33-9
スズカがいなくなった――その事実は、コテツにとって少なからぬ衝撃だった。
(気配が消えた!? この距離でか!? しかもあのスズカが一人も落とせず……!!)
一瞬転生特典の存在を考えたが、ごく一部とはいえ探知や索敵をスルー出来る特殊なスキルや魔法、道具は存在する。闇の魔力を感じることから、恐らくはディラックウェルのような限定的な異空間に閉じ込める魔法で隔離されたのだろう。
(先ほどからカシューとロッキンから連絡がないが……まさか、一人になったか?)
最悪の予想が脳裏を過った刹那、カシューの空間指定魔法が散発的に相手を襲った。
「アァ!? 眩しいなオイ!」
「ウン、でも威力はない!」
その魔法の属性と独特の拍は、攻撃に偽装した暗号だ。
通信が来ないのを見るに、もしかすれば通信を遮断されているのかもしれない。
ロッキンは、通信道具の遮断が出来る。
ならば他にそうした手段を持った襲撃者がいてもおかしくない。
暗号の内容を読み解いたコテツは、最悪の事態は避けられたものの未だ厳しい状況であることを悟る。
(敵に包囲……離脱のために力を温存……限界になったら全員を回収して離脱……成程、姿の消えたスズカは捕捉済みか。まだ逆転の目はある。ロッキンもカシューもやるものだ)
極めて危機的な状況だが、ひとつの道筋は出来た。
(こやつらを引き連れたままアグラニールの元へ向い、乱戦の中で奴を確保すると同時にロッキンに我々を回収してもらいこの浮遊島を離脱! 【影騎士】側の勝利の筋道はこれしかあるまい!)
あくまで【影騎士】の目的はアグラニールの確保。
転生者集団を始末できず離脱するのは痛恨の極みだが、せめて第一目標を達成出来ればリカバリは出来る。スズカの身柄を確保されているのが不安要素だが、そこは後方の二人を信じる他ない。
「【剣聖】の名の重み、貴様等の身を以て味あわせてくれようぞッ!! 我が剣刃、無窮なりッッ!!!」
敵を全て殲滅しなくて良いのであれば、それなりのやりようがある。
それに――根比べならば望む所だ。
剣の一本でもこの手にある限り、どこまでも、誰を相手にしても戦い抜いて見せよう。
◆ ◇
――動きが変わった。
これまで隙を晒さない静寄りの動きだったコテツが唐突に荒々しくなった。
太刀筋が荒れているとか大雑把になったとか、そういうことではない。
剣を振るうに当たって重きに置く部分、すなわち目的が変わったようにハジメは感じた。
(さっきの不自然で唐突な空間指定魔法、あれが怪しいな。もしや暗号の類だったか?)
大胆に躍動し、されど一部の曇りもない、爪先に至るまで全てに意図と意志が籠もったコテツの斬撃が戦いの主導権を奪い取り、対応するシズクが舌打ちする。
「もう、猪武者ってこれだから!」
愚痴るシズクだが、彼女とコテツはかなりのレベル差があるにも拘らずまだかすり傷ひとつ負っていない。これは彼女の回避能力が特段に優れているのもそうだが、いわゆる侍と呼ばれる存在との戦いを数多経験して技を盗んできた彼女の戦い方がコテツにとって付け入りづらいからでもあるだろう。
きちんと働いてくれるかどうかは心配だったが、ホームレス賢者の下での更正は成果が出ているようだ。
アザンとウンザンは多少手傷を負いもしたが、蛙仙特有の回復手段なのか傷はどんどん塞がり、当人達もヒートアップしてきている。
「師匠の丸パクリってんでもねえじゃねえか! アァ認めるぜ、お前さん一端の剣士だ!! なぁウンザン!!」
「ウン、そうだねアザン。一人前で師匠に恥じる所はない。だから、ここからは純粋に剣士としての意地比べだ!!」
アザンとウンザンの纏うオーラが粘性めいた濃密な揺らめきを見せる。
ハジメはオーラを見慣れているが、このようなオーラは初めて見る。
なのに、何故かオーラの質の違いが何を示しているのかが理解出来る。
(オーラの密度……二人のオーラは収束していて、濃い。本来なら間欠泉のように噴出する莫大なオーラを、オーラ内で循環させることで束ねているのか)
そんなやり方は考えたこともなかった。
基本的にオーラはでかければでかいほど威力が増すものだ。
しかし、アザンとウンザンがそのオーラを纏ってから、明らかに二人の斬撃や動きが鋭くなった。
「灼剣爆酸漿ッ!!」
「彼岸閃烈葬ッ!!」
アザンの剣が爆炎のような暴力的な赤を纏って迫り、ウンザンの剣もまた狂おしい熱を纏って灼熱の刺突と化す。
どちらも見たことのないスキルで、恐らくは二人のオリジナル。
対し、コテツは見慣れた技で応酬した。
「ストリームモーメントォォッ!!!」
ハジメの使用するスキルで最大の威力を誇る大剣スキルが二人の灼熱の剣と接触し、火花、爆炎、爆風が次々に空間を彩ってゆく。僅かな速度の遅れと判断ミスで死を迎える灼熱地獄の熱戦の中、ハジメは驚いていた。
(あの男、横文字使うのか……)
純和風な装いなのでその辺拘ってるのかと思ったらそうでもなかったな、とハジメは何故かちょっと残念な気分になった。
考えてみれば剣聖とは刀に限らずあらゆる剣技を習得してこそ名乗れるものなので、刀スキル以外も使えて当たり前だ。しかし忍者への拘りが凄まじいライカゲは真剣勝負や仕事では忍者以外のスキルや魔法を口にしない(使ってもスキル名を言わない)のでコテツもそういう域だと勝手に思っていた。
しかし、拘りはなくとも習得した技術は嘘をつかない。
斬撃の鋭さ、重さ、威力のどれをとっても彼のストリームモーメントはハジメのそれを上回っている。
これが、レベル140の域に達した者。
人生を剣に捧げ続けてのみ辿り着ける境地。
経験値アップの転生特典程度では至れない、人の意志の辿り着いた先。
人類の限界を迎えたコテツの乱舞は、もはや生半可な【攻性魂殻】では時間稼ぎにすらならない。しかも、荒々しく動き始めたコテツは段々と戦場を引きずって移動を開始していた。
ライカゲは即座にその意図を察し、ハジメを見やる。
「あやつ、このままアグラニールを確保しにいく腹づもりだな。何か離脱の算段があると見える」
「分かっている。だが、向こうも相応に厄介なことになっているようだ。出来れば到達前に仕留めたいが……」
ハジメの横で【攻性魂殻】を操っているアンジュが剣に手を掛ける。
「私たちも出る? これだけやって隠し技を見せない以上、もうリスクを承知で鎮圧するしかないと思うけど」
「出るのはよいとして、タイミングと手段が肝要になろう」
近いうちに勝負を決める必要がある。
それはハジメも同意だが、まだ彼の心には僅かな躊躇いがあった。
命が惜しい訳でも失敗が怖い訳でもない。
ただ、躊躇いの理由は次第に輪郭を露にしてきている。
「……あと少しだけ見極めたい。アンジュ、銃を解禁するぞ」
「あらら、遂にファンネルってのをやっちゃうの?」
「無駄に情報を与えず仕留めるべきではないか? 戦力の逐次投入は相手に余計な突破口を与えかねん」
「間に合わないなら力押しで行くが、どうしても気になってな。ライカゲ、お前も少し攻撃の精度を上げて手数を増やしてくれ」
ライカゲはそれに答えず、しかし分身を増加させることで応える。
ハジメが「どうしても」とまで言うからには相応の懸念がある。
それが彼の中で出した結論で、信頼だったようだ。
アンジュとハジメは全く同時に聖遺物級の武器である銃をありったけ浮遊させ、皆の戦う前線に飛ばした。
遂に多くの村人を泣かせてフェオに「クソゲー」とまで言わしめた最悪の組み合わせ、【攻性魂殻】と銃の組み合わせが解禁された。
「これは銃!? ちぃぃ、つくづく大道芸の好きな連中よ! だが、手数程度で儂の剣を抜けるなどと思い上がるなぁッ!!」
無限の射角から自在に放たれる弾丸がコテツを襲うが、その全てを彼は時間差や位置まで完璧に予測して切り払い、回避し、相殺し、時に反らしながら前進を続ける。
ライカゲの分身による妨害や攻撃もその間隙を縫って飛来するが、剣が煌めく度にそれらは両断されていった。
数十秒が経過しても、一分経過しても、払い続ける。
同じ事をハジメが出来るかと言われれば、無理ではない。
ライカゲもそうだろう。
しかし、それは限られた時間、限られた状況での話だ。
ゾーンに入った達人は並外れた集中力を発揮するというが、それは無限に力を取り出せる訳ではない。限られた時間に最大のパフォーマンスを発揮するそれは、あるもので維持されている。
このとき、ハジメはほぼ違和感の理由を確信し、その確信をアンジュも感じ取り、ライカゲも目の前の光景からある事実に思い当たった。
「もう戦闘が始まって飽和攻撃を仕掛けてから随分立つのにあの淀みない剣技。よもや――」
「ああ。この回避は千里眼でも時間遅延でもありえない。未来予知でもない。オートバトル系ではこんなに柔軟に動けない。ともすれば、やはり答えは限られる」
「長い時間をかけて剣を極めるという意味では、ある種めちゃくちゃ有効なものではあるけどね」
もしもこの事実を知らずに三人がかりで一斉にかかっていれば、万が一があったかもしれない。否、コテツほどの実力者ならばその瞬間を待っていてもおかしくはない。老人になるまで剣を握り、鍛え続けてきたからこそ辿り着いた彼の境地ならばそれを可能にするだろう。
「ほぼ確定だ。これだけ長時間、これだけのあらゆる波状攻撃を受けながら一切対応を誤らない理由は――恐らく、《《精神的疲労がない》》からだ」
強力な転生特典には何かしらの制約が付きまとう。
その代表的なものが体力、ないし集中力の消耗だ。
未来予知や時間への干渉はそうした代償が大きく、長時間維持するのは難しい。
かといって、体力が無限なだけでは精神の疲弊は避けられない。
しかし、レベル140にまで到達したコテツは単純なステータスと回復手段を加味すれば無限に近しいほどの体力を持っている筈。
ならば、今の状況を実現するのに足りないものはひとつだけ。
世界最高峰の見切り力と判断能力を維持するために、それは不可欠。
それさえあれば、コテツはいつまでも、いつまでも粘り続けることができる。
彼の技量と剣技の多彩さ、そして長年培ったカンを常にフル回転させることを可能とする、恐らくは唯一の方法。
「すなわち、あやつの転生特典は――」
「【無限の集中力】……!!」
もし三人がただ最大の攻撃を一斉に彼に叩き込むといった手段を取れば、彼は三人を同時にカウンターで狩っていたことだろう。
誰よりも相手の集中力を削るパーソナルスキルを使いこなしてきたハジメだからこそ気付けた、異様なコテツの消耗のなさの真相がそこにあった。
――そしてその可能性が気になるからって判断を逸らず確認しようってライカゲに言えるハジメの冷静さが怖い、と、横で見ていたシャルアは思った。
(てか、この人もずっと【攻性魂殻】で集中力ガリガリ削ってる筈なのにまだ平然としてるのなんなん? あっちが人工の怪物ならこっちは天然の怪物じゃない? そりゃこんな桁外れな集中力あったら最強娼婦キャロラインと夜のバトルしても平気な顔していられますよね!!)
そこまで考えて、シャルアはハっとした。
精神力――それは快楽に溺れず己を律する最後の手段。
ならば精神力を重点的に鍛えれば【大魔の忍館】でのニャンニャンバトルを戦い抜けるのではないかと。
ハジメは最初から最短にして最適の方法を体現していて、自分は今日までそれに気付いてなかったのではないかと。
(せっ、先生……!! 愚鈍な私は今日、やっと貴方の示す真実に……!! ありがとう、それしか言葉が見つけられない……!! そしていつか忍館を攻略した暁には、先生とニャンニャンバトルを……!! そのためならば私は、私はぁっ……私じゃなくなってもいいッ!!)
シャルア、意味不明なタイミングと方向性で目覚める。
これがシャルアの中でハジメに対する精神パラメータが「尊敬」からシャルア史上初の最上位、「抱いて欲しい」に変わった瞬間であったが、多分後で説明されても一握りのド変態以外は即座に理解を拒否すると思われる。




