断章-1(2/4)
土砂で埋まった遺跡の出入り口から、ずぶり、とオロチの頭が出る。
オロチは頭に土がこんもり乗ったまま静かに周囲を見渡して、誰もいないのを確認すると土の中から完全に姿を現した。
(探知、索敵、共に反応なし。視界はゼロ。ふむ……)
この世界では遺跡はどんなに人の手が入っていなかろうが篝火で照らされている。しかし、暗闇であることを前提に作られた遺跡と超古代の遺跡に関してはその限りではない。オロチの視界にはただ暗闇だけが広がっていた。
無論、忍者であるオロチは闇遁によってある程度闇の中でも周囲の状態を把握できるし、もっと言えばリザードマンは種族として暗視が可能なのでそのまま進む。
(事前に調べた紀元前の遺跡と類似した意匠が感じられる……ここが陛下のおっしゃられていたという例の遺跡と見てよいか)
遺跡自体が傾いているため常人ならば歩きづらい足場を、オロチは音もなく進む。遺跡の傾きも女王アトリーヌから得たという情報通りだ。複雑な通路の類は一切見受けられず、ただ広い空間が広がっている。
空間の最奥には台座のようなものがあり、恐らくはそこに神器が納められていたと思われる。
(碑文や壁画の類は……ん? この紋様は鎚か? メーガス女史に見せられた、森の遺跡に刻まれた十の武具の中にあった鎚とそっくりだ。ということは、やはり森の遺跡にあったものは神器を表わして――)
思考の刹那、突如として暗闇の中に気配を感じたオロチは即座に顔を忍頭巾で覆ってクナイを引き抜いた。
直後、背後にショートソードを握った女性が迫っていた。
一瞬の攻防。
女性の剣がクナイの鋭い斬撃を華麗に掻い潜り、オロチの身体を切り裂く。丈夫な鱗を貫いて鮮血が闇に舞った。
(速い!!)
女性は無言で容赦の無い追撃を畳みかける。
種族はハルピーだろうか、翼と一体化したような形状の手は空を切ることに特化しているため斬撃の速度に優れている。
オロチはそれに対応しようと体技を駆使するが、忍者として培ったありとあらゆるクナイ捌きの技術が全て寸でのところで掻い潜られ、瞬く間に全身が傷だらけになっていく。遂に女性の刃はオロチの心臓を貫き――ぼふん、と、音を立ててオロチの姿が煙と消えた。
「なっ、偽物ぉ!?」
女性が思わず叫んだ刹那、彼女の背後から気配を消していたオロチが忍者刀を手に音もなく迫る。遺跡に侵入したオロチは最初から分身だった。
油断の隙を巧妙に突いた完璧な奇襲――しかし、刃が当たる寸前に女性は間一髪で回避してカウンターの刃を放つ。オロチは身を捻って躱すが、そのひねりに追従するように刃が迫ってオロチの首筋を貫いた。
ぼふん、と、またオロチが煙に消える。
女性は手応えのなさから即座にこれも偽物と気付き、悪態をつく。
「けっ、分身使いか! でも何度も同じ手は通じんよ!? スラップシーカー、燻り出せ!!」
女性が即座に魔法を発動し、濁った光を放つ魔力の球体が二つ出現すると柱の陰から様子を窺っていた本物のオロチに迫った。
スラップシーカーは敵の気配を自動追尾する魔法だが、気配を消して掻い潜ることは可能だ。しかし女性は正確にオロチの位置を把握していたため魔法もそれに従った。
オロチは無言でスラップシーカーにクナイを放って破壊する。
自分から声を出して存在を知らせる愚は犯さない。
そして、今の時間稼ぎの間にいくつか分かったことがあった。
(この遺跡に転移系の設備は見当たらないのに突然現れたのは、恐らくは転移。魔力光がなかったので異能の類か。恐らく侵入者の発見も異能の力によるもの。しかし複数の異能を同時に持つことは転生者には出来ない。感知と転移を別々の転生者が担っているか、或いは空間に関わる異能。どちらにせよ、遺跡は常に何者かによって監視されていたとみるべきか)
ともなれば、相手はシャイナ王国の刺客だ。
シャイナ王国の正規戦力の中に暗闇でオロチの動きを完全に見切るほどの実力者はいないため、恐らくはルシュリアの部下のような王侯貴族の私設部隊の類だろう。
撤退すべきか、倒すべきか。
(倒すしかない)
オロチは即断した。
理由は単純明快で、攻撃速度から逆算した相手の移動速度がオロチを上回っているからだ。恐らくは逃げようとしても逃げ切れない。ならば戦うしかない。オロチは深く息を吐き出し、高速換装スキルで全身にリザードマン専用の鎧を纏う。
手の側面や脛、尾などに近接戦闘用の刃が仕込まれた完全格闘専用装備――『斬鬼の鎧』。準神器クラスの性能を誇るこの全身鎧は、NINJA旅団の中でも特に体術に秀でたオロチの本気の戦闘装備の一つである。
全身にバフをかけ、オロチは分身を交えて一斉に女に斬りかかった。
正面、側面、時間差、背面――あらゆる角度から手刀、蹴り、オーラ、尾による攻撃が迫る。しかし女はそれら全てを的確に見切り、躱し、ご丁寧に鎧の構造の脆い部分を次々に刺し貫いていった。文字通り目を疑う早業の連続にオロチは内心唸る。
(超加速の異能……いや、加速ならば別の戦いようがある筈。こやつの速さには違和感がある……)
当然のように、分身を出すだけ出してオロチは影遁で闇に紛れて隙をうかがっていた。しかし女性はソニックブレードなどの飛び道具で完全に見えない筈のオロチの影を正確無比に攻撃してくる。
やむを得ずそれらを最低限の動きで弾きながら、オロチはそれらの攻撃が強力ではあるが最上位には一歩足りないと感じる。しかし、それでもオロチとは互角かそれ以上。一瞬の油断で敗北しかねない。
女は悪態をつく。
「うざ……鼠退治にしちゃあ気合いの入った相手じゃん? ったく、召集のせいでこちとらおやつ食べそびれんだから……ダラダラ時間稼ぎしてないでとっとと来いや」
オロチは無言で構えながら、改めて相手を観察する。
女は目を覆う『サーチゴーグル』という装備を装着しているようだ。
(確か望遠、拡大、透視、暗視など視覚に関わる能力を軒並み最大限に強化するアイテム。気配を消しても影遁を使用しても正確に位置を割られているのはこれのせいか)
嘗て転生者ライモンドが生み出し世を乱したとされるライモンド装備の一つで王家が回収した品の筈だが、それを相手がつけているというのは殆ど所属が特定できたようなものだ。
そして、彼女の持つ剣や種族、言葉にある訛り、そして異常な反応速度といった条件を加味したオロチは、師の調べ上げた転生者、及び転生者候補のリストの中から相手の正体をおおよそ割り出していた。
「『天衣無縫のコムラ』殿とお見受けする」
「げ。こんなロートルのことまだ覚えとる奴おるんけ……」
「御年三十四歳、元アデプトクラス。冒険者登録は解除済み。唯の一人も触れることが叶わない驚異的な回避能力は今なお健在ということですか」
「なんかハズぅ……でもま、キミ墓穴掘ったな。正体知られたら余計に無事で帰せんくなるやんか。おまけにレディの年齢堂々と暴露するんは……処刑モノじゃん!!」
コムラは刃を構え、好戦的な笑みを浮かべてオロチに肉薄した。
オロチは忍者の意地と誇りを賭けて、全身全霊を以て迎撃する。
無明の神殿に、刃と鎧のぶつかり合う火花が鮮やかに舞い散った。
◆ ◇
――幾度太陽が昇り、そして沈んだことだろう。
気付けばオロチがオロチとなる以前の彼の体は全身がボロボロになりながら突き落とされた穴の外に這い上がっていた。もう一歩どころか指の一本すら動かせないような極限状態にあって、それでもオロチは雑草でも虫でも何でも喰らって命を無理矢理繋いだ。
殆ど理性を失い動物の生き血を啜りもした。
リザードマンの生命力を以てしても生きるか死ぬかの瀬戸際だった。
それでも、オロチは突き動かされるように命を現世に留めた。
唯一つ、知りたいことがあったからだ。
兄はなぜ消えたのか。
自分と妹は何故死ななければならなかったのか。
真実を知る為に、オロチは眠気を堪えて身体を引きずった。
寝れば、もう目が覚めないかもしれないと気付いていた。
夜半、オロチは村に辿り着いて自分の家に向かった。
家からは楽しそうな談笑が聞こえてきた。
妹が凄惨な死を遂げ、オロチが死の淵を彷徨っている中、家族はそれについて特に何も感じてはいなかった。
サンニンモナリツチサマニササゲタカラ、アナタタチハモットモカミニアイサレルノヨ。
オマエタチガリハツデシンコウニアツカッタカラ、オマエタチモシンコウヲヒキツイデイキナサイ。
アナタタチモコドモヲウマセテタクサンナリツチサマニササゲルノヨ。
ソウダ、サイテイデモゴニンハウマセテヨニンササゲレバムライチバンマチガイナシダ。
ササゲラレタキョウダイタチハバカダッタカラオトサレテ、ボクタチハカシコイカラカミニエラバレタンダネ。
ミンナバカダナァ、トウサントカアサンノイウコトヲキイテナリツチサマヲシンジテレバヨカッタノニ。
ホントウダナァ、アハハハハ。
デモアノコタチモホンモウヨ、ハハハハ。
ハハハハハハ。ハハハハハハ。
オロチはそれが人間の会話だとは感じなかった。
同じ言語を用いて行なわれる非人間的な音声の羅列に感じた。
信仰やその理由はオロチも多少は知っていた。
だから、まだ精神的に未熟だったオロチは、未熟故に即座に結論を出した。
この親子は騙されて切り捨てられて苦しんで死ぬ為だけの命を腹を痛めて生み、育て、それを孫子の世代に連綿を受け継がせていく。ただ捧げられて死ぬ為の家畜のような人生を送らされる自分のような存在を、何世代も、何世代も、何世代も何世代も何世代も。
そしてこの村ではそれが当たり前であり、内臓が潰れて血反吐を吐き出しながら藻掻き苦しんで死んだ妹と同じ思いをする存在がこれからもナリツチ様というわけのわからない存在のために生まれ続ける。
復讐心はなかった。
怒りもなかった。
そこにあったのは、純粋な思いだった。
この村は、土着神は、信仰は、これからの世に存在すべきではない。
あれが正しいと彼らが言うなら、その正しさを残らず消すべきだ。
オロチはただそれだけの使命感を果たすために、いつもの帰宅と同じ足取りで家に入っていった。
数秒後、四人分の身の毛もよだつ悲鳴が民家から響き渡ると窓に夥しい血痕がべしゃりと張り付き、幾つもの尾を引いて滴った。




