31-5 fin
相変わらず距離感ゼロの友人同士である二人の様子を遠くから観察するアマリリスとウルは、一先ず胸をなで下ろしていた。
「いやー、人間関係クラッシャーだったらどうしようかと……」
「ハジメさんがただ押されるだけじゃなくて駄目なところはしっかり押し返してる辺り、きちんと友達なんだね」
ハジメハーレム計画遂行者の二人としては、和を乱す女は大敵である。しかもウルの妹の恩人(という風に村人には説明されている)という立場である以上は手荒なことも出来ない(というかウルはアンジュに思いっきり苦手意識を抱いている)ため予断を許さない状況かと思われたが、予想よりはまともな形に落ち着いてくれた。
「ところでさ、ウル。前々から聞きたいことあったんだけど」
「どうしたの、急に改まって?」
「うん。ウルってもしかして本名ウルシュミ・リヴィエレイアって言う?」
「ドブホフッゲホゴホッ!!」
「おー、とんでもないむせ方してる」
「なっ、なん……なんのことでっしゃろ!?」
口調までおかしくなったウルの狼狽えぶりをけらけらと笑ったアマリリスは、「じゃあこれは独り言ね」と念押ししてくれる。
「アマリリスって女の未来を私が知ってること、それが転生特典な訳だけどさ。よくよく思い出してみれば魔王についての記憶もちょっとだけあったのよね」
完全に隠しきっていた筈の経歴が暴かれた理由は、すっかり忘れかけていたアマリリスの転生特典に秘密があった。
アマリリスは限定的ながら未来を知っている。
とはいえ人として人生を全うしたほどの長さではなく、見えたものも限定的で、その未来を彼女が周囲に語ることは余りない。今となっては時折何かを思いだしたように行動する程度だ。
だが、まさかそこに魔王の正体に繋がるものがあったとはウルは知りもしなかった。
「ドッペルゲンガーの存在を聞いて頑張って思い出してみたの。あったかもしれない未来では、あたしを完全奴隷化した《《アイツ》》は魔王に挑んで、そして死んだのよ」
本来ローゼシア家にとって最悪の未来となる筈だったアイツ――妖狐は魔王の傘下になったふりをしてシュベルの地を中心に着々と手柄を挙げ、そして遂に魔王との謁見に漕ぎ着ける。
驕れるヤオフーはそこで愚かにも魔王を洗脳しようとした。
当然、その企みは失敗する。
「魔王は状態異常に完全耐性を持っているから弾かれたの。その瞬間、魔王の横に控えていた魔王そっくりの存在――ドッペルゲンガーが鬼の形相でヤオフーを原形を留めなくなるまで破壊したわ。そのときの私はもう人と呼んでいいかどうかってひどさだったしその後も碌な目に遭わなかったから今までその辺の記憶はあんまり意識してなかったんだけど……」
ウルがルリという妹を連れてきた瞬間、イヤイヤながら一度は見た記憶での魔王とドッペルゲンガーの会話が蘇った。
『落ち着きなさいってルリ』
『しかしッ!! ウルシュミ・リヴィエレイア様ともあろう御方に対してこの男のなんと無知蒙昧で愚劣極まることかッ!!』
『いいっていいって。なんともなかったし、私の代わりにルリが怒ってくれたので満足ですよ。それより聖者の遺産の行方の方が大事なんだから。ほら、おいでルリ』
『ああ、魔王様……!!』
アマリリスと魔王に接点があったのはこの一瞬のみで、その後魔王軍と勇者の戦いの決着が着く前に彼女は死んだ未来になっていた。
「私の見た未来には、色々考えたんだけどハジメがいなかったんだと思うんだよね。そこが今との大きな分岐に影響を及ぼしてるんだと思う」
言われてウルは確かにその可能性はあると思った。
ウルが本格的に魔王城から逃走するのを決定したのはハジメとライカゲの激突を間近で見て漏らしたのが大きなきっかけになっている。飛天軍団の長を倒すという快挙もなかったことになるのを考えると、ハジメは魔王軍の未来にかなりの影響を及ぼしている。
「ま、それはともかく……魔王ウルシュミとルリ、そしてウルがあんたの妹を見て初めて結びついたってわけ。でもま、私は魔王様の気持ちはよく分かるつもりだからさ……ホントに、友達として確認したかっただけよ」
ただ生きたいと、こんな人生を定められるのは嫌だと逃げ道を探した者同士。
他ならぬアマリリスだからこそ、ウルの秘め事を黙っていてくれる。
今までは己の罪を忘れて楽しんでいたが、今は共通の罪を背負うからこその関係を二人は築いてゆくのだろう。
「……そういえばアマリリスもやらかし組だったっけ」
「言い方ぁ! 誰がダブル残姉ちゃんよ! こちょこちょしてくれるッ!」
「そこまで言ってないじゃん! きゃははは、ちょ、やめて!! やめ――あ、あいつ勇者じゃない?」
「え? うそ、どこどこ?」
アマリリスはウルの指さす方向に目を凝らしたが、既にウルの見つけた人影は背中を向けて村の外へと向かっていた。ただ、その人影が背負っていた剣は確かに勇者がハジメから実質パクった大剣とよく特徴が似ていた。
「何しに来てたんだろ、あいつ。もしかしてアンジュを尋ねてきたとか?」
「アンジュ……」
二人は無邪気にハジメに絡むアンジュを見て、勇者の去っていた方を見て、ああ~……と何とも言えない顔をした。
さしずめ、初恋が最悪の形で散ったといったところだろう。
これに関してはご愁傷様としか言いようが無かった。
◇ ◆
その日、勇者レンヤは親友イングとヨモギに連れられてコモレビ村まで足を運んでいた。レンヤはまったく行きたくなかったが、二人が【星屑の大牙】――ハジメの手から盗まれて質屋で売られていたのをレンヤが購入したもの――の一件をきちんと詫びた方がいいと強く説得してきたのが理由だ。
今でもハジメのことは全く以て不愉快だ。
しかも魔王が実は討伐できておらず戦意喪失で失踪した件を、レンヤは快く思っていなかった。無論、勇者の勝利は確定で周囲にも認められたが、あれだけ地上で被害を出しながら自分だけは逃げおおせた魔王の所在が知れないことは釈然としない。
罪には罰が必要である。
とはいえ、魔王軍が壊滅したのは確かなことであり、レンヤも肩の荷が下りて少しだけ寛容になれそうな心理状態にはなっていた。だから、イヤイヤながらも仲間達の働きかけに応じたのだ。
今なら、レンヤはハジメに抱いた感情を押し止められるかもしれない。
これで縁が完全に切れるなら、仮にあの男が醜悪な本性を持っていたとしてもレンヤには関わることがない。
漸く終われる、漸く。
――そんな甘い考えは、目の前に広がる光景に消し飛ばされた。
「全く、一緒に風呂入りたいならクサズ温泉の混浴風呂にでも連れて行ってやるから。うちの村の銭湯に混浴はないんだよ」
「そっかぁ。一緒にお風呂なんてまさしくなシチュエーションだからやりたかったんだけどなぁ……ま、今度の機会にしますか。今日は二人で枕投げしよう!」
「マンツーマン枕投げは果たして楽しいのか……?」
「私は楽しいけど?」
――何を考えているのか分からないのがミステリアスで、実力は確かで、覚悟を湛えた瞳が印象的で、レンヤにずっと優しくしてくれた。
勇者パーティの中でレンヤが最も信頼し、ずっと仲間だと信じていた。
美しい黒髪にクールな表情、その中にあるどこかあどけなさが僅かに残る顔立ちの魔法使いアンジュが、あの死神ハジメの腕に抱きついて恋する少女のように頬を綻ばせていた。
そんな顔はレンヤには見せなかった。
そんな声色はレンヤには聞かせなかった。
そんな甘えんぼな一面があることなど、レンヤには欠片も明かさなかった。
「――……」
ヨモギが言葉を失って茫然自失としている様も、イングが頭を抱えて膝から崩れ落ちる様も、もうレンヤには見えていない。
ああ、なんだ、やっぱりそうじゃないか。
あの男はその気になればどんな女も引っかけられるんだ。
一生懸命に世界の為に戦った人間をねぎらいもせず、人のものを奪ってあの男は存在している。レンヤのような人間の苦悩も繋がりも何一つ感知せず、ただ目の前にある利益の果実を見れば欲望のままにもぎ取りたいと思い、実際にもぎ取るだけ。
その姿が、たまたま男を知らない純な女には魅力的に見えているに違いない。
レンヤは両目を虚ろに、しかし瞬き一つしないほど見開いたまま無言で来た道を引き返した。転移台すら使わずヨモギとイングが後ろにいるかどうかさえ考えず、ただただ今は歩きたかった。
「――魔王だ」
自然と口をついて出たのは、神器を握っていた頃に譫言のように繰り返した言葉。
「魔王を殺せば幸せになれる。魔王を見つけ出して完全に、完膚なきに殺すんだ。そうすればアンジュも皆も夢から覚める――魔王を探し出して殺す。誰がどう見ても死んだと分かるように首を切り落として王都の広場で晒し首にしよう。そうすれば誰もが理解する筈だ……僕は世界に求められてるんだ……僕は……僕は……」
その帰り道、レンヤは自らを襲った全ての野生の魔物に【星屑の大牙】による斬撃を見舞った。効率を求めた筈の彼の太刀筋は、執着心を象徴するかのように執拗に首を跳ね飛ばしていた。
――その様子を部下のリサーリを通してマジックアイテムで生中継して貰っていたルシュリア王女は、手入れされた美しい金髪を指で弄びながらにやにやと品のない笑みを抑えきれなくなっていた。
「この男、最早わたくしが何もしなくとも勝手に落ちる所まで転がり落ちていく気配がビンビンしますわ……!」
きっと彼はアンジュに殆ど恋をしていた。
僕が先に好きだったのに、と言いたいところだが、彼女は最初からレンヤのことを眼中にないどころかレンヤが最も嫌う相手がハジメなのを知っていた上でハジメを親友として全幅の信頼を置いていた。
そして彼が最後に縋った魔王の完全な殺害という目標は、その魔王こそアンジュが何を賭しても守りたいと思う存在であるからして、彼の願いの果てにあるのはアンジュの殺意に満ちた【攻性魂殻】かボルカニックレイジによる無慈悲な死である。
ハジメのことなど忘れれば良いのに好きになった女のせいで忘れられなくなり、仲間もついてこないのに一人で破滅しか待っていない道を猛進する勇者レンヤ。
ルシュリアは彼の生い立ちがなかなかのものであることも知っているため、全てを加味した上でこう判断する。
「芸術点高まってますわ! 嘗てなく高まってますわ!」
ちなみにルシュリアは彼が魔王討伐の本懐を遂げられるとは欠片も思っていない。
何故ならアンジュはハジメと同じ強さを持っており、ルシュリアの計算では彼が何をどうしようがハジメに勝つ可能性はゼロだからである。
もし万一可能性があったとしたら、そのときはルシュリア直々に赴いて彼の目の前で善意を装って叩き潰すつもりである。
何故ならきっと最高の表情と感情が見られるに違いないから。
「このガム奥にまだ知らない味が眠っていますわ~~~!!」
――なお同刻、ハジメとアンジュは同時に何かイラっとしたものを感知した。
「唐突にルシュリアにイラついた」
「私もあいつ嫌い。その気になれば即ルリを巻き込みそうだし」
アンジュはハジメのルシュリアを嫌う感情も100%反映していたようである。
まぁ、本性を知れば誰だって好きにはならないが。
勇者レンヤは狂人と化した。




