33-14
「――話を纏めると、外界との関わりを断った天使が一人の人間に肩入れして力の譲渡を行なったのは掟に反するからマトフェイに罰が必要だが、ドミナントは自分で掟を定めておきながら天使を罰する勇気がないと」
「そんな簡単な話ではありませんッ!!」
ベルナドットが小さな体と大きな身振りで抗議する。
「天使族にとって仲間の天使は全員家族か親戚に等しいのですよ! 一度も記憶のリセットをしていない私にとっては子供と言ってもいい! そんな子の一生を左右するような罰をどのように行なうか、これに悩まないなどということがあろうか! いやない!!」
「色々言い訳してますけど、要は自分で決めた掟が想像以上に重荷で今更尻込みしているだけとしか見えませんが?」
「悩むくらいなら無罪にすればいいのにぃ」
「いけません!! ルール違反を有耶無耶にするなどゴッズロゴスとしても天使族としても一個人としても許されないのです!!」
「めんどくさ、この人」
「めんどくさ、このザコガキ」
「めんどくさい性分をしているな」
『自らのめんどくささで勝手に苦悩増やしてるのウケる』
「もぉぉぉなんですかさっきから人のことをぉぉぉぉ!」
そこでそういう反応をするから弄られるのではという言葉を精一杯の気遣いで呑み込んだハジメは、ため息をつく。するとベルナドットがまた呆れられたと思ったのか全力で抗議した。
「貴方たち好き勝手言ってますけど! このなかに他人を法の名の下に断罪したことある人がいますか! いないでしょう、人の一生を決める判断を自分の独断で決めたことないでしょう!」
涙目で指さしてくるベルナドットが実に子供だが、彼の恐れは実の所至極まっとうな感情だ。
人間誰しも重責を負ったまま生きたい訳ではない。
無責任な立場で無責任に生きたいという傾向は、転生者の間では特に顕著だ。
理由は、その方が楽であり、責任とは責任者であるかぎり逃げられないものだから。
そこのところ、責任を取りたくないあまり罪そのもののもみ消しに走らないベルナドットは責任者としての務めを理解しているようだ。
もみ消しを通り過ぎて暫く責任があるという事実が気のせいなんじゃないかという願望で粘るどうしようもない上役よりはいいが、それでも決断力のない上役ほど迷惑な存在はいない。
責任者の資質が最も問われるのは、決断に迫られたときだ。
他のあらゆる面で評価が高くとも、決断を下せず先延ばしにしたり見当違いな決断を下す者の背中を人は追いかけたがらない。
「それで、単刀直入に聞くが具体的にはどのような罰を考えているんだ?」
ハジメの問いかけにベルナドットの肩がびくりと震える。
「さっき聞いた話では肉体を失った天使は装置で転生できるが、転生の際に自我の連続性が失われて別人になってしまうということだったな。しかし、それは罰でそうなる訳ではないから無罪の際のパターンの筈だ」
ハジメの指摘にイスラがはっとする。
「そうか、そうですね! そもそも天使は辛い過去を受けて死による忘却を欲したからこその転生システムの筈だ。だったら忘却させないで復活させたら、それは罰になるんじゃないか!?」
『アタシが思うに、そんな虫のいい話だったらベルナドットはここまで尻込みしないと思うのよね~』
「え……?」
カルマの一言に、ベルナドットは観念したようにため息をついた。
「相変わらず、人をからかう割には鋭い……」
『あんたがそこも考えられないバカならベルだなんて呼び方しないわよ』
「……記憶を引き継いだまま転生を行なった場合、メレッドというシステムが発動します。これは我々の総意で組み込まれたシステムです。これの発動はたったひとつの事実を意味します」
皆に背を向けてカプセルに付属された装置の角を撫でるように触る彼の目には、さっきまでみっともなく騒いでいた時のそれではない静かな知性と、諦観めいた何かが滲み出ていた。
「天使というシステムからの永久追放……記憶を引き継いで復活すれば、二度とシステムによる転生は出来なくなります。記憶を引き継いで転生を行なった時点で、装置からその天使の情報が抹消される。次にマトフェイが死んだときが、正真正銘彼女の最期の時になる」
「成程。そのメレッドというシステムを回避するという選択肢はなさそうだな」
「マトフェイも、マトフェイになる前のマトフェイも、過去から現在に至るまで全ての天使が反対しなかった掟そのもののシステムです。この場合はむしろ、それでも記録ではなく記憶を引き継げるだけマシなのかもしれません。少なくともそこには選択肢がある。たとえ選ぶ側にとって最悪に近い選択肢だったとしても、ね」
沈黙が、その場を支配した。
ベルナドットは神代からずっと意識を連続させて生きてきたらしい。
恐らくは老化も何らかの手段によって止めているのだろう。
そんな彼にとって、他の天使族は嘗ての仲間たちの現身であり、ともすれば、自分の子供にも等しい存在だ。それを天使族のシステムの庇護から外し、死ぬと永久に戻ってこられない世界に突き出す選択を迫られれば躊躇もしよう。
まして、魂だけのマトフェイは会話をすることもできず、本人の意志を確かめる術が存在しない。完全に本人の意志が介在しないところでマトフェイの運命を決定づけなければならないことへの重責は、余人には計り知れない。
(もしも俺が同じ立場になった時、妻たちや子供に同じ決断を下せるだろうか)
なんとはなしにそんな無意味な想像をしていると、イスラが装置の前に目がけて歩き出す。
「すいません、もう状況は充分理解したのでさっそく彼女を目覚めさせましょう。どう操作すればマトフェイの記憶を受け継いだまま転生させることが出来ますか?」
「あれぇ!? 私の話、聞いてました!?」
「聞いてましたけど、僕の答えはひとつです。マトフェイはまた会いましょうって言ったんだから別人に会っても仕方ないじゃないですか。彼女もメレッドの存在は承知の上なんでしょう?」
「て、天使は皆知っていますが……」
余りにも淀みなく、迷いなく、イスラはとうの昔に決断していた。
マオマオはそれを黙って見つめている。
彼女の顔で、彼女ではない誰かの面影を浮かべて。
「システムから切り離されたら天使の力を失うとかあるんですか? だとしたら無用な心配だと思いますけど。天使じゃなくなったって人は人でしょ? それとも天使は子供を作れないから子孫を残せないとかそんな話ですか?」
「いえ、追放されても力は失われませんし、子供もつくれますが……」
「じゃあもう懸念することはないでしょ」
「ありますよ!! 同族を追放するんですよ!? 彼女が次に死ねば、もう二度と……!!」
「それはこの世界の殆どの者がそうです」
「う……!!」
神代からこの世界を生き続けていた天使の長が、たった一人のはぐれ聖職者相手に言葉を詰まらせる。
決して思いつきの類ではない確固たる信念が、そこにはあった。
「生まれて、生きて、別れる。時として不平等に思える時もありますが、結局は全ての生命は同じ場所に辿り着くように出来ている。悔いなく逝くこともあるでしょう。怨嗟に包まれて未練を遺すこともあるでしょう。でもそれが世界であって、生きるということです」
ベルナドットからすれば瞬きほどの時間しか生きていないイスラという男は、ずっと聖職者として命と霊魂、そして救済のなんたるかを考え続けてきた。ずっと天使族の里に籠もって今という時間だけを連続させてきたベルナドットにない実感が――人生という息吹が言葉に乗る。
「嘗ての天使たちは死を望んだと言いましたよね? メレッドは天使の誰も反対しなかったとも。それは、彼らが生きるという道において縛られ、解放を望んでいたことの表れではないでしょうか。システムに縛られる限り、天使は人と交わることができない。人であることが出来ない」
旧神の去ったあと、神でも人でもない天使は狭間に立たされた。
しかし、永久転生という神に近づく道を断った。
そして今、天使であることに苦悩する者がいる。
「過去の天使が永遠の消滅を選ばず転生を選んだのは、未来に続くどこかの自分が、天使族の鎖から解放されることを選ぶかも知れないという願いがあったのではないでしょうか。どこか、ここではないどこかに行けるんだって……」
「あなたは、それが分かると?」
「分かりませんよ。でも僕は、この装置に縛られているが故に望んでも解放されない魂があるなら、それを救いたい。それが天使族に都合の悪いものだったとしても、それでしか救われない魂があるなら救いたい。救う為に動きます」
イスラは元々そうしてきたし、これからもそうして生きていくだろう。
間違いだとそしられようと、愚か者と嘲りを受けようと。
「世界を変える勇気はある。ぼくはそれに身命を賭す。ぼくはぼくの知るマトフェイと再会するために、天使の今までを破壊する。たとえ戦うことになったとしても」
余りに揺らぎのないまなざしに、ベルナドットが後ずさった。
カルマが通信機越しに彼に語りかける。
『決められないならアタシが決めたげる。このレスバトルはあんたの負けね、ベル』
「……そのよう、ですね。はぁ……では、ドミニオンとして彼女をメレッドによりシステムから切り離すことを決定します。執行はいつ?」
「勿論、今で」
「本当に構いませんね?」
「はい」
「……我らの嘗ての主が守りたかったのは、こういうものだったのかもしれませんね」
揺るぎない覚悟を前にふっと自嘲的に笑ったベルナドットは、回顧に浸るような面影とともに装置を操り、装置から出る光を目で受け止める。網膜認証システムのようなもののようだ。彼は視線で装置を操作し、やがて、カプセルが開いた。
もうもうと床に落ちていく煙のなかから柔らかそうな手がカプセルの縁を掴み、シルエットが光源に照らされて全容を露にする。
「まってまちたよ、いしゅら!」
マトフェイに似た幼女が出てきた。
イスラを含む全員がかちんと固まる。
ベルナドットが今思い出しましたとばかりににやっと笑う。
「あ、肉体の再現が間に合ってなくて3、4歳くらいの姿ですけど、一杯食べて寝ればそのうち元の姿にまで戻るんでそれまでの世話は責任を持って貴方方がしてくださいね?」
「イスラさん、こいつさてはやられたら仕返ししないと気が済まないタイプですよ!」
『それでこそベルよ! 笑いってものを分かってるわね!』
「いしゅら、だっこ!!」
「君の望んだ再会って本当にこれだったのかいマトフェェェ~~~~~イッ!!?」
これは確認されなかったから何も言わなかったという意趣返しだろうが、それにしたってマトフェイは肉体に精神が引っ張られていないだろうか。
イスラが言われるがままに慣れない手つきで彼女をお姫様抱っこすると、幼女マトフェイはうっとりした顔でイスラを見上げていた。もしかしたらああいうのがずっと憧れだったのかもしれないが、このままだとイスラがロリコンを通り越してペドフィリア扱いされそうな点はいいのだろうか。
(……まぁ、彼女はうっとりしてるしいいか。いいか?)
女心に余計な突っ込みはよくないんじゃないかという免罪符を掲げ、ハジメは考えるのをやめた。
彼の頭のネジは不在だったがリモートで現場と連絡を取ることをで難を逃れたようだ。代わりに頭のネジの職場への心象は悪化したのでまだ暫く戻ってこないと思われる。
――結局、マトフェイは小さいまま帰ることになった。
イスラは彼女の態度が子供っぽく積極的になったことは気になったが、あの時のこと、あれからのこと、そしてこれからの話をした。
そのときの話は、イスラとマトフェイだけの秘密だ。
「みなちゃん、暫くかちゅぜちゅがわるくて聞きじゅらい部分もありゅかとおもいましゅが、帰ってまいりました」
「「「かわいぃぃぃ~~~~!!」」」
「ふわぁっ!? み、みなしゃん!?」
帰ってきたミニマトフェイはあっという間に女性陣にかっ攫われていった。暫く歓迎半分おもちゃ半分みたいな扱いを受けるかも知れないが、ミニマトフェイは幼くなったことでより素直になったのか照れながらもどこか皆との再会を喜んでいる風だった。
待っていた村人たちの中には相応に不安を感じていたものもいたようで、目元に涙を溜める者もいた。一番泣いてたのはベニザクラだったが。
ただ、この場に一人だけいない人物がいる。
ハジメは、ベルナドットとまだ話があると別室に向ったためにここにはいなかった。
(一体どこで何をしてるんだろうか……天使族が自分たちの秘密を明かした理由と関係あるのか?)
あのときはマトフェイのことばかり考えて彼の長々とした説明を牛歩戦術の類だと思っていたが、それなら全員を里に迎え入れる理由がないし、どうやらイスラたちが離脱している間にもシャルアの口から天使について色々と説明が行なわれていたようだ。
嘗て人間の裏切りをきっかけに長らく人との関わりを断っていたのに、今になって動き出した理由――確か『開かずの書物』に天使に関わる情報が含まれているために秘匿性を保てなくなるというのが情報開示のきっかけだと言っていたが、それにしてもコモレビ村は情報の発信地としては小さすぎる。分別を弁えた人も多いし、それほど爆発的に情報が広まることになるだろうかという疑念が頭をもたげる。
(あとで話を聞けるといいけど……)
実は全員招き入れたのは全員の記憶を消す為という話にならなければいいが――そんな一抹の不安を、イスラは自ら消し去る。マトフェイがああも無警戒にいることの意味を信じるべきだと思ったからだ。
気づけばマオマオが隣に寄り添っていた。
「取り戻せましたね」
「君の力もずいぶん借りた。何より元気を貰った」
「それはもう、マオマオの得意分野ですから!」
「こらぁ、そこなこあくま! イスラに色目をつかうんじゃありませんキィィック!!」
「なんのイスラさんガード!」
「はっはっはっ、小さくなっても蹴りの速度が遅くなってるように見えなヘブッ!?」
イスラはマオマオの卑劣なガードによってマトフェイの蹴りをモロに受けて宙を舞った。
誤ってイスラを蹴ったマトフェイもだが、まさか戦闘力が弱体化していないとは思わなかったマオマオもびっくりである。
「ああっ、いしゅらぁぁぁ!!」
「ヤッバ予想以上にいいダメージ!! 肩がちょっと変な方向に曲がってないですか!?」
イスラは二人の焦った声が段々と遠のいていく中で、静かに意識を失った。
天使キックは破壊力。
恋する乙女も破壊力。




