34-7
オルセラを守って欲しい。
その言葉に、ハジメは面食らう。
短期間の間とは言え彼女の気性を知った身としては、守る対象とオルセラが容易には結びつかなかった。
「あの不良娘を? 助けたら助けたで文句を言われそうだが」
「そうやって強がって家族の為に自分が傷つくのがオルセラです。近衛はまだしも、ダエグとぶつかればあの子は勝っても負けても命の限りに戦うでしょう。本当に命を賭けかねない。だからそうなったら、貴方が力尽くであの子を保護して欲しい」
「……家族のためと言えば聞こえは良いが、この依頼、なかなかハードルが高いんじゃないか?」
ギューフは「そうですかね?」とはぐらかしたが、これは冒険者の間で「引っかけ」と呼ばれるタチの悪い仕事の出し方だ。
依頼を請けたが最後、ハジメはダエグとの決戦に至るまでずっとオルセラの身を案じるために近くにいなければならない。
そして、敵からすればオルセラもハジメも敵に見えるだろうから攻撃対象にされ、応戦せざるを得なくなってしまう。
そのリスクを敢えて黙っていることで冒険者を知らず安請け合いさせる――「引っかけ」の典型だ。
ギューフは悪びれもしない。
「でも、これなら貴方は後で責任には問われませんよ。エルヘイムはあくまでシャイナ王国の一部。ギルドのルールの適用範囲内なので、この場合は何かあっても依頼主が悪い。ちなみにこっそりギルドから書類は用意して貰っています。後は貴方のサインがあれば契約は成立です」
ハジメはギルドが可哀想になった。
恐らく王になる前に用意したものだろうが、エルヘイムの次代の王に話を持ちかけられれば如何に独立性の高いギルドと言えど怪しい依頼にもOKを出さざるを得ない。
「あんた、なかなかずる賢いな。だが、仕事をやるからには報酬が必要だ。俺を頷かせるものを用意できるのか?」
「依頼が成功した暁にはこれを正式に差し上げます」
ダエグが取り出したのは、赤と青の二色の刃がDNAのように二重螺旋を描いて先端で交差する奇妙な道具だった。
「古の血族や一部の要職にのみ所持を許された儀礼剣、ヒャズニンガヴィーグ。この剣を装備する者は精神異常への完全耐性を得ます。つまり、転生者にも洗脳されなくなる。依頼を請けて頂けるなら前金代わりにお貸しし、完遂後に正式に譲渡いたしましょう」
「――本当に?」
ハジメは思わずライアーファインドを取り出して確認してしまったが、ギューフが「偽りはありません」と言うと天秤はぴくりとも動かなかった。
「そんな装備は聞いたことがない」
「エルフの秘伝です。貴方以外の外部の人間は存在さえ知らないでしょう」
「参ったな……破格の報酬だ」
欲望と無縁の人生を送ってきたハジメを以てしても、余りにも魅力的な報酬だ。
転生特典による洗脳や幻術はこの世界において最も対策に苦慮する部分なのに、この剣一本さえあれば全ての苦労や手間から解放される。
剣と呼んでいいのか怪しく戦闘に使えなさそうな奇妙な形状を差し引いても、これほどの効果ともなると神代の遺跡でも見つかるかどうか怪しいパワーアイテムだ。
「この剣は今のままでも完全耐性を得られますが、依頼を完遂した暁にはこれを完全な状態とし、武器としても力を発揮できるようにしましょう。しかも完全になれば装備せずとも側にあるだけで耐性効果を発揮します。魔法媒体としても最上級の性能を約束しますよ」
「いいだろう。契約成立だ」
ギューフが魔法で呼び出した羽根ペンを受け取り、魔法で空中に固定された契約書にサインする。契約書はそのまま転移の魔法らしきものの中に消え、代わりに専用の鞘に収められたヒャズニンガヴィーグが差し出される。
ハジメはそれをしかと受け取り、正式に彼の依頼を請けた。
「さて、依頼主となったからには詳細を詰めよう。ダエグの取り得る手段、彼女の協力者の特徴、隠し通路の有無、より詳細なタイムスケジュール、厳密な味方の位置に、協力を得られそうな他国の要人がいないかも知りたい」
「そこまで依頼には含めてないんですけど、乗り気になっていただけてこちらも嬉しいです。しかし、協力と言っても今から味方に引き入れられますか?」
「ダエグの味方にさえならないのならばやりようはある。ダエグは金で近衛を掌握したんだろ?」
「……え、まさか?」
言わんとすることに思い当たったギューフが困惑するが、相手が有効な手段を使っているなら自分も真似れば良い。
たった今、ギューフの懐には特大の財布が転がり込んだのだから。
「エルヘイム自治区は貨幣経済がないんだったな。ということは、賄賂は合法だよな。この土地の中に限っては」
「し、しかしハジメ。なんかうきうきしてますけど、ダエグの動かせる金もかなりのものですよ……?」
「貯金自慢で負けるものかよ。俺の所持現金は1200兆Gだぞ」
「すごくたのしそうッ!!」
ここまで結構な散財をしてきたが、収入も含めると依然として貯金は減っていない。
ならば金で解決出来ることがある今こそ豪遊のチャンスである。
将来的には禁止になるかもしれないし、やれるなら合法なうちにやろう。
『汝、転生者ハジメよ……今回は私の調べ事とも関係あるので何も言いません。今回だけよ? 本当はグレーよ?』
――神曰く、賄賂は時と場合によっては有効である。
文句のつけようがない金言だ。
明日になっても覚えてたら子々孫々に語り継ごうとハジメは決めた。
『たまに思いますけど、貴方私に対してだけ結構都合の良い耳してません!?』
ハジメはこれから忙しくなるのでもう聞いていなかった。
◆ ◇
転移でしか訪れることの出来ないダエグの部屋に一人の女性が入って来る。
「失礼します、ダエグおばあさま」
「おお、良く来たな可愛いイースや。少しだけ待っておくれ」
「はい」
ダエグの優しい声に頷くき、イースと呼ばれた13、4歳ほどの少女はにこりと笑って近くのソファに行儀良く座る。内に跳ねた短い空色の髪は透明感があり落ち着いた雰囲気は荒々しいオルセラと対照的だ。
イースは血族においてはギューフに次ぐ序列二位。
王候補の世代では比較的年齢が上で、古の血族の中でも特にダエグに気に入られるほどには行儀がよかった。
外部とのやりとりのための書類を魔法で纏めたダエグが孫を可愛がるおばそのものの優しい顔でイースと対面する。常に大きな水晶に乗っているダエグに椅子などは必要ない。
「して、どうであった?」
「ギューフお兄様は部屋に籠もったフリをしています。城の外にまでは出ていないまでも、城内で何やら企み事をしておいでのようです」
「ふふ……無駄な事じゃ」
笑うダエグの表情にあるのは余裕――だけではない。
イースは目ざとくそのことに気付く。
「お兄様のこと、まだお悩みなのですか?」
「悩んでなどおらぬ。ただ惜しいだけよ。ギューフは間違いなく血族の長に立つ器。その才覚は疑うべくもない……それだけに惜しい。決断力がありすぎるのだ」
「と言いますと、やはりあのお話は……」
「いま活発に動いている以上は間違いない。どうしても儂の干渉を受けずに決定したい事があるのだ」
ダエグは小さなため息を漏らす。
二人は紙一重の存在で、しかし、その紙が余りにも根底にあるが故に相容れない。それがダエグにとって譲れないものであるが故に。
「あやつは血を見ていながら里を見ておらぬ。しかし聡い。ここが最後の潮目と分かっておる。ここで負かせば負けを認め、善き長としてあるべき道を定めるであろう」
「ですが、それではオルセラが……」
「あやつは追放する。二度とエルヘイムの地は踏ません。エルフのしきたりから解放されてあやつも本望であろう」
「身内同士で争うのは悲しいことです」
「これで最後じゃよ、イース。お前には苦労ばかりかけるが、最後まで付き合っておくれ」
ダエグは年老いた小さな体でイースを抱きしめた。
「【影騎士】の協力は取り付けた。他も少しばかりな。後は儂と近衛とイース、お前がいればよい。純血エルフを滅ぼさない為に……な」
「はい、おばあさま」
決戦は深夜。
事情を知らぬ客人が心地よく眠れるよう細工もしてある。
眠らぬのは仕掛けた側と迎撃する側、そして両者に対して無関心な側。
彼の身柄を明日の就任式である午前7時までに確保すれば、勝利は確実だった。
――それから暫くして、ギューフは近衛によって自室に戻って休憩しているのが見つかった。
近衛が「ダエグから話がある」と伝えると、ギューフは存外呆気なく頷いた。
イースはある手段によって城のどこに誰がいるのかを概ね把握している。これは本来王だけに使うことを許された機能だが、ダエグはここでギューフを抑える為に最も信頼のおけるイースに扱い方を習得させておいたのだ。
これまではまだ城の内部を不規則に動き回る人間が多かったこともあって欺瞞魔法が有効だったが、多くの人が寝静まった今ならイースも含めて純血エルフなら大体の見当くらいはつけられる。
イースは家族への愛はあるが、決してダエグを裏切りはしない。
そういう子に育て、最も上手く行った子だ。
ギューフも殆ど上手く行っていたが、彼はダエグの想定より早く成長してしまった。
オルセラは――もはや考えるのも無駄だろう。
だが、ダエグには解せないことがあった。
(儂が仕掛けてくることくらいは予想がついていた筈。先ほどまで魔法による欺瞞を用いてこそこそ動き回っていたというのに、何故素直に応じた? 何を企んでおる、ギューフ……最も優秀なる我が孫よ)
オルセラや協力に漕ぎ着けた連中と共に徹底抗戦を見せるか、徹底的に逃げ続けるか、或いは城を物理的に抜けるか、そのどれであっても対応出来るようダエグは準備していた。
それら全ての予想をギューフは裏切った。
しかし、ダエグはギューフが素直に諦めたと考えるほど楽観的ではない。
いつでも戦える準備だけはして、二人は遂に顔を合わせた。
異常な緊張感が周囲を包む。
次代の王と、王以上の実権を持つ最長老。
取り巻きの近衛も生唾を呑み込む。
「ギューフ様、夜分遅くに及びして誠に申し訳ございません。失礼ながら、明日の儀について今一度念入りに確認をすべきかと」
「構わないよ。準備をしすぎて困ることはないだろう」
牽制のような会話だが、見た目ではギューフは極めてリラックスしている。
近衛がいつでも取り押さえられる距離にいることも意に介さない。
話し合いをすると言いながらこの部屋が魔法で封鎖されたことに対しても、気付いている筈なのに何も抵抗しない。
中身のない無駄な確認事項に、ギューフは律儀に応じた。
(なにをしておるのだ、ギューフは。もはや手っ取り早く取り押さえるか? 【影騎士】が一人、【六将戦貴族】が一人、奥に控えておる。儂も加えれば如何にギューフとてひとたまりもない……)
イースに魔法で連絡を取るが、オルセラは動く気配がまるでないという。
ギューフが何かを吹き込んだと思われる客人も、一部は堂々と寝ていたりと動く気配がないようだった。
ギューフの真意が読めないまま、深夜1時を回る。
(おかしい……時間がかかるほど包囲網や脱出封じの魔法の設置は進む。迎撃態勢も整う。なのにこちらの時間稼ぎに付き合う理由は、理由……まさか!?)
もしも、ダエグの時間稼ぎがギューフにとっても都合のよいものだったとすれば。
ダエグは全集中力を注ぎ込んでギューフの魔力を探った。
果たして、ダエグの予想は的中した。
「これはしたり……!!」
ダエグがテーブルを叩いたと同時、テーブルから樹木が生えてギューフの土手っ腹を突き上げる。同じ血族とは言え王に対して許されざる蛮行――しかし、樹木によって天井まで叩き付けられたギューフはまるで堪えないとばかりにけろりとした表情だった。
「突然これはひどいんじゃないかな、ダエグ」
「黙れ、人形風情が!! 貴様、イミテーションドールだろうッ!!」
本人であるかのように振る舞う身代わり人形。
ダエグたちはずっと偽物をそれと気付かず会話していたのだ。
「人形だったとしても、この振る舞いは本物のギューフの代弁だよ。それにしても思っていた以上に上手く誤魔化せたな――」
ばきばきと音を立ててギューフだと思っていたものが罅割れ、ぱりん、と、虚像が弾ける。弾けた魔力光の中から床に力なく落ちたのはエルフの呪いがびっしり刻まれた貌のない人形だった。
ダエグが他国の要人に散々売りつけたそれが、ダエグの目を欺いた。
直後、イースが魔法で慌てた声をあげて報告する。
『おばあさま! お兄様の部屋から、突然お兄様が9人も! これもイミテーションドールなのですか!? それぞれ別々の方向に去ってゆきます!』
「莫迦な! 儂が卸しておるイミテーションドールを何故ギューフ王が持っておる!? そも、何故部屋に! ずっと部屋に潜伏していたとでも!? 幾らギューフの腕前でも近衛が気付かぬ筈が――ちい、そういうことかッ!!」
ダエグが印を結んだ瞬間、部屋の隅にあった観葉植物が変形してギューフをここまで連れてきた近衛二人を拘束した。彼女は二人の近衛の魔力が不自然に揺らいだことに目ざとく気付いたのだ。
「貴様等、分かっていて見逃したな!? ギューフ王に誑かされたか!!」
「い、異な事をおっしゃる……わ、我らの王はギューフ王……勅を遂行することに、何ら問題はありませんな……」
「くく……左様、左様。ダエグ殿は……横暴が過ぎるのでは?」
二人の近衛は欲を隠せない下卑た笑みを浮かべる。
その目は、ダエグが金で与えた外の品を受け取った時と同じものだった。
(おのれ、金で抱き込んだ者は金で寝返るということか!! しかしギューフ王はGなど持っては……いや、まさか、あの『死神』とかいう耳なしと長く話し込んでいたあの時に……!?)
拘束された近衛たちは更に周りの近衛に言い聞かせるように声高らかに叫ぶ。
「我らが王はダエグ殿より羽振りがよく、そして入念に準備をしていらっしゃる!」
「皆の者、ここで王に背けば新たなる時代に乗り遅れることに――」
「図に乗るなよ……小童どもがぁぁッッ!!!」
「「ぐっ、あ、グギャアアアアアアアアアッ!?」」
ダエグの怒声と共に放たれた圧倒的魔力に呼応して植物が捕らえたものを潰し兼ねないほどギリギリと締め付け、二人の近衛は苦痛に耐えかねて身の毛もよだつ絶叫と共に藻掻き苦しむ。
ベキベキ、ぶちぶちと耳を覆いたくなる音が響き、やがて二人が窒息しようかというところで部屋の奥の扉が開く。
「おいおい、下っ端ばっかりあんま虐めるんも可哀想やで? 一応スジは通っとるみたいやしなぁ」
「オシオキは嫌いじゃないけどねぇ。加減を間違えて壊してるようじゃまだまだ未熟よ?」
【影騎士】、天衣無縫のコムラ。
【六将戦貴族】、黒薔薇のローゼンリーゼ。
方やシャイナ王国、方や個人的に交渉して援軍に漕ぎ着けた、ダエグの目をしても大した戦力たちだ。
二人が顎で差す先には、同僚が絶命しようかという瞬間を青ざめた表情で見つめる怯えきった近衛たちの姿があった。
年齢的には小娘と呼んで差し支えない連中の助言に従うのも癪だが、幾ら裏切ったとはいえ近衛を独断で死なせれば流石に誤魔化せない問題となると
「……ええい!!」
やむなしと判断したダエグは、湧き上がる憤怒を精一杯に押さえつけて二人の手足と口のみ拘束した状態で解放した。虫の息で転がる二人に死なない程度の回復魔法をかけると、周囲を睨み付ける。
「裏切った者に罰を与えるのは純血エルフの未来の為!! 若きギューフ王の早まった未来に惑わされるでない!! 友を、家族を、エルヘイムを真に守るは我らの理ぞ!! 増えた王を一人残らず捕らえて参れぃ!!」
「「「は、ははぁッ!!」」」
慌てて近衛たちが部屋を出ると、コムラが体をほぐすように軽くストレッチを始め、ローゼンリーゼは紅紫色のツインテールとゴシックロリータドレスを揺らして歩き出す。
「私たちも行きましょ? お仕事しないと話に乗った意味がなくなるわ」
「せやな。せっかくや、捕まえた王の数で競争する?」
「初対面の人間が持ちかけた不確かな勝負に賭けるのは趣味じゃないかな。どうせ殆ど人形なんだし」
「さいでっか。ほんじゃま、そういうわけで。ダエグはんは予定通りもう一人を連れてどっしり構えとけばええんちゃいます?」
「言われずとも先刻承知よ! そなた等こそ、下手を打てば得る物なしと心得よ!! ……くっ、この儂が謀られるか……やはり惜しい孫ぞ、ギューフ!!」
――理想と実利、知略と謀略が交錯する二人のエルフの未来を賭けた戦いは、ギューフが初戦を制する形で幕を開けた。
エルヘイムで一番長い夜は、もう始まっている。




