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道を極めたおっさん冒険者は金が余りすぎたので散財することにしました。  作者: 空戦型


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7-3

 チク、タク、チク、タク。

 規則的に秒針を刻む音が時の流れを思い出させ、ガブリエルはゆっくりと目を覚ます。


 そこは見たこともないほど上質なソファの上だった。


「目が覚めた?」

「……あ、はい」


 寝ぼけ眼のガブリエルの目の前には、とても母性的な笑みを浮かべる女性の姿があった。この人は誰だったろうか、と考えるが、耳を擽る声がその疑問を埋もれさせ、代わりに根拠のない安心感が身を包む。


「はい、お水」

「あ、どうも」


 ほどよく冷えた水を言われるがままに飲み干し、少し頭がすっきりする。


 確か、『死神』の異名を持つ凄腕冒険者のハジメが悪質勧誘を防ぐために数ある娼館の中のトップに話をつけると言い出し、黙って結果を待っていては男が廃ると無理を言って着いていったのだ。


 麗しの美女たちに囲われて不安になり、ちょっと好みだと思っていた受付のユマにも完全に捕食対象として見られ、とうとう相手の顔を見るところまでいった辺りで記憶は途切れている。


「落ち着いてきたみたいね」


 微笑む女性。彼女が指を鳴らすと同時、どこかぼんやりしていた思考が一段クリアになった。そしてガブリエルは、ようやく目の前にいる女性がどのような存在なのか意識できるようになる。


 女性は、明らかに悪魔族の系列に連なる存在だ。

 悪魔の羽と漆黒の細い尾、そして彼女から感じる強烈な存在感がその予想を肯定している。服装は大胆な露出がありながらどこか気品のあるもので、顔は先ほどまでの「母性的」という漠然としたものではなく美女であることが分かる。


(いや、唯の美女じゃない……店の女の子はみんなスゴイ美人だったけど、この人の美しさは桁が一つ二つ違う)


 そこまで考え、ならばなぜ自分がそれを冷静かつ客観的に捉えられているのか少し疑問に思う。素の状態であれば骨抜きにされてもおかしくないというのに。

 こちらの疑問を見透かしたように、女性は口を開く。


「今、貴方に魅了チャームの魔法をかけてるわ。普通のチャームはただ使ってきた対象に夢中になるってだけで効果時間も短いんだけど、私のは特別。魅了の段階を細かに操ることができる。適度に魅了をかけることで逆に相手の平常心を保たせることだってできるの」

「成程……?」

「貴方、娼婦たちに捕まり続けて精神的に参ってるんでしょ? それに、初対面のときちょっと威嚇しすぎちゃったもの。可哀そうだったからサービスのメンタルケアよ」


 女性がまた一つ指を鳴らすと、更に冷静さが戻ってくる。

 同時に、やっと絶世の美女を目の前にしている実感が湧き、一瞬見惚れそうになる。なんとか頭を振って邪念を払うと、女性はその仕草を愛おしそうに見つめていた。


「さて、チャームのレベルを適度に下げたところで改めて……初めまして。『大魔の忍館』のオーナーを務めるキャロライン・ターンワルツよ。キャロでいいわ」

「キャロさん……あ、お、オレぁガブリエルって言います!」

「知ってるわ。ハジメに聞いたし。ごめんなさいね? ハジメ程の隔絶した実力者が直接会いに来るとなると、流石に笑顔で歓迎とはいかないの。その為に様子見で放った威嚇で貴方は失神してしまったってわけ」

「マジでか……くそっ、自分からアニキに着いていくって決めてたのに情けねぇ!」


 ひたすらハジメの足を引っ張りっぱなしの自分を叱責しつつ、改めてキャロを見る。


 現在、ガブリエルのレベルは30少し。

 そのガブリエルを威圧感だけで圧倒するとなると、最低でもその二倍のレベルはあると見ていい。レベル60以上など世間では魔王軍幹部か、魔王直属の部隊レベルの戦闘能力だ。それほどの悪魔の傑物が人類に敵対していないのは幸運としか言いようがない。

 そこまで考え、はっとする。


「そうだ、アニキは!? アニキは何処に!?」

「落ち着きなさい、話してあげるから」


 キャロは諭すような優しい口調でガブリエルに彼が失神した後の出来事を語る。その声は甘く妖艶で、おそらく既に魅了状態でなければそのまま洗脳されてしまいそうなほど官能的だった。




 ◇ ◆




 ――扉を開けてすぐに倒れたガブリエルに呆れながら、ハジメは堂々とキャロと向かい合ったという。流石は人類最強と噂される最上位冒険者の一人、キャロもすぐにハジメと事を構えるべきではないと悟った。


 そしてハジメは単刀直入に、無理な勧誘を抑制するよう頼んできたという。


『今は大きな問題になっていないが、いずれは問題になる。なにせ幾らガブリエルが娼婦にとって好みだからといって、この手が常態化されれば彼以外からも金を搾り取る娼婦が出てくるのは自明の理だ。そうなると衛兵も黙ってはいられない』

『ふぅん、心配してくれてるんだ。でも自分たちの身は自分たちで守ると言ったら?』

『この近辺のギルドで手に負えない問題が出てくると、最後には俺に回される。これは果たして互いにとって得か? 損か?』


 キャロは暫くは牽制しながら容易にはハジメの言葉に頷かなかった。

 しかし、ハジメもこのまま問題を放置はできないと主張。

 議論は平行線となり、二人は折衷案を探し出す。


『条件を聞こうか』

『強引な勧誘を行っている娼婦たちを納得させるには……ニャンニャンバトルしかないわ』

『そうか、ニャンニャ……すまん、全く聞き覚えのない言葉だ』

『大人の男と女が夜のベッドの上で意味深なニャンニャンするのよ』

『すまん、想像はついたが矢張りよく分からん』

『あら、もう30歳にもなるのに娼館利用経験ないの? もしかして清い人?』

『経験はない。性欲が湧かなくてな。不能かもしれん』


 男として致命的な問題を心底どうでもいいことのように語るハジメに流石のキャロも戸惑ったが、ざっくりとルールを説明すると概要は理解して貰えた。


『成程……男は娼婦に抵抗してはいけないが、娼婦は仕事の範囲で手を出していい。部屋には媚薬の香を焚く。制限時間は夜が明けるまで。男が制限時間までの間に失神するか敗北を宣言すれば男の負けで、制限時間内に敗北宣言を引きずり出せなかったら娼婦側の負けと』


 なお、負けを認めさせる方法については敢えて言わない。

 ここは娼館で相手は娼婦だ。


『ちなみに娼婦側は人数制限なしね』

『偏見で済まないが、娼婦側に相当有利な条件じゃないか?』

『元々男が不利なものだし、彼女たちも生活が懸かってるわ。ただしリベンジは何度でも受け付けてあげる。でもその前にそうねぇ……流石に不能相手じゃ勝負成立しないから確かめていいかしら?』

『そういえばそうだな……』


 ――その後、キャロとハジメの間に何があったかは誰も何も語らない。ただ、少し息を荒げたキャロのお墨付きで「もうめっちゃバッチリ」という判定が出たという事実だけが残った。

 結局、細かな条件はあれどハジメは勝負を受けたという。


「そんなことが……いや、待ってくれ! それじゃ……!」

「ええ、奥のVIPルームで貴方を強引に勧誘していた子たちに挑んでるわ。今の時間は午前三時よ」

「そんな、アニキ……!!」


 記憶が正しければガブリエルが店に来たのは午後10時ほど。

 交渉がどの程度の時間を有したのかは知らないが、何時間もかかったとは思えない。ハジメは性搾取される男たちを守る為に、ガブリエルが眠りこけている間に既に戦いに突入していたのだ。

 愕然とするガブリエルの肩をキャロはぽんぽんと叩いた。


「始まってしまった勝負はもう止めることもルールを変えることも出来ないわ。あの人倫を絶した冒険者さんを信じなさいな。仮眠室を貸しましょうか?」

「……そうまでして」

「ん?」

「そんなに搾取してぇんですかい? オレみたいな哀れなオークが町を普通に歩いて金稼ぐことも許さんのですか? 風俗経験もないアニキに勝ち目の薄い勝負挑ませてまで、金を搾り取りたいんですかい!?」


 ガブリエルは絞り出すように叫ぶ。


「オレは昔気質の親父に育てられた古いオークだよ……頭もあんまりよくはねぇ。エルフ共には意味もなく罵倒されるし通りすがりの子供に挨拶しただけで衛兵に睨まれる。それでも冒険者としてやってきて、やっと一線張るくらいに認められ始めたんだ! なのに、娼婦どもに目ぇつけられてからいつもいつも金も体力も搾り取られる!! なんとか回復薬で誤魔化して戦ってきたが、もう限界なんだッ!!」


 最初は運が悪かった、通る道が悪かったと思っていた。

 女に手を上げてはならないという誓いを守って、偶然嵐にぶつかったのだと自分に言い聞かせて耐えてきた。しかしその翌日も、更にその翌日も彼女たちはガブリエルを捕まえにやってきた。


 何度も断った。

 嫌だともしたくないとも言った。

 しかし、彼女たちは耳を貸すことなくガブリエルを強引に店に連れ込み、殆ど無理やり行為に及び、金まで奪っていく。衛兵に相談したこともあったが、鼻で笑われた。先輩や仲間にそれとなく相談したが、今度は誘ってもらえるなんて役得だろう、自慢話かなどと笑われた。


 違う、そうじゃない。

 嫌なんだ、辛いんだ、苦しいんだ。

 なのに、なんで誰も真面目に取り合ってくれないんだ――!!


 ガブリエルの慟哭を最後まで無言で聞き届けたキャロは、気が重いとばかりに一つ小さくため息をつき、やがて口を開く。


「知ってる、ガブリエルくん? 世界は幸せな人がいると、不幸な人も生まれる。私たちは限りある幸せを奪い合って生きているのよ。そして幸せを奪おうとする人には二種類いる。幸せに溺れてしまった人と、幸せを持たない人。君を強引に連れ込んだ子はどっちだと思う?」

「……ッ! ……幸せを持たない方だって、言いたいんですか」

「そうは見えないでしょ? でも、そうなのよ。容易に想像がつくの……あの子たちの店、経営が上手く行ってないから。粒ぞろいなんだけど宣伝に回すお金がなくて、代金も安いからサービス悪いんじゃないかって周囲に勘違いされてるの。貴方、実際はどうだったか感想聞いてもいい?」

「……悔しいけど、すげぇ悔しいけど、これがプロの仕事かって思うくらいには……」

「うふ、勿論お客さんへの思いやりが抜けちゃうと一流の仕事とは言えないわ。でもね……この業界の女の子たちっていうのはさ、後がないのよ」

「え……」


 どこか遠い目をしたキャロは、窓の外に広がる夜の帳を見つめる。


「うちはプロとしてやってるけど、娼婦や娼館は普通、世間に自慢できる職業ではないわ。だからそんな道を行く子は大抵、そこでしかやっていけないような事情と理由、目的があるの。天涯孤独、混血差別、貧困、国籍問題、家族、犯罪歴……」


 世の中には、特別な理由も非もないのに堕ちていく人間がいる。

 娼館を含む夜の通りは、そんな人間の集合体だという話は、ガブリエルも聞いたことがあった。でも、あの無邪気な娼婦たちがそこまで死に物狂いだとは思っていなかった。


「もしここでも仕事出来なくて次の仕事探した時に、元娼婦ですって言って雇って貰える? よしんば隠して再就職しても、誰かにバレたら追い出されるかもしれない。衛兵もね、犯罪に巻き込まれた娼婦には意外と冷たいのよ。どうせお前の自業自得だろうって」


 ガブリエルはその言葉にはっとする。

 衛兵に相談しに行ったとき、ガブリエルはてっきり自分がオークだから相手にされないのだと思っていた。だが事実は少し違ったのだ。


 オークと娼婦の問題だから、衛兵はまともに扱わなかったのだ。

 どちらに対しても偏見を持っているから。


「知らなかった……そんな厳しい世界だったなんて……」

「冒険者が戦いに身を投じなければお金を稼げないように、ここは娼婦たちの戦場なのよ。だから彼女たちのやり方を正当化する訳じゃないけど、事情くらいは分かっちゃうのよね……」


 悲しそうに笑うキャロに、ガブリエルは何も言えなくなり、自分の情けなさと浅慮を恥じた。

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