32-13 fin
魔法学術都市リ=ティリは一種の自治都市だ。
当然ルールについても隣接する三国とは異なるものが用意されている。
魔法の始祖にして魔導十賢の祖を束ねた偉大なる魔法使い、エイン・フィレモス・アルパの遺物を漁るなどリ=ティリの民からすれば神殿や教会を破壊するようなあり得ない大罪である。
だからその禁を犯したアグラニールはさぞ大罪に問われるのかと思いきや、なんとリ=ティリにはとんでもない免責事項が存在した。
――リ=ティリの外に出た咎人は追わない。
「ば~~~~っかじゃないのぉ!? おにぃを脅かそうなんて考えてる輩を放置なんて神が許しても妹の私が絶対許さないんですけどぉ!?」
ハジメの義妹、オルトリンドは激怒した。
必ず兄に近寄る薄汚い犯罪者を始末すると決意した。
という訳で、オルトリンドは事情を知るや否や勝手にアグラニール追跡チームを編成していた。
メンバーはルミナス、オロチ、ブンゴ、ぽち、その辺で拾ったゲンキ・イリヤマとかいう冒険者だ。
法律のオルトリンド、現地協力者ルミナス、鑑定チートのブンゴ、追跡のプロのオロチとわりかしガチで捜索し捕まえる気満々である。ぽちは勝手に付いてきた。
ゲンキに関しては不遜にもハジメ打倒を掲げる冒険者なので特に罪はないがアグラにぶつける鉄砲玉にするつもりである。本人は「強敵との戦いなら任せろ!」とバリバリにノリノリだが。
リ=ティリの遺物強奪現場に向かいながらブンゴがぼやく。
「いや、実際馬鹿なルールよね。こんな都市の外壁突破しただけで無罪放免て犯罪ナメすぎだろ」
「厳密には無罪とは少し違いますぞ。各国に犯罪者と罪状について情報は送られますし、指名手配になることもあります。ただ、リ=ティリの魔法使いたちが追跡しないというだけです」
「食い逃げくらいのレベルになるとほぼバレねえじゃん。いくら外がここの連中にとって世俗だなんだって馬鹿にしてるからって、追う為に外に出たくもないってどゆことよ」
ブンゴの言い分は尤もで、いくら犯罪でも軽犯罪はよほど悪事を重ねない限り指名手配になることはなく、そんな人間を草の根を分けて見つけようなどという衛兵はまずいないだろう。
ブンゴの疑問に答えるのはルミナスだ。
「リ=ティリ内は犯罪者率がとにかく低いですし、仮にやらかして逃げようとしても全方位を高い外壁が囲んでいると出口は絞られます。そして出口には厳重な警備があって、非常事態には魔法使いたちがマジックアイテムで身を固めて警備するので……」
「そもそも出られないということですな」
「はい」
オロチの言葉にルミナスは頷く。
言われて見れば、周囲をぐるりと取り囲む外壁を力尽くでぶち壊して突破というのは現実的ではないなとブンゴは気付く。
「実際、追わないのには色々理由があるんだと思います。そもそも追う必要のある罪人が出てない。俗世での人捜しに慣れてない。なにより……よほど貴重品を持ち出されない限りは金銭被害より研究時間を優先するここの人達にとって、それが一番合理的だったんだと思います」
「ある意味、理にはかなっていますな。執着や復讐心、怒りの心は際限なく広がりがちですし、再犯の可能性も低いなら追い回す労力に見合っていないと割り切るのも執着を断ち切る手段の一つです」
現にオルトリンドは兄に危害を加えるかもしれないという理由で貴重な休暇をアグラ探しに費やしている悪い例なので、理屈としては理解出来る。しかし、それはそれとしてやらねば気が済まないこともある。
「唯でさえおにぃとの甘え時間が減っている今、手柄を立てて一杯構って貰うんだから!」
「この義妹欲望を隠さねぇ」
「ハジメ殿がオープンな性格になってからこちらも拍車がかかった気がしますなぁ」
「妹さんこんな人なんだ……」
ちなみにゲンキはというと犬好きなのかぽちを頭の上に乗せてルンルンで犯罪談義に興味は無いようだ。ぽちは犬扱いに複雑そうな気分だが。
『これでも魔界では大魔獣と呼んでいいくらい強いんだが』
「じゃあ俺と契約して一緒に冒険しようぜ。俺最近テイマーに興味あるんだよなぁ」
『俺は安くないぞ? なんせ既に四人と契約してるからな』
「でも暇なんでしょ?」
『そりゃ、まぁ……番犬は暇なくらいが丁度いいとはいえ自分からやること探さないと何もやることがないのは違うと思うんだよ』
「んじゃ、召喚の優先順位一番下でいいからさぁ」
そんなこんなで現場に到着。
警備の魔法使いが一瞬目を細めるが、ルミナスが書類を見せると警備が道を開ける。
「マリアン師匠は外で活動しているので、事件後すぐにアグラ捜索に必要な権利を勝手に押しつけられたみたいでして……せっかくなので一筆したためて貰いました」
「助かるわ。【風天要塞】マリアンのご厚意を無駄にしないよう早速状況を確かめましょう」
オルトリンドは仕事モードでつかつか現場に入り、他の面々もぞろぞろ入る。見た目が犬な生き物まで入ることに見張りは何か言いたげだったが、この集団がマリアンの委任を受け、先だっての試験で凄まじい魔法を見せつけた集団と故知の関係なため文句も言いづらいようだ。
微妙な空気に気付いたルミナスが念を押して注意喚起する。
「この先にあるのは聖エイン・フィレモス・アルパ様の極めて貴重な遺物ですので、くれぐれも粗雑に扱うことのないようにお願いします」
「あいよ。こんなこともあろうかと現場を汚さない為の捜査手袋をショージに用意して貰ってるぜ~」
無駄に準備のいいブンゴが配布した手袋を勝手に付いてきたぽち以外全員が装着した。ぽちは相変わらずゲンキの頭に乗せられているが、ちょっと残念そうだったのでブンゴは今度ぽちの装備をプレゼントしてあげようと思った。
流石は世界の大偉人の遺物を管理する場所だけあって豪華、かつ一つ一つの物が壁に埋め込まれた強固なケースの中に収められている。アグラニールはこれを開閉するマスターキーを強奪していたようで、ケースはどれもが空けられていた。
オルトリンドは周囲を見回すと、見張りに問う。
「現場が荒らされた後は物を動かしましたか?」
「遺物が盗まれていないかどうか一つ一つ確認し、あるべきケースにあるべき遺物を戻しました。故に、空になったケースに入っていた遺物は盗難されたものと考えています」
「成程。現場保存の原則は守られていないか……逃走経路は?」
「飛行魔法を使いつつ壁上の防衛兵器を破壊して空から逃走したと見張りから。もう飛行魔法を安定化させているとは予想外で、追跡する間もなく……」
「盗まれた道具は?」
「杖と魔導書が一つずつ。それと、【聖者の頭】と呼ばれる石像が消えています」
「石像……?」
アグラニールが強さを求めたなら伝説の装備を求めるのは理解出来るが、石像を盗む意味が分からない。
「何か特別な力がある石像なのですか?」
「それが、記録が残っていない為に人の顔を模ったものであること以外の情報がありません。ただ、聖アルパ様の遺物の中でも最も古いもので、鑑定も一切受け付けず経年劣化もしないため神代の遺物と目されています」
「……分かりませんね。一体何の為にそんなものを?」
「聖アルパ様の再臨である自分の所有物だとでも言いたいのかもしれません」
ここにはいないアグラを侮蔑するように門番はそう言い捨てた。
そんな中、ブンゴが二つの本に着目する。
「おっ、噂をすれば……右の本、こいつも多分神代の品だぜ。武器っぽいけどなんで盗まれてないんだろう。ルミナスちゃん知ってる?」
「多分、【開かずの書物】ですね。見張りさん、合ってます?」
「その通り。誰も本にかけられた鍵を開けられないことからそう呼ばれています。本が開けないため装備としても使えないのです。ブンゴさんでしたか、よくお気付きになられましたね」
見張りは素直にブンゴの審美眼を称賛し、価値を分かる人間に機嫌をよくしたのか説明を重ねる。
「左にある書物は【読めずの書物】と呼ばれるもので、聖アルパ様直筆なのですが不明な文字が使われており解読が出来ていません。常に世には謎があるが故に探究心を忘れるべからずということで写本が販売され、学問のお守りや土産のように扱われています。よければ私の写本をお渡ししますよ。文字の形状や行間まで完全にコピーした最新版です」
「お、マジ? さては布教用だな? じゃあちょっとお借りしてっと」
ブンゴはもう目を引くものは見終わったのか写本を読み込み始める。
オロチがそっとオルトリンドに寄って耳打ちした。
「分身を使って確認しましたが、襲撃から逃走までのルートはリ=ティリ側の認識と齟齬がありません。臭いでの追跡を試みましたが、風魔法で上手く残らないようにしていたのか出来ませんでした。ただ、純血派という方々が占術でおおよその位置を割りだしたことには、どうやらドメルニ帝国側に向かった可能性が高いようです」
「別の国を経由して撒くつもりですか。思いのほか賢しいですね」
盗品についての情報は部屋のケース手前にある説明文書から得られる以上のものはなく、身内であるヴァーダルスタイン家もアグラの行動は寝耳に水で大混乱状態らしい。どうもここにはこれ以上アグラを追うのに有用な情報はなさそうだ。
と、ブンゴが写本の文字に唸っているのを面白がって覗き込んでいたゲンキの頭の上で、ぽちが動く。
『ゲンキ、ちょっと本に近づけてくれ』
「はいよ。どう、見える?」
『うむ……うむ。この文字は古代魔界言語に似てるな』
「ぽちってば物知りだなー、犬の癖に」
『犬じゃねーし癖には余計だッ!! 鑑定できないってことは、多分暗号化されてるんじゃないか? 古代には文字列を暗号化して鑑定能力を阻害する特殊な技術があったと聞いた事がある。ルーン文字のように文字そのものが力を持ち、組み合わせたうえで術式が目視した人間の頭の中で完成する七面倒くさいやつだ』
思わぬ博識ぶりを披露したぽちの言葉にブンゴが驚く。
「なんだと!? それでずっと上手く読めんかったんか! じゃあこのクソダサ帽子を被れば……」
アルミホイルで作った防止にアンテナを挿したような奇天烈な帽子を取り出したブンゴに、ゲンキとぽちが同時に引く。
「うわっマジでダサ。直視に耐えない」
『持ってる奴のセンスを疑う。金払うって言われても被りたくない』
「ショージ制作のネタアイテムなんだよマジな反応すんな!」
本人もちょっと嫌そうに装備して再度読み込み始めたブンゴ。見た目が完全に関わり合いになると碌な事が無いタイプだが、飛び飛びながら写本を解読していく。
「……我、ここに記す……世界の安寧……時期尚早……最後の、防衛……鍵を見つけて……うん? 本そのものが鍵? 誤訳か? ……そんで、ええと……え? え?」
ブンゴが突然写本から目を離して【開かずの書物】を二度見した。
そして写本を穴か空く程見つめ、「はぁぁぁ!?」と叫んだ。
見張りが顔を顰める中、隣で見ていたゲンキが訳が分からず尋ねる。
「おーい、一人で盛り上がってないで説明してくれー」
「いいですか、落ち着いて聞いて下さい」
ブンゴは混乱無効効果のある謎丸眼鏡を取り出してかけると、引き攣った顔で、【開かずの書物】を指さした。
「あれ、十の対魔王武器のうち遺失したものの一つです。つまり、神器です。アグラは神器に適合しなかったから置いていったものと思われます」
一瞬の沈黙、そして――。
「「「「「えええええええええ~~~~~~ッッ!!?」」」」」
その場の全員の大絶叫がリ=ティリに響き渡った。
ハジメ、バタフライエフェクトによって何故か今回の目的ではない神器を歴史の隅から引っ張り出す。
「ッシャオラァ!! おにぃの目当ての書物見つけたったわオラァ!! これはもうおにぃは喜びの余り一週間甘え放題券くれること間違いなしッ!!」
「あのー、オルトリンド殿? 本来の目的をお忘れではないですかー……?」
――このとき、その場の全員が衝撃の余り気付いていなかった。
ブンゴでさえ解読が難航する【読めずの書物】に神器の正確な情報が記されていた、その意味の重大さに。
あらゆる検閲に「そもそも読めないから」とスルーして相応に多く発行されたその書物は、世界に対する爆弾を内包したまま、お守りや土産として既に世界にばら撒かれている。
【読めずの書物】は、読めないからこそ何も脅かさない本だった。
そのことを世界が思い知るのは、もう少し先の出来事だ。
ウソだろ……もっとさっくり終わらせる筈だったのに何でこんなに長いんだ……?
キリのいい場所で話を区切るために今回はなかなかにギュウギュウな話がいくつか。




