33-1 散財おじさん、軍勢を率いて天に立つ
コモレビ村――メーガスの部屋の、机の上。
「借り物とはいえ、手に入ってしまったな……」
「これが魔導書の神器……!」
ハジメは緊張、メーガスは興奮を抑えられない顔でテーブル上に鎮座する豪華な装丁の魔導書を見つめた。
縁をしっかり金具に覆われ、鍵で開ける形にはなっているが実際には鍵はなくとも適合者なら開けることが出来るらしい。中に書かれている文字はこの時点では不明だが、もしも村の中に適合者がいれば開くことも出来るだろう。
一体何年の間、行方が知れなかった品だろうか。
まさか始まりの魔法使いの遺品に混じっているなど想像だにしなかった。
シオの推察では、エイン・フィレモス・アルパは神器の適合者ではなかった可能性が高い。もし適合者なら弟子の誰かが使う場面を見たことがあって然るべきで、それがないということはあくまで研究の為に所持していただけなのではないかとのことだ。
そして研究成果を暗号化して記録したのが【読めずの書物】、そして神器の存在に気付くきっかけを逸したこの本は【開かずの書物】となった。
ハジメとしてはせめて誰かにちゃんと伝えるかタイトルを読める言語で書いておかなかったエイン・フィレモス・アルパは極度のうっかりさんだったのではないかと思うが、それはさておく。
「メーガス。この神器はあくまで魔法学術都市リ=ティリの管理体制の見直しまでの間、マリアンに管理して貰うことになったという体で借りられているものだ。それほど長くは手元に置いておけないぞ」
「分かってる。出来るだけ多くの情報を抜き取りたいわ。上手く行けばトリプルブイくんが複製を作ることが出来るかも」
「神器の複製……十三円卓が泡を吹きそうな話だ」
「完全な複製は流石に難しいと思うけど、あの遺跡のことも含めて色々調べられることはある。差し当たっては適合者がいると話が早いのだけれど」
顎に手を当てて魔導書の神器を観察するメーガスに、ハジメは問いかける。
「そう都合良く村にいるものか?」
「神器の適合者は一時代に一人しかいない訳じゃないわ。双子で神器を共有したとか、一人で複数の神器を取り回した者もいた。神器の適合に必要な条件は知らないけれど、数多の勇者一行の傾向を調べればある程度の見当が付く」
さらりと言っているが、これは実際には不可能に近いことだ。
十年から数十年周期で発生する魔王と勇者一行の戦いにおいて勇者一行の全ての情報や性格を把握するのは恐らく神器を管理するシャイナ王国でも無理だろう。数百年から数千年の時が経過すれば情報は必然的に失伝してゆくものだ。
だが、メーガスは知っているだろう。
この世界に訪れてから起きた全ての現象を観測する神の記憶を引き出せる彼女ならば。
「神器の適合者に求められるものとして恐らく最大のものは、運命に従う者であるかどうかよ」
「抽象的な表現だな。運命に従うとは潔さのようなものだろうか」
「いいえ。積極的であれ消極的であれ、与えられた役割を最後までやり遂げる存在であるということよ。魔王討伐か、或いは世界の救済か……感情の向う先が何であれ、途中で投げ出したり使命を否定する人間を神器は決して選ばない」
「……」
言葉が抽象的すぎてハジメにはその意味を正確に読み取れなかったが、要約するに神器適合は割とガバいということらしい。あとハジメが神器に選ばれなかった理由は、嘗て自分が抱いていた「どさまぎで死ねないかな」の感情のせいであるように思えた。
「ともあれ、研究に関しては門外漢だ。俺は個人的にやることがあるので外す。用があったら呼んでくれ。遺跡に同行して欲しいとかな」
「ああ、大丈夫。カルマちゃんが色々手伝ってくれる手はずになってるから」
「それは頼もしいな」
あのカルマが子供の絡まないところで手伝いなど珍しいが、カルマはメーガスの正体を知る数少ない人物だし同じく学校で教鞭を執っているので付き合いがあるのだろう。
メーガスの部屋を出ると木々の木漏れ日が暖かくハジメを迎える。
ハジメのやること――それは自称弟子シャルアがいつまでもイスラとマオマオに協力せずに逃げていることについてだ。
あの死霊使いゼラニウムと転生幽霊シズコとの激戦を経て何処へかと消えたマトフェイを探して旅に出た聖職者イスラと人造悪魔マオマオ。
天使であったマトフェイの行先は同じ天使が知っているかもしれないと考えた二人は、知り合い出唯一の天使であるシャルアをずっと追いかけているのだが、どういう訳か自称愛の天使シャルアは二人から逃げ続けているという。
一体なぜずっと逃げているのかは謎だが、仮にも一方的に先生と敬愛するハジメに理由を問われればシャルアも理由を喋るかもしれない。という訳で、既に教会に来るよう彼を呼んでいるハジメは足早に教会へと向った。
今現在、教会をいつまでも空けておけないという理由からイスラの後輩聖職者が代理として強引に引っ張ってこられている。
名前はセアティーユといい、若い犬人の男性聖職者だ。
見るからに気が弱そうな糸目の青年で「先輩も上も無茶いいはるわぁ」と愚痴っていたが。
教会を預かる理由は先輩の頼みの他に、いつまでもマルタを監視する聖職者がいないのはまずいというものもあったそうだ。一応はスーやアリアで暫く体裁を保っていたが、やはり住み込みの人間がいないのは村としても問題だったため助かっている。
十字架をモチーフにしたハンマーを背負っている辺り実はパワーファイターのようで、トリプルブイが作成したもののため二人は元々顔見知りだったようだ。
そんなセアティーユは麦わら帽子を被り、教会の周りの花壇を弄っていた。
彼はこちらの存在に気付くと汗をぬぐって挨拶する。
「おはようございます!」
「おはよう。シャルアは来ているか?」
「村にはもう来られてるみたいなんで、もうすぐ来はると思いますよ? あ、噂をすれば……」
振り返ると、重い足取りで教会に近づいてくるシャルアの姿があった。
相変わらず女性と見分けのつかない中性的な顔は、普段の無駄に元気が有り余る彼のそれとは違いどこか覇気がない。つまりエロいことを考えていないということである。シャルアなのに。
「先生、お久しぶりです」
「先生ではない」
「早速いつものが炸裂してますねハハハ」
力ない乾いた笑いを漏らすシャルアの様子のおかしさに、ハジメは彼の心境を悟る。
「さては大魔の忍館の会員証をなくしたな?」
「先生はジョークがお上手ですねハハハ。ちゃんとあります」
「先生ではないがそうだったか」
懐から渡した会員証を取り出すシャルア。
ならば、会員証の話で凹んでいる訳ではないのだろう。
「さては店の嬢の誰かに接客を拒否されたか」
「ハハハ先生ちょっとひどくないですか? 絶賛四天王の三人目に挑戦中です」
「先生ではないがどれだけ通い詰めてるんだ」
いつの間にか一人目と二人目を突破していた。
二連続で予想を外すとは今日のハジメは調子が悪いのかも知れない。
「しかしシャルアみたいな全身性欲人間が性関係以外の理由でテンションを下げるとは考えがたい」
「いやまぁうん、そこは否定しづらいですけどね。まず、先生が何故私を呼んだのかは察しがついています。マトフェイさんのことですよね?」
一応、逃げている自覚はあったらしい。
「自分の足でここまで来たということは、納得のいく説明があると思って良いのか?」
「……これはシャルアとしてではなく天使族としてのお話になります」
シャルアは尚も躊躇いがあるようだったが、息を吸い込むと断言する。
「今までは決して説明できなかったんですが、事情が変わりました。手っ取り早く天使族の里にご案内します。そこにマトフェイさんはいます。しかし今、里に二つの脅威が近づいています。その脅威を退けることを案内の条件とさせてください」
「ふむ……そういうことらしいがどうする?」
ハジメが誰もいない花壇に話しかけると、花壇の中から土を突き破ってイスラとマオマオが勢いよく姿を現すと凄まじい身のこなしでシャルアを包囲した。
「今の言葉に二言はありませんね、シャルアさん!!」
「散々逃げてくれちゃって、マオマオちゃんの可愛いお耳はしっかり聞きましたよ!?」
「うわあああああビックリしたぁッ!?」
よほどシャルアに逃げられ続けたことに苛立ちを募らせていたのか、二人は土まみれのままシャルアを組み伏せて「「確保ぉぉぉーーーー!!」」と勝ち誇った声で叫ぶ。マオマオはまだしもイスラははっちゃけすぎである。これが彼の本当の姿なのかもしれない。
「せ、先生!? 最初から罠張ってたんですか!?」
「いや、セアティーユが土いじりしている場所だけ花が咲いていないのと感知で存在を感知してたからいるだろうなとは気付いていただけだ。仮にも俺の弟子を名乗りながら気付かない奴が悪い」
「厳しいッ!?」
こうして、ハジメたちは天使族の里に向うこととなる。
同時にそれは天使族の謎を紐解く旅になることに、このときのハジメ達はまだ無自覚だった。




