っておった所だ」
ロクエル――彼はNINJAとの敗北と高齢が重なり熾四聖天引退を決意したビッカーシエルが自らの後釜に指名した、新たなる『甲聖』だ。
竜人にしては珍しいダークブラウンの地味な髪色が特徴的な彼は、前々からビッカーシエルが「後継者を選ぶならあれを推す」と明言していたほどの実力者だ。ビッカーシエルと同じく防御力と肉弾戦に特化した彼の強みは、ニーズヘグ相手では活かしづらいだろう。
ちなみに彼は転生者であり、今まで熾聖隊の一員ですらなかったのにいきなり後釜に抜擢されてこれが初仕事である。元より変わり者で言葉使いもなっておらず、更には竜覚醒が下手という竜人の戦士にあるまじき欠点まで持っている彼の熾四聖天としての自覚の薄さは、ガルバラエルの癪に障る所だった。
それでも尚、誰よりも厳格だったビッカーシエルがこの男しかいないと推した男だ。皇もガルバラエルも彼の能力不足を疑いはしなかった。
だが、それはそれとして皇を前に緊張感のない発言を迂闊にするのでガルバラエルの視線は依然として厳しい。
ロクエルは気まずい空気に耐えられずおずおずと手を挙げる。
「あの、ガルバラエル先輩。浅学な自分に知識をご教授願いたいのですが……純血エルフの魔法ってフツーの人が使うものとも我々のものとも違いますよね? あれ、なんなんですか?」
「違うというのは正確ではない。そもそも全ての魔法は純血エルフから生まれたものだ。人間の間ではエイン・フィレモス・アルパが魔法の祖と呼ばれているそうだが、奴も天才ではあるがゼロから技術を生み出した訳ではない。我ら竜人の扱う魔力操作もエルフの魔法を参考にしたとされる。始まりはあくまで純血エルフなのだ」
「へ~……」
「と、口で説明したところでお前は分かるまい。実際に体感してこい」
「……はい?」
ぼやっと感嘆の声を漏らしていたロクエルが、一瞬遅れて首を傾げる。
「あの、具体的にどういう意味で――」
「就任式前まで適当なギューフ王を捕まえて護衛しろ。相手を死なせたり城を壊すなよ」
「はいぃ!? いや、何で俺がそんなことを!? 完全に業務の範囲外でしょ!? てか護衛が護衛対象を離れてどうするーーー!!」
抗議するロクエルの首根っこをむんずと掴んだガルバラエルはそのまま無言で部屋の外に放り出すと、ロクエルが何か反論する前に扉を閉じた。防音設備バッチリの扉はロクエルの抗議を遮り、鍵も掛けて閉め出しバッチリである。
余りにスムーズな動きに皇が苦笑いでガルバラエルを指さす。
「貴様、さてはロクエルの礼節のなさを腹に据えかねていたな? 余は気にしておらぬというのに短気なやつよ」
「いえ全くそのようなことは。ただ純血エルフの魔法は見る事も稀故、後輩に経験を積ませるためにも期を逃すべからずと愚考した次第にて」
「ふ。余はあの正直さは嫌いではないのだがな?」
「甘やかすのは程々にされた方があやつの為かと」
(珍しくへそを曲げておる……ううむ、ロクエルは余の秘密恋愛相談にも乗ってくれるよき部下ではあるが、ガルバラエルには苦労もかけておる。適度に顔を立ててやった方がよいな。こやつらいまいち相性がよくない……)
今まで皇の威光で全て乗り切ってきただけに、管理職の大変さを今更になって実感する皇であった。
◆ ◇
【六将戦貴族】。
それは、ドメルニ帝国の建国に尽力した六人の英雄に由来する称号。
血統に依らぬ強さのみを以てして名乗ることを許されるそれは、帝国に対する忠誠と引き換えに通常の貴族以上の権限を握り、有事に際してはその武を振るう。
彼らには英雄に由来する聖遺物級の武装や装備が代々引き継がれており、黒薔薇のローゼンリーゼが纏うゴシックロリータドレスや日傘もその一つだ。
その力は神器級ともそれ以上とも言われており、彼女たち【六将戦貴族】がいるからこそ魔王軍は帝国を落とそうとした際に皇帝の洗脳などと言った婉曲な手段を取った。
それが、皇女アルエーニャが出品されかけた裏オークションの一件だ。
裏切り者として処断された宰相は貴族主義で【六将戦貴族】と折り合いが悪かったという隙を突かれたからこそドメルニ帝国はピンチに陥ったが、オークションと同時に行なわれた城の制圧作戦は【六将戦貴族】の協力あればこそ上手く行った側面も強い。
結果、【六将戦貴族】の権威はかつてないほど高まっている。
そう、皇帝に無断で他国の政争に参加しても咎められないほどに。
かつかつとヒールを鳴らして城内を歩くローゼンリーゼは妖艶に微笑みながら先遣隊の近衛エルフたち数名に声をかける。
「どお? 王様は何人見つかった?」
「一名捕縛。一名は城の外で交戦中ですが、我々が包囲しているため逃走の恐れはありません」
「ふぅん」
実際には苦戦を強いられているが、近衛は高いプライドと相手が余所者であるために真実を口にしなかった。ローゼンリーゼは気のない返事をしたが、それも彼ら近衛のプライドを逆撫でした。
(最長老の指示でなければ誰がこんな耳なしの堕落した下界人に敬語など……)
(我らとて好きで貴様に報告をしている訳ではないわ)
(ふん、適当に煽てて城の中を散歩させておけばいい。既に何人かのギューフ王は目撃されておる。解決は時間の問題だ)
念話でローゼンリーゼを嘲る彼らの前を通り過ぎるローゼンリーゼが無造作に傘を持ち上げ、歩きながら壁でも擦るように近衛の足に軽くぶつけていく。エルフ云々を除いても無礼な態度に彼らの溜飲が上がった、その刹那――触れられた足に激痛が走った。
「「「ギャアアアアアアアアアッ!!!!」」」
何の前触れもなく突然迸った痛みはまるで剣山が体内で爆発でもしたかのように体の芯まで重く響き、彼らはたまらずその場に倒れて激痛にのたうち回る。その絶叫を品評するようにうっとりと聞き入ったローゼンリーゼは、不意に傘の先端を床に垂直に叩き付ける。
「一応おバカな貴方たちの為に懇切丁寧に説明してあげるけど、私、貴方たちの計画が成功しようが潰れようが本当はどっちでもいいのよ? 頼んできたのは貴方たち。利益があるから受けてあげたのが私」
「ああぎ、ぎぎぎあああッ!!」
「やめ、やめて……うがぁぁぁ!!」
「いぃぃ、いぃ、いぃあああああ……ッ!!」
足を抑えて呻く近衛の一人に、ローゼンリーゼは追加で傘を叩き付けた。
近衛の目が見開き、体がびくんと跳ねる。
「ガアアアアアアアッ!! アアアアアアッッ!!?」
それは、痛みの爆発だった。
いっそ体が千切れてしまっていた方がマシに思える、神経の一本一本が丁寧なまでに引き千切られる感覚に耐えかね、その絶叫にはもはや理性が感じられない。
近衛はそれでも回復の魔法を使うが、いくら重ねがけしても痛みは一切治まることを知らない。
「立場を理解しなさい、下郎共? 貴方たちがお間抜けなのは結構だけど、真面目に働いてくれないとわざわざ時間外労働してる私がバカみたいじゃない。恥かかせないで。いい? ――返事は?」
痛みに悶える三人が涙ながらに痛みを堪えて必死で首を縦に振ると、ローゼンリーゼはにこりと笑って傘で床を軽く叩く。
すると、あれほど耐え難かった激痛が突如として治まる。
「見つけ次第即座に報告なさい。見つからないようならもっと必死に探しなさい。そんなのだから……こんなにも簡単に騙されるのよ」
言うが早いか、彼女の傘の先端が先ほどまで悶え苦しんでいた近衛の一人の心臓を刺し貫いた。
全員が突然の暴挙に絶句する中、刺し貫かれた近衛は真顔で彼女を見つめると、やがて残念そうにため息をつく。
「痛みを与える異能か、そういう能力を持つ装備ですか。他の二人に比べて痛みへの反応が一瞬遅れたときにバレたかな……」
「当然。黒薔薇のローゼンリーゼは誰よりも傷みの何たるかを知っているのだもの」
近衛の顔が剥がれ、中からギューフ7が姿を現す。
ギューフ7は寝返った近衛の魔法によってその近衛と瓜二つの姿に変身していたのだ。
そのギューフ7も既に傘で本体のイミテーションドールを貫かれ、魔力光となって端から崩れていった。
しかし、それはギューフ7も本物ではないことを意味する。
ローゼンリーゼもまた残念そうに、ほう、と悩ましげなため息をつく。
「こんな凝った隠れ方をするのはもしかしてと手加減したけど、偽物を更に変装させるなんて意表を突くことするじゃない。その綺麗な顔が真の苦痛に苛まれた時にどんな表情を見せてくれるのか……うふ、うふふ……! おっといけない、ここで趣味に走るのはエレガントさに欠けるわね」
一瞬恍惚とした笑みを浮かべたローゼンリーゼだったが、自省して城中をまた歩き出す。残された近衛達は彼女を見やり、力を失って床に横たわるイミテーションドールを見、最後に先ほどまで激痛に苛まれた足を見た。
足には傷ひとつなかったが、そこには何故か見覚えのない茨の形の痣が浮かび上がっていた。彼女の機嫌を損ねたらそこからまた逃れられない激痛が襲う気がして、彼らは恐怖に震え上がった。
◇ ◆
ギューフ4の犠牲を糧に護衛との合流を目指すギューフ5は、今一歩のところで近衛の足止めを受けていた。
「さあ、王よ。ご乱心もそこまでになさってくだされ」
「王が金の力に気付いたことは我々も驚きましたが、信頼あっての金です。以前から外貨の重要性に気付いていたダエグ殿と火遊びを覚えたての王とでは前者を選ぶが世の道理にございます」
「我々もこのようなことはしたくないのです」
「……それは私とて同じことなのだがな」
計十一名、近衛の中でも手練れ。
なんとか乗り切ろうとしたギューフ5だったが、彼らは熟練の魔法使いであり隠匿で誤魔化しきることが出来なかった。彼らは流石にギューフ5が本物かどうかまでは判別がついていないようだが、既にいつ鎮圧されてもおかしくない。
(さて、どうするか。4と7が壊れたことで多少は余剰の魔力が溜まっているが……)
特別な仕込みをして外で暴れているギューフ6を含む全てのイミテーションドールギューフには、もし使命達成前に破壊されたら籠もっていた余剰魔力を他のイミテーションドールに送り込む細工がしてある。
つまり、偽物は減れば減るだけ他の偽物の力が増す。
二人のドールが破壊されたことでギューフ5も多少は近衛に抵抗する魔力を有することになったが、それでも少しの間の時間稼ぎが精々だろう。
仲間と合流出来る見込みがない今、無駄な抵抗はせずに即座に破壊されるか自壊した方が他のドールの生存率を上げる結果になるかもしれない。
考える時間はない。
逡巡の末、ギューフ5は静かに魔力を鎮め、内に留めた。
それを鋭敏に感じ取った近衛達は抵抗の意志なしと判断し、手を翳して拘束魔法を放つ。
操られた魔力は現代魔法と異なる特殊な解を経て現実を歪曲し、その結果が顕現する――まさに、その境で。
彼らの背に、爆発的な衝撃波が殺到した。
「ガッ――!!」
凄まじい衝撃に全身を揺さぶられて11人のうち7名が吹き飛び、更に発動直前だった魔法も全て打ち消される。ほんの微細な空気の振動を事前に感じ取り、かつ廊下の端に近かった近衛達のみ無事に衝撃を切り抜け、即座に攻撃の主を断定した。
「オルセラ様……!!」
「兄上を煩わせるな、ダエグの飼い犬風情が」
誰よりも美しく、誰よりも逞しく、そして何者にも縛られることを嫌う異端の血族。そして、ダエグとギューフなら確実にギューフを選ぶと断言出来るほどのダエグ嫌い。
彼らが最も警戒すべき敵の手には、槍とも斧ともハンマーとも知れない奇異で大きな武器が握られていた。血族の中でも埒外の膂力を以て振るわれたその武器は、とうとう振った衝撃波だけで近衛を沈める域に達している。
このとき、オルセラの不意打ちを凌いだ4人の判断は迅速だった。
2人が防御に特化した障壁を何重にも貼って時間稼ぎし、残り2人がギューフ5を拘束してその場を離脱する。念話を通じた暗号一言で状況判断を終わらせた彼らのうちギューフに近い二人が風を纏ってギューフの方に跳躍する。
彼らはそのまま加速し――何もない筈の空間に突如として激突した。
「ぐはッ!?」
「な……なんだこれは!?」
彼らが激突したのは、魔力も纏わず虚空に浮かぶ二つの大盾だった。
激突したにも拘わらずその場からびくとも動かず空間に固定された盾は、最初の衝撃波に乗じて彼らの背後まで駆け抜けていたものであったことに気付く近衛はこの場にはいない。
代わりに待っていたのは、オルセラのしなやかな肉体が振りかぶる巨大な武器。
「ブチ抜けろ」
必死に防御しようとした近衛たちの風の障壁、空間膨張、樹木の壁、斥力の壁、重力の壁の五重のガードは、オルセラが次に放った武器の一振りによって一撃で粉砕され尽くし、残る4人の近衛の意識をしめやかに刈り取った。
――全ての近衛を意識不明に追いやったオルセラは武器を肩に担ぎ、後ろに控えるハジメをじろりと睨む。
「戦闘に手は貸さないんじゃなかったのか? 死神ハジメ」
「依頼主を守る為に放った盾に連中が勝手にぶつかってきただけだ」
「ふん、物は言い様だな。別に貴様がやらずとも兄上に被害が及ばぬよう計算はしていたというのに……まぁいいか」
オルセラは仏頂面でギューフ5にずかずかと大股で近づく。
「予定通り助けに来ましたよ、シュレディンガーの兄上」
「危ない所だったよ。頼りになるな、私の妹と用心棒は」
こうしてオルセラとハジメは漸く護衛の仕事を本格的に開始するのであった。




