32-7
アグラニール・ヴァーダルスタイン――アグラは転生者だ。
彼は、神に優れた血筋や生まれ、魔力と魔法適正の他にあるものを要求した。
思考能力……言い換えれば頭の回転の増加だ。
それは生前の彼にとってのコンプレックスで、あればあるほどよいと思っていた。
赤子の時から誰よりも聡明で求められているものを出せるようになった。
嬉しかったし、どんどん能力を活かしていった。
しかし、研究者として先達を追い越して達成した頃になってアグラは気付く。
思考能力によって早く物事を処理出来る分、飽きるのも早くなってしまったことに。
家族に将来を有望視されるのも、研究を達成するのもすぐ終わるのですぐ飽きる。
物語を見たり読んだりしても優れた思考能力のせいで大抵は先が読めてしまう。
何もしていない時間も二倍以上退屈に感じて、とにかく何かに打ち込んだ。
少しでも時間を潰せるものを。
少しでも思考能力を持て余さないものを。
少しでも。
少しでも。
いつしかアグラは暇つぶしに執着心を抱くようになり、片っ端から研究を乗っ取るようになった。
誰かの手で研究が行なわれることが、自分の楽しみを奪っているように思えてきた。
『知恵の実喰らいのアグラニール』――よく言ったものだ。
アグラは暴食の悪魔となって知恵の実を食らい尽くしていった。
奪ってでも喰らいたい。
誰にも渡したくない。
リ=ティリという都市には暇つぶしが常に溢れている。
以前に退屈の余り町の外に出て魔物との戦いで魔法を鍛えたこともあったが、それらは大して思考能力を使わない反復作業の繰り返しに過ぎず、最上位魔法のボルカニックレイジを始めとする数々の最上位魔法を習得し終えると躊躇いなくやめた。
そして、とうとうアグラは認定魔道士試験に選出された。
アグラにとってはただ通り過ぎるだけの道、退屈な道だ。
しかし、通過すればもっと自由に知恵の実を食らい尽くせる。
アグラはたまには我慢することにした。
その、最中――彼女を見つけた。
シオ。
シオネレジア・ファウスト。
多くの参加者が目前の試験を不安視する中、彼女だけがアグラと同じ目をしていた。
こんな下らない通過点よりもやりたいものがある。
研究の足しになる時間を少しでも無駄にしたくない。
その横顔が、ひどく魅力的に思えた。
彼女ならもしかしたらアグラの気持ちを理解してくれるかも知れない。
彼女となら共に過ごして退屈することはないかもしれない。
欲しい。
欲しい。
欲しい。
彼女が欲しい。
そのために、彼女にとってアグラが有用な存在であることを示さなければならない。
(隣の男よりも私の方が優れていると理解して欲しい!!)
高い思考能力のあるアグラはシオが隣の男――ハジメ・ナナジマに心を許していることを既に見抜いていた。まだシオに興味を示していなかった頃から、彼女はハジメというひどく退屈な男を意識していた。
(私には分かる。ハジメ・ナナジマは凡人だ。1000通りの実験を馬鹿正直に1000通り行なって結果を求めようとする。セレンディピティの欠落した、退屈を退屈とも気付くことの出来ない劣った人種! 最も唾棄すべき、知恵の実を奪う愚か者だ!!)
彼女が読んでいた研究資料を盗み見てもそれは容易に想像出来る。
ただ先に生まれてひたすら同じことを繰り返したというそれだけの理由で積み重ねた知恵。それは言い換えれば浪費するだけの貯金に過ぎない。選ばれし者以外でも時間を重ねれば出来る、ただそれだけの知恵だ。
(だが君は賢い人間だ。認定魔道士試験が退屈なものだと気付いている。それならば分かる筈だ。君の意中の男はもうすぐ知恵が枯れる。私の方が君の求めるものを与えられるんだ!!)
だから、アグラは喰らうことにした。
シオの隣にいる男の知恵を、先に。
◇ ◆
ハジメの予感は的中し、面接が終わって即座にアグラはシオに寄ってきた。
「君とは仲良くした方がいいと思ってね」
ハジメの存在は視界に入っているが視線一つくれない辺り、相当熱中しているようだ。シオは積極的な彼に対して怪訝な顔をしたが、先ほどの研究が法螺ではないかどうかを知りたくなったのか普通に会話に応じた。
「――だから同族性のバフフィールドの重ね掛けはかければよいというものではないね。相性の良い別のバフフィールドを重ねた方が倍率は飛躍的に上昇する」
「ふぅん。唯のまねっこじゃないみたいね。経験に裏打ちされた知恵を感じるわ」
結果、シオは相手を相応に知恵を持った会話に値する相手と評価したようだ。
アグラが執着を上手く隠しているのか、それともハジメの見る目がなかっただけか――いずれにせよハジメは人間関係で余り煩くシオに指図する立場でもない。今のシオなら自分で判断がつくし、手に負えないと思ったら周囲に頼るだろう。
ハジメが二人を残してその場を去ろうかと考えた、そのときだった。
「どうだろう。認定魔道士になった暁にはアグラ家で共同研究なんて。きっと捗るよ」
「あらごめんなさい。わたしもう居心地の良い研究所持ってるからリ=ティリに戻る予定はないわね」
「それは師の元にいるからということかな。師というのは仮の師ではなく、ハジメという男の方の」
「へー、それも分かってるってわけ」
ハジメの話題は出たが、アグラはハジメのほうを見向きもしない。
しかし、意識はしているのをハジメは感じた。
他の誰にも気付かれずとも意識されている側は感じるような、得体の知れない威圧感が伝わってきたからだ。無論、格上魔物どころかいつぞやのシンクレアの転生特典【プレッシャー】にも遠く及ばないが、じわじわ浸透するような陰湿な敵意だ。
「じゃあ一つ勝負してみないか」
「それはわたしが何かを賭けるに値する勝負かしら?」
「第三の試験、実技試験で君の師はボルカニックレイジを使う気だろう? 私もそのつもりだ。ここは一つ、どちらが真にボルカニックレイジを使いこなしているかを勝負しようじゃないか」
「受けるわ」
「俺が受けてないが?」
勝手に話を進めるシオに思わずハジメが突っ込むが、シオは頑として譲る気はないとばかりに自信に満ちた笑みでかかってこいやとばかりに指をちょいちょいと招く動きで挑発する。
「あんたの論文は目を通したことがあるわ。成程確かに、大層優秀なのはよくわかる。畑を選ばず成果を出せるのはそれだけ優秀なことの証左。でも断言するわ。あんたじゃ引き分けに持ち込むことも出来ないから」
「嬉しいなぁ。君の予測を越えることが出来れば存分に君と語らえそうだ」
「……そういうわけで師匠!」
「そういうわけで、じゃない。はぁ……まぁいい。なら俺は引き分けにでも賭けることにしよう。互いに最適解を導き出せば自然とそうなる筈だ」
第三試験はそういう性質の試験だと事前に聞いているハジメは、ため息をついた。
アグラは「では明日、試験会場でまた」とシオのみに視線をやり、ハジメを完全に無視して去って行った。あれもあれで将来が心配な青年だ。勝つとそれはそれでしつこそうなので引き分けで手を打ちたい。
当のシオは「モテる女はツラいなー」とのんきな様子だ。
「わかってるのかシオ」
「ん、何がですか?」
「あいつ、心に危ういものがあるぞ。ついでに、あの年齢でボルカニックレイジを習得しているなら本物の天才だ。俺より断然習得が早い」
ハジメは命を放り投げたようなレベリングをしても尚、ボルカニックレイジ習得時には二〇歳を過ぎていた。それを、外で長期間暴れ回っている訳でもない彼が既に習得しているとしたら、それはもう魔法の才能としか言いようが無い。
この世界には【神の最低保証】があるが、才能というものはその保証のショートカットを可能とする。
シオ自身が言ったとおり、彼は大層優秀なのだ。
もしかすればハジメも気付いていない魔法の法則を発見しているかもしれない。
次の試験はレベルや魔力量ではなく純粋な質が問われるもの。
ハジメが絶対に勝つ保証はどこにもない。
しかし、シオは心配の欠片もない顔で笑う。
「師匠はちょっとご自分の過小評価が過ぎるんですよ」
「……そうか?」
「はい。この才色兼備の天才シオが言うので間違いありません。師匠は普通に最高効率のボルカニックレイジを放てば良いだけですから」
過去に何度も撃て撃て言われたボルカニックレイジを本当に撃つことになるとは思わなかったが、少なくともシオは何の心配もしていないようだった。そう過剰に期待されても困るのだが、この弟子ときたら師匠を何だと思っているのだろうか。
「そもそもですね、師匠、さっき水魔法で一番強いのアクアスマッシャーとか言ってましたけど、カタストロフストリームだって使えるじゃないですか。あれ普通はアクアスマッシャーより上位の魔法ですよ?」
「……? それはないな。確かにカタストロフストリームは攻撃範囲で言えば水属性最強だが、燃費が悪く速度も威力もアクアスマッシャーに劣る。広域攻撃魔法を優先的に習得すると意外とあっさり覚えられることを考えるに恐らくランク付けの方が間違っている」
「「「「え」」」」
シオ以外の周囲の魔法使いが軒並み固まった。
全員初耳という顔だが、ハジメはこの仮説にはそれなりに自信がある。
多対一の戦いが多い為に広域魔法の優先取得順位が高かったハジメは、聞いていた話より早くカタストロフストリームを習得した。当時そのことが気になって同じカタストロフストリーム使いや広域魔法が得意な魔法使いの情報を定期的に調べて貰ったりしたが、やはり広域魔法がカタストロフストリーム習得の条件として大きな割合を占めている可能性が高い結果が出ている。
すると、シオがびしっとハジメを指さす。
「ほら、そーゆーとこですよ。師匠は聞いた話と違うなと思うとすぐに調べ始める。現役冒険者からの情報や自分の経験則に基づく発見は、世界中を駆け回って誰よりも魔法を使い続けた師匠だからこそ知ることの出来た情報です。アイツは優秀だけど、知るきっかけに出会ってないものまでは知り得ません! それだけの話なんです」
「だが、こんなもの誰だってきっかけがあれば……」
「気のせいかも知れない、才能の差だろう、ズルしてるに違いない、うっかり忘れた。調べるきっかけを潰す言葉は世の中にごまんとあります。そこに気付いて調べるかどうかが研究者か否かの差です」
シオは、これ以上言うことはないとハジメの背を力強く叩いた。
その手には、弟子を信じろというマリアン・ルミナス師弟と真逆の意思が籠められていた。
この弟子は正直者だ。
正直に弟子を信じている。
そう思うと、この信頼に応えるくらいはしてもいいかと思ってしまう。
いつもハジメは最終的には弟子に甘く、押し切られる側で、でも悪くないと思える。
「ここは弟子のおべっかに乗るか……おっさんらしく経験で若造を蹴散らすとしよう」
「そうこなくっちゃ! 師匠はどっしり構えてればいいんですよ! ほら、とっとと帰りましょう。他の皆も終わってる頃でしょうから」
そこにはただ師弟という以上の温かな繋がりが不思議と感じられた。
二人は仲良く並んで試験会場を去ってゆく。
目の前で繰り広げられた学術魔法都市リ=ティリの常識に当てはまらない光景と言葉の数々に唖然とした人々を残して。
そして、残された魔法使いの一人――シュテルム一派のレニングスタことレニスはまたもや見たことも聞いたこともない師弟観に「また教わってないの出てきたッ!!」とすました顔の裏で孤独にパニクっていた。




