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果たして、定刻より少し遅れて村の入り口に当たる道――地下通路の出入り口から村へ繋がる道路――に突如として不自然な風が舞う。
風は周囲の小石や落ち葉、木の枝や土を巻き上げて地面に一つの魔法陣を形成し、陣を魔力が満たした。
魔力の中から転移の光が漏れ、そこから一人のエルフが姿を現す。
灰赤紫色の長い御髪を凝った編み込みで纏めた女性は、フェオより少し年上に見えるがその顔立ちにあどけなさは一切感じられず、冷静を通り越して感情の機微が感じられない翡翠色の瞳をこちらに向ける。
風通しの良さそうな上質な布を重ねて作られた衣服のあちこちに遇われたアクセサリからはフレイやフレイヤが使役する魔法や道具に似た意匠が感じられ、それらが複合して一つの調和したデザインを齎していた。
やがて、若く厳かな声が響く。
「我が名はオルセラ。古の血族に名を連ねる者。兄上からそちらの案内の勅を賜ったが故に下界に舞い降りた」
いきなり自治区の重鎮と言って差し支えない大物の登場に、フェオは口から漏れかけた悲鳴をかみ殺した。
(いきなり古の血に連なるエルフ……!!)
この時点でコモレビ村の客が国賓に匹敵するレベルで扱われていることを悟り、フェオは生唾を飲みそうになる。
しかし、今はこの団体の代表はあくまでもフェオ。
他の誰よりも先にフェオが前に出なければならない。
こんなことまでいちいちハジメに背を押して貰うほど弱くはいられないと、彼女はうやうやしくお辞儀をした。
「コモレビ村の村長を務めるフェオと申します。お会いできて光栄にございます。僭越ながらオルセラ様とお呼びしても?」
「構わぬ」
「お時間になってもいらっしゃらないので、すわ問題発生かとご心配致しましたが――」
「世辞は結構。転移の術を使う故、全員その場を動くな」
フェオの話は即座に断ち切られた。
というより、オルセラには会話する気が余りないように感じる。
歩み寄るための言葉を拒絶されるのは良い気分ではないが、ギューフ新王がわざわざ遣いに送り出したのにこの反応は、ホストとしてちぐはぐな感じがした。
(何考えてるんだろう、この人。初対面のハジメさんみたいに暫く一緒にいれば何か分かるのかなぁ)
違和感の正体が分からないまま、フェオたちはエルフの特別な転移魔法でその場から姿を消した。
◇ ◆
これまでハジメは様々な場所に足を運んできた。
海、砂漠、火山、そして大都市たち。
人の行き来が盛んでとにかく広い城下町が広がるシャイナ王国の王都グランベルン。
全てにおいて豪華絢爛で圧倒的建築力を見せつけるバランギア竜皇国の皇都バランシュネイル。
生活感を排除した独特の空気が漂う魔法学術都市リ=ティリ。
今の技術では再現不能で摩訶不思議な白い世界、天使の里。
それと比較して、神秘の里エルヘイム自治区はというと――。
(しょぼい)
端的であんまりな一言。
それが、ハジメが抱いた第一の感想だった。
古の血族であるオルセラの手前、口に出すことはなかったが、ちらりとフェオの方を見ると表情に「思ってたのと違う」という困惑がありありと浮かんでいた。
いや、見栄えを考えなければなかなか個性的だとは思う。
石を基調に木を用いた建築は恐らく錬金術の類を用いて行なわれており、家の周りには外ではあまり見慣れない木々が生えている。エルフ達はそこから水や樹液――恐らくはメープルシロップのようなもの――、時に葉を頂いて生活の糧にしているようだ。
が、家が全体的に小さいため、道は綺麗に慣らしてあるだけで石畳すらなく、辺境の村がそのまんま拡大されたようなある意味見たことのない奇妙な風景を作り上げている。
しかも土地が整備もされていないせいか、大通り以外はまばらに建物が配置されていて見栄えというものがない。
見渡してみるといくつかエルフにとって重要であろう目立つ施設もあるようだが、全部ツルやコケが生しており人工物の部分が少なく、華やかさも感じられない緑と茶色の塊だ。
住んでいる純血エルフたちはというと、雰囲気はリ=ティリの他者への興味のなさに似てはいるが、差別意識がより露骨でハジメたちが通りかかっただけで汚いものでも見るように口元を布で覆って胡乱な視線を何の躊躇いもなく投げかけてくる。
悪口に関してはもうヒソヒソなんてレベルではなく日常会話ボリュームで堂々と聞こえてくる始末だ。
「下界の者がまたぞろぞろとやってきたぞ」
「耳なしに……はぐれか。おいたわしやオルセラ様。あのような輩も案内せねばならぬとは」
「なんと太ったエルフだ。高貴なオルセラ様に比べて見るに耐えん」
「エルヘイム自治区にエルヘイムの流儀を無視して足を踏み入れる輩を寛大な心で許す古の血族の器の大きさを、連中は所詮理解できまいな」
「ママぁ、あのおっきいトカゲはなにぃ?」
「野蛮な竜人族の哀れみで生きる事を許されている蛮族よ。見なさい、エルフに生まれなかった者の瞳は妬みに満ちている。あんな蜥蜴に興味など持つものではないわ」
「ふーん、なんでエルフに生まれなかったんだろ。かわいそー」
仮にも王が招いた客人に対してこの言いよう。
この里の民度やばいな、とハジメは思った。
情操教育とかそういうものはないのだろうか。
それとも教育の内容が純血エルフ内で完結しているのだろうか。
今のところ、剥き出しの選民意識の塊という印象しかない。
(もしかしてギューフ新王はエルヘイムの良心の塊なのではないだろうか……)
内心までは窺い知れないギューフだったが、少なくとも外の世界で態度を取り繕う必要があるくらいの認識を持てている時点で彼らより遙かに常識的である。招待状の文脈もバランギアの件で送られてきたものと違ってシャイナ王国の礼節に則ったものだった。
ハジメはもう一つ気にかかったことがあった。
(彼らは健康体ではあるようだが……なんだ、これは? フェオだって体型は細い方なのに、そのフェオを太っていると称するのもわかるほどに誰も彼もが細い……)
オルセラはすらりとした体型ではあるが女性的な肉付きがあって健康的だ。
一方、里で暮らす一般純血エルフたちは美形寄りではあるものの全体的に所謂もやし体型が多かった。
肌色を見るに健康状態に問題はないようなので、不思議に思う。
(宗教的理由で食生活が太りづらいのか、太ることが外以上に不徳扱いなのか、何か痩せる理由がありそうだが……)
フレイも、フレイヤも、以前に出会った純血エルフのイングも人並みに肉付きがあったし、それ以前にハジメが仕事で出会った純血エルフたちも常識の範囲内での細身、ないし普通だったのを考えるとエルヘイム固有の事情があるのかもしれない。
緑とコケまみれの貧相な土地にまばらに住む貧相な体型のエルフ達。
ハジメは出発前にオロチとアマリリスが気まずそうにしていた理由に思い当たる。
恐らくオロチは仕事でここに足を踏み入れたことがあり、アマリリスは社交界でエルヘイムの実情について耳にする機会があったのだろう。
彼らはここがフェオ達の期待に添える場所ではないのを知っていたのだ。
フェオは特に気まずいだろうなと思う。
オルセラは一体どういう感情で自分たちを案内しているのかを考えると余計に気まずい筈だ。
歩き始めて一分経つかどうかというところで、オルセラが立ち止まる。
「兄上には客人にエルヘイム自治区の様子を少し見せてから来るよう仰せつかっている。もう様子は充分眼に刻めたことだろう。これより居城へと場所を移す」
(ああ、そういう意図で歩かせていたのか……)
王族の居城らしき場所は既に遠目に見えていたので転移出来る割には随分歩かせるなと思っていたが、どうやら意図してあの差別意識丸出しエルフたちを見せていたらしい。
再びオルセラが魔法を発動させる。
彼女の魔法の動作をつぶさに見つめていると、オルセラが鋭い目をハジメの方に向けた。
「なんだ、その視線は」
「使っている魔法が気になって勝手ながら見させて貰っている」
「下界のヒューマンの参考になるものなどないと思うが?」
「そうでもない。魔力の動きや動作を見るに、古代魔法を独自に発展させたものに思える」
ハジメの分析結果に、フェオが納得したように頷いた。
「ああ、確かにそうですね。現代魔法とは効率化のアプローチが違うんじゃないかなという気がしました。先ほど純血エルフたちが杖もなしに不思議な魔法を使っているのをちらりと見かけたんですが、半分は媒介形式、もう半分はなにか純血エルフ特有の感覚か能力によって術を構築していると仮定すると説明がつきそうというか……」
二人と認定魔道士試験を機に魔法に対する興味が深まったことで純血エルフの特異な魔法についてある程度推測が出来る程度の知識が身についていた。
オルセラは二人の推察に微かに意外そうな目をしたが、それも一瞬ですぐに熱のない瞳に戻る。
「この力は純血エルフだからこそ行使出来る力。真似ることは出来ぬ」
「真似はできなくとも何らかの参考にはなるかもしれません」
「無駄な努力だな。その道の果てに待つのは、貴殿等には行使できないという結論のみである」
フェオはそれに反論しなかったが、ハジメは彼女が「これ以上は言っても無駄そう」という諦観で言葉を引っ込めたように思った。
参考になるかも知れないという話と純血エルフにしか行使出来ないという話は、よく聞くとまるで噛み合っていない。前者は未知の何かを得るヒントの話をしているのに、後者は自分の価値観が結論だと言い張っており、物事を考える基準点から既にずれている。
オルセラは人のことを無駄だと言うが、こちらから見るとその返し自体が見当外れで無駄なもの。この時点で彼女も仮にも客人であるこちらを相応に下の存在だと考えていることが見て取れた。
こうして、フェオ達一行は漸く城に辿り着いたのだが――そこに待っていたのは純血エルフ以上に最悪の出会いだった。
「あら、フェオ様にハジメ様、ご機嫌うるわしゅう! お久しぶりです、ルシュリアにございます!」
まるで転移のタイミングを見計らったかのように美しいドレス姿で待っていたルシュリアは駆け足でハジメに抱きつこうとして、神速のステップで割って入ったフェオに「ご機嫌麗しゅう、ルシュリア王女殿下!」と笑顔の正妻ブロックでレジストされた。過去一のキレあるアシストである。
「ぶう。たまにはよいではありませんか」
「なにがぶうだ気色の悪い」
「まぁ、ハジメったらそんなつっけんどんな! 仮にも王女に気色悪いだなんてぇ、本当はもっと過激なことを言いたいくせに人目を気にしていらっしゃるのね! 素直じゃないところも愛いですわっ♪」
「……」
心の防衛機構が働いて吐き気を回避するために感情が無になったハジメであった。
オルセラが純粋に反応に困っているが、それに関しても無だ。
そういえば就任式典にシャイナ王国の王族がいないのは変な話であり、そしてこの女が式典に来ないとは一言も聞いていなかった。ルシュリアの隣に控えているリサーリが小声で「俺も聞かされてなかったんだ、許してくれ……」と顔面蒼白で呟いていた。
……ルシュリアという予期せぬ妨害のせいで後回しになったが、幾らエルヘイム自治区が貧相とはいえ古の血族の居城ともなると流石に別格だった。
エルフらしく緑が多いのは変わらないが、本来は人間の都合で生えそろわない筈の植物たちが城に従いデザインの一部と化しているかのように、蔓や葉、花が城の一部と融合している。城自体も貴族の居城と違い神殿をベースにしてると思われる部分が散見され、古の神殿を改築して今の形になっていることが窺い知れた。
フェオもこれには流石に圧倒されたのか、意匠の一つたりとも見逃すまいと視線をめぐらる。
「まるで生きた城……私の目指すものとは違いますけど、でも……見られてよかったです」
「後で見る機会もあるだろうからほどほどにな」
「フェオ様は勉強熱心でいらっしゃいますのね」
「お前は呼んでない」
しれっと会話に加わろうとするルシュリアを冷たく突き放すが、その程度で止まる筈もないのでそこは半ば諦めているハジメは、仕方なく、本当は嫌だが仕方なく話題を振る。
「見覚えのない護衛を連れているな」
悪魔のリサーリと鉄仮面のシンクレアは顔見知りだが、一緒にいるマンダリンドレスの長身女性は見たことがない。深緑色の長髪をお団子ヘアで纏めた女性は先ほどからのハジメの無礼が見えていないかのようにニッコリ笑う。
「ニーハオ! ワタシ、ジャンウー言うアルよ! コレカラヨロシクネ!」
よく分からないがヤバイ奴だなとハジメは思った。
アマリリスが口元を押さえてドン引きする。
「今日日マンガでも見ないほどのコッテコテ似非中国人……きっと若い子は何言ってるか分からないわ!」
「そんなことないアル! いつの時代もこういうのがツボに刺さる人がいるハズアル!」
「そういう言い方してる時点でキャラ作りじゃん!? あー……ちなみにハジメはこういう喋り方ってどう?」
「どうも何も、中国人も似非中国人も見かける機会がなかったから奇天烈な奴がきたなとしか」
「グハァッ、馬鹿なぁ! チャイナっ娘が共通認識の中にすら存在しないなんてぇ……!」
ジャンウーが勝手に精神ダメージを負って床に崩れ落ちる。
黙っていれば大人びた雰囲気のある美人なのに中身がブンゴやショージと同タイプだ。それはそれとして、ジャンウーの名前には聞き覚えがある。
「ジャンウー……元ベテランクラス冒険者で、アデプトへのスカウトが検討されてるなんて噂が出た頃に突然冒険者を辞めたという」
「そのジャンウーアル!」
「その語尾のアルっていうのはどういう意味なんだ?」
「えっ意味……? し、諸説あるアル」
「あるある???」
「……もういいです。こんな辱めもう耐えられないッ!」
ハジメ、初対面の女性を辱めてしまう。
ジャンウーは疲れ果てたように項垂れるが、大きく息を吸い込むとまた笑顔に戻った。
「まぁ、逆に気兼ねなくできると思って貴方とは普通に話すね。よろしく!」
差し出された手を握ると、その流れでジャンウーはハグしてきた。
友好を示す態度としておかしくはない軽度のハグだが、その際に彼女が耳元で囁く。
(ルシュリアの世話が焼ける黒い性根は知ってるから、私には遠慮いらないよ)
(そうか。気が楽になった)
どうやらルシュリアに心酔して従っている訳ではなく、むしろその性根を心配して世話を焼くつもりで彼女の配下に加わっているらしい。彼女もそのことは承知の上だろう。ハグを終えて戻ると同時にフェオにお尻を抓られた。可愛い嫉妬である。
「ところで、ルシュリアがいるということは国王陛下もいらっしゃっているのか?」
ハジメを嫌う困った国王がいるとやや面倒になるという憂慮は、ルシュリアの口から否定される。
「父上は健康問題から近々退位を考えておいでですので、今回は宰相と王位継承権第一位のエーリッヒ兄上が代理でお見えになられております」
「エーリッヒ王子か……」
名前と顔くらいは見たことがあるが、どんな人物なのかは余り知らない。
ハジメ以外も似たり寄ったりなようだが、アマリリスは違った。
「エーリッヒ王子かぁ……あの人かぁ……」
「なにか知っているのか?」
「え、うん。なんていうかな。ある意味最も王族らしい王族というか、なんというか――」
「アマリリス様のお口からは言いづらいと思いますのでわたくしから申し上げると、父上の愛を注がれて温室で何一つ不自由なく育った、王族きっての盆暗お坊ちゃまです」
「あぁ……」
人を見る目だけは無駄にあるルシュリアが盆暗だと言うなら、本当に盆暗なのだろう。
どうやらシャイナ王国の危難は何も今回の自治区での出来事だけではなかったらしい。しかも、アマリリスがその認識を持っているということは――。
(未来の記憶に出てきたのか、エーリッヒは?)
(まぁ、ちょっと。私の知る未来ではこの時期まだ即位の話まではなかった筈だけど、でもなんというか……脳天気なのよね)
(脳天気な王……ということは)
(脳天気なのに無駄に善意があるから見当外れなことをゴリ押しして周囲を困らせてるのに本人は「いいことしたー」って実行した事実のみで満足してるタイプ。記憶の最後の方では確か【偽善王】って言われてたっけ)
(俺たちはその王の統治する国の国民なんだぞ。勘弁してくれ……)
何故かまだ来てもいない筈の未来が閉塞していく。
しかし、場の空気は新たな風によって吹き飛ばされる。
「――ああ、ここにいらしたのですね」
エルヘイム自治区の善玉菌、ギューフ新王直々の登場である。




