8-1 転生おじさん、残念系単眼娘に出会う
照りつける太陽、潮の香り、波に揺れる旅路。
この日、ハジメとフェオは船に乗って海に出ていた。
「付き合わせちゃってすみません。どうしても欲しくて……」
「構わない」
素っ気ない言葉だが、フェオは彼がそういう言い方しか出来ない男だと知っているため、不満はない。
今回、フェオは自分の村を発展させる為にどうしても欲しいアイテムを手に入れる為に、ハジメに助力を頼んでいた。最近はクオンもかなり自発的に村の生活に協力するようになったので、ハジメからすれば久方ぶりの遠出だ。
ハジメとの出会い以来の二人での冒険。
最初、二度と一緒に仕事など受けまいと思っていた相手が、今ではこれほど近くに感じられるのがフェオには不思議だった。
しかしそこはぼっち歴=年齢のハジメ。
ロマンスをぶち壊す要素も平然と持ち込んでいる。
「今回の話は、こちらとしてもなかなかの散財になった」
「そりゃそうでしょうね……わたし定期便で行く予定だったのに、まさか大枚はたいてこんなものまで用意するなんて……」
呆れたフェオは自らが乗る大きくて豪華な船を眺め、そして帆船の要である巨大なマストを見上げた。そこには『ゼニトリオン商会』の文字とカモメが金貨を抱えるようなエムブレムが堂々と風に揺られていた。
「こんな巨大な船を冒険者二人の為に貸し切りだなんて、何をどうすればそんな発想に至るんですか……」
頭を抱えるフェオは、何故こうなったのか過去を回想した。
フェオの目的は、ずばり『レヴィアタンの瞳』と呼ばれる宝玉だ。
この宝玉は今現在、大陸より南にぽつんと存在する『ビスカ島』と呼ばれる島でしか発見されていない天然のマジックアイテムで、なんとその宝玉からは絶え間なく綺麗な真水が湧き出るのだという。
とある冒険者が奇跡的にそれを発見したものの、水を抑える方法がないため持ち帰ることを断念した幻の宝玉は、冒険を愛する者たちなら誰もが手にしたい激レアアイテムだ。
フェオはこの『レヴィアタンの瞳』を持ち帰ろうと計画しており、もし成功すれば冒険者として初の快挙となる。しかしフェオはそんな名誉にはさほど興味がないし、持ち帰ったアイテムを売ったり鑑賞する気もない。
彼女は、絶え間なく水が出るアイテムならば村の水源の一つに出来ると考えたのだ。
木の上の家は良いものだったが、場所が場所だけにどうしても水を得るために下に降りる必要がある。しかし『レヴィアタンの瞳』があれば大規模な水の組み上げ設備なくツリーハウスに水を引くことが出来るのでは、と彼女は思い至ったのだ。
一見するとかなり無謀な作戦に思えるが、彼女は本気だ。
戦いに関しては流石にハジメの力を借りようと思っていたが、レヴィアタンの瞳を安全に保存するためのアイテムはちゃんと手に入れることが出来た。話を聞きつけたライカゲが用意してくれたのだ。
『この村は住みよい村だ。その礼だと思うがよい』
ライカゲに貰ったそれは、名を『封縛の巻物』という。
この巻物に描かれた水墨画は魔術で構成された特殊な拡張空間に繋がっているらしく、この巻物の世界に閉じ込められると人であれ物であれ魔力を封じられ、出られなくなってしまう封じ込めアイテムだそうだ。
絶え間なく水の湧き出る『レヴィアタンの瞳』であろうとこの巻物に収めれば持ち帰ることが可能となり、これによってフェオの計画は一気に現実味を帯びた。
……問題はその後、船の手配をハジメに頼んだ辺りからだ。
現在ビスカ島は誰の領土でもない場所であり、そこでは大陸からやってきた開拓者が作った開拓地が存在する。冒険者はこの開拓地を起点にビスカ島を探索するわけなのでフェオもそれに倣うことにしたものの、そもそも陸の仕事しかしてこなかった彼女は海を往く船に乗ったことがない。
するとハジメが今回は自分が手配すると言い出したので、彼女は特に疑うこともなく任せた。今になって思えば、これがハジメの罠だった。いや、誰も嵌められてないのだが。
翌日、港にはどういうわけかハジメに貸切られた大型輸送船が用意されていた。しかも王国最大の貿易商会として名高い『ゼニトリオン商会』の最新船を、貸し切りでだ。
「船代の調達に4000万Gって……定期便ならその千分の一以下の値段で行ける筈だったのに……しかもわざわざハジメさんが調達した膨大な開拓地への補給物資入りって……」
「うむ、ざっと30億は飛ばすことが出来た」
「そこはかとなく満足そうっ!!」
久方ぶりに億レベルの散財が出来てむふーとやり遂げたような顔をするハジメに、やはりフェオとしてはツッコミを入れてしまうのである。
しかし、ビスカ島開拓地は有志が集まって出来た場所であり、碌にスポンサーがいないので思うような開拓が進んでいないらしい。どこからかそれを聞きつけたハジメは船を貸し切り、補給物資をたんまり積んで彼らにプレゼントしようと計画したのである。
善意はいいが、余りにも常軌を逸した規模のプレゼントにフェオは相手方に訝かしがられないか不安を抱える。
「いきなりこんな量をタダで送りつけるなんて……募金とかはしないって言ってませんでしたっけ?」
「募金じゃない、先行投資だ。ビスカ島はまだ未知のエリアが沢山あるそうだし、開拓が進めば探索もより捗るようになる。それに、恩を売っておけば彼らから相応に便宜を図ってもらえるかもしれん。レヴィアタンの瞳の情報なんかは特にな」
彼の言葉に、そこまで予見していたのかとフェオは舌を巻く。流石は長く冒険者をやっているだけのことはあるようだ。
……あるようだが。
「さも私のためみたいな言い方ですけど、実際には散財したかっただけですよね?」
「俺もきみも彼らも、みんな目的に近づくんだから誰も損しなくて幸せじゃないか」
「まぁそうですけど……そうですね。実際この船も定期船を置き去りにして進んでる上に結構快適ですし」
相変わらず頭のネジがスプラッシュしてるハジメの行動だが、支払った金銭を除けば割と最短のルートを突っ走っているのは事実だ。
ゼニトリオン商会の最新の船は定期船の二倍以上の速度で航行しているので早く目的地に着くし、客室もなかなか居心地のいい部屋が宛がわれている。物資を渡すことで開拓地側が便宜を図ってくれるかもしれないのも本当だ。
改めて考えると、予算から目を逸らせばいいことづくめに思えてくることにフェオは気付く。
「お金に物を言わせたパワープレイで最短の道を開く、かぁ……時と場合によっては有用な手段なんですね」
「そうだ。世の中の半分くらいの不満は金で解消することが出来る。尤も俺は世界に対する不満が薄かったせいか金に塗れているが。たまには振り払わせてくれ」
「……ふふっ」
「今の、なにか面白かったか?」
「いえ、最初に会った頃のハジメさん、そんな軽口みたいなこと一切言ってなかったなぁって思うとおかしくて」
「確かに。馴れ馴れしかったか?」
言われて初めて気づいたような少し抜けているハジメを見て、フェオはハジメの心の中にいる自分の割合が大きくなった気がして少し嬉しくなった。
「いんですよ、もっと馴れ馴れしくても。なにせ私、お隣さんですから!」
「確かにそうだが、そこまで強調することか?」
「そりゃそうですよ。お隣さんですし!」
「最近の若者の流行か何かか……?」
ハジメはきっと、自分で思っているほど空っぽな人間じゃない。
本人は世界にとって正しいことをするとか面倒ごとを避けるとか理屈っぽいことばかりを言っているが、散財関連で垣間見せる感情や幽霊の行く末を案じる思考は、感情のない人間には抱くことが出来ないものだ。
きっとハジメの感情は周囲の人間が見せるそれに比べてひどく希薄なだけで、きちんと彼の心の中に存在している。それを少しだけ読み取れるようになったことが、フェオががハジメの隣人になれた証のように思える。
――と、ハジメが不意に杖を取り出して海に向け、魔法を発動させた。
「トルピード」
瞬間、マグマを流線形に変形させたような熱の塊が出現し、螺旋のような風を纏って海に射出された。全く見たことのない魔法にフェオは目を白黒させる。
「な、なんですかその魔法!? というか何故急に魔法を!?」
「大型水棲魔物らしき反応があったから、水中の敵に対して有効な魔法を使った。トルピードは炎の爆発魔法を風で包んで発射する追尾弾の魔法だ。水中の敵に火属性魔法を当てる為に開発された」
淡々と説明するハジメの視線の向こうで、ドウッ!! と巨大な水柱が上がり、クラーケンらしき魔物の肉片が天高く打ち上げられる。商船の人々がざわめくが、事の成り行きを横で見ていた見張りが「問題なし」と告げると騒ぎは収まった。
「……発射前に一言かけるべきだったな」
(どんなにいい人だとしても、やっぱり根本的に空気が読めないのがなぁ)
願わくばその絶妙に残念な部分を修正して欲しいフェオであった。
◇ ◆
商船まるまる一つを使って補給物資を届けたハジメたちに、ビスカ島開拓地の反応は上々だった。開拓用の物資もウケはよかったのだが、意外にも最も人気を集めたのは娯楽品や奢侈品の類だった。
基本的に開拓と冒険に時間を費やす開拓地では楽しみというものが少ないらしく、大陸のお酒やアクセサリ、インテリアや本などにはすぐに人が群がる結果になった。
また、開拓地にはエルフがいなかったためにフェオは注目の的になり、主に男性たち宿から情報まで沢山のサービスを受けた。満面の笑みで手を振る開拓者の男達にフェオが控えめに手を振り返すと、それだけでどっと盛り上がっていた。
「アイドルだな、フェオ」
「からかわないでくださいよぉ……」
地元では人当たりの良さから周囲には好かれる方だったフェオだが、ここまで熱烈な反応をされると流石に恥ずかしいものがあった。
そして翌日、遂にビスカ島で「レヴィアタンの瞳」を手に入れる為の探検が始まった。
「張り切っていきましょう!」
「おー!」
「ほどほどでいいだろう。最初から気合を入れると後で失速するぞ」
――さて、皆さんお気づきだろうか。
二人だったはずのメンバーが、いつの間にか三人に増えていることを。
フェオ、ハジメに加えてもう一人追加されているのは、棍棒を背負ったフェオと同年齢ほどの少女だ。胸は平坦気味で灰のような鼠色の髪を短く切り揃えたその少女には、一際目を引く部分がある。それは、彼女の眼球が一つしかなく、しかもとても大きいことだ。
少女は、モノアイマンと呼ばれる単眼の人種だった。
彼女は勢いよくフェオに返事をしたはいいものの、すぐに引っ込み思案な態度に代わる。
「あ、ごめ……私みたいなネクラでどんくさい女に同意されたって不愉快だよねそんなことも察せなくてごめんねごめんねごめんなさい!」
「いやいや、どうせハジメさんは乗ってくれないから乗ってくれて嬉しかったよ、サンドラちゃん」
バック走で世界一を取れそうなほど後ろ向きな少女、サンドラは「……ほんと?」と目をぐしぐし擦りながら確認を取る。フェオがうんうんと頷くと、やっとサンドラはほっとしたように微笑む。
「よかったぁ……もしこれで空気を読み間違っていたら指の一本くらい潰してお詫びしなきゃならなかったところだよ」
(そんなお詫び誰も求めてないよ……)
「そんなお詫びをフェオは求めないと思うが」
「ひぃぃぃぃぃ!! 私また何か空気を読み間違えましたかぁぁぁぁ!?」
「はっ、ハジメさん!!」
「事実だろう。目の前で己の指を潰し始める女など、謝罪どころか相手に恐怖を与えるだけだ」
ハジメからすれば思ったことを言っただけだが、フェオから見ればそこはぐっと堪えて言わないであげて欲しかった所だ。案の定、サンドラはショックを受けて泣き出した。
「ウワァァァァァンやっぱり間違えたぁぁぁぁぁぁ!! 今すぐ首を撥ねて死にますッ!!」
「だからやめろと言っている」
埒が明かないため聖水を頭からぶっかけると、聖なる力でやっとサンドラは落ち着きを取り戻す。
だが、この情緒では一時的な効果にしかならなそうだ。
サンドラは先ほど偶然にも出会った冒険者で、この島にはフェオと同じく「レヴィアタンの瞳」を手に入れる為に訪れている。
実際には他にも同じ目的を持つ冒険者たちと行動を共にしていたそうだが、足手纏いだと途中で置いていかれて途方に暮れていたのを哀れんでフェオが声をかけた。こうして生まれたのがこの即席チームだ。
(野営を終えて目を覚ましたらパーティがいなくなって置き手紙が残されていたというのは、気付かないサンドラもなかなかの図太さだが……よほどすやすや眠っていたのだろう)
ただ図太いだけならまだいいが、このサンドラ、見ての通り精神的にとんでもなく不安定である。
「私の為に貴重な聖水を消費させてしまって本当にごめんなさいすいませんもう両手両足を縛って錘を抱えて海に身投げしま――」
「ねっ、ねぇサンドラちゃんって私たちより先にここの探索に挑んでるんだよねっ! どんな魔物がいるか教えてくれる!?」
「え? ええとですね……」
冒険者御用達のメモ帳を取り出したサンドラを見てフェオはほっと溜息をついている。どうやらうまく話を逸らせたようだ。
(これは困りものだな……)
面倒なことになった、と、ハジメは内心で思う。
モノアイマンは外見的に人類の中でもかなり異質な種族だ。生活様式等は人間とそう変わらないのだが、一つ目という奇異な出で立ちを嫌う人間もおり、その差別はオーク以上のものがある。
この反応から察するに、彼女の人生は明るくはなかったようだ。
何故彼女が置いていかれたのか、ハジメは経験則からその理由をなんとなく予想して嫌な予感がしていた。
「ねぇサンドラちゃん、なんだか海に生息する魔物が多い気がするんだけど……」
「実はこの島は珊瑚礁が隆起してできた島って言われてるんですけど、島の中心の巨大な塩湖にいた珊瑚が突然変異を起こして地上で成長を続けているらしいです。今ではほら、小国が乗るサイズに……」
「えっ!? あれ珊瑚なの!?」
フェオが叫ぶのも無理はない。
彼女の視線の先にあるいくつものプレートが重なって構成された奇怪な巨大台地を、初見で珊瑚だと言える者は少ないだろう。プレートの上は森と化しており、もはや珊瑚には全く見えない。
ちなみにこの台地、下手な山より高いので開拓地に着いた際には既に見えていた。このビスカ島最大の神秘と言えるだろう。
この頂上にレヴィアタンの瞳があるらしいが、レヴィアタンの瞳から流れ落ちる水と空を飛ぶ魔物が多数生息しているという事情が邪魔してクライミングはほぼ不可能らしい。
(俺であればいくらかやりようはあるが、これはフェオの冒険だからな……)
フェオとて本当はハジメ一人に任せた方が遥かに早く片が付くことなど知っている筈だ。例えばその辺の木をぶん投げてその上に乗ることで頂上に行くとか、風魔法の反動で無理やり自分を射出するとか、珊瑚を破壊して頂上からレヴィアタンの瞳を落とすとか。
だが、フェオは冒険者として自分の成長もかねてここに来ている以上、それらの手段は非常時用だろう。
と、キィン、と何か神聖な気配と音がした。
これは神がたまにメッセージを脳内に直接送ってくるときのものだ。
『汝、転生者ハジメよ……念のため言っておきますが珊瑚に酷いことしちゃだめですよ。ビスカ島の生態系と神秘を破壊するのは割かし悪行ですからね?』
『承知してます、神よ』
『貴方は時々天界まで頭のネジが飛んでくるくらいダメダメなときあるから言っておかないと安心できないんですよ……あと今度そっちに遊びに行きますから娘さん紹介してください!』
『……承知しました、神よ』
割とヒマなこの世界の神であった。
なお、説明が終わると同時にサンドラの顔色はまた悪くなった。
「な、長々と説明してごめんなさい空気読めなかったよね急に喋り出してオタクみたいで気持ち悪かったよねごめんなさいすいません爪の皮剥いで詫びます!!」
「そんなことないよサンドラちゃん!! 知らない情報盛りだくさんですごく嬉しかったよ!! 流石この島では私より先輩だねっ!!」
「先輩ぶって大変申し訳ございませんでしたぁぁぁ!!」
「落ち着けと言っている」
フェオパーティ、冒険開始前から聖水を二本消費する。
ストックはまだまだあるので問題ないが、この調子で大丈夫なのかと不安は募る一方であった。




