32-12
魔法学術都市リ=ティリでの試験が終わり、各々に日常が戻ってくる。
フェオ、シオ、フレイ、フレイヤ、それぞれ試験後も特に変わりはない。
フェオはコモレビ村の将来と結婚式について考えているし、シオは相変わらず時々友人と町で遊びつつも課題をこなしているし、フレイとフレイヤはヤーニーとクミラと一緒に遊んでるかと思ったら急に知識バトルを始めたり、色々だ。
些細な変化としては、クオンが自主的に勉強をするようになった。
「う~ん……う~ん……三角形の陣かなぁ?」
「惜しい、四角形の方よ。これは四大属性っていうちょっと特殊な陣を使うの」
「四大?」
「地、水、火、風のことね。循環……つまりグルグル巡ることを示す図形だけど、他の循環と比べてもよく使われるから覚えておいてね」
マリアンの思いのほか丁寧な指導にクオンはメモを取りながら眠気を堪えて勉強に励んでいる。
親として学びの姿勢を見せるクオンの様子は微笑ましく、また成長を感じる……のは別にいいのだが。
「マリアン、何を家庭教師ですみたいな面して俺の家に居座ってるんだ」
「だって寂し……暇なんだもん!!」
カッ!! と目を見開いて情けないことを言う天才。
試験も終わって既にマリアンとの仮弟子契約は終了している筈なのに、マリアンときたら弟子のルミナスと喧嘩別れした翌日にはいつの間にか村の中に別荘を買って住み着いていた。
「クオンの勉強の面倒をよく見てくれるのは親としては助かっているが、敢えてもう一度問う。何しに来た?」
「村に家を所有して住んでるんだから村のどこにいたってアタシの勝手じゃな~~~い?」
不満げに主張するマリアンだが、彼女の魂胆など分かりきっている。
「どうせルミナスがいない生活の寂しさに途端に気付いてなんかしれっと謝らず仲直り出来ないかなとか甘いこと考えてるんだろ」
「ちちちちがうし~~? そんなんじゃないし~~?」
目を逸らすマリアンだが、ハジメから見ても一目瞭然の図星である。
なんせこの女、今朝からシオと一緒に課題を手伝っているルミナスの前にそれとなく姿を見せてチラチラ彼女を見ては、ガン無視されるか「鬱陶しいんですけど他人は帰ってくれます?」と冷たく遇われては肩を落として帰ってを繰り返しているのだ。
クオンに勉強を教えているのも、むしろクオンが哀れに思って教えてくれと言い出した部分が大きい。こんなところまでクソガキじゃなくてもいいだろうに、つまらない意地を張って謝れないマリアンをどうしたものかとハジメはため息をつく。
「お前なぁ……あんなことやっておいて一言も謝らないのは天才とか師弟以前に人として多大な問題があるぞ。親しいからってなんでも雰囲気で許して貰えるという魂胆が透けて見えるからこそルミナスも無視してるんだ」
「なによ、コミュ障のくせに分かってますよ感出しちゃって!」
「まぁまぁ、そこまでにしとこうよママ。マリアンせんせーだって気持ちの整理がつかないんだよきっと」
「クオンちゃん……とってもいい子!!」
凄く大人なことを言う幼女の優しさに感涙するマリアン。
もはやどっちが年上なんだか分かったものではない。
と――件のルミナスがハジメの仮弟子として住み始めたレニス・ミーティ・リューナを連れてハジメ家の台所から出てくる。
ルミナスはマリアンにわざと肩をぶつけて通過すると「師匠、昼食の準備が出来ましたよ」と笑顔で告げる。
これまでルミナスはマリアンの食事の準備をしていただけに、そんな自分をないがしろにハジメに料理を振る舞う彼女の姿をマリアンはひどく信じられないように呆然と見る。
すると、ルミナスがくるりと彼女の方を振り返った。
マリアンは期待を決めた視線を送る。
「部外者はどいてくれます? ご飯を並べるのに邪魔になるの分かりませんか? 分からないでしょうね~。社会性や常識が欠如してるんですから。ほら、どいたどいた。クオンちゃん、お勉強はお休みしておててを洗ってきましょうね!」
「はーい!」
クオンは元気に返事をしていそいそと勉強道具やノートを片づけると、優しくマリアンの手を引いて場所を逸らす。するとレニス・ミーティ・リューナが手に持った料理の皿をいそいそとテーブルに並べ始める。
「えっと、ここはこれで……こうかしら? 並べ方が違う気がする……! リューナ、わかる?」
「落ち着いてレニスお姉様! ここは家庭の食卓だからそこまで厳密なテーブルマナーは求められてないわよ!」
「その、我々料理経験がなくて盛り付けくらいしか出来ませんでしたが……」
「いや、十分だ。それより、もし興味があるなら村の料理教室があるから足を運んでみるといい。受付は宿でとれる」
「「「はい、お師匠さま」」」
三人ともビックリするほど素直な感情で慕ってくるのでハジメとしては本当に自分の元にいていいのかと思う。彼女たちなりに元々抱えていた論文などは持ち込んでいるようだが、それ以外にも外の世界に興味津々なのか最初に出会った頃の張り詰めた感じは見受けられない。
恐らく、こちらの方が彼女たちの本来の気性なのだろう。
(それはそれとして、次の師の元に旅立つまでに俺が足を引っ張るのはよくないな。シオが纏めた資料は充分参考になっているとは言っていたが、せめてもう少し魔導書の蔵書を増やした方がいいかもしれない)
そうこうしているうちに食卓には食欲をそそる料理の数々がずらりと並ぶ。
ラインナップを見たハジメはルミナスの料理能力の高さにすぐ気付く。
効率重視なのか凝ったやり方はしていないが、とにかく失敗が少なく調理時間を短縮出来るような食材の切り方を徹底しており、彩りはもちろん栄養バランスも非常にいい。それでいて味が単調にならないよう工夫しているのがソースや素材の組み合わせ、香りなど随所から伝わってくる。
恐らくは師の元で暮らすうちに身に付けた料理手法なのだろう。
村の料理自慢達とはまたタイプが違うが、クオンの好き嫌いにも配慮した彼女の気配りが感じられた。
「美味しそうだ」
「ふふ、ありがとうございます。どっかのワガママしか言わない偏食家と違ってハジメ師匠はちゃあんと褒めてくれるなぁ」
「うぎぎぎ……」
部屋の隅で縮こまっていたマリアンに容赦なく言葉のナイフを突き刺すルミナス。
もちろん並ぶ食卓にマリアンの分など存在しない。
仮弟子三人娘はルミナスの静かな圧のせいかマリアンをちらちら見つつも触れてはいけない感じかなと避けている。
素直にごめんなさいと謝ればいいものを、と思いながらハジメは容赦なく食事を開始し、弟子たちもそれに倣う。
「三人とも、足りない蔵書はないか?」
「いえ、シオさんが貴重な蔵書を沢山お持ちなので、それだけで勉強になります」
「それに、わたくしたちからすれば市囲の実践的魔導書も研究者視点と大きく異なった捉え方をしていて」
「とミーティは言ってますけど、なんかミーティはこそこそ恋愛小説とか婚活みたいな本をこっそり読んでるんですよねー」
「ち、ちょっとリューナ! そういう貴方だって、使えもしないのに竜人の魔法についての本はないのかと愚痴っていたじゃないですか!」
「竜人か……知り合いを当たってみよう」
「流石ハジメ師匠、ご友人が多いのですね! どっかのクソガキ師匠はすぐ他人を怒らせるので親しい伝手がそれはもう少なくて……」
和やかでどこか微笑ましい団欒の時間。
……を、お腹をグーグー言わせながら離れた場所で物悲しく見つめるマリアン。
そこは素直に時を改めればいいものを、一緒に食事がしたくて仕方なく、しかし弟子にないがしろにされ、原因は分かっているのに意地のせいで謝罪できないというどうしようもなさすぎる情けない生物である。
そんな生物に、クオンはスープの皿とパンを手にとことこ歩み寄って聖母の如く微笑む。
「クオン、ちょっとご飯多すぎて食べきれないや。マリアンせんせー、お手伝いしてくれませんか?」
「クオンちゃん……!!」
マリアンは地獄に仏とばかりに感涙するが、スープの中身を見て顔が引き攣る。
「げ、キノコ……」
大きく年齢の離れた少女から身を削ってまで差し向けられた慈悲に対し、顔で「食べたくない」と堂々書いてしまうマリアンに、ちょっと温まりかけた部屋の温度が急速に下がっていった。
ルミナスが冷めた目でハジメに目配せする。
「ね。こういう人なんですよ。人の気持ちが分からないんです」
「そのようだな。クオン、先生はキノコは食べたくないそうだ。無理させずに自分で食べなさい」
「……う、うん。ごめんマリアンせんせー、嫌いなもの渡しちゃって。迷惑だったよね……」
クオンのしょんぼりした表情に、レニス・ミーティ・リューナの三人まで悲しそうな表情を隠せない。そして、クオンの善意を台無しにしたマリアンの情けなさは今ピーク、或いは株価最安値を叩きだしていた。
「ま、待って……」
肩を落として遠ざかるクオンとその奥で侮蔑の視線を向けるルミナスに、マリアンは絶望の表情で手を伸ばし――ゆっくりと、ゆっくりと、束縛に抗うように身体を床に沈め――土下座した。
「も、も……申し訳ありませんでしたぁ!! これから片付けも出来るだけします好き嫌いも矯正しますバカみたいなイタズラも卒業します!! だから、だから見捨てないでルミぃぃぃぃぃぃ~~~~~~っ!!」
数日前に自信満々で家に上がり込んできた時からは想像もしない、世界で一二を争うほどの情けないヘタレ声でマリアンは絶叫した。
――その後、ルミナスはすぐには許さなかったが、クオンに加えてシュテルム三人娘の指導を行なったりヘタクソなりに家事の手伝いをしたり、果ては村の様々な知識人に恥も外面も捨て去って好き嫌いの改善法を伝授してもらい数々の嫌いな食べ物の矯正に努力を始めたところで、漸くルミナスの溜飲も下がったようだった。
後にマリアンはこのときの経験をこう語る。
「誰もいない自宅で片づかない本や道具に囲まれて、自分で作った大して美味しくもないご飯を一人でもそもそ食べたとき、急に心細くなり、悲しくなり、涙が出てきた。昔は平気だった孤独に耐えられなくなっている自分に気付いた」
そしてルミナスはこう語る。
「ハジメ師匠はとてもいい人だったけれど、今までカツカツだった時間が急に空いたことで、何をするにも余裕が出来て積極性が失われている気がした。やっぱり自分はマリアン・ラファルの弟子なんだという気持ちといつまでも子供じゃないという気持ちがせめぎ合って、今になって思えば自分も意固地になっていた」
なお、これについてシオはというと。
「師匠まで巻き込んで結局痴話げんかじゃないですか。はー、めんどくさい師弟ですね」
「身も蓋もなさすぎる……」
相変わらず塩対応というか、なんというか。
しかもこれ幸いとマリアンの指導にも参加してるので自分は美味しい思いをしておいてこれである。この神経の図太さは逆にハジメくらいじゃないと弟子として認めがたいかもしれない、とはレニスたちの談である。
こうしてハジメは学者としての資格と仮弟子たちを得て、また新たな日常に戻っていった。
――しかし、日常に戻らなかった者もまた、存在した。
数日後、マリアンがハジメに伝えたいことがあると急に呼び出した。
「アグラニール・ヴァーダルスタインがリ=ティリの最重要保管庫に侵入し、魔法の始祖エイン・フィレモス・アルパの遺物を幾つかくすねて行方をくらましたらしいわ。瀕死の重傷から奇跡的に生還した見張りによると、『新しい暇つぶしに気付いた』って楽しそうに言い残してたってさ。これはアタシの想像なんだけど……あいつ、アンタに勝つことを暇つぶしにしたんじゃない? ……くれぐれも気をつけなさい。アタシも気に掛けておくから」
魔王は去り、世界は平和になった。
その筈なのにどうしてか、ハジメは世界の奥底で戦いの歯車が回り続けている気がした。
◆ ◇
アグラは他人の格言に今まで興味を持ったことはない。
だから、彼が格言に影響を受けるのは初めてのことだった。
「人生を最高に旅せよ……いい言葉じゃないか」
どうしてもっと早く気付かなかったのか。
手近な暇つぶしばかりで単純なことに気付かなかった。
到底叶いそうにない巨大な目標を、アグラは掲げたことがなかったではないか。
「やるからには思いつく手段は何でもやろう。ああでも、趣旨にそぐわない方法だと叶える意味が薄まるよなぁ。やっぱり積み重ねて積み重ねて、努力の末に打ち負かすという点は形式に拘りたいなぁ」
彼は先だっての試験で知ったばかりの新形式飛行魔法で空を飛びながら、抱えたものを愛おしそうに撫でる。
「【読めずの書物】の通りであるならば……これがあれば、追いつける。世界最強の冒険者まで!!」
嗚呼、夢を見るとは愚かしくも素晴らしい。
朝日がこんなにも暖かく尊いと感じたことはない。
これが夢を追うということ。
夢を追うことの愚かしさを呑み込んでまで求めるということ。
「ハジメ・ナナジマ! 俺は貴方を超えたい!!」
彼の表情からは、純粋な、どこまでも純粋な――シオに向けたそれを上回る狂おしいまでのどろりとした執着が溢れ出ていた。




