33-3
真っ当な転生者たちは、この異世界を冒険していると自然と同じ領域に到達する。
もう、やれることはやった。
これ以上の冒険は、この世界にはない。
後は同じことの繰り返しをするだけだ。
物語には終わりがあるように。
物語のない娯楽を手放す瞬間があるように。
厳密には、人類はまだこの世界を踏破してはいない。
未発見の遺跡、過酷な環境、魔界、外海……あとは、魔界。
完全に命の保証がなく、途方もない時間のかかる旅路にまで足を踏み入れる根っからの冒険者でいられる時間は少ない。年齢を重ねれば、人は自らの有り様に満足していくものだ。
しかし、この世界の人間は老化してもそう簡単に戦闘能力が下がることはない。
【神の最低保証】によって得られた力は老いによる力の低下を以てしても無駄になることはないのだ。
故に、特に優れた戦士であれば70歳で現役級の実力を維持していることも珍しくはない。
「とはいえ、この老骨も鞭を打たれて出陣とはな……いい加減に新しい年齢層も入ってるのだから、そろそろお役御免でよかろうに」
頭頂部あたりで白髪を纏めたヒューマンの老人が、刀を床に杖のように突いてぼやく。
髪はいわゆる鬟を連想させるが、史実に忠実ではなく、ゲームや漫画二出てくるような極めて簡易的な鬟だ。服装も和装で刀の鍔の眼帯をしているなど、転生者ならば趣味的な人物であるのが一目で分かる。転生者ではない場合は鬼人かぶれの変人だと思われるか、単に変人だと思われる。
男のぼやきに、隣で座っていた女性がけらけら笑う。
「【影騎士】最年長で二代目剣聖のコテツじいさんが? せめて弟子取ってから辞めてよね~」
「うるさいわスズカ。お前こそいい年こいていつまでエージェント気取っとる。大体二代目剣聖なんぞという肩書きはない!」
「気取ってないし~エージェントだし~」
まるで真面目に話を聞いていない女性――スズカは黒スーツに実を纏った一張羅を指で引っ張って見せつけながらニヤニヤしている。
スミレ色の髪先を白のグラデーションで染めたスズカはハーフエルフで、既に三〇代後半だが気持ちは若いつもりなのがコテツからすると少し痛い。外見年齢的にはまだ若々しく見えるが、実際にはメイクとアンチエイジングでかなり気を遣っているらしい。
年の差が約30年もあれば感性は噛み合わないものだが、転生者という共通項があるためコテツとスズカの価値観はそこまで乖離してはいなかった。
二人の軽口のたたき合いをモノアイマンの男、カシューが横目に睨んで止める。
「じゃれあいはそこまでにしてくれ」
まるで一昔前の戦闘機パイロットのような帽子やゴーグル――モノアイマン故にサイズが全く合わず装着はできないが、彼は気に入って帽子にひっかけている――ジャケットを羽織った彼は、四〇代そこそこの中堅だ。
「三人も増員された時点で結構ヤバイ案件だぞ? 今は俺がチームリーダーだからな」
「弁えているつもりだ」
「はーい」
「まったく、前途多難だな……」
苦言を呈するカシューが手に持つ本からは光が漏れ、追跡中のターゲットの位置情報がリアルタイムで更新されている。
彼ら【影騎士】がシャイナ王国から請ける仕事は、いつも探知や転送などの貴重な能力を持った人材が一人は割り当てられる。しかし、仕事はそう多い訳ではなく大抵はツーマンセル。一気に二人以上が投入されるのは彼らにとってなかなかの異常事態だ。
徐々にターゲット――アグラニール・ヴァーダルスタインとの距離は縮まっているが、既に一度接敵した彼らからしてもアグラニールは厄介だった。
「あれはもう人間ではなくなりつつあるのかもしれん。【捕捉】に成功したから良かったものの、一度目の接敵で拘束しきれないのは誤算だった」
「最初の戦いはあんたとロッキンがやったんだっけ?」
「ああ。はぁ……あんとき俺が拘束具を持ってりゃな」
同僚の垂れ耳タイプなリカント、ロッキンと共に挑んだ戦いを思い出したカシューは項垂れてため息をついた。
一度は追い詰めたのに、十三円卓に提供された拘束具が一つしかないせいで拘束が間に合わず逃がしてしまったのだ。もしあの時拘束具をカシューが持っていれば事前になんとか出来たかもしれないのに、運悪く前衛の方がいいとロッキンに渡してしまったのは、誰のせいとも言い難い運の悪さだ。
カシューは嫌な記憶を払拭したいかのように被りを振り、深呼吸で気持ちを整える。
「アグラニールは生きて捕縛しろとのことになっているが、厳密には奴を殺しきるのは困難だろうから手加減は考えなくていい。最悪、【頭】だけでも無事に回収できればよしというのが十三円卓の意向だ。空の上まで逃げてくれて、まったく……」
三人は窓の外を見る。
彼らの眼下には、平らな雲が広がっていた。
今、彼らは近未来的な飛行機のような乗り物の中にいる。
アグラニールが雲の中を逃げているため、彼らも空を飛ぶ必要があったのだ。
今の所、世界中のどこを探してもこのような空を飛ぶ乗り物を運用している国家、集団はない。より原始的な気球や飛行船であれば実現は不可能ではないが、飛行する魔物に対して無防備であるし、飛べる種族がいるためにこの世界の航空技術は大きく停滞している中で、こんなものを用意出来るのは彼らだけだろう。
と、機内放送から件のロッキンの若い声が響く。
彼はまだ二十代前半と彼らの中では段違いに若い。
『こちらロッキン! 緊急事態発生だ!!』
「どうした?」
『今レーダーで捉えたが、アグラニールが前方の馬鹿でかい積乱雲に突っ込もうとしてる! この雲、見通しがいい筈なのに急に現れやがった!』
「積乱雲くらいお前ならなんとか出来るだろ?」
『いや、それがこの積乱雲、自然に出来たものじゃない! 何らかの力場で無理矢理それらしく維持されてる! てかこれ竜の巣まんまじゃん!! 中にラピュタあるんじゃねーの!? アグラニールのこれまでの進行ルートからして最初からここに突っ込む気だったみたいだ!!』
「何だとォ!? 十三円卓からそんな話聞いてねえぞ、あの机にかじりつきのクソぼけ共が!!」
予定ではこのまま充分接近したところでアグラニールを地表に叩き落として全員で捕縛する予定であり、そのために丁度いいエリアで接敵出来るよう計画していたのだが、アグラニールが最初から勝算あってその積乱雲に向っていたなら話が変わってくる。カシューは思わず悪態をついた。
「くっそぉ! ロッキン、突入する前に最大戦速で突っ込んでアグラニールを叩き落とせ!!」
『えー……まぁやってみるが、安全運転は出来ないから舌噛むなよ!!』
近未来的飛行機のエンジンがヒィィィ、と甲高い音を立て、機体のあらゆる場所が次々に開いてバーニアを点火。搭乗する人々にいきなりのGがのし掛かった。
「うおっ――」
「これが飛行機のGという奴か。人生初体験だ」
「流石に旅客機とは段違いぃ!!」
少し面白がっているコテツとは対象的に、スズカは軽く悲鳴染みた声を漏らしている。誰かの荷物か何かが飛行機内をごろごろ転がって後部に激突する鈍い音がしたが、気に掛けている暇がない。
――急加速を始めた飛行機に、先行するアグラニールは「ほう」と、興味深そうに振り返って顎をさすった。
「加速し「推力を強「目的地到達まで「術式展開「障壁準備「転生者というのは「設計図さえ書けば「何にせよ彼らに捕まることは問題ではない」今の技術でも飛べるか?」面白いものを用意するな」目標相対距離確認」迎撃開始」保つかギリギリか」引に高めたようだ」たな」
それは、僅か数秒で一息に放たれた、余りにも人間の喋り方として不自然な速度、継ぎ目、文脈の言葉だった。
彼は言葉を発した後、自分の発音の不自然さに気付いたように喉をさする。
「サブストラクチャ思考は便利だが出力が間に合わなくなるのが難点だな。対策が必要だ。さて、ここからが大変だぞ。俺も、彼らもな」
アグラニールは既に異常な思考能力によって気付いている。
あの積乱雲を生み出す存在と、それが防衛機構であることに。
渦巻く雲の僅かな切れ目から、水晶のような光が見え隠れすることに。
転生者たちの乗る飛行機の攻撃射程にアグラニールが入るのと、積乱雲の中で蠢く大量の何かが雲を突き破って無差別に襲いかかるのは、ほぼ同時だった。
【影騎士】を名乗る者たちとアグラニールの前に姿を現した無数の何かは、目にも留まらぬ速さで雲の中から次々に白煙の尾を引いて飛来する。
虫のホバリングのような不規則な位置調整と鳥の飛行をかけ合わせたような奇怪な軌道を描いて次々に迫る様は、まるでロボットアニメのミサイルのようだ。
直線で迫るもの、曲線を描くもの、軌道修正を繰り返しながら狙いを定めるもの、それら全てが魔力光を纏って縄張りを侵す侵入者に吶喊する。
接近するにつれて、リリリリリリィィィ、と、鈴が出鱈目に鳴るような甲高い音が空に鳴り響いた。
『フィールドオン、加速装置、全バーニア機動! 回避する余裕がない! 突っ込むぞぉぉぉぉッッ!!』
ロッキンの警告と共に一気に飛行機の周囲を、パリ、パリ、と何重もの光が覆い、魔力以外の何かを織り交ぜた流線型の障壁が完成する。
三次元的に迫り来る謎の敵を障壁で強引に突き破り、破壊されて弾け飛ぶ魔力光を置き去りに飛行機は更に加速した。
『オラオラオラァ!!』
荒々しいロッキンの雄叫びに呼応するように強固な障壁が真正面から敵を粉砕していく。やがて飛行機内のモニタが情報分析結果を表示した。
カシューはその結果に眉を潜める。
「なんだこりゃ、オートゴーレムか?」
拡大された魔物は鳥を思わせる翼を持っていたが、その表面は金属のような質感であり、更には羽根の後ろにトンボの羽根のような半透明なパーツが不規則に羽ばたいている。目も口もなく機械的に空を飛ぶそれらは一見して生物には見えなかった。
そんな中、コテツが外の様子の変化に気付いた。
「こやつら、アグラニールを素通りしている」
「そのようだ! ロッキン、奴は何かの魔法を使ったぞ!!」
『だったら暴いてやらぁ!!』
飛行機から光る魔力の塊が次々に尾を引いて発射される。
魔力探知を混乱させるデコイの魔力塊だ。
火、水、地などの属性別に色の違う煌びやかな魔力塊は雅な衣のように空に広がる。
直後、敵の動きに変化があった。
デコイのうち風属性の魔力塊にのみ敵が引き寄せられていく。
『風属性に反応してる、そういう性質なんだな!? だったら餌をくれてやるからいい子にしてな!!』
デコイが風属性のみになることで更に狙いが分散されていく。
アグラニールは何かの方法で風の魔力を偽装することで狙いにされるのを免れたようだが、その時間稼ぎも短期間で終了した。
遮るものが減った飛行機は遺憾なくその加速力を発揮し、マッハコーンを突き抜けてアグラニールに迫る。
『叩き落としてやらぁッ!!』
アグラニールの速度も人にしてはあり得ないものだが、人と飛行機が空でかけっこをすれば結果は考えるまでもない。アグラニールに飛行機の機首が直撃し、彼の体がくの字に折れ曲がる。
「ゴブッ、こぉ……!!」
アグラニールの体の中で幾つもの骨が砕け、肉や血管がはち切れ、口から血の塊が吐き出されて風圧に散った。幾ら異世界の人間とは言え即死級の破壊力だ。
このまま機首を下げて地上に――そう思ったロッキンだったが、機首が思うように下がらない。気付けばアグラニールが火と風の魔力を組み合わせた見たことのない術で無理矢理機首を持ち上げていた。
意識を保つのもやっとな筈の状況にも関わらず、恐ろしく緻密なコントロールは揺るがない。しかも風魔法に反応して下方から先ほどの敵が次々に体当たりを仕掛けてきて余計に跳ね上げられる。
ロッキンが獲物を放り投げるように様々な方向転換を試みるが、その全てにアグラニールは抵抗して徹底的に高度も針路も変えさせないよう抵抗していた。
「どんな執念だよこいつ……! ロッキン、このままだと積乱雲に突っ込む!!」
『そんなこと言われても、これは敵を褒めるしかない!! こいつ機首を持ち上げるだけじゃなく凄いスピードで自分に回復魔法をかけまくってる! 声も出せない状態の筈なのにどうやって……!! 事前情報通りならこいつにガス欠はないし、強引に弾き飛ばすとそのまま再度逃げるぞ!?』
つまり、妨害を無理矢理振り切ればアグラニールは積乱雲に突入して逃走し、そうしなければ彼の思惑通り積乱雲に突入する。こうなるとアグラニールは積乱雲内を最初から目指していたと考えるべきだろう。
判断に迷うカシューに発破をかけるように、ずっとGを堪えていたスズカが叫ぶ。
「こういう事態になってもなんとかするッ、ために……四人も揃えたんでしょ!! 罠だとしても日和ってないでやるのよッ!!」
「事ここに至っては思惑に乗るしかないんじゃないか、カシュー?」
「……ええい!! 何があるか知らんが、速度そのまま突っ込めロッキン!! お前に全ベットだ!!」
『おっしゃあああああッ!!!』
リーダーであるカシューの発破に気力を漲らせたロッキンは、そのまま飛行機を直進させて雷鳴の垣間見える積乱雲に突入した。
視界が全て雲で覆い隠され、レーダーもおかしな数値を弾き出すが、仮にこのまま巨岩に激突してもそのまま貫くほどの覚悟でロッキンは出力を緩めない。
間もなく、計器が積乱雲の内部に何かがあることを検知。
アグラニールを逃がさない為に加速を続けた巨体は、もはやその何かに激突するしかない。
『衝撃に備えろ!! オーバードライブ・インパクトォォォォッッ!!』
「南無三」
「縁起でもないこと言うなジジイ!」
「~~~~ッ!!」
加速する飛行機はアグラニールを携えたまま、何かに激突し、そして突き破った。しかし激突したそれの強度が余りにも想定外だった為に飛行機内は激しく揺さぶられ、完全にコントロールを喪失。
くるくる縦回転しながら落下を始める飛行機の中で最後まで姿勢を崩さず意識を明瞭に保っていたコテツが窓の外に垣間見たのは――。
「こんな場所が、まだ世界に……」
積乱雲の中心、真上から差し込む陽光に照らされたそこは、緑に覆われ水が零れ落ちる不可思議な形状の空飛ぶ大地の一部――この世界においても殆ど発見されたことのない、浮遊する島であった。
島には緑が広がり、水が落ち、何層かに分かれた桁違いに大きな遺跡か神殿のようなものも中心部に垣間見える。鳥の姿も垣間見え、見たことのない大きな生物が水場にいる。地上からずっと離れている筈なのに、そこには確かに生命の息吹が感じられた。
余りの迫力と空想世界のような幻想的美しさに、コテツはかつて冒険者として世界を駆け回った時の気分を思い出して高揚したが、その気分を台無しにするものが視界に映る。
それは、殆ど上半身と下半身が泣き別れに近い形状になって落下しながら、それでも肉体の再生が始まっているアグラニールのにやけ面だった。
彼は完全にコテツを見ていたし、コテツもその視線に気付いた。
「ここまで奴の思惑通り、か。やれ、ここからが難儀になりそうだ……」
この飛行機を操縦する能力などコテツにはない。
あとはロッキンがうまく不時着させられるかに命運を委ねるしかなかった。
◇ ◆
浮遊島の壮大な光景を目の当たりにした【影騎士】たちとアグラニールだったが、実はこの島には既に先客がいた。
彼らは遺跡の頂点の見晴らしのいい場所から、彼らが島に侵入する所を見ていた。その中のシャルアがため息をつく。
「はぁ……転生者ってのはつくづく出鱈目ですね。あの障壁正面から突き破ってくるとは。あの飛行機械、多分アーリアー装備のカルパさんに近いくらいのパワーですよ」
「だが、流石に衝突の衝撃で無傷ではいられなかったようだ」
無様に落下していく様をハジメは冷静に観察する。
カルパ自身がそうであるように、この世界に全ての均衡が取れた存在というのはいない。見方次第ではあるが、あの強力な飛行機にも何かしらの欠点や制約があるのだろう。
一応不時着の為にバランスを取ろうとしてはいるが、アグラニールを追い詰める絶好のチャンスなのに追いかけないのは単純に追うことが出来ないか、リスクが高すぎて態勢を整えざるを得ないからだろう。
当のアグラニールは光を屈折する魔法を使ったのか、すぐに肉眼で姿が確認できなくなる。
「……幾ら転生者でも、あのダメージは即死の筈だがな。あの男、一体エイン・フィレモスの遺産から何を得たのだか」
ぼやくように漏れたその疑問をシャルアに問うことはしないが、シャルアからは「マルタさん程ではないが、それに迫る程度には死なない。そして状態異常には完全耐性を持つと思った方が良い」と言われているのでその前提で動くつもりだ。
「迎撃準備はいいが……あの結界のようなものの外を飛んでいた存在、あれは島の中にはいないのか? 事前の話にはなかったが」
「あれはベズルフェニルと言う原始的な魔物で、昔は風の神獣のおこぼれを貰う片利共生をしていた存在です。あれは積乱雲のように風の魔力が安定して収束している場所でしか生きられませんし、障壁を突破することも出来ませんよ」
(片利共生……コバンザメみたいなものか)
主を失った今のベズルフェニルは、この島の防衛機構の一つである積乱雲に便乗して生きているようだ。外敵には襲いかかるため天使側としても自然の防衛機構になるため、今は相互の共生関係と言えるかもしれない。
ハジメも初めて見る魔物が、もしかしたら世界で僅かに目撃例のある謎の魔物スカイフィッシュの正体かもしれない。
「ともあれ、敵はのこのこやってきたんだ――盛大に出迎えてやろう」
「先生、言動が悪のボスのそれなんですが。あの、防衛と生け捕りですよ? 殲滅しないですよ?」
「転生者の生け捕りなど殲滅より面倒だ。手心など加えず徹底的に叩く他の選択肢など存在しない。殺しはしないが、死なない範囲で徹底的に袋叩きにする」
「ああこれ一番ヤバイタイプの敵ボスの思考回路だ……!!」
シャルアはこの日ほどハジメを尊敬していて良かったと思ったことはないが、同時にこの先生の【死神】としての本質を初めて垣間見て「本気で怒らせることがなくて本当に良かった」と恐れ戦くのであった。




